ホーム > 本・雑誌・コミックを探す > 雑誌詳細:波 > オヤジギャグの華 >その15 あんこ+『東京オリンピック』リメーク

オヤジギャグの華

目次][English

その15 あんこ+『東京オリンピック』リメーク

オヤジギャグの華

「ああ、いったいいつになったら終わるの?」ガールフレンドのコジマが愚痴る。
 落着かない、脅威の影さす東京の日々はずるずる長引く。私たちが東京タワーの下にあるアパートメントから出るときも、つねに細心の注意を払わねばならない。マスクをして、手袋をして、油断なく。地下鉄や人込みは避ける。泥棒のごとくこっそりと、大急ぎで、コンビニにこそこそ出入りする。散歩をするときも、終始周りを見てソーシャル・ディスタンスを維持する。
 友人たちにも会わず、ほとんどいつもアパートメントにこもって、まるで東京という名の海で難破したみたいに私たちは暮らしている。
 その退屈さ! オリンピックがあったらきっと大きな気晴らしだったろうに、悲劇にも延期となってしまった。そこで私たちはネットで映画やユーチューブの映像を観る。デジタル機器の小人国的シアターで、疲れてしょぼつく目をこすり、市川崑の壮大なワイドスクリーン映画の古典『東京オリンピック』を覗き込む。
 さらに気を紛らわそうと、私たちはアパートメントで日本文化の実演を企てる。小さなメインルームで、コジマは芸者の舞踊――の・ようなもの――を、着物の代わりにバスローブを羽織り頭にふきんを被って試みる。スマホが陰気に鳴らす三味線の響きに合わせて彼女は膝を曲げ、ゆっくり回って、危うくバランスを失いそうになってクスクス笑い、両手をゆっくりはためかせる。優雅に、風を撫でるみたいに。
 私の方は、チャンバラに夢中である。『座頭市』や『三匹の侍』が手本だ。もっと小さなサイドルームで、着物の代わりにバスローブを羽織り箒を振り回し、必殺の一太刀ひとたちをあらゆるアングルから実演する。トイレットペーパーの芯を小さな机の上に立て、大きな鋭い包丁でボール紙の芯をスパッと切る、なんてことまで企てる。まっすぐ斬るのだ、曲がってはならない、首を斬り落とされる者に不要な苦しみをもたらさないために、と私はインターネットで学ぶ。
 私たちはこれを動画に撮って、「何でも自分で作っちゃえ!ファンクラブ」と呼ばれる新しいフェイスブック・グループに投稿するつもりなのだ。人気の高かった動画何本かが、悲劇にも延期となったオリンピックの開会予定だった日に、特別なショーケースから流されるのである。
 ある日の午後、玄関で奇妙な物音が聞こえ、どんどんと鳴る音がして私たちの練習を遮る。
「どなたです?」
 答えなし。
 私たちはバスローブ姿で恐るおそるドアを開ける。
 ぽっちゃりした体つきの、麦わら帽をかぶった丸顔の日本人幼児が立っている。二歳くらいの男の子で、私たちをじっと見上げている。
 私たちは呆然として男の子を見る。男の子はちらちらゆらめく。
「幽霊!」コジマがキーキー声を上げる。
 小さな、ゆらめく子供は目をぎゅっとすぼめ、口を開き――そしてギャアギャア泣き出す。
「やだぁ!」コジマは叫んでさっさと逃げていく。
 私は縮こまって身を引き、目を見開いてこの亡霊に見入る。
 突然、小さなフロアに一台だけのエレベータのドアを通り抜けて、もうひとつのゆらめく姿が現われる。中年に差しかかった、端正な顔立ちの女性の幽霊で、一九五〇年代ふうのタートルネックのセーターにスカート(コジマの「やだぁ!」がまたうしろから聞こえる)。女性はいそいそと子供の許に行き、日本語で呼びかける。
「お騒がせして申し訳ありません」彼女は英語で私に言う。「太郎はあちこちうろつくのが好きなんです!」。その目には活きいきした、悪戯っぽい表情がある。
 小さな子供は依然ギャーギャー泣きわめいている。
「大変恐縮なのですが」女性が言う。「お宅のお手洗い、ちょっとだけお借りできませんでしょうか? ほんとに申し訳ありません!」
 こう頼まれて、駄目とは言えない。
駄目よ!」背後でコジマがささやく。が、すぐさま「あら――なんて可愛い子!」。私の横から回り込んでいき、何か子供に向かってさも嬉しげにペチャクチャ言っている。子供は一瞬目をパチクリさせてコジマを見るが、またすぐ泣き出す。
 というわけで、私たちは二人の幽霊を中に招き入れる。
 トイレの水が流され、客人たちがバスルームから出てくると、私たちはたがいに自己紹介しあう。
「タロウ」コジマが男の子の名前を復唱する。「腐乳料理に使う芋と同じね」
「ええ、健全な同音異義語です」と女性は、よくわかりましたねという顔で反応する。
 彼女の英語の巧みな表現を私たちは褒める。
「東宝で翻訳の仕事をしていたことがあるんです」女性は答える。「私、なっとと申します」
 そして一礼する。
 私はコジマと自分を紹介し、バスローブ姿を詫びる。「いま、動画を作ろうと思って、練習中でして。フェイスブックのグループで――ちょっと待って」私はようやく気がついて口走る。「あなた、和田夏十さんですね、市川崑の奥さんで、仕事の上でもパートナーだった! 驚いたな、僕もちろん『東京オリンピック』大好きですよ、僕たちついさっきも観てたところなんです。それにあの痛ましい、陰惨な傑作『野火』。それと愉快な『黒い十人の女』」
「まあ、ありがとう」彼女は気をよくして言う。「そしてこの子は、私たちの映画『私は二歳』に出てくる赤ちゃんの太郎です。現実の人間としては鈴木博雄で、この子はそのすごく幼いころの幽霊。あなた、東洋の料理に詳しいのね!」――と、これはコジマに。
 ええ、フードライターなんで、とコジマは朗らかに答える。
「じゃあ、こうしましょう」と夏十が言う。何かひらめいたのか、目がキラッと光る。「映画の提案をさせてください、って昔は言ったのよね」
 提案はこうである。太郎をカウチで昼寝させているあいだ、夏十がスマホで、コジマが自家製のどら焼きを作っているところを映像に撮る。それを「何でも自分で作っちゃえ!ファンクラブ」に投稿するのだ。どら焼きの材料がここの小さなキッチンのカウンターに揃っていることを、夏十はすでに目にとめている。
「ええ、どら焼き、作ってみたいと思ってたの!」コジマが叫ぶ。
「結構!」夏十が目を輝かせる。「これは河瀬直美へのオマージュよ。あの人、今度のオリンピック映画を監督することになっているのよ。とてつもないどら焼き屋をめぐる『あん』っていう映画撮ってるわ」
「市川さんもここへおいでになるんですか?」私は口をはさむ。
 来ない、との答え。「うちの旦那はね、『東京オリンピック』の開会式を撮り直してるの。ソーシャル・ディスタンシングに合わせてアップデートしてるのよ。これも『何でも自分で作っちゃえ!ファンクラブ』に出すの。ウォルト・ディズニーとコラボしてるのよ、ディズニーのことは前から尊敬していて」。ここでクックッと、やや苦笑い。「でもねえ、ディズニーさんは『メリー・ポピンズ』のキャラクターを混ぜたいみたいなの! あたしだったらむしろスピルバーグとコラボしたいわね。『E.T.』はこの世で生きて観た最後の一本だったけど、ほんとにいい映画だった! 今日もE.T.を連れてきたかったんだけど、太郎が怖がるだろうから」

その15 あんこ+『東京オリンピック』リメーク

「撮り直し、どこでやってるんですか?」私はわくわくして訊ねる。「僕も見に行けますかね?」
「ええもちろん、すぐそこよ、プリンスホテルの裏手。警備の人にあたしの名前出すといいわ、よろしく言っといてね」
 彼女はよちよち歩きの太郎の手を引いて、昼寝をさせようとカウチに連れていく。
「うーん、ほんとに可愛い」コジマがクークー言う。
 すると太郎が、赤ん坊っぽい、だが何かはっきり言葉になっている音を呟き返す。
 夏十が笑って口を覆う。「映画とまったく同じね――いますごく失礼なこと言ったの」
「いいわねえ!」コジマが嬉しそうに答える。ロシア人は無礼な真似が大好きなのだ。
 マスクをして、バケツ型の帽子のつばを上げてかぶって玄関に向かう私に、夏十がニヤッと笑って「うちの旦那もそっくりの帽子かぶってるわよ!」と呼びかける。
 この祝福の一言とともに、私はプリンスホテルまでほぼずっと走っていく。
 一九六四年には、オリンピック開催を目当てに大きなホテルがいくつか建てられたが、東京プリンスホテルもそのひとつである。裏の駐車場に幽霊の映画セットが出来上がっている。二〇二〇年のセットは、コンピュータ画像用の巨大な青いスクリーンがあり、その前に一九六四年の、ちらちらゆらめく観客たちが集まっているが、みなマスクをして二メートルの間隔を置いて座り、ごく質素なスタンドを満たしている。ほかの見物人たちも地上に用心深く散らばり、マスクをした『メリー・ポピンズ』のキャラクターたちから二メートルの距離を保ち、みんなが選手たちの到着を待っている。貴重なシーンを捉えるべく、無数のスマホカメラが構えに入っている。はるか頭上で大きなオリンピックの旗がはためき、五つの輪は交わるのではなくソーシャルディスタンスを保つようデザインし直されている。
 黄色いテープを渡したバリアに立つ、ゆらめく警備員たちのところに私は駆けていく。二度やってみた末に、英語が話せる人間が見つかる。私は息も切れぎれに、ここへ来て市川さんにお会いするよう和田さんから勧められたんですと説明する。
 警備員は蔑みもあらわに鼻を鳴らす。
「ああ、そうだろうとも」完全に馬鹿にした声。「いいかいあんた、あんたみたいな市川さんのファン、ゴマンといるんだよ、みんな帽子を真似て。さっさとあっちへ下がりな」
「いや、ちょっと待って」私はあわてふためき、あたりを見回す――全員私と同じバケツ型の帽子をかぶった男たちの群れが、目をすぼめてじいっと見ている。「僕はファンじゃないんだ、いやそのファンではあるわけだけど――そうじゃなくてその――」
「さっさと下がりな!」もう一度警備員は言う。
 と、帽子をかぶった、あの黒ぶち眼鏡をかけた市川さんの幽霊っぽい姿が目に入る。一緒にいるのは、ふっくらした体の、口ひげを生やしたウォルト・ディズニーの幽霊。
 私は二人に向かって声を張り上げるが、彼らは激論の真っ最中である。『メリー・ポピンズ』という言葉が何度も聞こえてくる。
おいそこ下がれ!」別の警備員がどなる。と、市川崑もディズニーも口をあんぐり開けて私のうしろをぽかんと見る。
 私の背後から胴間声が上がる。人々は金切り声を上げ、散りぢりに逃げ出す。
 私はさっと向き直る。ちらちらはためく、バケツ型の帽子をかぶり大きなサングラスをかけた年配の日本人男性が、旅行者っぽいローマのトーガに身をくるみ、酔って荒れまくっている様子でよたよた私の方へやって来る――映画セットを目指しているのだ。男は市川崑の名を胴間声で叫び、巨大な、幽霊っぽい、偽の、剣闘士用剣を振りかざす。
「大変だ――黒澤だ!」私は唾を飛ばして口走る。「きっといまだに怒ってるんだな、『東京オリンピック』監督の話が自分から奪われて市川に行ったことを。あのトーガと物騒な剣はきっと、一九六〇年のローマ・オリンピックを視察に行ったときの土産の品だ」
 私はあたりを狂おしく見回し、地面に転がっていたモップを掴む。剣呑けんのんに荒れ狂う偉大な監督に立ち向かうべく、緊急用武士の刀という趣で振りかざしたところで、黒澤が剣道を熱心に学んでいたことを私は思い出す。
 だがもう後には引けない!
「心配要りません市川さんディズニーさん、僕がお護りします!」首から上だけうしろに回して私は上ずった声を上げる。
「いったい何やってるんですか、阿呆な外人さん!」背後で人々の声が上がる。
 雨がざあざあ降ってくる。黒澤と私はたがいの周りをぐるぐる回る。私はそのあわただしさのなか、あなたの映画は素晴らしいと思いますと言いかけるが、黒澤は突如金切り声を発して私に襲いかかってくる。たがいに切りつけ、叩きつけあうなか、私はつい習慣から馬鹿みたいにソーシャルディスタンスを維持しようと努める。黒澤の幽霊っぽい剣闘士用剣が私の体をスパッと斬って通り抜け、私のモップも彼の幽霊っぽいトーガとその下でぱたぱたはためくシミだらけのサントリーウイスキーのTシャツにもろに切りつけて向こう側へ抜ける。まる一分ばかり、ひどく疲れる一騎打ちがあたふた続いた末に、警備員たちの一隊がようやく勇気を奮い起こし、ゼイゼイ喘ぐ老いかけた映画監督の武器を奪い取る。彼らはさんざん詫び、ぺこぺこお辞儀しながら、ブツブツ文句を言い壮麗に悪態をついている黒澤を雨のなかに放り出す。私も私で、マスクのなかから、詫びの言葉と、大きな賛嘆の念を、次第に小さくなっていくよたよた揺れる背中に向かって叫ぶ。と、警備員が私からモップをもぎ取り、あんたも失せろと命じる。
 びしょびしょに濡れた姿で、私はアパートメントに戻る。部屋にはコジマ一人しかいない。糖菓が焦げた匂いがする。小さなキッチンはメチャクチャな有様だ。
「散々だったわよ!」私がタオルで体を拭き終えるとコジマは陽気に語る。「あの子が起きちゃって、自分も料理の仲間に入るってギャアギャア泣くから、仕方なく入れてやったの。そしたらあんの入った鉢はひっくり返すわ、またウンチしたいって言い出すわで、結局一からやり直すしかなくて、けどあたしも何かと落着かなくて何度もフライパン熱しすぎちゃって、何もかも焦げちゃったの。でも夏十は動画の出来をすごく喜んでたわ、これならぜったい票が集まってオリンピック開会日のショーケースに入れるって。それに河瀬直美もきっと感動してくれるって。で、太郎を連れてうちへ帰ったわよ、どこがうちだか知らないけどさ」
「でさ、僕の身に何があったか、聞いてもぜったい信じないだろうよ!」私は切り出す。「うーん、まあでも美味しそうな匂いじゃない」と私は礼儀正しく呟きながら、試食に出された黒焦げのどら焼きを何とか呑み込もうとあがく。
 あいにく、河瀬直美に敬意を表した夏十の動画は人目に触れずに終わる。『私は二歳』の権利を持っている映画会社から、駄々をこねる太郎の映像を使う許可が下りなかったのである。そして市川=ディズニーによる『東京オリンピック』開会式の撮り直しも、二人の当事者のあいだの「芸術上の相違」ゆえに予想外の打ち切りとなった。
 私のチャンバラ動画は十分な票が得られず、ショーケースには行きつかない。コジマの芸者動画はもう少し票が集まるが、やはりショーケースにはたどり着かない。
 では、もっとも票を集めて、「何でも自分で作っちゃえ!ファンクラブ」のオープニングデー・イベントの目玉となるのは何の動画か?
 私は仰天した顔でコジマを見る。「それがさ、床屋ってすごく愉快で陽気な連中なんですよ、みたいなしょうもない動画なんだ!」

つづく
FLOWERS OF OYAJI GYAGU by Barry Yourgrau
Copyright(C)2020 by Barry Yourgrau
波 2020年7月号より

著者紹介

バリー・ユアグローBarry Yourgrau

南アフリカ生まれ。10歳のときアメリカへ移住。シュールな設定ながら、思いつきのおかしさだけで終わるのではなく、妙にリアルで、時に切なく、笑えて、深みのある超短篇で人気を博す。敬愛する作家・アーティストはロアルド・ダール、北野武ほか、また「ヒッチコック劇場」「トワイライトゾーン」などのTV番組にも大きな影響を受けたという。著書に『一人の男が飛行機から飛び降りる』『セックスの哀しみ』『憑かれた旅人』『ケータイ・ストーリーズ』(以上、柴田元幸訳)『ぼくの不思議なダドリーおじさん』(坂野由紀子訳)などがある。

Barry Yourgrau (外部リンク)