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奇跡の生還から8年。マグロ漁師を再び海に向かわせたものは何だったのか?

漂流

角幡唯介/著

2,090円(税込)

本の仕様

発売日:2016/08/26

読み仮名 ヒョウリュウ
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 431ページ
ISBN 978-4-10-350231-9
C-CODE 0095
ジャンル ノンフィクション
定価 2,090円
電子書籍 価格 1,672円
電子書籍 配信開始日 2017/02/10

1994年冬、沖縄のマグロ漁師・本村実は、フィリピン人らと共に救命筏で37日間の漂流の後、「奇跡の生還」を遂げた。だが8年後、本村は再び出港し二度と戻らなかった。九死に一生を得たにもかかわらず、なぜ再び海に出たのか? 沖縄、グアム、フィリピンなどで関係者らの話を聞き、漁師の生き様を追った渾身の長編ノンフィクション。

著者プロフィール

角幡唯介 かくはた・ゆうすけ

探検家・ノンフィクション作家。1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学探検部OB。2003年、朝日新聞社入社、2008年退社。著書に『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞など)、『雪男は向こうからやって来た』(新田次郎文学賞)、『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(講談社ノンフィクション賞)、『探検家、36歳の憂鬱』、『探検家の日々本本』(毎日出版文化賞)など。近著に『旅人の表現術』。

目次

序章 二つの漂流
第一章 魔の三角地帯
第二章 池間民族
第三章 沈船とダイナマイト
第四章 消えた船、残された女
第五章 マグロの時代
第六章 再興南方カツオ漁
第七章 漂流船員の証言A
第八章 いろは丸乗船記
第九章 救出者
第十章 漂流船員の証言B
終章 閃光
謝辞
主な参考文献

インタビュー/対談/エッセイ

土地にからめとられていく、人間の生き方

角幡唯介小野正嗣

他者の生き様、海、南方――。4年ぶりの長編ノンフィクションは今までとはまったくちがったものになった。

『九年前の祈り』で芥川賞を受賞した小野さんの故郷は大分県の漁師町・蒲江町(現・佐伯市)。作品にも漁村が舞台となったものがいくつもある。角幡さんの新刊『漂流』では、沖縄県伊良部島佐良浜の、マグロ漁師の生き様が描かれている。取材・執筆の裏話、テーマだった海と人間、生まれ育った土地と気質を中心に二人の対談は進んだ。
       *
『漂流』のあらすじ 佐良浜のマグロ漁師・本村実さんは、一九九四年冬、三十七日間もの漂流の末、「奇跡の生還」を遂げる。だが八年後、九死に一生を得たにもかかわらず、本村さんは再び船を出す。彼を海へ向かわせたものとは?

漁師を取材するということ

小野 まず、冒頭なんですが、角幡さんは救命筏で漂流した本村さんに電話する。本人が不在で奥さんが出て伝言をたのむと、「じつは、十年ほど前から行方不明になっているんです」と言われる。突然、「行方不明」と聞いて、これは物語になるぞと思ったんじゃないですか?
角幡 いや、逆ですね。終わったと思った。頭真っ白ですよ。その時点では、こんなに長い話を本村さん一本で書こうと思っていませんでしたから。当初はいくつかの漂流をピックアップして、黒潮を物語の柱にしてまとめられないだろうかと思っていたんです。筏で漂流実験を試みた関西の探検家や、ダイバーで漂流した人、糸満の漁師もいたんですが、最初に電話をしたのが確か本村さんだったんです。
小野 本の中では、「直感的なものではあったが、大きな物語がかくされているのではないかという予感がした」と書いてます。これで終わりかもしれないという気持ちと同時に、もう少し掘り下げてみようという気もあったんですか?
角幡 それは電話する前の下調べの段階で感じたことですね。救命筏で漂流したこと、マグロ船がグアムを基地にしていたこと、本村さん以外の乗組員がフィリピン人だったこと。今まで知らなかったことが多くて何かこの漂流が気になった。で、奥さんへの電話の後に、とりあえず沖縄には行ってみようという気持ちになったんです。でも、ものになるかどうか分からない。経費も自腹になるかもしれないんで、安宿に泊まったんです。バックパッカー向けの個室で一泊3000円くらいかな。
小野 (笑)。何が出てくるかわからない状態で沖縄へ?
角幡 ええ。で、奥さんに会った時に、佐良浜という地名が出てきたわけです。いや、会う前かな。とにかく佐良浜のことを調べてみると、南方カツオ漁の記述が出てきて、変わったところなのかなと思い始めたんです。
小野 僕も海辺の集落の出身だから、佐良浜のような小さな漁港の話は入っていきやすかった。つまり、人々が土地に根付いていて、地縁、血縁が強いところ。こういう場所は普通、描きにくい。なかなか入っていけないから。
角幡 入っていけたと僕も断言できないですね。ものすごく協力していただいた人が三人いたんです。そのうちのひとり仲間さんがコーディネーター役になってくれて、知り合いのところに連れて行ってくれるわけです。彼は、世の中の隠された物語の役割、それを書くことの重要性を認識している知識人でした。仲間さんのおかげで、佐良浜の人たちと酒を飲めた。「昔は大変だったよ」と話してくれたり、そういうひとつひとつの話が徐々につながっていった感じです。
小野 トータルにしてどのくらいの時間を取材にかけたんですか?
角幡 佐良浜に行ったのは三回。それぞれ二週間ずつくらい。グアムにも取材に行きましたが、今でも佐良浜の漁師は多い。那覇や三陸のマグロ船も港にいて、佐良浜以外の漁師にも話を聞いたんですけど、全然気質が違う。やはり佐良浜の人は話を聞きにくいんです。那覇の人はものすごくあけっぴろげで、三陸の漁師さんも非常に友好的だった。他方、佐良浜の人たちは、面倒くさいんだと思うんですよ。港で会って世間話する分にはいいんですけど、「こういう取材をしているんで話聞かせてください」とオフィシャルになると「じゃあ」と消えてしまう。改まって何かを外の人間に説明するという経験が、たぶんこの人たちないんだろうなと感じた。
小野 僕の母方の祖父は漁に行って遭難して死んでいます。近海漁業でもけっこう海難事故があるせいでしょう、割と人の生き死に関しては達観してますよね。だからすごくリアリティがあった。それと、なんで漁師というのは、過去のことを適当にしか覚えていないんでしょうね。
角幡 ざっくりとした時間感覚なんですよ、きっと。細部の記憶がない。決めつけてはいけないですけど、だいたいこの時期にこれがあったとか、そういうくらいでいいんじゃないですか。
小野 僕の田舎にすごく腕のいい漁師がいます。モジャコヒキと言って、おもにハマチの養殖のための稚魚をとるんだけど、去年、稚魚が十五万匹死んだと言っていた。でも「なんとかなるだろう」くらいで、あっけらかんとしているんです。実際は、相当大変なはずですよ。そういう、海に生きる人たちの独特な人生観はたしかにあると思う。それと、将来に対する展望もあまり感じない。あくまで現在時だけを生きているような。
角幡 「海の民ってこういうんだよ」と説明してくれる漁師なんて当然いるわけはない。ヒントをくれたのが、漁協のおばちゃんたちだった。困るとよく伊良部鮪船主組合に行って、おばちゃんたちとしゃべりました。漁師の世界の特殊性みたいなことを実に的を得た言い方でしてくれるんです。「三日たって見つからんければ終わり」「陸は記録に残るけど、海は記録に残らん」とか。過去がすべて海の藻くずとなって消えてしまう海の世界の特殊性。そうしたところにずっと生きていると、認識というのはきっと変化していくんだろうなということがだんだん分かってきた。それと、驚かされたのが、行方不明になっている船の多さ。
小野 北朝鮮の話が出てくるじゃないですか。ああいう話は九州でもよく聞く。宮崎県に島浦島という島があって、その島の出身者から聞いた話ですが、「子取り船が来るぞ」と言われて育ったそうです。駄々をこねていると、北朝鮮の船が来てさらわれてしまうぞと。

事実とは何か

小野 こんなに多くのトピックを発見すると最初から予想していたんですか。まず、本村さんの漂流に興味を持って、彼の生まれ育った佐良浜に行く。その地で強烈な印象を受け、歴史と風土みたいなものを調べ始める。この集落で重要なのがカツオ漁とマグロ漁と分かり、漁師たちの経験や本村さんの半生を織り交ぜながら漁業史を書く。また、その前史として、戦前、戦後のダイナマイト漁なども調べている。こういう構成はどの段階で固まったんですか。
角幡 とにかく驚きの連続でした。最初は那覇で行方不明船の話をたくさん聞いて驚いた。僕みたいに、海の世界にまったく無知な人間にとって、漁師の世界観に衝撃を受けました。本村さんの兄弟のいずれもが海に関わって死んだり、傷ついたりもしていた。佐良浜に行ってもダイナマイト漁や、沈船あさりの話にひきこまれた。こうしたひとつひとつをどうやってまとめたらいいんだろうとずっと考えていたんですけれど、そうした間にもすごい話が次々と出てくる。とにかく取材をし続けていくしかない。
小野 連載分は書き溜めたんですか?
角幡 はい。北極に長期に行く予定もありましたし。構成を決めたのは、連載のスタート時ですかね。時間軸が三本ありました。まず佐良浜の郷土史、そして本村さんの個人史、最後に僕が旅をした時間軸。その三本をよじって、よじって一本にしなくてはいけない。それが難しかった。
小野 角幡さんは筆力もありますが、構成がすごくうまい。後半もびっくりした。本村さんたちを助けたフィリピン人漁師ギニャレスも、実はそのちょっと前に一カ月近く漂流をしていた……。
角幡 あれには僕も驚きました。
小野 ノンフィクションって、取材を始めると、次から次へと題材が集まってくるもんなんですか?
角幡 フィリピンへ行った当初は、実は取材先が見つからずどうしようと思っていました。この出張は失敗だなと、半ば白旗上げる寸前だった。ところがギニャレスが見つかって、しかも漂流話を聞いて逆転満塁ホームランだなと。
小野 後半のもうひとつのポイントは、フィリピン人船員が本村さんのことを、喰おうとした話の真偽でしたね。
角幡 誰に聞いても笑い話として語るわけですよ。本村さん自身も笑い話として知り合いに話している。本気でかじりつくなんて普通思わないですもの。襲うとしても、首締めたり、ちがう方法を考える。僕自身も冗談半分でやったんだろうとしか考えていなかった。ところが、最後の最後にルシアナさんが告白する。「本当にやったんだ、信じてくれ」と。それで、「えっー!」となった。予定調和がひっくり返される驚きが、この取材では多かった。
小野 ノンフィクションの場合、仮説通りにはいかないものですか?
角幡 僕の場合、これまでの長編のテーマは自分の冒険が中心だったんで、自分の行動が最終的なゴールになる。冒険活動だと、絶対にゴールを決めておかなくてはいけない。ここまで行く、この山に登ると、行動を区切る必要がある。そのゴールにたどり着けなかったら、遭難になるわけですから。
小野 遭難したら書けない(笑)。
角幡 必ず帰って来ないといけない。特に僕の場合、書くことを考えているので、絶対に予定調和で終わるんです。冒険ノンフィクションって、遭難ものがすごく多いんです。それは成功した冒険って予定通り帰って来るから、ある意味「ちゃんちゃん」で面白いからです。でも、こういう、行ってみたら考えていたものとまったくちがうのが取材をしていて一番刺激的でした。
小野 終章で、角幡さんは北海道の生まれで、近くにアイヌの村があったわけでもなく、ごく普通の住宅地だった故郷を、身近に感じていなかったということをおっしゃっていた。そうはいっても、自分が土地によって 作られているようなところがあるんじゃないですか?
角幡 ええ。でも、物事を深く考えない気質が北海道にはある気がする。それは北海道の歴史と、あの広々とした空間に関係があると思う。
小野 佐良浜と僕の田舎が似てるなと感じたのは、住んでいる人がみな顔見知りで、三代先までわかるとか、人間関係が可視化できるところです。土地との結びつき、人との結びつきがきわめて濃密。その意味では、最後に訪れたフィリピンのギニャレスさんの集落なんて、すごく強烈だと思うんですよ。
角幡 人間関係の深さまでは分かりませんでしたが、フィリピンで感じたのは、海と漁師との関係の濃さ。日本の漁師よりも粗末な舟ですから、死により近い。漂流だとか、海難事故も日常茶飯事。人間関係の濃さとは別に、海というものがもたらしている不条理さというのが、漁民文化、漁村文化にはあるような気がした。しかも彼ら自身それを説明しないからなかなか伝わってこない。それをノンフィクションで物語化することはすごく難しいと感じた。これは正確な事実だろうか、本当に書いてしまっていいんだろうか、と。
小野 だけど、小説家にとっては面白い。漁師たちの話していることの基準はおそらく、真か偽かではない。こう話すと面白くなると思ってしゃべっていると、自分の中でそれが真実になってしまう。そういう意味では小説にした方が書きやすいかもしれないですね。
角幡 今回、事実とは何かということを、すごく考えました。結局、事実というのはいろいろな側面があって、誰かが客観的な事実とはこうなんだよとは言えない。たとえば新聞記者だったら役所の人間が事実といったら、それは新聞記事としては事実として書ける。でもそういう書き方をこの本ではできないわけです。漁師さんの話を客観的に装って書くことはできない。結局、事実を認定するのは取材している僕だし、自分自身がどう思ったのかということになる。佐良浜の土地にからめとられていない僕は、すごく漂白された時代と場所に生きた人間であって、そんな人間が探検やったり冒険やったり生と死について考え蓄積されてものを自分の中に持っている。そうした世界観をもって彼らのことを見た時に、どういうものが出てくるかという中にしか、こういうものを書く事実というのはないと考えたんですよ。主観的といったらそうなんですけど、自分の中から出てくる反応みたいなものを事実として描くことによって、はじめて「彼らの話」を書けるのかなと思ったんです。
小野 角幡さんの視線が民族学者、人類学者のようだったことも印象的だった。佐良浜の民俗誌にかなりの部分を割いている。彼らは南洋に広がっていく海洋民で、その足跡を追って、グアム、フィリピンに行き、その軌跡、心の版図をたどった。きちんと、通訳やコーディネーターの人の存在も書かれていて、そのやりとりも描かれている。抑制のきいた客観的な描写に努めつつも、取材した「私」、角幡唯介という人間が、漁師たちの生き様とその風土をどのように受け止めたかという主観的な記録となっていて、ひとつひとつの考察が実に読ませます。五感に訴えかけてくる文章も素晴らしい。

僕のやっていることは所詮遊び

小野 角幡さんの場合、自分が生きているという輪郭を確かめるために冒険に行く。生きるって何なんだろう、生の輪郭を確かめ直すために、時々死の世界に触れる必要があるという思想がありますよね。でも漁師の人にはそういうことはまったくないでしょう。これが自分たちの生き様だ。そこに海があるから、親父も爺さんも兄貴も、みんな漁師だから、漁師やるしかない。自分たちの風土と違和がない、矛盾なく生きている人たちですよね。
角幡 自然にものすごく近いところで生活している人たちと、僕みたいに普段は市ヶ谷に住んでいて、たまに北極に行くのと感覚が全然違う。僕がやっているのは、所詮遊びだと思うんです。遊びというのは、別にふざけて適当にやっているという意味ではなくて、ゴールをちゃんと区切ってやる活動という意味で。他方、自然の中で生活するというのは全然ちがう。ゴールなんてない。
 彼らと接してみて、いかに自分が固定観念にとらわれていたか気づかされました。自然の中で生きる漁師たちみたいな、海に対して肯定的だろうというイメージを持っていましたから。ところが、海に対しての恨み辛みみたいなこと、呪いの言葉みたいなことを吐くわけですよ。なんで、俺たちはこんなことまでして生きて来なきゃ行けないんだみたいなことを佐良浜の人はすごく言う。あんなのは落ちこぼれのやる仕事だとか、こんな仕事は絶対に子供に継がさんとか。それは、ただ単にそうしないと喰えないというだけじゃなくて、海に対しての愛情だけじゃない憎しみもあった。海と付き合うことの難しさを、ずっと抱えて生きて来た人たちの存在を、この取材ではじめて分かった気がします。
小野 今までの冒険ものだとちゃんとゴールがあって、生きて帰って来て書く。今回は、他者が遭難して帰って来ないという物語を書くわけだから、今までにない新しい作品じゃないですか?
角幡 取材だけで書いている、完全に他者の物語ですね。
小野 手応えは?
角幡 今までで、一番いい本ができたと思ってます。
小野 どういうところが?
角幡 今までよりも深いテーマが書けたんじゃないかな。より普遍的というか。土地によって人間の生き方がどういうふうに決められていくのか。土地と人間、海と人間、自然と人間の関係みたいなものが、彼らの生活を通じて書けたという気がします。


(かくはた・ゆうすけ ノンフィクション作家)
(おの・まさつぐ 作家)
波 2016年9月号より

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