オヤジギャグの華

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その13 魔法にかけられて

オヤジギャグの華

「覚えてるかい、去年の春ここに来たこと――日本に着いてすぐだったよね」私はガールフレンドのコジマに言う。私たちは桜の花を見に、上野公園最寄りの地下鉄から出てきたところだ。私は戸惑った笑い声を漏らす。「僕たち一か月で帰る予定だったのに、なぜかもう丸一年経ったんだよね? 東京に呪いをかけられたんだ!」
 コジマは聞いていない。
「ねえ、みんなどこにいるの?」と彼女は言う。「それになんで地下鉄、あんなにいてたの? 何かあったの?」
 私たちは呆然と、前方にずらりと並んだ桜の花を見る……不気味に人がいない。
「中国人観光客、みんなどこ行ったの?」コジマが訊く。「それに地元の人たち、にぎやかなお花見集団は?」
「それに去年見たローラー族は?」私も言う。
 私たちは顔を見合わせる。
 用心と驚嘆の交じった気持ちで、ちょっとヘンゼルとグレーテルみたいに、二人で公園に足を踏み入れる。なんだかまるで、巨人のペストリー・シェフが酔っ払ってケーキのアイシングを手に歩きまわり、目に見えるものすべてに塗りたくり、撒きちらした区域に迷い込んだみたいだ。頭上の空はこの上なく明るい青、天国のごとき春の青空。けれど、その恍惚の情景に、不穏な雰囲気が……人っ子一人いない……
「何か僕らの知らないことが起きてるのかな?」私は小声で言う。「いや、待って、あそこ――お花見やってる!」
 満開の枝の下で、ユニフォームのパンツとTシャツ姿のほっそりした女性が何人かバレーボールをやっていて、中年男性が指導している。ほかにも中年男が数人、そばに敷いた毛布の上でくつろぎ、酒を飲みながら騒々しく見物している。
 花の影にまだらに彩られた陽光のなか、全員がゆらゆら揺れている。
また幽霊」とコジマがうめく。
「見に行こう!」
「嫌よ! あんたは行きたきゃ行きなさいよ、あたしは餃子を探しに行くから!」
 そう言って彼女はすたすたと、屋台を求めて、犬を連れた西郷さんの方へ行く。
 いつもながらの無益なしぐさを、私はその背中に投げつける。
 盛り上がっている人たちの方に私は近づいていく。バレーボール選手たちのTシャツには、レトロな字体でNipponと書いてある。スニーカーは旧石器時代かという古めかしさ。みんな明るい気分で練習しているようだ――サーブ、ダイブ、セットアップ、水が交叉する噴水みたいにアクロバットに跳ぶフェイント、ビシッと決まるスパイク。指導している男は笑い、手を叩く。耳のうしろに桜の花びらが一枚。
 突然私は、これは一九六四年東京オリンピックのチャンピオン・チームだと悟る。かの有名な「東洋の魔女」!
「ヘイ、ヤンキー、バレーボール好きか、俺らのチャンピオン好きか?」毛布から叫び声。私はそっちを見る。声を上げた人物が手を振って私を招き寄せる。片手でがっちりウイスキーの壜を握っている。むき出しの胸に、黒い革ジャンを羽織っている。
 一九六〇年、ヤクザ映画の古典『からっ風野郎』の思いがけない主演男優だったときと同じ格好。
 私の両目がほとんど頭から飛び出す。
三島さん?」私は息を呑む。
「おう。あんた、どっから来た?」
「ニューヨークから」私はどうにか答える。あんぐり口を開けないようにこらえる。彼の肉体は損なわれていないようだ――あの最後のおぞましい姿ではない。
「ニューヨーク!」ヤクザ映画の荒っぽい喋り方そのままに怒鳴る。「俺さ、パーク・アベニューに泊まったんだぜ、すんげえお洒落でさ! あんた、ニューヨークでバレーボールやる?」
「ええ、前は」私の息がひどく荒くなる。「あなた――あなた、『からっ風野郎』で、刑務所でバレーボールやりましたよね!」
「え、あの映画知ってんの!」だらっと相好そうごうが崩れる。
「あなた、素晴らしかったですよ」と私は嘘をつく。台本にないのに彼がやたら共演女優をぴしゃぴしゃ叩いたことは言わない。「あなたの奥さんにも会いましたよ、瑤子さんに!」と私は口走る。「車に乗せてもらいました、すごく運転上手ですよね!」〔※連載第6回参照
「ああ、とにかくあいつ運転好きでさ。いまじゃときどき、ウーバーの運転もやるんだぜ!」
 彼ははははと笑う。座るよう私に合図する。私の肩をぴしゃっと叩く。ウイスキーをぐいと飲み、毛布に座った仲間たちの方を向いて声をかける。一人は洋服を着ていて、もう一人の、見るからに痩せた、もじゃもじゃの山羊ひげの男は小汚い白い着物を着ている。みんな花見気分のほろ酔い加減だ。
 一瞬気が散って、私はバレーボール選手たちに見とれる。それから、夢のなかのような不思議の念に包まれて、私は木々の枝を見回す。どこもびっしり花が咲いて、美しさがはち切れそうで……奇妙にも誰一人見ていない。
みんなどこにいるんですか?」と私は訊く。
「さあね」三島は肩をすくめる。「けどいいじゃねえか! 今年の桜はとりわけ綺麗で、見物人はいねえし、混みあう屋台も出てなくて、花の裸の体だけ。夢みたいに綺麗だぜ!」
 私はうなずく。携帯を取り出し、急いでコジマにショートメールを送る。
「三島と一緒! 屋台ないってさ、戻ってこいよ」

その13 魔法にかけられて

 バレーボールが跳ねてきて私に当たる。私はそれを、のっぽの、ほかの選手たちより少し年上の幽霊に投げ返す。そのたくましい顔を、遅まきながらしげしげと見る。誰だかわかった――かの有名なキャプテン、河西昌枝。私は面喰らって、アクロバットをくり広げる彼女のチームメートたちを見る。
「だって、東洋の魔女って、まだ大半は、ええと……この世に属しているのでは?」と私は三島に訊く。
「ああ。こいつらはね、自分が若かったころの幽霊だよ」と彼は答える。そしてニヤッと笑う。「ひょっとしてあんたが若かったころの幽霊も、どっかそのへんでうろうろしてんじゃねえの」
 私も面白がってニヤッと笑い返そうと努める。内心愕然として、こっそり周りを見る。
 東洋の魔女たちは、かの有名な「回転レシーブ」の練習を始める。花びらが散った草に頭からダイブし、一回転してすくっと起き上がる。見ればコーチも名高き「鬼」こと、狂気のスパルタ方式で知られる大松博文だ。でもちょっと見にはわからなかった――わめきも罵りもしないし、ボールを意地悪く投げつけたりもしないからだ。笑って、手を叩いて、耳に飾った桜の花びらを整える。東洋の魔女たちの楽しげなプレーを陽光が包む。
 スーツを着た三島の花見仲間が、私の方に顔を寄せて、日本語で何かわめく。
「こいつはね、売れっ子作家の水上勉」と三島が言う。「あの娘たち可愛い笑顔だなあ、キュートな白い顔には何のこわばりもないって言ってる!」
 三島は鼻を鳴らし、革ジャンの下の体をぼりぼり掻く。全然賛成していない。
 汚い着物を着た幽霊が、水上の肩に腕を回し、騒々しく怒鳴り、酒瓶を振り回す。
「ハ! こっちは一休宗純、酒と女が大好きときてる」三島がくっくっと笑う。「ソ連バレーのオリンピックチームの華、リスカルを見たいのさ――おっきなおっきな、髪の長い、胸の立派な、刀の刃みたいに飛んでボールをぶっ叩く娘!」
 そう言ってまたウイスキーをガブ飲みする。ぼりぼり体を掻いて、突然、楽しげなバレーボール選手たちを睨む。
「お前ら、まるっきりママさんバレーじゃねえかよ!」と彼は叫ぶ。「おい大松監督、なんだってそんなに優しいんだ――あんた、来世に来たらフヌケになっちまったのか!」
 そう言って三島は、そばに転がってきたボールを掴み、よっこらしょと立ち上がる。悪意を込めて、東洋の魔女の一人にボールをもろにぶつける。
 騒動が持ち上がる。小説家と、僧侶兼詩人がよたよたと起き上がり押さえつけようとする。私も加わる。怒号飛びかう、酒漬けでよたよたの取っ組み合いが生じる。バレーボール選手たちは腰に手を当てて見物している。
 と、大松が笑いながら叫び声を上げ、ふたたび次々ボールを投げ、東洋の魔女たちは草一面で回転レシーブ態勢に入る。みんな意気揚々、何とも楽しげだ。
 突然、三島が暴れるのをやめる。ヒヨーッと奇声を上げて身をふりほどき、酔った身でよたよたと、革ジャン姿で回転レシーブを真似しはじめる。
 そして私たちもそれに倣う。一休和尚まで着物をぱたぱたさせ、落ちた花びらの上を無茶苦茶に回転して素っ頓狂な声を上げる。
 とうとう私はくたびれ果てて、大の字になってハアハア荒く息をする。くらくらする頭で、途方もなく広がるピンクと白の花と、まさしく天のごとき青空を見上げる。『七人の侍』の、花咲き乱れる野に寝転がり、自然の美しさに圧倒されている若造みたいな気分だ。この美しさはほとんどあんまりだ、こんないまにもはち切れそうな、過剰な麗しさは……不気味にも、不可解にも、人はいない……
 魔法にかけられた……
「どこにいる?」コジマにショートメールする。
「中目黒よ、来なさいよ! スゴイのよ。誰もいない」
「だって三島と一緒なんだよ! そこまで一時間かかるし!」
「山手線で30分。電車ガラガラ。来なさいよ!」


「こりゃすごい!」
 私はあんぐり口を開け、目を星にして見入る。
「でしょ」とコジマ。
 目黒川の小さな石壁の水路はいつだって絵になる。だがいま私たちは、手をつないで、繊細に官能的な春の、熱にうかされた夢の国を歩いているみたいなのだ。黄金の日の光が注ぐなか、桜の木の枝が、ゆらめく水の上に広がって絡みあい、一種の天幕を作っている。アニメ・ファンタジーに出てくる花の洞窟。
 そう、まるで、美しく描かれたアニメの一シーンを現実にした只中に迷いこんだみたいなのだ。
でもみんなどこにいるんだ?」と私はそっとくり返す。
「ええ、不気味よね」コジマも同意する。「でもほんとに綺麗……甘ったるい宮崎映画のシーンみたいに」
「僕もそう思ってた!」
 私たちは立ち止まり、花吹雪が周りに降るのを眺める。まるで見えない手が撒いているみたいだ。ずっと上の方から、ケラケラ明るい笑い声が降ってくる。
 小柄なティーンエージャーの女の子が、私たちの頭上をすうっと過ぎていく――箒に乗って! 一匹の黒猫も一緒で、前足を使ってカゴから花びらを投げている。
「あれ、キキだ――」私は口から泡を吹く。「『魔女の宅急便』の子供魔女! どうなってんだ? 僕たちほんとに、宮崎映画に紛れ込んだのか?」
 私はぽかんとコジマを見る。彼女もぽかんと私を見る。
「この桜の季節、魔法にかかってるんだよ」私は彼女に言う。
 この時点で、狂おしい叫び声に私たちは気づく。
 周りを見て、ギョッと身を引く。灰色の着物を着た、ちらちらゆらめく姿が、向こう岸の花の下を千鳥足で進み、箒に乗ってケラケラ笑う女の子に向かって叫んでいる。
「カワイイ!」とその姿はわめき、手を振り回し、こっちへおいでと女の子を招く。「すっごくキュート!」
 誰だかわかった。
「まただ――太宰治の幽霊! きっとジブリ美術館から追っかけてきたにちがいないよ、あそこって太宰が住んでたところの近くだから」
「気をつけないとあの人、川に落ちちゃう」コジマが息を呑む。
「だって溺死したんだから、それって不気味すぎるよ。もう見てられないよ、帰ろう!」
 こうして私たちは、いっぱいに膨らんだ蠱惑的な花の下、不吉に人けのない小径を、速足で地下鉄の方に向かう。太宰の必死の嘆願と、陽気に頭上を飛び回る魔女のクスクス笑いを聞きながら。

つづく
FLOWERS OF OYAJI GYAGU by Barry Yourgrau
Copyright(C)2020 by Barry Yourgrau
波 2020年5月号より

著者紹介

バリー・ユアグローBarry Yourgrau

南アフリカ生まれ。10歳のときアメリカへ移住。シュールな設定ながら、思いつきのおかしさだけで終わるのではなく、妙にリアルで、時に切なく、笑えて、深みのある超短篇で人気を博す。敬愛する作家・アーティストはロアルド・ダール、北野武ほか、また「ヒッチコック劇場」「トワイライトゾーン」などのTV番組にも大きな影響を受けたという。著書に『一人の男が飛行機から飛び降りる』『セックスの哀しみ』『憑かれた旅人』『ケータイ・ストーリーズ』(以上、柴田元幸訳)『ぼくの不思議なダドリーおじさん』(坂野由紀子訳)などがある。

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