オヤジギャグの華

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その5 ラヲタと先生

オヤジギャグの華

「明日はラーメンよ!」と私のガールフレンドでフードライターのコジマが宣言する。「有名なラヲタが一緒よ!」
「食べ物、食べ物、食べ物」と私はため息をつく。「東京ってなんか、食べ物の話ばっかりだなあ!」
「来たくなかったら来なくていいのよ」と彼女は答える。
「まさか! 冗談だろ? 行くよ!」
 私たちが行こうとしている特別なラーメン屋は護国寺にある。そばには丹下健三設計の目を奪うモダニスト建築、聖マリア大聖堂がそびえている。翌日、私たちが大聖堂に入り、空まで達するかというコンクリートの内部をぶらつくなか、コジマはラーメンの歴史をとうとうと語る。元は中国から安手の食事として入ってきて、一九五〇年代、六〇年代を支えた労働者たちに手軽な栄養源として愛された。「一九六四年のオリンピックめざして日本を再建する力になったのよ」とコジマは言う。「きっと、この大聖堂を建てる力にも」。私たちは首をのばして、はるか上を見やる。
 だが庶民の食べ物ラーメンは、やがて美食の天空へと飛翔し、新世紀のグルメたちがこぞって創意と情熱を注ぐ対象に変容した。その好例が、いま私たちがラヲタと待ちあわせた店である。
 明るい、洒落た小さな店舗の上に掛かった看板には、英語で“BUILDING A BETTER BOWL—YOU BET!”(よりよい一杯をめざします――そうとも!)と書かれている。売れっ子の若手「ハイパーラーメン・クリエイター」ケンジの経営するハイクラス・ラーメンチェーンの一店なのだ。
 一方ラヲタはといえば、これが名はホーマー、アメリカ人である。背が高く肩幅も広い、三十代なかばで、LAレイカーズの紫のバスケットボール・キャップ、2PACの大きすぎるTシャツ、膝に派手に裂け目が入った超スリムのブラックジーンズを着こなし、大きな足にはVANSのクラシック・チェッカーボードのスニーカー。これでもう十分、そのヒップホップ的、筋金入りヒップスター的記号群に私たち中年は圧倒されてしまうが、加えて大きな手の爪は、ロリポップキャンディもかくやとばかりさまざまな色の狂乱。だが本人から愛想よく出てくる言葉は「さ、ラーメン食おうぜ」のみである。
 店内は、昔ながらの素朴なラーメン屋とはまるで違う。日本語と英語で書かれたお洒落なポスターが壁に貼られ、鰹節のイノシン酸と昆布のグルタミン酸で美食と化学の驚異を作り出す秘法を謳い上げている。言うまでもなく、これが名にし負うumamiを生むのだ。ガラスの仕切りの向こうで、白い仕事着を着た青白い顔の店員たちが、麺を作る粉を挽いている。「北海道産の全粒粉だよ」とホーマーは賛意を示しながら券売機にコインを入れる。「ケンジはね、産地直送食材ラーメンのパイオニアなのさ!」

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 私たちは丸椅子に座って順番を待ちながら、ホーマーの話を聞く。二〇〇〇年代に交換留学生としてロサンゼルスから東京にやって来て、どこか町外れのラーメン屋でクリーミーな味噌ラーメンを食べて「ラーメンサイケデリック」を体験し「脳味噌を焼かれた」。次のラーメン屋でも、ふたたび脳味噌を焼かれた。その次のラーメン屋でも。かくしてホーマーは日本に留まり、英語教師から始めて、eベイを使って日本のスニーカーオタク相手にレアなスニーカーを輸入するようになり、その間もずっと、日本じゅう一万軒のラーメン店のデータベースを頭のなかに構築してきた。感銘を受けた東京の某雑誌の編集者が、ホーマーともう一人のアメリカ人ラヲタに、ラーメンとラーメン店を滅茶苦茶こきおろす――何と非日本的か!――コラムを依頼し、これが大ヒット。いまやヒップホップ・ホーマーはテレビでも引っぱりだこで、インスタグラム@ramenanimal88は膨大なフォロワー数を誇り、ケンジとコラボしてさまざまな企画を行なっている。
「で、その爪は?」とコジマがさりげなく訊く。
 ホーマーは肩をすくめ、爪を見せて、ニヤッと笑う。「ヘイ、いいじゃないッスか」
 ラーメンが来る。私たちはさっそくズルズル啜り出す。私の白濁した豚骨はこってりして美味である。「うーん、この温泉玉子!」と叫ぶホーマーの、澄んだ海鮮ラーメンの丼の縁には削ったカラスミがまぶしてある。「このオレンジ色の黄身!」
 みんなで玉子に見入る。
「爪の色にも最高じゃないかね」と私は言う。
 食べ終えると、私たちはラーメン屋のしきたりに従って席を立ち、腹をぽんぽん叩きながら店の外のベンチに座る。タクシーがすっと寄ってきて、中からケンジが挨拶をよこす。さらにもう一店、海外ブランチをオープンしに行くところだという。今回はシンガポール。二〇一六年にはホーマーと共同でカリフォルニア支店も開いた。
「ヘイ、ウィー・ビルディング・ア・ベター・ボウル?(ねえ、僕たち、よりよい一杯つくってるかい?)」と彼はホーマーに、ぎこちない英語で訊く。
ユー・ベット!」と二人は一緒に叫び、陽気にハイタッチする。
 ケンジはほっそりした、ひどく可愛い男性である。ホーマーが通訳してくれるところによれば、彼の野心は、ラーメンのステータスを寿司と同じ究極グルメに高めることだという。食材を探して日本中を回り、海外ではロックスターなみに扱われる。「ミシュランのスターシェフがみんな僕に会いたがるんだ」と彼は笑う。「こっちはただのラーメン屋なのにさ!」
 飛行機に乗る支度をしに、ケンジは店内に消える。
 ホーマーがため息をつく。ちゃんとしたラヲタやるのって楽じゃないんだよ、と彼はこぼす。東京だけでも毎年三百軒が新たに開店する。どうやってフォローできる?「こっちは年二百杯で精一杯だよ」と彼は言う。「日本人のラヲタ見てると、自分がまるっきりの素人に思えてくるよ!」。白いフェラーリに乗ってラーメン行脚する男のインスタグラムを彼は私たちに見せる。「この人、年に二千杯こなすんだよ――それに普通の食事もする!」。ホーマーは賛嘆の念に首を振る。「この人とこれから一緒に回ることになってて、じき迎えに来てくれるんだ。ねえ、一緒に来る?」
 コジマと私は顔を見合わせる。私たちは二人とも満腹で、ごくんと唾を呑む。
「え、ええ――もちろん!」とコジマが叫ぶ。いつだって冒険のチャンスには飛びつくのだ。
「ヘイ、いいじゃないッスか」と私もニヤッと笑って言い添える。
 これがとんだ間違い。
 白いフェラーリが轟音を立てて現われ、がくんと停まる。派手なサングラスをかけた若き@ramenmonster77が運転席でニヤニヤ笑っている。フェラーリは二人乗りだが私たちは何とか体を押し込み、車はまた轟音を上げて走り出す。鼓膜が破れるかと思える三十分の高速ドライブ――私の頭はコジマの腋の下に突っこまれているので景色も何も見えたものじゃない――の末に九州スタイルのダブルスープ・ラーメンにたどり着く。私たちはその一部を騒々しく啜る。至高のラーメンサイケ、だが満腹の胃にはひどくヘビーだ。ふたたびギュウ詰め轟音の三十分ののち、今度はまぜ麺、汁なしラーメンで、コジマと私は歯ごたえある麺を必死に何口か飲み込み、呆然と目を合わせる。フェラーリの地獄の穴に戻る。さらなる轟音、過剰な左右の揺れ。「あたし、酔っちゃいそう」とコジマがわめく。「いいから……僕には……なよ」と、いろんな体の部分に押しつぶされた私は喘ぎ喘ぎ言う。今度は目の前に、アイスクリーム・テキーララーメンの大きな丼――ここは人気AV女優が経営する「豊胸」ラーメン店。誰かがバッタ(そう、虫のバッタ!)ラーメンと思しきものをモグモグズルズルやっている。
「やれやれ」ようやくアパートメントに帰った私は息も切れぎれ、同時にゲップを吐きながら言う。「どうやら肩も……脱臼しちゃったよ!」。コジマがバスルームで情けない声を上げている。何度も水を流している。

「明日は有名なクッキングスクールに行くのよ!」と二日後、コジマが明るい声で宣言する。「江戸の料理を学ぶのよ――それと、ご飯の炊き方を!」
「えー! 勘弁してくれよ、また食べ物かよ!」
「心配ないわよ、今回のは軽いから。ラーメンとは全然違うのよ。おとといは狂ったラヲタたち相手にちょっとやり過ぎただけよ」と彼女は言う。そして「臆病なこと言ってちゃ駄目よ」と言い足す。
 和食の伝統の保存と推進に努める由緒ある家庭料理学校は、虎ノ門の、ピカピカの高層オフィスビルに囲まれた小ぶりで古めのビルのなかにある。コジマと私は、小綺麗な授業用キッチンで、ひっそり黙った、大半は若い女性の日本人生徒十人くらいと一緒に座っている。先生があざやかな包丁さばきで、サバ一匹を、魔術師の杖の手際よさで花びらのごとき刺身に変身させるのを、私たちはかたずを呑んで見守る。先生は若く、王子さまみたいにハンサムだが、その態度は控えめでカジュアルだ。お洒落なジーンズに、ボタンダウンシャツ。爪を塗ったりはしていない。
 先生が茹でカボチャの鍋を作るのを私たちは見守る。極上の出汁に浸った一品が湯気を上げている。
 そしていよいよ、メインイベント。伝統的な、木の蓋のついたお釜で炊いたご飯。「お米に耳を澄ますんです」と先生は唱え、忠実な助手の女性がコジマと私のために声を殺して通訳してくれる。「米が渦巻くのを……泡立つのを聴くんです……水が蒸発する、パシャパシャ柔らかな音を……」。私たちは耳を澄ます。何もかもすごく禅っぽい。
「ラーメンサイケとは全然違うね」と私はコジマにささやく。
 ご飯を味見したのち――大騒ぎしたわりにはけっこう普通だ――コジマが先生をインタビューしに私たちは上の階の部屋に行く。先生の母上がここで生け花を教えている。サイドテーブルに、お釜が堂々と置かれている。
「日本人のお米の消費量は一人あたり一年六十キロまで落ちています」と先生は重々しくコジマに言い、助手が重々しく通訳する。「一九六〇年代にはその倍でした。いまではパンの売上げの方が米より多いのです! しかし、ご飯なくしては」と先生は言いはなつ。「我々は日本人でなくなってしまいます」
 と、ドアをコンコン叩く音がする。先生がそっちを向く。ちょっと失礼、と片手を挙げて立ち上がり、ひどく年配の男を出迎え、助手が手を貸して男を部屋に導き入れる。三人はゆっくり、お釜の前まで歩いていく。
 おそろしく年老いた紳士に、私はじっと見入る。どこかで見た覚えがある気がするのだ……この人の若いバージョンを……かぼそい白髪ひげに包まれていない、シマリスみたいに丸い頬を。先生がお釜の蓋を持ち上げると、老人はぎくしゃくと身を乗り出し、ご飯の香りを深く吸い込む。
 映画でやったのと同じしぐさだ。『殺しの烙印』。
「大変だ――宍戸錠だ!」私は呆然と口走り、椅子から立ち上がる。
「え、誰?」とコジマが言う。
「『殺しの烙印』の主役だよ――米が炊ける匂いに執着する殺し屋を演じたんだ!」
「グロテスクねえ」とコジマは言う。「挨拶してきなさいよ!」
「うん、そうしたいけど……でもさ、すごくプライベートな雰囲気だし。ほら、あの顔の表情!」
 私たちの会話は、怒った叫びや怒鳴り声が外から聞こえてきて中断される。
 突然、ひとつの人影が部屋にすっと入ってくる――閉じたドアを通って! 私たちは息を呑む。
 それはひどく小柄な、厳めしい様子の年配の男性だ。着物の上に、なんと日本のラグビーチームのジャージを羽織った幽霊である。幽霊はすさまじい剣幕で、釜を囲んだ人たちを叱咤する。それから彼は、私とコジマに気づく。「ウェスタナーズ(西洋人)!」と彼は英語で叫ぶ。「ハロー! 私、この時代遅れどもに、日本人は肉を食わねばならんと説いておるのです! 江戸時代の鳥の餌なんかじゃいかん! 我らがチーム、ブレーヴ・ブロッサムズのように大きく、逞しくなるにはビーフが必要なのだ!」。ジャージを着た貧弱な胸を幽霊は叩く。
「わ、福沢諭吉だ!」とコジマが素っ頓狂な声を上げる。「あたし、この人に関する資料読んでたところよ!」
「え、誰?」
「明治時代の食事改革者、文明開化の理論家よ! いち早く洋行した人よ! 一万円札に顔が載ってる!」
肉を食わねばならん!」と福沢諭吉の幽霊は英語で、釜を囲む三人に向かって叫び、おそろしく老いた足を踏み鳴らす。先生はもの柔らかに、彼を黙らせようと試みる。だが宍戸錠は逆に歯を剥き出し、こちらも老いたこぶしで威嚇する。いまにもよろよろの空手キックをくり出しそうなしぐさを見せる。
「まあまあ、落着いて!」と私は場を丸く収めようと口をはさむ。
「ビーフ! ラグビー・ワールドカップでロシアを打ち負かすために!」と明治の食事グルがキーキー声を上げる。「ロシアの負け熊のケツをもう一度踏みつける!」
「ちょっと、ちょっと待ってよね」とモスクワ生まれのコジマが歯を剥く。目が剣呑にギラギラ光る。「ロシアがどうこう言うんじゃないよ、爺さん!」
「ああ、どうか、どうか」と先生の助手が困り果てた顔で訴える。
 だがここから先、生け花の部屋のお釜のかたわらで、事態はしばしさらに騒々しく、さらに静謐さから遠ざかってゆく。

つづく
FLOWERS OF OYAJI GYAGU by Barry Yourgrau
Copyright(C)2019 by Barry Yourgrau
波 2019年9月号より

著者紹介

バリー・ユアグローBarry Yourgrau

南アフリカ生まれ。10歳のときアメリカへ移住。シュールな設定ながら、思いつきのおかしさだけで終わるのではなく、妙にリアルで、時に切なく、笑えて、深みのある超短篇で人気を博す。敬愛する作家・アーティストはロアルド・ダール、北野武ほか、また「ヒッチコック劇場」「トワイライトゾーン」などのTV番組にも大きな影響を受けたという。著書に『一人の男が飛行機から飛び降りる』『セックスの哀しみ』『憑かれた旅人』『ケータイ・ストーリーズ』(以上、柴田元幸訳)『ぼくの不思議なダドリーおじさん』(坂野由紀子訳)などがある。

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