喧嘩の流儀 菅義偉、知られざる履歴書
1,650円(税込)
発売日:2020/12/16
- 書籍
- 電子書籍あり
菅義偉とは“何者”なのか?――寡黙な新総理の実像。
「菅さんからけんかを売られた」「菅は虚像が大きくなりすぎている」。コロナ禍における官邸・自民党内での権力闘争、日本学術会議「任命拒否」の舞台裏から、日々の政治信条までを徹底取材。勝負どころの思考法、逆風下で漏らした本音など、本人、関係者の生々しい肉声を積み重ね、最高権力者の正体を浮き彫りにした決定版。
第一章
「俺は作る方。ぶち壊すのは河野」
――新政権発足
権力の頂点に
一変した官邸スタッフ
デジタル庁と「総経戦」
信じられるのは自分の目と耳だけ
日本学術会議「任命拒否」の舞台裏
仲直りさせる名人
長老に食ってかかる新人
無謀と勝算の狭間を
「うまく笑えねえ」
第二章
「菅さんからけんかを売られた」
――「令和おじさん」への逆風
「何で一番じゃないんだよ」
「菅は虚像が大きくなっている」
総理以上の厚待遇
二階を外すか、それとも……
「菅と今井のせめぎ合いだ」
菅原経産相の辞任
河井法相の辞任
燃えさかる「桜」
秋元IR担当副大臣の逮捕
第三章
「やるなら真っ正面から来い」
――新型コロナウイルス襲来
「甘利に刃向かう奴は俺がぶっつぶす」
コロナが封じた憲法改正
ダイヤモンド・プリンセス入港の裏で
自縄自縛の厚労省
「一斉休校」決断の舞台裏
対中配慮の代償
弓を引いた人間は決して忘れない
聖火を手に入れろ
第四章
「安定しない政権は支持されない」
――緊急事態宣言発令
ピント外れの“アベノマスク”
大炎上したSNS動画
公明党は「我々は断頭台に立っているんです」とすごんだ
つじつま合わせの「一律10万円給付」
息を吹き返した菅
宣言延長と出口戦略
「岸田は有事の総理じゃないね」と麻生はこぼした
宣言解除へ
#検察庁法改正案に抗議します
第五章
「菅さんは目力が強くなった」
――8年ぶりの新総裁
政治家にとって会食とは
「歴史をまた変えてやろう」と安倍は決意した
安倍と菅の手打ち式
「第2波」到来
「Go To トラベル」実施の舞台裏
土気色の顔、うつろな表情
悪夢のシナリオ
二階の目から涙がぼろぼろとこぼれ落ちた
20分の密談
「大本命・菅」へのトリガー
勝者を待つ試練
おわりに
書誌情報
読み仮名 | ケンカノリュウギスガヨシヒデシラレザルリレキショ |
---|---|
装幀 | 読売新聞社/写真、新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 224ページ |
ISBN | 978-4-10-339019-0 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | 政治 |
定価 | 1,650円 |
電子書籍 価格 | 1,650円 |
電子書籍 配信開始日 | 2020/12/16 |
書評
「政治は人。政治は言葉」第一級のコロナ戦記
20年ほど前になるか、菅義偉と会食したことがある。政治家は人に会うのが仕事、そのひとつとして雑誌などに記事を書く私たちライターや雑誌編集者などとの「勉強会」がセットされたのだ。酒食を共にしながら質問を受け付けるという席で、菅を囲んだのはざっと十五人くらい。菅は国土交通大臣政務官、経済産業大臣政務官を経て、総務副大臣になっていたと思う。
そのような席での政治家のふるまいは十人十色だ。ニュースの舞台裏を解説したりして“ネタ”を提供する向きもあれば、ジョークを連発したり、「いつでも連絡してよ」とほほ笑んで気安さを演出する人もいる。菅にはそういったことが一切なかった。酒は飲まず、口数が少ない。質問には淡々と答えるが、沈黙をいとわない。海外の渋滞緩和策のような日常生活にかかわる具体的なアイデアを聞くと、手帳にペンを走らせる。総理になって「携帯電話料金の値下げ」や「不妊治療への保険適用」を打ち出した時は、その関心のもちようが驚くほど変わっていなかったことに驚いた。
本書を読むと、菅は《会合を朝に1回、昼に1回、夜に2回重ねる「4階建て」も平気でこなすことができる》という。私が出席した会は2時間ほどでお開きとなり、菅はさっと会場を後にした。いま考えれば、別の会食に向かったのかもしれない。本書には《本人いわく、「主流じゃない人」にも会うよう心がけているという》とあるが、なるほどあの夜はまさしくそうであった。
菅義偉。戦後最長の政権を支えた官房長官であり、現総理。しかし、彼がどのような人物でなぜ総理の座まで上り詰めることができたのか、これほど実体の伝わってこない政治家もいないのではないか。菅義偉とは一体何者なのか。本書はその素朴な疑問に真正面から答える好著だ。
生々しい記述は、取材の深度を感じさせる。視点は中立的で、だからこそエピソードに迫力がある。事実の向こうに、人が立ち上がる。たとえば、高校の同級生は異様な仕草を目撃する。
《菅は、心のどこかで無理を重ねているのかもしれない。湯沢高で同級生の伊藤は上京した際、総務相時代の菅と食事を共にしたことがある。伊藤がふと気づくと、目の前の菅は店にあった爪楊枝をつまみ上げては、ポキポキと何本も折り続けていた。政治家として権勢を振るう菅がさらされている重圧の大きさがうかがい知れた》
また、2019年、菅が「令和おじさん」として名を売ったあと、“菅派”の菅原一秀経産相、河井克行法相がスキャンダルで相次ぎ辞任に追い込まれ、秋元司IR担当副大臣が逮捕された時の様子は本書でこう記される。
《菅は、自らを刺そうとする勢力へのいら立ちを募らせていた。「やるなら真っ正面から来いっていうんだよな」と持ち前の負けん気をむきだしにした》
《「ちゃんと仕事をやっているだけなんだけどね。でも、これで強くなるんだよ」/菅は、半ば自分に言い聞かせるように漏らした》
菅の表情が見えるかのようだ。その取材力は、菅以外の権力者にも向けられる。
たとえば安倍政権が緊急事態宣言を発出した2020年4月の記述。百貨店やホームセンター、理髪店などを含む幅広い休業要請を求める都と、経済への悪影響を最小限にとどめるべく「(1)まず強く外出自粛を要請(2)2週間程度は効果を見極めた上で施設の使用制限を検討」と考える政府が鋭く対立したため、首相補佐官の今井尚哉が仲介に乗り出し《9日まで折衝を続けた結果、小池は理髪店やホームセンター、百貨店の生活必需品売り場などを対象から外すことは渋々受け入れた。今井は「小池の政治パフォーマンスはきょうで終わりだ」と漏らした》。
小池の言動はメディアで華々しく取り上げられることが多いが、第二波の感染爆発を引き起こすことになる2020年3月20日からの三連休の前には懸念されていたのに自粛の「じ」の字も口にせず、22日に東京五輪の中止の決定が回避されるや法的に不可能なロックダウンに言及するなど、責任回避の巧妙さが目立つ。今井の発言は本音だろう。
小池をはじめ、政治家が逃げ腰になり、演出に走りがちなのは、未知のウイルス相手の戦いは、誰がやっても分が悪いからだ。命が大切なのは当たり前だが、経済の悪化が社会を殺し、結果的に人を殺すのも歴史の教えるところ。だから、アクセル(経済振興策)とブレーキ(感染防止策)を踏み分けながら、タイマー付きのPDCAサイクルを回し続けるしかないが、そのかじ取りは簡単ではない。
さらに、人は誤解する生き物だ。仮に正しいことだとしても、それが為されたときに真意が理解され、評価されるとは限らない。ましてや不安に覆われた社会で、人は自分が見たいようにものごとを見て、感じたままに発信しがちだ。それらは互いに増幅しあい、SNSやメディアを経ることでも増幅されていく。
そして、真実は時に遅れて姿を現す。たとえば、2020年3月から日本を襲ったコロナウイルスの第二波は、中国・韓国ではなく欧州由来のものだった。あるいは、日本のみならず海外でも実施され物議を醸した一斉休校は感染拡大の防止に確かな効果があった。いずれもエビデンスが揃い証明されるまで、相応の時間が必要だった。
一方的な主張や感情が大手を振って歩きがちな時代でも、いやそういう時代だからこそ、政治家はちゃんと仕事をしなければならない。正しい判断をするだけでなく、施策の必要性を聞き手の腹に落ちる言葉で訴えなければならない。誰も正解を知らない問題に向き合う時、リスクコミュニケーションは欠かせないのだ。
世論に支持されなければ、いくら正しい施策でも続けることは難しい。本書には、海外に比べて感染者数を低く抑えているのに国民の支持が一向に高まらないことに心が折れ、体調を崩していく安倍の様子が克明に記されている。2020年8月に入ってから、安倍の体調は坂を転げ落ちるように悪化していった。
《12日、安倍は午後1時過ぎに官邸に入った。その足取りは重く、表情に生気がなかった。(中略)安倍の声はマスクを外しても、か細く、かすれて途切れがちだった。ぶら下がりを終え、エレベーターに向かう際には、壁に手をついた》
《安倍の体調は13、14日あたりがどん底だった。両日とも午前中は私邸で過ごし、午後には体にむち打って出邸した。しかし、コロナの状況に関する報告を受けた際には、表情がうつろで、心ここにあらずといった風だった。この時期に面会した一人は安倍の「張り付いたような表情」に目を奪われた。そんな顔の安倍は、かつて見たことがなかったという》
「一強」と言われた安倍がコロナの前に敗れ去る過程は、間近で支え続けた菅の脳裏に焼き付いているはずだ。感染拡大の中で社会経済活動を重視する政府の姿勢は、国民の理解を得にくかった。それでもなお、菅政権は、コロナに立ち向かった第4次安倍政権と同じスタッフでコロナ対応に臨み、やはりアクセルとブレーキを使い分けようとしている。支持率は低下し、自民党総裁任期満了(9月)、衆議院議員の任期満了(10月)を控え、党内でもさまざまな思惑が蠢き出している。何が起こってもおかしくない。
本書の掉尾を飾るのは菅が圧勝した総裁選当日の様子。そこには「勝者を待つ試練」としてこんな記述もある。
《2位に食い込んだ岸田陣営の結果報告会は、大盛り上がりを見せた。岸田は万雷の拍手で迎えられ、「きょうから総理総裁を目指して次の歩みを進めて行きたい」と意気軒高だった。副選対本部長を務めた山本幸三が「これから我々は改めて一人の落ちこぼれもなく、今回示したように、一致結束して、(菅の)失敗を待ちながら、必ず血路を開いてくる」と口を滑らせる場面もあった》
政治は人。政治は言葉。それを具体的に描き切った本書は第一級のコロナ戦記でもある。すごい本を読んだ。
(かわだ・せいいち ジャーナリスト)
波 2021年2月号より
単行本刊行時掲載
寡黙な新総理を生んだ「人間的な営み」の連鎖
マスコミのもっとも大切な役割とは何だろうか。よく言われるのが「権力批判」である。それが唯一無二であるかのように主張する論者も少なくない。私はそうは思わない。この世の「なぜ」に答えることだと信じて疑わない。もちろん「権力批判」もその中の一つではある。
新型コロナウイルスの感染者も死亡者も先進各国と比べ格段に少ないにもかかわらず、なぜ政府のコロナ対応は国民に評価されないのか。安倍首相と菅官房長官との間になぜすきま風が吹くようになったのか。今井補佐官と菅はなぜ対立・緊張関係だったのか。麻生副総理・財務相はなぜ菅が嫌いなのか。安倍辞任を事前に知っていたのは誰なのか。ここ一年の政治に限っても無数の「なぜ」がある。
政治はすぐれて「人間的な営み」である。互いの利害や好き嫌い、怨念などの感情に大きく左右される。「なぜ」と人間が描かれていなければ、事の真相には迫れない。本書を読んでいると、その期待に十分応えていることがわかる。二十五年以上離れているとはいえ、政治部の後輩たちの作品を高く評価することに「身びいき」の批判が出るかもしれないが、推奨に値することだけは確かである。
「安倍一強」を支えてきたのは、安倍と菅との「絶妙な『共生』のバランス」だったという。イデオロギー色の強い安倍に対し、イデオロギーには無関心で、黒子に徹し危機管理や内政を担った菅との間で棲み分けができていた。両者の関係はいわば「戦略的互恵関係」だったのである。ところが、菅が「令和おじさん」として脚光を浴びるようになってから、安倍側近の今井が菅への警戒心をいだくようになるなど、その関係が次第に崩れていく。
コロナ対策で安倍は今井ら側近を重用し、菅の存在感は次第に希薄になった。しかし、いわゆるアベノマスクやSNS動画など「菅抜き」で行われた多くが裏目に出てしまう。そこで菅が息を吹き返していくのである。このあたりの叙述はそれこそ息詰まるような生々しさがある。
学校の一斉休校は「起死回生のサプライズ」として今井が安倍に進言した。しかし、感染症対策の専門家から効果が疑問視されるなど教育界も含め厳しく批判された。今井自身も感染症防止に役立つか確信がなかったと述懐している。しかし、私の見方は違う。政治は結果責任である。結果として、学校にクラスターが発生しなかったではないか。ならば安倍は堂々とそのことを述べたらよかったのだ。
安倍にとって麻生の存在がいかに大きかったかも本書を読めばよくわかる。安倍抜きで政局が動いていることに危機感を募らせた麻生は「総理、最近明らかにアンテナが鈍ってますよ」と安倍に直言する。安倍は「それを面と向かって言ってくれたのは麻生さんだけです」と感謝する。こうした場面は随所にあったようだ。そんな麻生の面白さはここぞという時の解説、コメントにある。
人気のある河野太郎について「河野太郎とかけて釧路と解く。(その)心は湿原(失言)が多い」。自分のことを棚に上げたぶん、味わいがより深くなる。官邸内の不協和音に首をひねって言う。「今井が菅をはじいていて、それに総理が乗っているのか。総理と菅が悪くなっているのか。そこが俺にも分からないんだ」。月刊誌で菅について聞かれ、「安倍さんの代わりになろうとするオーラは感じませんけどね」とバッサリ。いかにも麻生らしい。
それにしても、週刊誌でさんざん不倫問題を取り上げられた和泉洋人を菅が補佐官として重用するのはなぜか。本書を読んで得心した。仕事が出来るのである。米空母艦載機部隊の離着陸訓練の候補地である
菅政治の特徴もよく整理されている。「国民目線に立った政策」へのこだわりこそがたたき上げとしての菅の真骨頂である。首相就任記者会見では、大所高所からのビジョンを語ることが多いが、菅の場合は携帯電話料金の引き下げやデジタル庁の設置など徹底して具体的だ。それだけに国民にはわかりやすく映るのだろう。
特定のブレーンを置かないのも菅スタイルだ。官房長官秘書官から四人をそのまま首相秘書官に格上げしたのは、菅にとって気心の知れた部下を使うためだけではない。腹心任せにせず、自らが霞が関を仕切るという意欲の表れだという。朝昼夜を問わずさまざまな人物と会食を重ねて情報収集する手法を首相になってからも続けている。
しかも「主流じゃない人」に会うことを心がけているという。このあたりも歴代首相とは違って、「信じられるのは自分の目と耳だけ」というたたき上げ政治家らしい所作なのかもしれない。ただ、こうした政治手法には「危うさ」も付きまとう。首相の仕事の広さと深さを考えると、「個人商店」的で大丈夫かということである。
本書を読み終わってつくづく思うのは、政治の陰の主役はコロナだったということである。
(はしもと・ごろう 読売新聞特別編集委員)
波 2021年1月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
読売新聞政治部
ヨミウリシンブンセイジブ