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教養としての上級語彙2―日本語を豊かにするための270語―

宮崎哲弥/著

1,815円(税込)

発売日:2024/08/21

  • 書籍
  • 電子書籍あり

会話や文章のレベルをアップさせる「武器になる言葉」が満載!

「暗暗裏」「将来する」「櫛比」「揣摩臆測」……メディアで大活躍の評論家が、表現力と思考力を高める言葉を厳選。言語の「幼児化」が敗戦後の国語改革に起因することを明らかにし、「漢字制限」と「ルビ規制」という二重の拘束から日本語を解き放つことを提言する。洗練された言葉使いが身につくスーパー語彙本、第2弾。

目次
まえがき
凡例
第一章 上級語彙の世界へのいざない、再び。
異例の反響を呼んだ前著/「初見の用例」という工夫/知れば使わずにはいられない構造/「上級国民」と「百姓読み」/「上級語彙」とは/読書習慣とボキャブラリー/「相続」される文化資本/目下進行中の「語彙の貧困化」に階級差はない/「語彙力」低下の真因/コトバは道具ではなく、存在そのものである/かつてはテレビも時流に媚びていなかった/仏教は「言語道・断」を目指す/ルビ廃止という愚行/言語観、日本語観を欠いた国語改革/安住紳一郎、痛恨事の原因/施策の意図せざる帰結
第二章 言葉と言葉のあわい 時を刻む上級語彙から考える
トワイライト・ゾーン/「あなたは誰?」の時刻/「いま」を生きる/売り手と買い手のあわい/コトバの秩序、コトバの裂け目/名状しがたきもの/山崎正和の慧眼/言葉が「心に入る」/使える語彙が増える喜び/輿論と世論とセロン/丹下左膳の片目、片腕/刹那は0・013秒/「瞬時」と「暫時」のあいだ/時の過ぎゆくままに
第三章 「言葉の平明化」の根源 「国語の戦後体制」を超えて
日本語は遅れているか?/黄泉の国の人になる/正書法とは何か/大岡昇平の「国語改革」批判/不完全な英字の表音
第四章 語彙の豊饒を目指して 言葉の「進化」について
言語の自然的進化/「憚る」の困難/情に棹させば流される/物する、果せる、果せるかな/ヨロンは「輿論」か、「世論」か/終戦直後の混乱にまぎれて/消される「輿論」/ココロザシを貫く/言葉の平明化は存在の平板化である/メタファーとしての「ほこさき」/「交ぜ書き」という「欺まん」/追従ではない追従/野放図が習い性と成り、児戯の類を身過ぎとす/言語=道具説の迷妄/音声中心主義というドグサ/夕凪にたゆたう蜃気楼/日本語は文字が意味を担っている/消長を来す/反=国語改革
索引

書誌情報

読み仮名 キョウヨウトシテノジョウキュウゴイ2ニホンゴヲユタカニスルタメノニヒャクナナジュウゴ
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 256ページ
ISBN 978-4-10-603914-0
C-CODE 0381
ジャンル 日本語
定価 1,815円
電子書籍 価格 1,815円
電子書籍 配信開始日 2024/08/21

書評

正確な表現という創造的行為

三浦瑠麗

 待たれていた宮崎哲弥氏の『教養としての上級語彙』の続編が世に出た。誠に喜ばしい。前著は、著者自身が書いている通り、類例のない言葉についての本だった。一部の熱心な人を除いては読まれにくい辞書的な機能を果たしつつ、自らの主張を生きた例文として用い、上級語彙の意味内容を歴史上の著作物に照らして豊かに展開してみせた。中学生の頃からノートに言葉を書き留め、豊富な読書経験を通じて様々な語彙を会得した著者からの贈物といってよい。本作では、便利な索引がつけられたことについても言及しておくべきだろう。
 前著で、著者は井筒俊彦の「分節理論」を紹介した上で、「事物の多様性が言葉の多様性をもたらすのではなく、言葉の多様性が事物の多様性をもたらすのだ」と書いた。それは全く正しい。本書は、その主張を展開するため言葉の平明化の過程を批判的に辿り、日本語を「表音」の言語にすることの不可能性を立証している。
 歴史的には初めに言葉が在ったわけではない。初めに欲望があり動作があって、小規模な集団で感情が共振し、その後に伝達に適した言葉が生み出された。しかし、言葉こそが成し得たものがある。集団を拡大させ、文化を育み、社会制度を作り、人を悩ませ、時には死に追い込んだ。本書のエピグラフにはヘレン・ケラー自伝の言葉が措かれている。「すべてのものには名前があった。そして名前をひとつ知るたびに、新たな考えが浮かんでくる。家へ戻る途中、手で触れたものすべてが、いのちをもって震えているように思えた」。言葉とは事程左様に力を持つ。
 しかし、言葉を単に道具と見做した人々は、語彙や表記を限定し統制しようとした。言葉を平易化すれば伝達が容易になり、識字率も向上し、国民教育に役立つであろうと。しかし、その過程で自分達が段々と貧しくなることを識らなかった。現代の新聞を見てみればすぐに分かることだ。少ない語彙、定型文、交ぜ書きの横溢。結果、表現される事物を狭い鋳型の内に限定し、意味や思考の幅を奪っている。平易さを追う人々は、言葉というものが事物の存在を定義し、自らの情動や知的思考の幅までを規定していることに気づかなかった。そして、こうした風潮は、書かれていることが全てであると考えがちな悪弊を生み出した。言葉の海に対する畏れを失くしてしまったのである。
 表記や表現の平易化・単純化に慣れた人々は、言葉の意味内容は一つであり、書かれていないものは存在しないという誤解に陥る。情報の量とそれが行き交うスピードばかりが発達した現在において、SNSのような短文にのみ日々触れることで、この誤解は「正しさ」の勘違いに転じた。つまりは、ほとんど全ての人が判で捺したように同じ表現を使い、同じことを言う時代がやってきたのである。規定表現からの逸脱は、誤りであるか無駄に複雑で分かりにくいものとして咎められることになった。だが、予め定められた正しさによって綴られるものは評論ではないし、文学でもない。先述の「分節」という語はarticulationの訳だが、この英単語は正確に表現することという意である。
 正確な表現というのは、近年主張されている所謂正しさとは異なる。正確さとは、多様な事物及びその解釈に照らして、時間をかけて発展した冗長性の海の中から適切な表現を選び取ることであり、創造的行為でもある。この行為を止めれば、多様な感覚はいつの間にか失われてしまう。
 本書に載っている幾つかの上級語彙を挙げておこう。「徴する」という言葉。徴という漢字には様々な要素が含まれる。印、証、求める、呼び出す、召す、取り立てる、懲らしめる。その中でも証を求める、照らし合わせるという意味内容に遵って、徴するという言葉が生まれた。宮崎氏は読書習慣について述べている節でこれを挙げている。著者の読書歴が窺える語の一つである。
 漢語を自在に操る印象が強い著者だが、大和言葉に対する愛着と憧憬も感じられる。「泥む」という言葉。暮れ泥む時、と聞いただけで、光彩を失った青から茜色に縁取られた紫色へと変化していく空を思い浮かべ、その心象風景に仄かな慕情が滲む。ほかには、「侘びる」――詫びるではない。「待ち侘びる」という複合語に辛うじてその意味を留めているが、百人一首に「思ひ侘び」から始まる歌があったのを覚えている人はあるだろうか。「思ひ侘び さてもいのちはあるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり」(道因法師)。著者は類語に「倦む」を挙げているが、この言葉を使う人は夙に見かけない。泥む、侘びる、倦むという感覚が失われつつあるということである。
 教養は壁を作る。それはその通りだろう。その壁は、人が自らを取り巻く事物に触れ、その意味内容を豊かに発見する上で必要な壁なのである。

(みうら・るり 国際政治学者)

波 2024年9月号より

著者プロフィール

宮崎哲弥

ミヤザキ・テツヤ

1962年、福岡県生まれ。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。テレビ、ラジオ、雑誌などで、政治哲学、生命倫理、仏教論、サブカルチャー分析を主軸とした評論活動を行う。著書に『仏教論争――「縁起」から本質を問う』(ちくま新書)、『ごまかさない仏教――仏・法・僧から問い直す』(新潮選書、佐々木閑氏との共著)、『知的唯仏論』(新潮文庫、呉智英氏との共著)、『教養としての上級語彙――知的人生のための500語』(新潮選書)など多数。

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