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国家と教養

藤原正彦/著

858円(税込)

発売日:2018/12/15

  • 新書
  • 電子書籍あり

教養なき国民が国を滅ぼす。教養こそが「大局観」を磨く。大衆文化も教養である。270万部突破! 『国家の品格』著者による独創的文化論。

「教養」とは、世の中に溢れるいくつもの正しい「論理」の中から最適なものを選び出す「直感力」、そして「大局観」を与えてくれる力だ。では教養を身につけるためにはどうしたら良いのか。教養の歴史を概観し、その効用と限界を明らかにしつつ、数学者らしい独創的な視点で「現代に相応しい教養」のあり方を提言する。大ベストセラー『国家の品格』の著者が放つ画期的教養論。

目次
第一章 教養はなぜ必要なのか
「グローバル・スタンダード」の背後にある、「アメリカの意図」を見抜けなかった日本。情報の取捨選択を可能にする「芯」のない国は、永遠に他国の思惑に流される。

第二章 教養はどうやって守られてきたか
アレクサンドリア、コンスタンティノープル、バグダッド。ギリシアの古典は西洋の外で守られ、やがてルネサンスとして花開く。「教養の歴史」を概観する。

第三章 教養はなぜ衰退したのか
教養はアメリカ人にとって、「自分たちが自らの意志で捨てたヨーロッパの遺物」である。資本主義。世界のアメリカ化、グローバリズムの進展で、教養の地位は墜ちていく。

第四章 教養とヨーロッパ
教養主義のチャンピオンであるドイツがヒットラーを生んだのには理由がある。一般大衆を見下していた教養市民層には、政治意識と社会性が決定的に欠けていたのだ。

第五章 教養と日本
漱石言うところの「上滑りの開化」を続けてきた日本。西洋崇拝に由来するその「教養」には、常に無理がつきまとっていた。戦前知識層の苦闘の足跡をたどる。

第六章 国家と教養
現代の民主主義国家で求められるのは「孤高の教養主義」ではない。大衆の現実を踏まえ、政治センスも伴った、真に血肉化された教養である。「教養の四本柱」を提示。

書誌情報

読み仮名 コッカトキョウヨウ
シリーズ名 新潮新書
装幀 新潮社装幀室/デザイン
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 208ページ
ISBN 978-4-10-610793-1
C-CODE 0210
整理番号 793
ジャンル 政治・社会、政治・社会
定価 858円
電子書籍 価格 814円
電子書籍 配信開始日 2018/12/21

書評

羅針盤としての教養

小川洋子

 本書を読み終え、まず浮かんできたのは、プトレマイオス一世が創設したアレクサンドリア図書館の一室で、写本に集中する写字生の横顔だ。彼は原本の文章を一字一字、パピルス紙に書き写してゆく。決して、急ぐことはできない。一文字ずつ、という速度に耐えながら、原本の地層を掘り進み、そこに隠された宝石をすくい上げる。彼の横顔には、世界の秘密に触れる喜びがあふれている。地層の奥深くから発せられる、教養という名の光が彼を照らしている。
 藤原さんは教養をキーワードにし、雄大な視点で西洋の歴史をたどりつつ、バブル崩壊後の日本社会に何が起こったか、主にアメリカとの関係から捉え直し、未来を見通している。私が最も重要だと感じたのは、教養とは何か、その言葉の定義に重きが置かれていない点である。言葉を定義するのに、どうせ言葉を使うしかないのであれば、そんなことは到底無理、無意味と、あっさり言い切ってしまうところから、すべてがスタートする。数学の厳密さに身を置く数学者ならではの大胆な割り切りである。
 窮屈な輪郭から解放された教養というキーワードは、歴史的事実、政治、経済、人物、文化、あらゆる事柄を自在に取り込み、思いがけないもの同士を結びつけ、新たな方角を指し示すことになる。つまり本書は、あらかじめ定められた枠に当てはまるか当てはまらないか、選別するための本でもなければ、教養を無闇に礼賛するだけの本でもない。その証拠に、二つの世界大戦で教養がいかに無力であったか、しっかりと分析がなされている。
 さて、私が教養の真の姿に最も近づけたと感じたのは、教養と並べて論理的な思考が置かれた時だった。

 人間は論理的に考えるだけでは、物事の本質に到達することは決してできません。……教養という座標軸のない論理は自己正当化に過ぎず、座標軸のない判断は根無し草のように頼りないものです。

 論理的であることは気分がいい。とりあえずは、その正しさに浸っていられる。いざとなれば、とりあえず、の但し書きだって、見て見ぬ振りで誤魔化せる。しかし、独りよがりに正しい方向ばかりへ進んでいると、いつの間にか落とし穴に落ちている。なぜか分からないままに過ちを犯している。はっとしても、もう手遅れだ。
 人間にとって本当に大切なものは、論理を超えた場所に隠れている。凝り固まった理屈の壁を突き破り、その場所にたどり着くための羅針盤になってくれるのが、教養なのだ。藤原さんが挙げている数々の事例の中で、そのことを最も見事に浮き彫りにしているのは、0の発見だろう。「何もない」という言葉の論理に惑わされず、「0がある」という見事な飛躍を成し遂げたインド人がいかに優秀だったか。ローマ数字に比べて圧倒的に優れているアラビア数字を見れば、明らかである。
 もう一つ、忘れてはならないのがユーモアの大切さだ。柔軟で、奥行きがあって、超然として、なおかつ人間的な温かさに裏打ちされた座標軸を持っていれば、自然とバランスの取れた大局から世界を眺められる。その余裕によってユーモアが生まれる。
「何もない? いや、0があるじゃないか」
 偉大な0の発見も、こんな軽やかなユーモアを隠し持っている気がする。
 もちろん藤原さんはご自身でもユーモア精神を存分に発揮している。生真面目な文章の折々に挟まれる、本筋とは無関係な、さほど必要とも思われない、はっきり言って余分な鉤括弧の情報に、何度クスクス笑ったことだろうか。
 紀元前の時代から今まで、人は教養によって自らの心を豊かなものにしようと努めてきたのかと思うと、人間という生きものがいとおしく感じられる。パピルス紙に向かう写字生の横顔は、きっと美しかったに違いない。

(おがわ・ようこ 作家)
波 2019年2月号より

インタビュー/対談/エッセイ

本当の教養人だったら、こんな本は書かなかった

藤原正彦

270万部超を売り上げた大ベストセラー『国家の品格』出版から13年。今度は「教養」というテーマに挑んだ藤原氏が、ユーモアたっぷりに明かす執筆の舞台裏。

――270万部以上を売り上げた『国家の品格』の出版から13年。ようやく「第二弾」が実現しました。
藤原 品格の次は教養かな、とは思っていましたが、なかなか書けず、女房には「いつまで学者やってるの! お父さんみたいに適当に見切りをつけて書き始めないと」などと言われていました(笑)。確かに父(新田次郎)のように小説家なら、資料になる本をいくつか読んで想像力で膨らませて書く、ということができます。しかし、私は関連するテーマの本を読み尽くし、調べ尽くしてからじゃないと書き始められないんです。

――それで時間がかかってしまった、と。
藤原 ええ。教養をテーマにした本はずいぶん読みましたが、だいたいは文学畑哲学畑の、すでに教養を十分に身につけた人が教養の衰退を嘆く体のもの、あるいは教養のハウトゥーもので、本質に迫っていると思える本はなかった。
 教養を巡る問題の本質は何か。それは、なぜかつては重要と考えられた教養が衰退してしまったのか、どうすれば再生させられるのか、そもそも現代に相応しい教養のあり方とはどういうものか、を考えることです。「教養」本はみんな「教養とはなんぞや」という定義論から入りがちですが、それがそもそもの間違いの元なんです。言葉による定義論をやる限り、「その定義づけを行っている言葉の定義はなにか」という無限ループに入りこむことになって、際限がなくなってしまう。そこに拘泥せず、「教養」の効能、限界、再生の可能性を解き明かすという本質に集中しました。

――本書の第二章から第五章は、「教養の世界史」とも言うべき内容ですね。
藤原 まず歴史的に「教養」がどのように扱われ、保持され、どのように機能し、どこに限界があったのかを探るべきだ、と考えました。それがないと、この本自体が根無し草みたいな論考になってしまいますから。

大衆文化こそ大事な教養である

――本書の中で藤原さんは「教養の四本柱」を挙げています。独特なのは、「人文的教養」「社会教養」「科学教養」につづいて、「大衆文化教養」を挙げている点です。
藤原 最初の三つは、いわば現代社会を生きるために必要な知識の話。でも、本当に大事なのは、この「大衆文化教養」という最後の部分なのです。
 どうして日本の教養層はひ弱だったのか。戦中にはあっさりと軍部にだまされ、戦後はGHQに洗脳され、現在は新自由主義イデオロギーの虜になってしまうのか。それは、西欧崇拝に基づいた「教養」が上滑りのもので、本当に身についていないからです。日本人にとっては、日本人の情緒や形と一緒になった知識でないと、本当には身体にしみこまない。つまり、ホンモノの教養とは言えないのです。
『国家と教養』の中でも書きましたが、戦中は体制支持派だったのに戦後はあっさりと戦前戦中批判に転じ、戦争協力者を糾弾して地位を得ようとした知識人には事欠きません。「私はだまされていた」と語った武者小路実篤だけでなく、教養主義のチャンピオンとも言うべきドイツ文学者の中にも、リルケヘルマン・ヘッセの翻訳者でありながら戦時中はナチス支持で戦後はどこ吹く風、などというケースがたくさんあります。

――藤原さんには「教養」を尊重しつつも懐疑的な、アンビバレントな感情があるようですね。
藤原 実は、私は「自分の好きな本を気ままに読み、それが教養として積み上がる」というような読書の仕方を大学を出てからしたことがないんです。数学の研究と並行して文学的な仕事を40年も続けてきましたが、読書はいつも「何かを書くための調べ物」でした。だから、教養人とはまったく言えません。
 本当を言えば、そんなに読書家とも言えないのですよ。小学生の時に少年少女世界文学全集を読破したこと、中学時代に日本文学の文庫本や講談本を乱読したこと、高校時代に父のところに送られてきていた「新潮」「群像」などを時折読んだりしたことくらい。高校時代はサッカーの部活動と受験勉強で忙しかった。大学に入って、全く読んでいなかった西欧の小説を次々に読みましたが、2年生の秋からは数学漬けの生活になり、それが大学院を修了して都立大の助手になるくらいまで続いた。その間は阿修羅のごとく数学に打ち込んでいましたから、楽しみのための本なんてほとんど一冊も読んでいなかったんです。

――高校時代は自分が西洋の小説や哲学を読んでいないことにコンプレックスを感じていたそうですね。
藤原 後に東大の哲学科に入った同級生が、ものすごく西洋の小説を読んでいました。彼が『チボー家の人々』を読んでいて、「主人公のジャックが……」なんて語っているのを、私はさもすでに読んでいるようなふりをして頷いて聞いていたことがあります(笑)。恥ずかしくなってそのまま吉祥寺の本屋に走り、白水社版の『チボー家の人々』全五冊を買いました。以来60年、その本は開かれることのないまま、私の本棚に差さったままです。トルストイの『戦争と平和』も同じ運命を辿りました。
 また、大学1年の時に中学の同級生の友人が、「(旧制高校の三大教養書である)阿部次郎の『三太郎の日記』、西田幾多郎の『善の研究』、倉田百三の『愛と認識との出発』を読まないと大人になれない」というのを聞いて手に取ってみたら、あまりにもつまらなくてどれも20頁くらいで投げ出してしまった。
 私にとって数学は難しくても面白いものでした。読めば読むほど視界が広がっていくのが分かる。しかし、これら「旧制高校の教養書」は面白くもなかったし、視界が広がる感じもしなかった。

――でも、この友人には恩義があるそうで……。
藤原 ええ。彼は私を哲学に目覚めさせることには失敗しましたが、初めてストリップ小屋に連れて行ってくれ、見事に性に目覚めさせてくれました(笑)。看板に「関西風特出し」とか書いてありましたね(笑)。

アニメと歌謡曲も

――伺っていると藤原さんは、日本の知識人に多い「西洋文学を読み込んで人格を陶冶する」というタイプとは、まったく違った知的来歴をお持ちのようですね。
藤原 私にはどうも、西洋的教養の小説や哲学がしっくりこなかったんですね。講談本の方がずっとしっくり来た。でも、近代の歴史を見ると、西洋由来の教養を積んでいた知識人たちがあっさりとだまされたり転向したりしている一方、そんな教養とは無縁の庶民たちは現実的でたくましく、かつ情緒や日本人としての形を保った生活をしていた。講談本や大衆文学、そして伝統の芸能や芸道には、日本人の基本的な価値観がたっぷりと表現されています。こうした大衆文化が、日本の庶民の際立って高い道徳や情緒を支えてきたのです。
 西洋由来の教養を積み重ねることより、日本の大衆文化にふれて日本人としての情緒や形を刷り込むことの方が現代においてもずっと大事だということを確信しました。『国家の品格』で論理より情緒と唱えましたが、教養に関しては第一、第二、第三の柱が論理で、第四の柱が情緒です。すなわち『国家と教養』は『国家の品格』を補完するものとも言えます。

――『国家と教養』の中では、「君の名は。」のようなアニメや、歌謡曲も称賛されていますね。
藤原 私はもともとアニメを見るような人間じゃなかったんですね。子育て中に子供と一緒に「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」を見ていたくらいで。だから、薦められて「君の名は。」を見たら、とても感動しました。と同時に、アニメでもここまでの情緒と美を盛り込むことが出来るということに驚いたのです。
 日本人は本当に特殊で、こうした大衆の娯楽においても情緒と美を自然に盛り込んでしまう。昭和期の歌謡曲などにも情緒に溢れた良い曲がたくさんある。私はいつも昭和の歌謡曲を自宅で歌っています。女房が嫌がるので、お風呂の中でですが(笑)。西洋音楽で育ち、世界中の文化を見聞してきた文化人類学者のレヴィ=ストロースも、日本の歌だけには「もののあわれ」があり、感動したと言っています。

――バランス感覚とユーモアの大切さも力説されていますね。
藤原 これは80年代にケンブリッジ大学で教えていた時のエピソードなんですが、知り合いの天才数学者に「ジェントルマンにとっていちばん大切なものは何か」と聞いたら、彼は間髪入れずに「ユーモア」と答えた。天才の言うことは怪しいので(笑)、英国人に会うたびに聞いて確認してみました。そうしたら例外なく、ユーモアがいちばん大事という意見に「同意する(I agree)」と答えたんです。
 ユーモアが成り立つためには、自分をいったん状況の外に置き客観視してみる、という作業が必要になります。それは自分中心主義では成り立たない。必然的に、バランスの取れたものの見方をするようになるわけです。教養によって大局観を磨き、大衆文化に親しんで俗世間の実相を知れば、自然にユーモアとバランス感覚も身につくはずです。
『国家の品格』は品格なき著者による品格論でしたが(笑)、『国家と教養』は教養なき著者による教養論です。私が本当の教養人なら、こんな本は書いていません。教養のある側、ない側両方のことが分かるから、その間をつなごうと思った。国民が教養層と非教養層に二分されたことは、第一次、第二次大戦の一因でしたし、そもそも国民一人ひとりが教養に基づく大局観を持っていないと、民主主義はポピュリズムに成り果てます。この本によって「教養」にあらたな息吹が吹き込まれる事を願っています。

(ふじわら・まさひこ 数学者)
波 2019年1月号より

蘊蓄倉庫

読まずじまいの本

「教養を論じているからと言って私が教養人というわけではありません」と語る藤原さんの本棚には、読まなければと思いながら結局読まずじまいになってしまった本が何冊か刺さっているそうです。その背表紙を見ると、軽い挫折感や劣等感を感じるのだとか。藤原さんをそんな気にさせる本とは。気になる方は本書の142頁をご覧ください。

掲載:2018年12月25日

担当編集者のひとこと

教養が大事な理由

 経済性、合理性、有用性、スピードがますます重んじられるようになっている現在、「教養」の地位は下がり続けています。確かに、教養を身につけたからといって儲かるわけでもないし、出世して偉くなるわけでもない。

 それでも藤原さんは「教養は大事である」と言います。
 一つには、教養こそが「大局観」をもたらしてくれるからです。人生に指針となる意義を与えてくれるのも、とっさに適切な選択をできる「直感力」を鍛えてくれるのも、人間性に深みを与えてくれるのも、教養なのです。
 もう一つ、教養が大事な理由は、我々が民主主義社会に住んでいるからです。教養のない、すなわち大局観のない国民が主権者となる民主主義ほど危ういものはありません。教養なき民は、一時的な熱狂に身を任せ、国家を誤らせます。「国民の皆さま」から国家を守る礎、それが教養なのです。

 しかし、従来型の「教養」に限界があったのも事実です。ヒットラーを生んだのは、教養主義のチャンピオンとも言うべきドイツでした。エリート層が旧制高校型の「教養主義」に浸っていたはずの日本も、亡国の戦争に突き進みました。
 では、何が足りなかったのか。本書の中で藤原さんは、従来の教養における「ユーモア」や「情緒」といった人間性・社会性に対する感覚の不足、および政治感覚の欠如を挙げています。すなわち、旧制一高の校歌の「栄華の巷、低く見て」に表現されるような、俗世間の人間の実相を知り不条理にみちた社会と格闘する姿勢が、戦前の教養主義のエリート層になかったことが問題だった、との見方です。

 では、従来型の教養主義の限界を乗り越えるのにはどうすればいいのか。藤原さんが勧めているのは、西洋文学などの従来型の「教養」的読書よりも、日本の大衆文学や大衆芸能に親しむことです。
 日本の大衆文学・大衆芸能には、血と汗と涙と笑いが詰まっている。実世界を学び、道徳と情緒を学ぶ最高の素材なのです。こうした文学や芸能に親しむことで、「孤高の教養主義」の限界が打ち破られ、実社会の礎となるものとして「教養」が鍛え直される、と考えるのです。
 もちろん、どのように教養を定義するにせよ、その中核にあるのは「読書」です。本書では、藤原さんが愛読した本、人生を変えた本、読まなければと思いながら読めていない本など、読書にまつわる思い出もたっぷりと語っています。

「国家の品格」の出版から13年。著者一流のユーモアを交えながら、数学者らしい「本質的なもの」のみを伝えようとする姿勢は、前著からさらに磨きがかかりました。真面目な内容ですが、とても楽しい本です。

2018/12/25

著者プロフィール

藤原正彦

フジワラ・マサヒコ

1943(昭和18)年、旧満州新京生れ。東京大学理学部数学科大学院修士課程修了。お茶の水女子大学名誉教授。1978年、数学者の視点から眺めた清新な留学記『若き数学者のアメリカ』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞、ユーモアと知性に根ざした独自の随筆スタイルを確立する。著書に『遥かなるケンブリッジ』『父の威厳 数学者の意地』『心は孤独な数学者』『国家の品格』『この国のけじめ』『名著講義』(文藝春秋読者賞受賞)『ヒコベエ』『日本人の誇り』『孤愁 サウダーデ』(新田次郎との共著、ロドリゲス通事賞受賞)『日本人の矜持』『藤原正彦、美子のぶらり歴史散歩』『国家と教養』等。新田次郎と藤原ていの次男。

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