
消えたヤルタ密約緊急電―情報士官・小野寺信の孤独な戦い―
2,475円(税込)
発売日:2012/08/24
- 書籍
- 電子書籍あり
日本を滅亡から救え――欧米を手玉に取った男の崖っぷち情報戦(インテリジェンスウォー)。スクープ満載!
独ソ戦を予言し、対米参戦の無謀を説き、和平工作に砕身した陸軍武官・小野寺信。同胞の無理解に曝されつつも、大戦末期、彼は史上最大級のヤルタ密約情報を入手する。ソ連の対日参戦近し――しかしその緊急電は「不都合な真実」ゆえに軍中枢の手で握り潰された。連合国を震撼させた不世出の情報戦士、その戦果と無念を描く。
2 「奥の院」が握りつぶす
3 学者のような情報士官
2 対中和平をはかる――上海時代
2 ポーランド地下情報網が最大の鍵
3 すべてはオノデラの人間的魅力から
2 鉄壁の情報網完成す
2 新兵器情報――原爆とジェット機
2 君主国から皇室へ――スウェーデン王室は動いた
2 初めにソ連仲介論ありき
3 スターリンのリアリズム
4 国を挙げてのソビエト幻想
5 かき消された「不都合な真実」
あとがき
解説
主要な参考文献
書誌情報
読み仮名 | キエタヤルタミツヤクキンキュウデンジョウホウシカンオノデラマコトノコドクナタタカイ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 480ページ |
ISBN | 978-4-10-603714-6 |
C-CODE | 0331 |
ジャンル | 日本史 |
定価 | 2,475円 |
電子書籍 価格 | 2,475円 |
電子書籍 配信開始日 | 2013/02/22 |
書評
保阪正康さんが選ぶ3冊!
戦後八〇年、あるいは昭和一〇〇年と言われるのだが、今年は節目の年にあたる。「歴史」という流れで見るならば、日本近現代史は言うに及ばず、人類史にはまだ多くの不透明、不鮮明の史実が存在する。近代日本の例を挙げるなら、1941年12月に日本海軍は、アメリカの真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争は始まったわけだが、その因とされる日本の石油備蓄量はどの程度であったのか、当時も今も明確ではない。石油がなくなるから戦争という手段を選んだと言っても、実態は不明である。
ヒトラー政権が1939年9月1日にポーランドに進駐して、第二次世界大戦ははじまったとする。しかし実際には、独ソ不可侵条約の裏で、ヒトラーとスターリンはポーランド分割の密約を結んでいたことがわかった。そのために第二次世界大戦はスターリンとヒトラーによって始められたと今では訂正されている。史実の鮮明さや密約の分析などで、新潮選書の果たしている「史実解明」の動きに、私は敬意を表するのだが、こうした姿勢は日頃から「歴史の真実」を求める姿勢を持っているからであろう。
選書はこれまでおよそ九〇〇点近くが刊行されているようだが、歴史の不透明部分に切り込む編集姿勢は、私のような近現代史研究者にはたまらない宝の山である。あえてこの中から三点を選んでみろと言われたのだが、実は頭の中では七、八冊はすぐにでも挙げることができた。これまでに書評を書いたのも実際にその程度はあったといっても良いだろう。あえて今回指差すのは、昭和一〇〇年を意識しての選択である。
片山杜秀の『未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命―』は、私と同じような問題意識を持っていて、一読して共鳴と共感を覚えた。日本の軍人たちはなぜ戦争の本質を学べば学ぶほど神がかりになっていくのか、そのことを問い詰めていくと、軍人の中に近代日本のシステムを本質から見つめていく知的広がりが弱かったことが鮮明になる。第一次世界大戦での戦闘体験がないままに、ひたすらドイツ型の戦略、戦術に埋没していったのだが、注目すべき点は精神論で逃げた結果が太平洋戦争での戦い方にそのまま反映したのではないかと思われることである。この書の特長は近代日本から現代日本へ直結する各様の問題点を抉り出している点にある。
その視点は語り継がれるべきだ。
これも日米開戦を経済学者の目で分析した書になるのだが、牧野邦昭の『経済学者たちの日米開戦―秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く―』も貴重な分析の伴った書である。陸軍にはいくつかの頭脳集団があり、そこでは開戦前には極めて内容の濃い開戦か否かの緻密な分析を行っていた。通称秋丸機関の枠組みに集められた経済学者たち(例えば有沢広巳など)は、実際の日米間の経済力(それが国力の現実なのだが)の開きに愕然として報告書をまとめている。これは私の調べになるのだが、軍事指導者はこういう報告をさほど信用していなかった。恐るべき官僚主義による楽観主義の空気は、経済学者の厳しい見方を内心で嘲笑ってばかりいたのである。
そういう数字には戦争時の特異性(アメリカ軍は戦場の太平洋に出てくるのは大変だとか、さらには精神力では日本は他国に負けないと豪語していた)が考慮されていないというのであった。こうした軍事指導者には頭の痛い資料は敗戦時に焼却されたはずであった。しかし燃やされてはいなかった。こういう点が歴史の「意思」というべきであろう。
日本の情報将校は優れた分析力を持っていた。大本営情報部の将校の堀栄三は、アメリカの放送を傍受しながら、缶詰会社と製薬会社(マラリアの治療薬など)の株が上がると、ほぼ三ヶ月後に新たな戦線にアメリカ軍の兵力が投入されることに気がついた。堀のような優れた情報将校の一人であった小野寺信はあらゆる情報の裏を読み解く能力に優れていた。小野寺は1945年2月にヤルタで開かれたルーズベルト、チャーチル、それにスターリンの三首脳会談には、表面のステートメントとは別に公表されない密約があることを察知する。むろんさまざまな情報機関との情報交換でこのことを掴むのである。
岡部伸『消えたヤルタ密約緊急電―情報士官・小野寺信の孤独な戦い―』はその内幕を丹念に描写する。
ルーズベルトはスターリンに第二戦線を開くことを要求して、ナチス降伏から三ヶ月を目処にソ連は対日戦を仕掛けるというのであった。ほぼ正確にこのことを見抜いた小野寺の本省への極秘電報は全く無視された。日本の指導者がその情報を無視した罪は大きい。小野寺の天才的な能力は、それを受け入れる器を持つ人物不在のために生かされず、終戦への道は遠のいた。この書もまた日本社会の欠陥を示しているのである。
ここに挙げた三冊は、優れた史実発掘の書だが、実はこれに類する選書はまだまだ多い。私は新潮選書に「歴史に挑む頭脳」という見方を掲示したいと思う。今後も歴史の不透明、不鮮明、そして不誠実を打破する頭脳であってほしいと念じている。
たまたま三冊を挙げたが、他にも『日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」―』(森山優)や『戦後史の解放I 歴史認識とは何か―日露戦争からアジア太平洋戦争まで―』(細谷雄一)などもその視点、論点は重要である。戦後八〇年に読まれるべき書であることは言うまでもない。あえて記しておこう。
(ほさか・まさやす ノンフィクション作家)
「戦後70年」を考える私のこの一冊
〈著名人が薦める〉新潮選書「私の一冊」(7)
太平洋戦争中の日本の情報収集、分析能力が高かったことは、ヤルタ会談におけるソ連参戦に関する米英ソの密約を探知したスウェーデン駐在の小野寺信陸軍武官の活動からも明らかだ。しかし、この貴重な情報が日本政府の意思決定においては、まったく用いられなかった。ヤルタ密約緊急電はどこに消えてしまったのであろうか。岡部伸氏が丹念な取材に基づいて歴史の謎を解く。戦後70年のこの機会に、是非とも手にとって欲しい一冊だ。
(さとう・まさる 作家・元外務省主任分析官)
波 2015年6月号 「『戦後70年』を考える私のこの一冊」より
死活情報を発信した者、抹殺した者
北海道の天塩山系で猟師に従って鬱蒼とした針葉樹林帯に分け入ったことがある。この山麓のどこかにヒグマはきっと潜んでいると手練れの猟師は自信ありげだった。
「果たしてヤマ親爺を仕留められるか。あとは俺の腕と運次第だよ」
機密の公電を追ってインテリジェンスの森にひとり分け入る本書の著者は練達のハンターを彷彿とさせる。英国立公文書館と米国立公文書館は第二次大戦の情報文書の機密指定を次々に解いている。だからといって獲物がすぐに見つかるわけではない。鍛え抜かれた情報のプロフェッショナルだけが標的を射止めることができる。
大戦中に欧州の地から打電された枢軸国日本の公電は、連合国側にとってダイヤモンドの輝きを放っていた。ベルリン発の大島浩駐ドイツ大使電はヒトラーの胸中を窺わせる決定打であり、中立国スウェーデンの首都ストックホルムから打たれた小野寺信駐在武官の機密電も国家の命運を左右するものだった。英国の諜報当局は渾身の力を注いで、暗号が施された小野寺電を読み解いていった。
ソ連はドイツ降伏の後、三ヶ月をめどに対日参戦する――。小野寺信は亡命ポーランド政府のユダヤ系情報網から、ヤルタ会談の密約を入手した。それは杉原千畝が亡命ユダヤ難民に与えた「命のビザ」への見返りだった。その情報を東京の参謀本部に打電したのだがヤルタ密約電を受け取りながら、あろうことか参謀本部の中枢が抹殺してしまったと著者は断じている。和平工作をソ連に委ねていた彼らにとって「ヤルタの密約」こそ日本の敗北を決定づける不吉な宣告に他ならなかったからだ。
小野寺信はスウェーデン王室を頼りに終戦工作も進めていた。日本は天皇制の存続さえ保障されれば降伏する――ポツダム会談に臨むトルーマン大統領に伝えられた情報の背後にはスウェーデン国王グスタフ五世の影が動いていた。さらに全体主義国家ソ連は新たな領土への野心を隠していないと警告し、ソ連を頼むことの愚を説き続けた。だが大本営の参謀たちは、貴重なインテリジェンスのことごとくを無視し、スターリンの外交的詐術に思うさま操られていった。ヤルタ密約をめぐる小野寺情報を日本の政府部内で共有していれば、広島、長崎への原爆投下を回避でき、ソ連の対日参戦、そして北方領土の占領を防ぐことができていたものを――。本書の行間には著者の無念が滲んでいる。
貴重な情報が、決断を委ねられた指導者に届かない。インテリジェンス・サイクルの機能不全は国家を災厄に突き落とす。フクシマ原発の悲劇を目撃した読者なら、ヤルタ密約を抹殺して愧じない官僚主義の奢りがいまのニッポンにも受け継がれていると嘆息することだろう。
(てしま・りゅういち 作家・外交ジャーナリスト)
波 2012年9月号より
担当編集者のひとこと
大戦史最大の謎をついに解明!
今日も続く北方領土問題、その原点が「ヤルタ密約」にあることをご存知でしたか? 連合国首脳がヤルタに集まって、ドイツ敗退後にソ連が日本に参戦することが「密約」された結果、サハリン島や北方四島がソ連の手に落ち、現在に至るもその実効支配を受け続けることになったのです。
この情報をいち早く掴んだのが本書の主人公・小野寺信でした。情報士官としての彼は、杉原千畝を上回る日本最大の存在で、枢軸側きってのスパイマスターとして恐れられていました。彼は間髪を入れず日本にその旨を暗号電報で伝えたのですが、軍中枢はこれを握り潰してしまいます。誰のせいで、そして何故、小野寺電が活かされなかったのか――このことは近代史最大級の謎として戦後六十余年残り続けることになります。
著者は持ち前の語学力を活かして、英米の国立公文書館に通いつめ、秘密情報の山を虱潰しに当たり、この謎をついに解明し、電報発信から参謀本部による隠蔽工作までの筋書きを示すことに成功しました。これまで多くの傍証を掴んでいた歴史家・半藤一利氏も、これで大戦史最大の謎が解明されたと著者に語っています。
現場からの貴重な情報が中枢部で握り潰される――現代日本が未だ同じ轍を踏み続けていることに苛立つのは、独り著者だけではない筈です。
2016/04/27
著者プロフィール
岡部伸
オカベ・ノブル
1959年生まれ。産経新聞編集委員。1981年、立教大学社会学部社会学科を卒業後、産経新聞社に入社。社会部記者として警視庁、国税庁などを担当後、米デューク大学、コロンビア大学東アジア研究所に客員研究員として留学。外信部を経て1997年から2000年までモスクワ支局長として北方領土返還交渉や政権交代などを現地で取材。社会部次長、社会部編集委員、大阪本社編集局編集委員などを務める。