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戦争に翻弄された作家・林芙美子の秘められた時を桐野夏生が炙り出す衝撃長篇!

  • 受賞第62回 読売文学賞 小説賞

ナニカアル

桐野夏生/著

1,836円(税込)

本の仕様

発売日:2010/02/25

読み仮名 ナニカアル
雑誌から生まれた本 週刊新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 418ページ
ISBN 978-4-10-466703-1
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,836円

女は、本当に罪深い――。今この一瞬、あなたと抱き合えれば、愛さえあれば、私は構わない。昭和十七年、南方への命懸けの渡航、束の間の逢瀬、張りつく嫌疑、そして修羅の夜。見たい、書きたい、この目に灼き付けておきたい! 波瀾の運命に逆らい、書くことに、愛することに必死で生きた一人の女を、渾身の筆で描く傑作小説。

著者プロフィール

桐野夏生 キリノ・ナツオ

1951(昭和26)年、金沢市生れ。成蹊大学卒。1993(平成5)年、『顔に降りかかる雨』で、江戸川乱歩賞を受賞する。1997年に発表した『OUT』は社会現象を巻き起こし、同年、日本推理作家協会賞を受賞。1999年『柔らかな頬』で直木賞、2003年『グロテスク』で泉鏡花文学賞、2004年『残虐記』で柴田錬三郎賞、2005年『魂萌え!』で婦人公論文芸賞を受賞した。2008年『東京島』で谷崎潤一郎賞、2009年『女神記』で紫式部文学賞、2010〜2011年『ナニカアル』で島清恋愛文学賞・読売文学賞を受賞。また、英訳版『OUT』は、2004年にアメリカで権威のあるエドガー賞に、日本人で初めてノミネートされた。他の著書に『夜の谷を行く』『路上のX』『ロンリネス』などがある。

桐野夏生HP -BUBBLONIA- (外部リンク)

目次

プロローグ
第一章 偽装
第二章 南冥
第三章 闍婆
第四章 金剛石
第五章 傷痕
第六章 誕生
エピローグ

インタビュー/対談/エッセイ

波 2010年3月号より [桐野夏生『ナニカアル』刊行記念] 【対談】虚を突く「文学」の仕事

関川夏央桐野夏生

今なぜ林芙美子なのか/従軍は行商の旅/昭和の女流作家たち/
戦争は移動である/林芙美子の思想/「文学」の仕事

  今なぜ林芙美子なのか

関川 『ナニカアル』は「週刊新潮」で一年連載したんですね。林芙美子は昭和十七年、陸軍報道部の嘱託となってジャワやボルネオに行く。そういう史実を元にした小説ですが、非常に面白かった。その時期については意外に資料が残っていないけど、大胆な構想と導かれた物語の結末には本当に驚いた。しかし、桐野さんがなぜ林芙美子に興味を持ったんでしょう。
桐野 私は『放浪記』や『浮雲』がとても好きで、前から林芙美子本人にも興味があったんです。物凄い人だったと思います。ところで、関川さんも『女流―林芙美子と有吉佐和子』という作品を書いておられますね。関川さんはなぜ興味を持たれたんですか。
関川 彼女みたいに元気、というか無道徳な人は、日本近代文学中の特異点でしたから。文芸至上主義的というか、ある種信仰に似たもので支えられていた近代文学を無視しながら、それでいて高レベルの近代文学を作った。
桐野 何もかも異端ですね。
関川 お葬式で葬儀委員長の川端康成が、「林さんは生きている時に他の人に対してひどいこともしたのでありますが、あと二、三時間もすれば灰になってしまいますから、故人をどうか許してやっていただきたい」と異例の挨拶をしました。
桐野 ええ、作家間での評判も悪く、銀座で立ち小便をしていただの何だのと誹謗中傷され、戦争協力した作家とまで言われました。『浮雲』のような素晴らしい小説を書く人が、何故こんなに評判悪いんだろうと興味を持ったんです。それで評伝とか資料を調べたら、本当に奔放に生きたのに、強い言葉がある。だから、関川さんがさっき仰ってたような、文学信仰者たちの価値観に反したんだろうな、とわかってきたんです。そこが面白いので、何とか書けないかなという壮大な目論見がありました。
関川 それは成功しましたね。リアルで、かつ説得力がある。久々に小説らしい小説を読んだと思いました。

  従軍は行商の旅

関川 林芙美子を戦争協力者云々というのは定説めいているけれど、彼女にしてみれば、従軍は行商の旅なんですよ。
桐野 そうです。行商人の子でしたから、旅も商売も好きなんです。
関川 「漢口一番乗り」なんて、中国の奥地にネタを仕入れに行ったわけだ。帰ったら書いて売ろう、みたいな感じでしょう。この人には戦争鼓舞だとかは関係ないようです。
桐野 鼓舞というより、その場の実感だったのでしょう。行商はやはり生業なのでしょうね。当時のことを調べて結構驚いたのは、芸術家といわれる人たちのほとんどはペン部隊や、徴用などで積極的に戦争に関わってます。林芙美子だけが後々まで言われるのは、まあ、その仕入れがすごく成功したという一面があるんだろうな、とは思いますけれど、そういう星のもとに生まれてるんですね。
関川 行商が好きで、行商が人生だった、そういうことでしょう。
桐野 確かに、中国戦線に行って書いた『戦線』と『北岸部隊』がとても売れたわけですから、味を占めますよね。戦場に行けばいいものを仕入れられるって。しかし、小説家にはそういう側面はあります。
関川 ただし私には『北岸部隊』はあんまり面白くなかったけど。
桐野 私は好きです。それに、戦場で女はたいへんだったと思います。
関川 林さんは、品がある人とはいえないから、それで嫌われたということもあるんじゃないですか?
桐野 例えば具体的に?
関川 「私は古里を持たない」と『放浪記』の一番最初に書きましたね。あれは、故郷が鹿児島にも北九州にもないという意味だけではなくて、生き方のモラルという「古里」が生まれながらにないってことだと思う。性のモラルも含めて。
桐野 面白いですね。
関川 努力して「古里」を捨てたのではなく、生まれつき持っていない。林さんのお母さんがそうでしょう?
桐野 そうです。父親の違う子供を五、六人生んでいる。ノーモラルだし、ノールールですね。
関川 彼女は政治的アナーキストではない。人間そのものがアナーキーなんだ。その意味で、桐野さんがものすごく上手に書いているけど、彼女のセックスはああだったと思うよ。
桐野 そうですか?(笑)
関川 船の事務長の机の上で、とは凄い(笑)。いかにも林さんらしい。
桐野 芙美子の母親が、「今度の男さんはどんな人だ」と必ず聞いたというし、芙美子は電車に乗るたびに、事故があったらどの男の手を引いて逃げようかと、いつも男を見て考えていたと書いていた。それは確かにモラルとか品性などというものから相当外れています。
関川 戦前の中流のモラルは、武家社会のそれをコピーしたものなので、彼女のような階層の人々はあらかじめ自由だったんですよ。林さんは品格や高潔なんていうものに、生まれながらに価値を認めなかったと思う。それなのに、昭和十六年に新築した中井の家はおそろしく趣味がいい。その複雑さが林芙美子ですね。

  昭和の女流作家たち

桐野 円地文子も、「林さんは実物より写真の方がずいぶんよく、実際の人物より小説の方がずっとよい。死と一緒にわるいものはなくなって、よい所だけ残ることになった」というようなことを書いています。
関川 さすが育ちがいい円地さんだ。婉曲に本当のこと言ってるなあ。文学を否定していないでしょう。作品のほうがずっとよいと言っている。
桐野 昔の人は、みんな結構エグいことをはっきり書いてるから面白いです。
関川 実際に付き合ったら、林さんは面倒だろうけど(笑)。男性とは、濃密な関係を望むか、一顧だにしないか、どちらかでしょう。
桐野 きっとゼロか百かでしょう。友達にはならないんでしょう、男とは(笑)。
関川 女性に対しても似ていて、平林たい子と壺井栄だけが友達として残った。
桐野 『ナニカアル』では、窪川(佐多)稲子と、友情ではないけどちょっと交流があったという設定にしたんですけれど、実際は仲が悪かったんじゃないかと思うんです。
関川 桐野さんの佐多稲子像もリアルでしたが、林さんは元々、美貌の女性は嫌いなんだよ。それから共産主義者も。超貧乏人出身なのに、というか、だからこそ共産主義には期待しない。
桐野 同じ船で一緒に南方へ派遣された女性作家たちが、結構興味深いです。美川きよは、ずっと小島政二郎の愛人だったんですが、画家の鳥海青児と付き合い始めて、小島と別れました。そのときの顛末を美川は赤裸々にエッセイに書いている。逆上した小島が「筆誅を加えるぞ」と言ったことなど。
関川 戦前は恋愛もドラマチックでしたね。
桐野 当時、ラジオの脚本を書いていた水木洋子は、成瀬巳喜男監督の映画『浮雲』の脚本を書くことになるんですから、実は林芙美子と因縁があったんです。
関川 水木洋子は戦後映画界でずいぶん活躍した。それから「美智子さま」を書いた小山いと子も登場する。それぞれにみなさんたくましい。そうでなくては生き残れなかったんだろうけど。しかし、もっともたくましいのは林さんでしょう。「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」は、レトリカルに実情を語っている。

  戦争は移動である

桐野 今回色々な資料を調べて、「戦争とは移動である」と改めて認識したんです。情報が行き交うし、物資も行き交う、人も行き交う。だから移動手段の速さと量を競ってるわけですよね。当時、林芙美子ほどいろんなものに乗った人はいなかった。飛行機も乗ったし、船も乗った。しかも病院船に偽装された船だったし。それから無線トラック、もちろん馬の背にも牛にも乗っただろうし……。
関川 兵隊の背中にも乗りました。
桐野 そうそう、南京女流一番乗りの時。
関川 だけど、後にその兵隊さんが林家を訪ねてきた時、そんな人は知りませんと言いはって門前払いした。こういうところはわからない。
外地だけではない。幼少時から、行商する母と義父に従って国内を転々としていた。上京後も、関東大震災の時には人をいいくるめて被災者救援船に乗ったりする。
桐野 そう、「富久娘」の酒荷船で大阪に帰ったんですよ。彼女は生きるためだったら何でもする、という生命力が非常に強い。
関川 たんに生きるためだけでなく、有名になるため、面白く生きるためには何でも踏みつけにする。幸いと僕は踏みつけられたことはなかったけど(笑)。
桐野 踏みつけられた人は怒ってるんでしょうね、きっと。
関川 それは仕方ないんだろうなあ。しかし偽装病院船には、娼婦になる人、占領地でひと旗あげたい人、みんなが乗った。戦争は労働市場の開拓でもあった。
桐野 そうなんですよ、戦争は儲かる。マーケットの拡大でもある。芙美子はボルネオのバンジェルマシンで働いてる日本の若い女の人たちと座談会をしているのですが、女の人たちが、「うちは男がいないから、お国のために志願してここに来た」などと言っている。そういう健気な人もいたんですね。
関川 たんに外地へ行きたかったという女性は意外に多かった。それにしても林さんにつきまとった憲兵の気持の悪さには迫真力がある。とても戦後人が書いたとは思われない。
桐野 よかったです。憲兵も防諜もスパイもどう書いたらいいか、非常に悩んで調べました。
関川 それから陸軍のお偉方の挙止とかも。
桐野 林芙美子たちと一緒に南方へ行ったのが編集者の集団だったので、資料が結構残っていたんです。それからジャワでもボルネオでも、新聞社が支局を作って雑誌なんかを出していた。それもまだ残っていて、ずいぶん立派なものを作ってたんですよ。相当な出版文化、それも雑誌文化が当時は爛熟してましたね。
関川 戦前の方が出版産業はいまよりずっとよかった。ちょっと遅く生まれすぎたね(笑)。

  林芙美子の思想

関川 林芙美子がこんなふうにきちんと小説で書かれたのははじめてでしょう。立派な仕事だと思いますよ。林さんが読んだら、何て言うかな。
桐野 文句を言われるでしょうか。
関川 どうだろう。「いろいろあるけど、それはそれとして女は生きていくのよ」ということに彼女の思想はつきる。茶色い戦争があった、日本は負けた、でもそれはそれとして女は生きていくのよ、と言い、男は死んだ、でもそれはそれとして私は生きていくのよ、そう言い続ける林さんだから、桐野さんの仕事を認め、認めた上で嫉妬して、今度は自分で書くと言い出すんじゃないかな。とにかく彼女には戦争協力も戦争反対もない。
桐野 うん、ないと思います。
関川 そんな彼女が『ナニカアル』にははっきり結像しています。
桐野 そうですか。嬉しいです。
関川 中井の家のすがすがしさと、「物語」に対する下品にわたりかねない貪欲さ、その両面ある生が他の追随を許さぬところでしょう。早死にだったけれど、もって瞑すべし、かな。生きていたら高みを目指すだろうし、周りを踏みつけにもするだろうから。
桐野 そうかもしれません(笑)。編集者が家で原稿を待つ間、気に入らない人は玄関脇の寒い部屋で待たせたりして、気に入りの編集者とはわざと差をつけたりしたみたいです。
関川 ただ、戦後の働き方はすさまじい。何でそんなに書いたかというと、お金よりも名声が欲しいのと、他の女流作家から雑誌のページを奪うためという観測は、あながち的外れではないでしょう。
桐野 各誌の目次に全部自分の名前を載せたかった、って本当でしょうか。でも、やはり自由に書きたかったのではないですか。
関川 男はいいけど、女性は私だけよ、という気持ちが強かったのだと思う。それにしても『浮雲』を完成できたのは幸運でした。
桐野 そうですね、『浮雲』の連載終了が昭和二十六年の四月です。そして二ヶ月後の六月に亡くなっています。
関川 それまでも「晩菊」とか、いい作品をたくさん書いているんだけど、トリックスターと見られがちだった。しかし純文学でも大衆小説でもない「物語」を提示した柄の大きな『浮雲』は重要な仕事でした。
桐野 そういう作品を書いている時は、作家は決して死なないんですよ。全部を終えた時、気が緩んで脱力するんです。だから私いま危ないかもしれない(笑)。
関川 あなたは大丈夫です。

  「文学」の仕事

関川 南方から帰ってきて、戦争中なのに養子を貰ったということは知っていたけど、そこに想像力を働かせた展開には本当に驚いた。こう書かれるとは、虚を突かれてうろたえました。同時に、これが「文学」の仕事だな、と感じ入りました。
桐野 虚を突きましたか(笑)。それはよかった。
関川 昭和十七、八年の「南方行商」の成果がわからなかったんだが、こういう結実があり得たか。
桐野 軍部に書くなと言われてたし、向こうで色々あって倦んでしまったから小説はしばらく書けなくなっていたのでしょうか。でも、だからこそ後に『浮雲』を書けたのかしら。
関川 南方での複雑な体験の熟成を待ったから名作になったんでしょう。やっぱり男には理解しにくいところが林さんにはあるけれど、桐野さんにはわかったんだね。
桐野 いや、やはり怪物だと思いますよ。でも書き終えたら、品のなさ、卒直さ、才能、全部がますます好きになった。
関川 伝えておきましょう。
桐野 まるで知人みたいに(笑)。
関川 生きてたら付き合いきれないだろうけど、私は死んだ人とは比較的仲がよいんだ(笑)。

(せきかわ・なつお 作家)
(きりの・なつお 作家)

判型違い(文庫)

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