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名探偵の君へ

九能式尚/著

2,475円(税込)

発売日:2026/09/02

  • 書籍
  • 電子書籍あり

彼女の世界に音はなく、謎ばかりがあった。新潮ミステリー大賞優秀賞受賞作。

名探偵・斑猫雪羽の遺児、斑猫キリカ。ミステリ作家志望の岩崎理人は、聴覚障害を抱えるキリカと怪しげな実験に参加するため孤島へと渡る。無視される懊悩、届かない無力さ。痛みを知らないひとに探偵は務まらない。巨匠エラリー・クイーンが生んだ聾の名探偵ドルリー・レーンに捧ぐ、本格愛に満ちた孤島ミステリ!

  • 受賞
    第12回 新潮ミステリー大賞 優秀賞
目次

回想一──一年前
第一幕 巡島、月形邸
回想二──一年前
第二幕 被験者たち
第三幕 催眠実験
回想三──十一ヶ月前
第四幕 名探偵の娘
回想四──十一ヶ月前
第五幕 殺人
回想五──一ヶ月前
第六幕 火刑台上のジャンヌ・ダルク
第七幕 たった一人で起きている
第八幕 不協和音
第九幕 雷鳴と静寂
第十幕 催眠実験・解除
第十一幕 キリカの解決
第十二幕 戦いの果て
第十三幕 舞台裏の銃声
回想六──二ヶ月後

書誌情報

読み仮名 メイタンテイノキミへ
装幀 ナナカワ/装画、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 592ページ
ISBN 978-4-10-357161-2
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 2,475円
電子書籍 価格 2,475円
電子書籍 配信開始日 2026/09/02

書評

探偵小説史に名を刻む、野心的大作

大森望

 公募小説賞の原稿を読むようになってかれこれ四十年。ほとんどの応募作はすぐに忘れてしまうのだが、何年かに一度、強烈な印象を残す作品がある。第12回新潮ミステリー大賞優秀賞に輝いた本書、九能式尚『名探偵の君へ』(応募時タイトル「彼女の終幕」)もそのひとつ。
 理由は単純で、まず分量がただごとではない。応募段階では、四百字詰原稿用紙にしてなんと千三百枚(単行本にして約八百ページ分)。見ただけでげんなりする長さだが、驚いたことに、それだけの物量を一気に読ませる圧倒的な筆力と、名探偵の資格をめぐる力強いテーマ性がある。アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』を思わせる孤島ミステリの枠組みを使って、名探偵ドルリー・レーン(『Xの悲劇』に始まるエラリー・クイーン〈悲劇四部作〉の主人公)に挑戦状を叩きつける、驚くべき蛮勇。こんな応募原稿、読んだことがない。一次選考で自信をもってAをつけたところ、めでたく最終候補に残り、優秀賞を受賞した(大賞は該当作なし)。選評の一部を引用すると、
「キリカという探偵役の魅力。登場人物それぞれが抱えた思い。物語全体に込められた強烈なメッセージ。それを心の底から叫ぶ著者の声。そうしたものが最後にストレスホルモンを吹っ飛ばし、脳をドーパミンでいっぱいにして、読了後は確かな快感を得た。力業といえば力業だ。でも、こんなやり方もあるのかと唸らされた」(道尾秀介)
「読後、『わが生涯に一片の悔いなし』と右手を突き上げるラオウの姿が思い浮かびました。こんな力強さを感じる作品を、世に出さないわけにはいかない。技術的には大賞には届かないけれど、熱量溢れる作品を多くの人に読んでほしい」(湊かなえ)
 そんな強い推薦を受けて世に出た本書は、一年がかりの徹底的な改稿を経て二割ほど減量し(本文五百八十六ページ)、大賞級の堂々たる逸品に生まれ変わった。
 物語は、K大学推理小説同好会に所属する“僕”こと岩崎理人たち三人が、実験心理学を専門とするK大学・月形源一郎教授の催眠実験の被験者となるため、三浦半島沖に浮かぶ小島・巡島の月形邸に赴くところから始まる。理人には別の大学のミステリ研に所属する双子の兄・理希がいて、出発直前、兄弟はスマホでこんな会話を交わす。

『今から孤島に行く? 孤島に行くってどういうことだよー。しかもミステリ研のメンツで、その中に名探偵まで揃っているって。殺人不可避だな』(中略)
「正確には名探偵じゃなくて、名探偵の娘だよ。確かに舞台は整ってるけど、現実にはそう簡単に殺人なんか起こるわけないって」

 ここだけ見ると、いかにもオタクっぽい(綾辻行人『十角館の殺人』を読んで新本格にハマったミステリ研の学生が書きそうな)クローズドサークルものだ。“名探偵の娘”の名は斑猫キリカ。冒頭には、その父の活躍を描いたとおぼしき小説『青影山荘の悲劇──斑猫雪羽最後の事件』の序文という体裁の時代がかった文章が引用されている。コテコテにもほどがあるが、本書は、そこから想像されるようなパズラーとは一味も二味も違う。
 ショートボブの髪をミルクティー色に染めたキリカは、四歳のときに聴力を失った全聾の中途失聴者。ある理由から手話は使わず、ドルリー・レーンと同じく口話(相手の口のかたちを読みとり、自分で発声する)でコミュニケーションをとる。しかし、功なり名とげた名優レーンと違い、大学二年生のキリカはさまざまな誤解や差別にさらされる。ハンディキャップを抱えたリアルな聴覚障害者が、絵に描いたような孤島ミステリの中に名探偵として放り込まれるという構造だ。
 到着早々、月形教授の催眠実験には聴覚が必須だと判明し、キリカを除くゲスト八人にホスト側の二人を加えた十人が実験に参加。そして、孤島ミステリのお約束通り、惨劇の幕が上がる。催眠暗示にかかっていないキリカは、一部参加者の反対にもめげず探偵役に志願するが……。
 孤島ものとしても館ものとしてもさまざまな趣向が凝らされている。理人に薦められて『Xの悲劇』を読んだキリカが、作中、同じ全聾の立場からレーンの描写に鋭いツッコミを入れまくるのも読みどころのひとつ。しかし、本書が真価を発揮するのは、事件がいったん解決したあとのラスト百ページだろう。「今からが本番なんだ」というキリカの台詞とともに新たな対決の幕が上がり、名探偵が全聾であることの意味が正面から問い直される。最終幕「舞台裏の銃声」は、対話形式で書かれた〈悲劇四部作〉論としても、ひいては名探偵論としてもすばらしい。探偵小説の歴史にその名を刻む、野心的な大作だ。
 著者の九能式尚は1975年生まれ。Xの投稿によれば、自身も聴覚障害の当事者だという。

(おおもり・のぞみ 書評家・翻訳家)

波 2026年10月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

九能式尚

クノウシキ・ナオ

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