ループ・オブ・ザ・コード
2,090円(税込)
発売日:2022/08/31
- 書籍
- 電子書籍あり
「生まれたくなかった。……それはあなたの声なんだ」混迷と絶望の現代を撃つ、弩級の近未来×ハードボイルド。
疫病禍を経験した未来。WEO(世界生存機関)に所属する「私」は、かつて〈抹消〉を経験した国家〈イグノラビムス〉での現地調査を命じられる。謎の病とテロ事件に突如襲われた彼の国に隠された、衝撃の真相とは、一体。20代俊英、大飛躍のデビュー2作目は、生命倫理の根幹と善悪の境界を問う、近未来諜報小説の新たな地平。
II.Nature
III.Obligation
IV.Tangle(or Tie)
書誌情報
読み仮名 | ループオブザコード |
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装幀 | 副島智也/装画、新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 416ページ |
ISBN | 978-4-10-353822-6 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文学・評論 |
定価 | 2,090円 |
電子書籍 価格 | 2,090円 |
電子書籍 配信開始日 | 2022/08/31 |
書評
〈抹消〉された国家の未来とは
なんというスケールの大きさ。すべての設定やエピソードが有機的に大きなテーマに繋がっていく丹念な構成に度肝を抜かれた。荻堂顕の新作長篇『ループ・オブ・ザ・コード』のことである。著者は2020年に『擬傷の鳥はつかまらない』で新潮ミステリー大賞を受賞してデビューしたばかりで、これがまだ二作目なのだからさらに驚く。
人類が長年にわたる〈疫病禍〉に晒された後の世界。二十年前、とある国でクーデターを起こし政権を奪取した国軍幹部が、特定の少数民族のみを殺害する生物兵器を使用。その国は国連からすべてを〈抹消〉された。歴史も言語も名前も文化もすべて剥奪され、〈イグノラビムス〉という新たな国名を与えられ、国の全権は国連が握ったのだ。そんな国家で突如、二百名以上の児童が奇妙な発作と拒食に見舞われる謎の病が発生。世界生存機関(WEO)に所属するアルフォンソ・ナバーロは調査のため現地に派遣され、情報分析専門官や医師らとチームを組んで調査を開始する。着任後ほどなく、アルフォンソはWEO事務局長から非常事態が発生したと伝えられる。件の生物兵器の生みの親である博士が監禁場所から何者かに拉致され、同時に生物兵器も盗まれたというのだ。テロリストが生物兵器を使用すれば過去の惨劇が再現されてしまう。手がかりを見つけるよう命じられたアルフォンソは、謎の病の調査を進めながら、極秘裏に〈イグノラビムス〉の裏社会へと探りを入れていく。
なぜ〈抹消〉という極端な決定が下されたのか。〈疫病禍〉による集団的トラウマを抱えた人類は、感染症には根絶を、“悪人たちの国”には制裁と改心による浄化を求めたという。その結果、この国の人々は虐殺の加担者という悪名を背負わずにすんだが、それは過去の過ちと向き合う機会を奪われたと言えるし、そして民族的なアイデンティティも失った。その時、その後の社会で何が起こりうるか。本書はその思考実験をしている側面がある。
とにかく物語世界の構築の緻密さに唸らされる。〈疫病禍〉のなかで国際機構がどのように改変されたのか、一国の〈抹消〉が行われた後、人々の生活や町並み、通貨システム等がどのように変ったのか、児童の集団発症の調査がどのような手順で行われるのか――等々。実在のさまざまな事例を盛り込みつつ、説得力をもって物語は進行する。
近未来が舞台とはいえ、どれも明日にも起こりそうな、他人事ではない出来事だと思わせる配慮が心憎い。未来的なツールも多々登場するものの、アルフォンソらの日常の描写には、現代人にとって馴染みのある、ものによっては古くさえ感じるアイテムが多数出てくる。ニューヨークの街を真似て再建された〈イグノラビムス〉にはサブウェイやウェンディーズが出店、彼らはU2やデペッシュ・モードの楽曲を聴き、読書歴はレイモンド・カーヴァーやニーチェ等、ショッピングモールに置かれているのはアルネ・ヤコブセンのスワンチェア……。彼らがいる世界は決して遠い未来のものではなく、それどころか同時代的だとすら思わせる。
登場人物のプロフィールは多種多様で、彼らの人生観、家族観の交錯でも読ませるが、これもまたどこか身近に感じられるものばかりだ。アルフォンソは父方に日本人がいるがメキシコ出身で、事情があって故郷も血縁も捨てている。〈イグノラビムス〉に共に来た同性の恋人ヨハンからは生殖補助医療により子供を持ちたいと意思表示されているが、アルフォンソにとって生殖は悲劇の再生産でしかない。他にもWEOのスタッフの人生背景や〈イグノラビムス〉で〈抹消〉を経験した親世代の思い、〈抹消〉後に生まれた子供たちの家庭環境も明かされていく。マイノリティへの差別や男女格差、家庭内の暴力や虐待といった現代に通じる問題が多々盛り込まれ、さらには歴史と個人、科学と民間信仰、優生思想や反出生主義などの生命倫理といった大きなテーマにも踏み込んでいく。
やがてタイトルの意味が見えてくる。「ループ」と「コード」のイメージを心に描きながらアルフォンソと共に読み手が噛みしめるのは、「私たちは人類の未来を信じられるか」、という問いだ。混沌とした今の世の中で、綺麗事はもちろん、生半可な正論では誰も説得されない難しい問いに、この小説は真正面から向き合っている。安易に明るい未来は提示しないが、しかし、可能性を感じさせる展開に圧倒されてしまう。力作にして怪作、今の時代に必読の黙示的長篇である。
(たきい・あさよ ライター)
波 2022年9月号より
単行本刊行時掲載
細部とアフォリズムの魅力
物語のちょうど真ん中あたりに、ネイサン・ブルックスがアルフォンソ・ナバーロと会話する場面がある。二人は世界生存機関の現地調査員だ。そのときネイサンが話したのはこんな話だ。
高校の友人が車の事故で死んだことがある。葬儀場につくと、たいして親しくもないクラスメイトの女たちがわんわん泣いていた。で、次の日、街中でその女たちとすれ違う。そいつらは笑っておしゃべりをしながら男たちの愚痴を言い合っていた。前の日に世界が終わったように泣いていたのと同じやつが、次の日にはケロッとしていたのだ。
その話をしてからネイサンは付け加える。他人と関わり合うのは無駄だと結論を出した。俺は俺ひとりで、誰ともつるまずに生きていこうと決めた。
ネイサンの話はまだ続く。
その話を後年、交際していた女性にした。もしも自分が死んだら、葬式ではだれにも泣いて欲しくない。欺瞞の涙で誰かのコンテンツに成り下がるくらいなら、いっそ笑っていて欲しい。呆気なく死んだなとか言って酒でも飲んでへらへら笑って見送って欲しい。
この先がいい。その話を聞いた彼女は用事があると言って帰っていった。ネイサンはカフェに残って論文の続きを書いていた。すると40分くらいして彼女が戻ってくる。そしてこう言う。
「あなたが死んだら、他のみんなが笑っていても、私だけは泣いてもいいですか」
物語には直接関係のない挿話と言っていいが、読み終えるとこの場面が妙に残り続ける。前作『擬傷の鳥はつかまらない』にも、奇想天外な話ながらすこぶる人間的なドラマがあったことを思い出す。つまり、いつも細部がいいのだ。
ところで、ネイサン・ブルックスとアルフォンソ・ナバーロを、世界生存機関の現地調査員と先に書いたけれど、この世界生存機関とは何か。〔疫病禍〕をきっかけに、感染症による死の恐怖から人々を救う組織が生まれたとの設定なのである。彼らの当面の仕事は、謎の奇病の正体を調査すること。その奇病とは、ここ半年で二百名以上が発症。すべてに共通しているのは、身体的発作と意識の混濁、食事の拒否による衰弱。発症しているのは全員が「イグノラビムス」の子供たちだ。この「イグノラビムス」も少しだけ説明しておかなければならない。二十年前、某国でクーデターによって政権を奪取した国軍幹部が、特定の少数民族のみを殺害する生物兵器を作りだし、四十万人以上の少数民族を殺害。さすがに国際連合はこれを見過ごすわけにはいかず、その国の「抹消」を議決、その悪夢を振り払って綺麗な国「イグノラビムス」を上書きするように建設する――という経緯がある。その国の子供たちが発症したのだ。
アルフォンソ・ナバーロとその同僚たちは、子供たちとその親、家族を調査していく。その面接が延々と描かれていくが、どうして身辺のことを調査するのかというと、その病気が心因性のものだという解釈、理解があるからだ。ここから結語まではただの一歩だが、その前に一つだけ、個人的に気にいった箇所を引いておく。ラストに出てくる述懐を引きたいのだ。
「大きな出来事の後は決断を先送りにしろ。悲観的か、あるいは過度にヒロイックな選択をしてしまいがちだから」
こういうアフォリズムに満ちているのも、荻堂顕を読む愉しさだ。
というところで、そろそろ結語を。謎の病をめぐる話は、途中からテロリスト集団が浮上してダイナミックに展開していくが、そのディテールの迫力と面白さはお読みになっていただければいい。ここでは、この長編のモチーフを最後に確認しておきたい。
この辛い世に、「生まれることを望まなかった者たち」は、たしかにいるのかもしれない。しかし子供たちの幸せをこころから願い、子供たちに愛されることを望む大人もまたいるのだ。この長編は複雑なストーリーの底から、その真実を力強く訴えてくる。
(きたがみ・じろう 書評家)
波 2022年9月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ
小説の中に“歴史”を造る
災厄、虐殺、自己喪失──。〈疫病禍〉を経た近未来の世界を舞台にした荻堂顕氏の『ループ・オブ・ザ・コード』。デビュー第二作にして各界からの注目を受ける彼が対談を熱望したのは、満洲のとある都市の興亡を描いた大作『地図と拳』の作者・小川哲氏だ。作品の中に架空の都市や国家を生み出し、深遠かつ自由な想像力をはばたかせて、物語を紡ぎあげる──彼らの筆を走らせる、熱い思いの源とは?
重ねられていくモチーフたち
小川 新刊の『ループ・オブ・ザ・コード』、大変面白く読みました。僕がいうのもなんだけれど、長いのに一気読みしてしまいました。
荻堂 ありがとうございます。感想を直接言われるのにはいまだ慣れません。
小川 言う方も慣れませんよ(笑)。この作品で印象的だったのは、普通の作家が一冊かけて問うようなテーマを、まるで幕の内弁当のように4つも5つも盛り込んでいるところです。反出生主義、未知の病、テロリズム、民族主義。しかもそれらが、タイトルの「ループ」や「コード」という言葉でうまく結びついています。
荻堂 そう言っていただけて安心しました。自分でもいろいろなテーマに手を伸ばした感覚があったので。
小川 コードという言葉には、法律や符号を意味するCODEと、紐を意味するCORD、二つの英単語が当てられますよね。前者は抹消された歴史や、新しい統治体制、遺伝子配列などを連想させるし、後者は臍の緒や人間同士の絆、血縁関係などを連想させる。「ループ」にも輪という意味以外に権力の含意があります。「コード」や「ループ」という言葉から、日本人が連想する様々なテーマを盛り込み、それらを拡散させずにタイトルやモチーフでまとめあげる手腕には確かな実力を感じました。
荻堂 タイトルはずっと決めずに書いていたんです。だけど全体の3分の2あたりまで書いたところで、参考文献の中で「臍帯巻絡」という言葉と出会い、物語の収束点が見えてきて……。
小川 作中にも出てきましたね。お腹の中で胎児に臍の緒が巻き付いてしまうこと、でしたか。
荻堂 英語では「ループ・オブ・ザ・アンビリカル・コード」といい、死産となってしまうこともあるそうです。そこでふと、作中に「ループ」や「コード」と繋がるものがちりばめられていることに気づき、タイトルにしたい、と思いました。
小川 主人公のアルフォンソが持ち歩くあやとりも、それらの言葉と重なるいいモチーフですよね。
荻堂 特に意識せず登場させていたキーアイテムでした。うまくハマってくれたなと思います。
小川 作家を助けるアイテムとして、お話の要所要所をきちんとしめてくれています。そういう奇跡が、小説を書いていると起こるんですよね。
戦争という現象と個人
荻堂 小川さんの『地図と拳』も、まさにタイトルにモチーフが集約されていますよね。
小川 「地図」は建築や国家、設計図などのメタファーであり、「拳」は戦争や暴力のメタファーです。僕も一つの言葉を何層も重ね合わせていくやり方をとるので、荻堂さんの作品には親しみを覚えました。
荻堂 これまで、いつか歴史ものを書く機会があったら、絶対に満洲が書きたいと思っていました。安部公房の『けものたちは故郷をめざす』(新潮文庫)やなかにし礼の『赤い月』(文春文庫)が好きで……。だけど、これを読んでその気持ちは消し飛びました。一生、やらない。
小川 ははははは。
荻堂 遠回りな感想になってしまいますが、僕はガンダムが好きで、特に昨年公開された「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」という劇場版作品が大好きなんです。その監督である村瀬修功さんがインタビューで、「モビルスーツを描くのではなく、モビルスーツがいる現象を描きたい」という言葉を残していて、『地図と拳』もまさに同じだと思いました。「閃光のハサウェイ」では、モビルスーツの戦闘のかっこよさではなく、その足元で壊れる建物や下敷きになる人々を丹念に描いています。同じように、戦争ではなく、戦争という現象の中に生きるインディビジュアルな内面を、小川さんは丁寧に書かれていました。これはとても熱量のいることですよね。
小川 簡単に答えが出るものよりも、いろいろな立場から物事を考え、ようやく朧げに輪郭が見えてくるものが好きなんです。満洲には、エネルギー資源を求める人、ソ連との戦争を見据える人、最初から住んでいた人、ヨーロッパから流れてきた人など、様々な思想や立場の人が生きていました。それぞれの視点に寄り添い、個人の人生をなぞりながら描くことは、この舞台を描くうえでは必然でした。そうした知的好奇心から満洲という舞台に魅力を感じて書き始めたので、多面性を描くことはあまり苦ではなかったですね。
荻堂 僕はこれまで一人称視点でしか物語を書いたことがないから、率直にこれだけの人数を管理できるのが凄いな、とも思いました。三人称視点で、たくさんの人物を立体的に描くことでもたらされる迫力も、作品の大きな魅力になっています。
小川 ありがとうございます。でも人数の管理も、実はそこまで苦には感じていませんでした。むしろ行き詰まった時に、「そろそろあいつのことでも書くか」と気分転換にもなります。それに、完全なる第三者的な、いわゆる神視点ではなく、三人称で語りながらも一人称的に描く形をとっているので、より多くの人物の内面を描くことができるかなとも思います。
荻堂 中盤で一瞬だけ、村の少年の視点で描かれるシーンがあるじゃないですか。あの数ページだけで、物語に個人の表情が浮かび上がって、惹きつけられました。
小川 小説の一番の強みは個人の内面に入れることだと思っています。視点人物が何を感じ何を考えているか、こんなにもしっかりと伝えることができるのは、あらゆるフィクションの中でも小説だけです。「一万人死にました」と教科書や新聞で書かれたところで、個人の死がそこに立ち上らないと人間は悲しめないし、小説の強みを生かして戦争を描くなら、そうした個人の視点を丁寧に書くことは必要だろうと考えていました。荻堂さんは完全な一人称で書かれるから、主人公以外の内面を書くのには苦労されるんじゃないですか。
荻堂 そうですね。主人公と周囲との会話シーンには、車中でのやりとりを多用してしまって、それは次回作に残す課題でもあります。
小川 ただその分、主人公のアルフォンソのことはしっかりと掘り下げられています。彼は、世界生存機関という国際組織の調査要員で、一見するとクールなキャラクターでしたが、いわゆるハードボイルド小説で活躍するタフな主人公ではなくて、実際には非常に等身大な人柄です。かっこいいセリフは言うんだけど、実はなよなよとした弱いところもある。ハードボイルド史上、いちばんおしゃべりな主人公かもしれません。
荻堂 まさにその通りです。ディレッタントな言い回しなどはしていても、彼は自身の中の喪失と常に闘い、そこから立ち直ろうとしている。そういう姿を書きたいと思ったし、これはデビュー作でも目指していたところでした。
小川 今作では、彼が自らの子孫を残すことについて考え、いろいろな人の立場に目を向けながら、その問題に向き合う様子が丹念に描かれている。いわば彼の成長譚として読むべきかもしれません。
荻堂 内面に一番迫れるからこそ、何をして、何をしてこなかったか、主人公の深いところまで描ける。それこそが、一人称小説の良さなのだろうと考えています。
物語に要請されて
小川 作中で書かれている架空の国家「イグノラビムス」は、元々ラテン語の言葉でしたよね。
荻堂 そうですね。「知らない」というラテン語の未来形です。
小川 僕はこれを読みながら、舞台はどこなのだろう、日本だったらいいのに、と考えていました。でも、そうかなと思ったらきちんと否定されるんですよね。特定されないように、慎重に言葉を選んでいる印象でした。
荻堂 そうですね。もちろんモデルはあるし、それに根ざした要素はちりばめています。でも特産物や飛行機の時間、国土の位置関係など、少しずつ現実からずらしてもいます。
小川 作中では日本の話もちょくちょくでてくるんだけど、極めて繊細なバランスでイグノラビムスと直結しないようにしている。SF小説のモチーフとして、「第三次世界大戦の核攻撃によって消滅した国土に新しい国を作る」というものがあるんですが、それに近いものを感じます。これらはすべて、舞台が特定されることで作品の主題を散漫にしないための配慮ですよね。これは現代の政治批判ではありませんから。
荻堂 おっしゃる通り、この国がどこであるかは重要ではありません。むしろ作品にとってはノイズになってしまいかねない。だからイグノラビムスについても、必要なパーツしか書きませんでした。もしアルフォンソが一般人としてこの国で過ごすのだとしたらもっと詳細に詰めて描かなきゃいけないのだろうけれど、彼は調査のために一時的にいるだけですから、それ以上のことを書く必要はないのだろうと。
小川 おかげで、作品の主題がミスリードされない構図になっています。この架空国家は、そうした物語の主題に要請されているんですね。僕の場合は、むしろ「李家鎮」という架空の都市自体が物語の主題になっていますから、しっかりと描く必要がありました。物語の主人公のひとつが、都市そのものなんです。
荻堂 長い時間をかけて変容していく都市が丁寧に綴られていました。
小川 あれはもともと「満洲に残されたアンビルドの都市計画がもし実現されていたら」という発想から書かれた作品で、うみだされた李家鎮という都市は、多面的な歴史を歩んだ満洲という土地のメタファーとして機能しています。一つの架空都市の興亡を描くことで、満洲という土地全体の興亡を見せたかった。満洲という国家の構造を反映するものとして、都市を築いていきました。
荻堂 同じ架空の都市や国家を作るといっても、僕たちは全く正反対の作り方をしたのかもしれませんね。
「繋がり」への疑問符
小川 歴史とは、自己と他者を区別する線であり、結びつける線でもあると僕は考えています。国家が歴史や民族を持ち出すのは、敵と自分たちを区別して結束を強め、動員するときです。一方で、僕が遠い過去の人々について思いを馳せるときも、歴史を通じて彼らにアプローチをします。人と人を分けることも、繋げることもできるのが、歴史の特徴なのではないかな、と。
荻堂 僕にとっての歴史は「連続性」の象徴ですね。今作では、「連続性から断絶されても、人間は生きていくことができるのか」を考えたいという思いから、作品のアイデアが浮かんできました。僕自身がそうした連続性への愛着をあまり持っていないからこそ、歴史を断絶された国家を舞台にするアイデアが出てきたんです。だから、作中に出てくる“奪われた側”の人々の心情には、実はあまり感情移入ができません。
小川 普通の作家なら、そうした国家の歴史抹消というオリジナルな事象を、作品の主題である子どもたちの奇病の原因に結びつけたくなると思います。だけど、荻堂さんはそこから個人の家庭や尊厳の話に繋げている。その視点は独特で新鮮でした。それでいて、物語の終盤では抹消前の文化にもアプローチし、連続性の存在が重要なトリガーになっています。
荻堂 書きながらずっと、アルフォンソの決断になんとか整合性を持たせなくては、と考えていました。人生を賭けて生殖を否定してきた彼がそれを肯定するようになるにはどうしたらいいのだろう。そうして、一度否定したこの国の文化に向き合うことが必要になると思ったんです。
小川 反出生主義的な考えの人間が、子を持つことに納得するための理屈はきっと存在しないんですよね。何を諦めて、何を受け入れるのかを、アルフォンソは作品の中でずっと考えていました。
荻堂 『ループ・オブ・ザ・コード』は結局、アルフォンソのような人が子どもを持つことにどう納得できるか、という思考実験の一つでしかないのかもしれません。過去の経験から、子どもの顔を見たいという親本位的な動機を、アルフォンソは持つことができない。そんな彼が、自身の中の矛盾を乗り越える姿を描きたいと思いました。
小川 そもそも反出生主義というテーマ自体、非常に現代的なものですよね。
荻堂 そうですね。少し前に流行った「親ガチャ」にも通じる主題です。ただ、「今だから書いた」というよりは、「次はSFで反出生主義が書きたい」という気持ちが先にあったように思います。
小川 小説を書く中で、現代との繋がりを意識することは僕もあまりないんです。ただ、作家は普遍的なもの、人類の歴史の中で再現性の高いものを掴もうとするので、結果的に描いたテーマが現代にもぶり返してくるということがしばしばあります。カミュが『ペスト』を書いたとき、コロナのことは想定していませんからね。
荻堂 僕も実は、作中でコロナのことを書きたいと思っていたわけではないんです。ただ、今日物語を書くうえで、コロナの存在を無視することはある意味読者に対して不誠実であるように感じられて……結果的に、「疫病禍」という設定に落ち着きました。
小川 転じて、コロナを活かした新たなリアリティという魅力を作品にもたらしましたね。それに、作家の意図によらず、読者は今を生きているから、必然、作品の中に現代的な問いを見出します。『ループ・オブ・ザ・コード』で描かれる反出生主義や親と子の問題は、現代の家族小説と同じ構造を持っているし、そうしたミニマルな家庭の話が世界の構造や社会的な奇病へと繋がるところに、SF的な魅力がある。現代的な問いの立て方も、読者への配慮としてよく機能していると思います。
好きなものだけ届けたい、けれど
荻堂 『地図と拳』は小川さんのこれまでの作品の中でも、リーダビリティの高さやキャラクターの魅力など、読者へのサービスや気配りが豊かな作品でもあったように思います。終盤に明男が丞琳に声をかけるシーンはとても魅力的でした。そのあたりは意識して書かれたんですか。
小川 あの二人の組み合わせは、まさに読者へのサービスですね。実は僕、ストーリーには全然興味がないんです。本当はただただディテールを書いていたい。
荻堂 めちゃくちゃわかります! 僕はテーマが書きたい。自分の主張だけを書きたい。でもさすがにそれを読者には読ませられないですよね……。
小川 ははは、そうですね。僕の場合、例えるなら、素材には興味があるけど味付けには無頓着な料理人のようなものなんです。大好きな素材をどうやったらお客さんに食べてもらえるか、一生懸命考えた時に、それなら徹底的に美味しいものを作ってやろう、と思うようになりました。僕が本を読む時に重視しない分、読者のためには徹底的に読み心地のいい、エンターテイメント性の高いストーリーラインにしたい、と。
荻堂 なるほど。今、大好きなラーメン屋の大将の言葉を思い出しました。
小川 え、ラーメン屋?(笑)
荻堂 長年通う店なんですけど、ある日突然「金はいらないから、今日は麺だけ食ってくれ」と200グラムの麺だけを出されて。「どうだ」と問われ「美味しい」と答えたら、「俺は麺が好きでラーメン屋をやっている。本当は全部の客に麺だけ食わせたい」と言われました。
小川 ははは。
荻堂 だけど大将の店は、ちゃんとスープも美味しいんです。「自分の大好きな麺をより多くのお客さんに食べてもらうために、これに合う最高のスープを作るんだ」とその時言っていて。今の小川さんの言葉に同じものを感じました。いや、小川さんの創作論と一緒にしていいのかはわからないですけど。
小川 いえいえ、一緒です。そして、そのサービスを褒められたときに、素直に喜べる人間でありたいとも思います。そう言ってくれる人が多ければ多いほど、自分の本が本来届かなかった人にまで届いていることになる。
荻堂 麺好きが集まるラーメン屋から、ラーメン好きが集まるラーメン屋になるということですね。
小川 『ループ・オブ・ザ・コード』が出て、きっと多くの人が“スープが美味しかった”と言ってくれると思います。もちろん例外もありますが、小説家がいい作品を書くためには、そうやって売れなきゃいけないという側面があります。売れて、しっかりと物語に向き合うゆとりができて、ようやく思う存分小説が書けるようになる。逆にお金がなければ他の仕事もやらなきゃいけなくて、どんどん作品と対峙する余裕が失われていくかもしれない。僕は究極、好きな小説を書くだけで生きていきたいから、これからもストーリーラインを読者が好むように作っていきたいと思います。荻堂さんはもう次の作品の構想は決まっているんですか。
荻堂 弱者男性にスポットをあてながら、令和版の『少女革命ウテナ』を書きたいと思っているんです。これまでの二作はなんだかんだいって周囲の人に恵まれた主人公を書いてきたから、そうではない作品を書いてみたいとも思っています。
小川 『最強伝説 黒沢』みたいで、いいですね。僕も10月にクイズをテーマにした『君のクイズ』(朝日新聞出版)という作品を出して、そのあと書物をテーマにしたものを書きたいと思っています。
荻堂 小川さんが描く「本」! おもしろそうです。
小川 お互い好きなものを目いっぱい書けるように、これからもがんばっていきましょう。
小説新潮 2022年9月号より
単行本刊行時掲載
推薦の言葉
『虐殺器官』や『都市と都市』の衝撃が再び。未来を閉ざすのは、ウィルスでも最終兵器でもない。本作が警鐘を鳴らす内省的絶滅は、まさに現代社会で喘ぐ我々に、集団的心的外傷を与える。ただひとつの救いは、この閉塞禍に未来を繋ぐ新たな才能が産声をあげた事だ。
- ――小島秀夫さん(ゲームクリエイター)
疫病渦より深刻な、混沌とした国際政治の病理を鋭く抉り出している。コロナ禍とウクライナ戦争の今こそ、民族とは何かを教えてくれる。
- ――貴志祐介さん(作家)
緻密にして大胆。なによりも、この物語のやさしさに心を揺さぶられた。
- ――東山彰良さん(作家)
生まれてくることは悪なのか? 伊藤計劃『虐殺器官』から15年。ふたたび世界に根源的な問いを突きつける。
- ――大森望さん(書評家)
著者プロフィール
荻堂顕
オギドウ・アキラ
1994年3月25日生まれ。東京都出身。早稲田大学文化構想学部卒業後、様々な職業を経験する傍ら執筆活動を続ける。2020年、『擬傷の鳥はつかまらない』で第7回新潮ミステリー大賞受賞。『ループ・オブ・ザ・コード』はデビュー二作目。