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岐路に立つ外科医に課せられたミッション。医師として、人として、一番大切なものは何か。

ひとつむぎの手

知念実希人/著

1,512円(税込)

本の仕様

発売日:2018/09/21

読み仮名 ヒトツムギノテ
装幀 新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 302ページ
ISBN 978-4-10-334382-0
C-CODE 0093
ジャンル ミステリー・サスペンス・ハードボイルド
定価 1,512円

大学病院で過酷な勤務に耐えている平良祐介は、医局の最高権力者・赤石教授に、三人の研修医の指導を指示される。彼らを入局させれば、念願の心臓外科医への道が開けるが、失敗すれば……。さらに、赤石を告発する怪文書が出回り、祐介は「犯人探し」を命じられる。医療ミステリーの旗手が挑む、スリリングなヒューマンドラマ!

著者プロフィール

知念実希人 チネン・ミキト

1978年、沖縄県生れ。東京慈恵会医科大学卒、日本内科学会認定医。2004年から医師として勤務。2011年「レゾン・デートル」で島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞。2012年、同作を『誰がための刃』と改題し、デビュー。「天久鷹央」シリーズほか、『あなたのための誘拐』『仮面病棟』『時限病棟』『螺旋の手術室』『屋上のテロリスト』『黒猫の小夜曲(セレナーデ)』などの著書がある。2018年、『崩れる脳を抱きしめて』が本屋大賞ノミネート。

書評

ひたむきに生きる

青木千恵

 第四回島田荘司選ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受け、2012年にデビュー。新潮文庫「天久鷹央」シリーズが人気を博し、2014年刊行の『仮面病棟』(実業之日本社文庫)が大ヒット。『崩れる脳を抱きしめて』(実業之日本社)が2018年本屋大賞のノミネート作になるなど、デビュー数年で多くのファンに支持されている知念実希人氏。本書は大学病院を舞台にした、真っ向勝負のヒューマンドラマだ。
 主人公の平良祐介は、純正会医科大学附属病院で働く医師である。学生時代から「一流の心臓外科医」を志してきた祐介は、三十代半ばになり、転機を迎えている。執刀数の多い関連病院への出向を望んでいるが、手術のない病院に出されれば腕を磨けなくなり、夢は潰える。そんなある日、心臓外科のトップで、日本有数の執刀医である赤石主任教授に呼び出され、三人の研修医を指導し、うち最低二人を心臓外科に入局させるよう指示される。開胸手術の多い病院への出向をほのめかされ、指導医を引き受けた祐介だったが、熱意が空回りして、研修医たちの反感を買ってしまう。
 物語は四章構成で、救急搬送された患者の容体が安定せず、一睡もできずに祐介が朝を迎えた場面で始まる。ここ数年、心臓外科講座は医局員の減少に悩まされ、個々の仕事量が増し、ハードワークに耐え切れずにさらに医局員が去る悪循環に陥っていた。激務に加えて、人間関係もぎすぎすしている。医局長の肥後は、上に媚び下に強く当たる人物で、不器用な祐介に陰湿な嫌がらせをし、チーム医療で協力し合うはずの他科を敵視する。
 心臓外科と循環器内科が話し合う「冠動脈カンファレンス」や、単なる泥酔と思われた患者の病変と治療など、現場の知られざるディテールが精細に描かれ、読み応え抜群だ。
 ハードワークとシビアな人間関係、さらに研究データ改ざんの告発状が出回り、怪文書の真相も含めてラストまで二転、三転していく展開は、ミステリー作家として鳴らした著者ならでは。ただし、本書はミステリー色もサスペンス色も僅かだ。知念作品のエンターテインメント性を保ちながら、医療現場を舞台にしたヒューマンドラマなのである。
〈やってみないと分からない。そんなふうに思えるのは純粋だからだ。けれどこの医局では、純粋な人間は踏み台にされてしまう〉と、ストレスを抱えて祐介は思う。〈女医は入局してもすぐに、ガキができたとかで辞めていっちまうからな〉と、女性研修医の前で決めつける肥後のような人物は現実にいるようなので、本書は世の中の縮図でもある。純粋さや人間性を捨てて、うまく立ち回った方が賢いのか? しかし、理不尽な状況に対して、主人公は立ち向かう。そこに胸のすくエンターテインメント性がある。
 ただし、知念作品の主人公はヒーローではなくて“等身大”だ。祐介は、真面目すぎて空気を読めず、「教授の甥」で才能のある針谷への嫉妬心を拭えない。他の作品でも、コミュニケーション能力の重要性が叫ばれるこの時代にあって、天久鷹央は“コミュ障”だ。欠点を抱えつつも生きる主人公の姿と人間模様が、読者の心に響くのである。
 ふだん健康に生活していると、「死」は遠い。日々の選択が正しかったのかは分からず、昨日、今日、明日、と誰もが日常をつなぎながら生きて、最期の日を迎えるのだと思う。いつ、どのように死ぬのか見当もつかず、不安だ。だから、人としていろんな葛藤を抱えながらも、心優しく懸命に仕事に取り組む祐介のような医師を応援したくなる。
 本書は、「ミステリー」でも「職業小説」でもない。知念氏が「素の状態」で紡ぎあげたストーリーだ。1978年生まれの著者が四十代にさしかかり、好きなミステリーを抑制して、「ひたむきに生きること」を問う小説なのだと思う。
 どんな枠組みにもとらわれずに、小説という不思議な存在を自らの手で紡ぎあげ、読者を楽しませる。本書は、知念氏がまたもや新境地を拓いた長編作だ。

(あおき・ちえ フリーライター、書評家)
波 2018年10月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

人はもろくて、しぶとい

知念実希人

『崩れる脳を抱きしめて』で2018年本屋大賞ノミネート。新潮文庫nex「天久鷹央シリーズ」累計100万部突破。医療ミステリーで大人気の現役医師が挑んだ初のヒューマンドラマ『ひとつむぎの手』。心臓外科医が主人公の本作に込めた思いとは――。

やっと書けたテーマ

――構想から何年経ち、完成しましたか。
『ひとつむぎの手』は、デビューして間もない頃、六年ほど前から構想していた作品です。僕はミステリー作家としてスタートしましたが、ロビン・ウィリアムズが型破りな高校教師を演じる映画「いまを生きる」をDVDで観て、ヒューマンドラマにもチャレンジしてみたい、ひとりの人間の仕事や人生に対する葛藤を描いてみたいと思っていました。
 実はその頃、一度は最後まで書き上げたのですが、昨年読み直してみると、ストーリーの筋には魅力があると思えるのに文章や展開がひどい(笑)。まだ小説家としての技術が全く足りなかったのでしょう。この六年間、文庫、単行本合わせて二十作以上書いて、やっと頭の中の「書きたいテーマ」に書く技術が追いついたのだと思います。今年の春、新しく長編一本を書くのと同じ時間をかけて、じっくり全面改稿しました。分量は四分の一ほど削りましたね。

――ミステリーではないのですか。
 本作にミステリー要素はありますが、それが物語の中心ではありません。ずっとミステリーを書いてきたので、なぜ今回はミステリーではないのかと思われるかもしれませんね。でも、ひとりの人間がどういう経験をして、何を得て、どういう結論を出すのか、それに至るまでの道筋とひとつの結論を選ぶときのカタルシスは、ミステリーの謎解きに通じるものがあると、僕は思っています。

――タイトル『ひとつむぎの手』とは、どういう意味ですか。
 いくつもの意味を込めたタイトルです。主人公の医師・平良祐介が岐路に立たされ、葛藤しながら、無謀とも思えるいくつかのミッションをなんとか遂行していく。その過程を読んでいただくと、意味が分かるようになっています。タイトルの謎解きを楽しんでいただけたらうれしいです。

――舞台は純正会医科大学附属病院。『螺旋の手術室』『祈りのカルテ』も純正医大が舞台でしたね。
 そうです。僕自身が本を読んでいて、別の作品とのちょっとしたつながりに気づいたときに喜びを感じるものですから。読者の方々が楽しんでくれたらいいな、と思っています。『ひとつむぎの手』には、『祈りのカルテ』の主人公、循環器内科医・諏訪野良太が脇役として登場しています。

命に直接触れる心臓外科

――本作では、なぜ心臓外科を選んだのですか。
 とにかく一番忙しい、ハードな科だからです(笑)。それに、数ある診療科のなかで、最も患者の命に直結するのが心臓外科。腕の良い医者が手術しないと、生命が絶たれてしまう。作中でも書きましたが、心臓外科医は、努力でどうにか身につけられる技術だけでなく、才能も必要となるシビアな仕事なんです。

――主人公・平良祐介は、心臓外科の執刀医を目指して激務に耐えている三十代の医師。ちょっと不器用な、誠実な人物ですね。
 特別な人を描くのではなく、共感してもらえるような、「どこにでもいる人」を書きました。祐介は夢と理想をもって毎日がんばって働きながら、現実とのギャップに悩んでいる。医療現場に限らず、働いている人は誰もがもつ悩みだと思います。

――心臓外科の医局の最高権力者であり、比類なき手術の腕前を持つ教授・赤石源一郎に、祐介は三人の研修医の指導を命じられます。ただでさえ、家に帰る暇もないほどの忙しさのなか、三人もの研修医の指導を任されるのは異例。そのうち二人を入局させれば、執刀医としての道が開けることを暗示され、もし失敗すれば、執刀医の道が閉ざされるとも……。
 医局とは、いわば病院内の人材派遣会社。要請があれば全国各地の病院に適切な医師を派遣するのが医局の仕事。教授は企業の社長にあたる立場で、准教授、講師、助手とピラミッド構造になっています。どんなにハードなミッションを与えられても、祐介が赤石教授の命令には逆らえないのは当然のことなのです。

医療現場の理想と現実

――体育会系で生意気な郷野司、学究肌の牧宗太、優等生タイプでトラウマを抱える宇佐美麗子。祐介が任された三人の研修医が個性的ですね。
 研修医はまだ医療の現実を完全にわかっているわけではない。ですから、現実を知るにつけ理想とのギャップに葛藤することもあります。
 僕自身、研修医のときは内科だけで三種類、麻酔科、救急、外科、精神科など十以上の科を回りました。若くても、尊敬できる頼もしい指導医もいましたし、ベテランであっても、作中に出てくる医局長・肥後太郎みたいな、「こんな医者だけはなるまい」「病気になっても絶対に診てもらいたくない」と思う人もいましたね。

――『ひとつむぎの手』には、患者が死を迎える場面があり、心が揺さぶられます。死に瀕する患者を前に、ショックを受けて取り乱す研修医に、祐介は「患者のために泣くのは、家族の権利だ」と諭します。
 実際に医者はそういうふうに教わるんです。患者のために的確な治療をするのが医者ですから、決して感情的になってはいけないんです。
 僕が研修医だったときも、現場で何百人もの死を見ました。救急外来では、一日に二、三人の心肺停止の方が運ばれてくることもありましたしね。それだけ実際に死を目にしてきても、小説としての描き方は難しいですね。
 僕は医師の家庭に生まれましたが、耳で聞いて知識として知っている死と、目の前にある現実の死は結構違う。「こんなにあっけなく亡くなってしまうのか。人間ってもろい」。そう思うこともあれば、なんとか患者さんが息を吹き返して、「人間ってしぶといなあ」と感心することもありました。担当医として、診断からずっと診てきた患者さんの死は特に忘れられないものがあります。でも、悲しむのは家族の権利。医師はその悲しみを飲み込むしかないんです。
 一日一日を無駄にしてはいけない、と気づかされたのも、研修医時代です。後悔のないよう、ダラダラ生きてはいけない。たくさんの死を見たからこそ、そう学ばせていただきました。

――ところで、新潮文庫nex「天久鷹央シリーズ」は、新刊『火焔の凶器―天久鷹央の事件カルテ―』で累計部数100万部を突破しました。各科で「診断困難」と判断された患者が集められる統括診断部の天才女医・天久鷹央が主人公のメディカル・ミステリーです。
『火焔の凶器―天久鷹央の事件カルテ―』は2014年に始まったシリーズの九作目ですが、たくさんの方に読んでいただいて本当にうれしいです。ミステリー作家は、ひとり名探偵を持っている人が多い。島田荘司先生は御手洗潔、アガサ・クリスティはエルキュール・ポワロ。天久は僕にとってのシャーロック・ホームズなんです。だから、僕が本格ミステリーのストーリーを思いついたら、それを解くのは天久。ずっと書き続けていきたいと思っています。

――『ひとつむぎの手』にも、「続編希望!」という声が、発売前に読んでいただいた書店員の方々から挙がっています。
 エッ! 僕としては、単なるハッピーエンドでもなく、かといってバッドエンドでもなく、完璧に終わらせたつもりだったんですけど……(笑)。でも、僕が今持っている力を出し切って書いた作品に対して、そういうふうに言っていただけるのはありがたいことですね。
 人は人生で何度も悩み、正念場を迎えますよね。『ひとつむぎの手』は、そういうときに読んでほしい作品です。世代を問わず、仕事をがんばっている人、あるいはなぜがんばっているかも分からなくなって、自分を見失っている人にぜひ読んでいただきたいです。

(ちねん・みきと 作家・医師)
波 2018年10月号より
単行本刊行時掲載

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