立ち読み:新潮 2021年11月号

第53回新潮新人賞 受賞者インタビュー
内なる北海道的なものへ/久栖博季

――受賞作「彫刻の感想」は、現代の北海道に暮らす女性・杏子きょうこを主人公として、三世代(主人公の曾祖母も含めれば四世代)におよぶ一族の物語を多元的な視点で描いた野心的な作品です。本作の構想はどのように得られたのですか?

 きっかけは、実家の仏間に飾られていた遺影でした。曾祖父母、祖父母の四人の写真があるのですが、その中で実際に面識のあるのは祖父ただひとり。残りの人々は、私が生れる前に亡くなっていました。
 それで、祖母の遺影が若くて、彼女の享年にそろそろ自分が追いつきそうなことを意識した時に、ふと、祖母の写真が父の若い頃にも、今の自分の顔にも似ているように思えてきて、それはどういうことなのだろうかと思いました。ですから、「似ている/似ていない」という感情から、この作品は始まったように思います。そこから書き進めるうちに、熊の木彫りと子熊の「似ている/似ていない」や人間と動物の境界を越えて一方が他方に似てきてしまったり、小説の言葉だからこそできる「越境」みたいなものが始まりました。

――主人公が血縁以上のつながりを感じる祖母のフイは少数民族(北方民族)ウィルタ族の子供「ナプカ」として樺太で生まれ育ちますが、第二次世界大戦でのソ連軍侵攻により北海道への脱出を余儀なくされます。

 当初は、北海道や少数民族などはテーマでも背景でもありませんでした。私の場合、これをテーマにしよう、これを書こうとはじめから決めておいて書けたためしがありません。風景や登場人物の手に触れるものをひとつずつ書いていって、それで今回指先に触れたのが北方少数民族のウィルタでした。
 私の曾祖父の明確ではない来歴に樺太の「敷香」という地名が出てくるのですが、それを知ったとき、「似ている/似ていない」と「北方少数民族」を物語としてつなげていくことの可能性を探り始めました。
 北海道の人は、あまり北海道を見ていないなという気がしていました。北海道の中に自分たちの「中心」が無いような、「中心」はいつも「内地」(本州のことをこう呼ぶことがあります。あまり良い言葉ではないですね、歴史史料にもたまに出てくるように思いますが、北海道は和人にとって「外地」なのだというニュアンスが感じられます)にあって、ここには何もないという感覚とともに私は生きてきたように思います。私はおそらくは明治期に北海道へ入植した和人の子孫でしょう。そのためこの何もないという感覚は、末裔としての移民感覚とも境界感覚とも言えそうだと感じます。
 でも本当は何もない、なんてことはあり得ない。道民が黙殺している北海道というものがあるのでは? と考えると自然に北方少数民族の問題に行き当たりました。今はもう少し語られるようになっていると思いたいのですが、私が子供の頃は学校の授業でも日常会話でもほとんどアイヌ民族の話は出てこなくて(当然ウィルタも出てきません)、「かつて北海道にはアイヌ民族という独自の文化を持った人々がいた」とか「シャクシャインという人物が、和人による不当な搾取に対して蜂起した」とか、歴史的事実としては学校で習うけれど、それはあくまで教科書内に押し込められているばかりでした。日常生活まで浸透してきません。それが黙殺に繋がっているのではないかとも考えます。そして多くの存在をなかったことにしようとしている。
 北方少数民族に対してだけではなく、もしかしたら寒くて寂しい、こんな過酷な土地に来てしまったことを悔やんだ開拓者の強烈な負の感情、怨念みたいなものもあったかもしれないけれど、これもなかったことにされようとしています。明るい観光地「北海道」のために黙ってしまうことがある。
 北方少数民族の問題で「和人の加害性」を考える時に、私の脳裡には先祖の遺影がよぎります。本当のところはどうであったのか、今となってはわからなくなってしまっていますが、子孫としては彼らが他者の文化を故意に破壊したと想像するのは苦しいことです。彼らだって慣れない土地で、少しでも自分たちの暮らしを良くしようと真摯に生きたはず。だからこそ今の私まで命がつながっています。
 彼らがアイヌ民族をはじめ北方少数民族の存在を消そうとして生きていたわけではないでしょう。そう信じたいです。だけれど結果として、彼らの生活は他者の文化を破壊することになってしまいました。そのことは事実としてあります。そういうことを、みんな黙ってしまったから(語りたがらなかったから)、多くの存在が(問題もふくめて)あたかもはじめからなかったかのようになってしまっている。多くのことがなかったことになり、多くのひとがいなかったことになるなんて、このままではまるで北海道は「広大な墓地」のようです。
「和人」と「北方少数民族」。こう二項対立でとらえられることが多いのですが、私は書くことを通して、そこから一歩進んでみたいと思っています。もちろん歴史的なことを忘れないというのを前提に、もっと他方へ近づいてみたいのです。そういう願望から、書いていくうちに杏子の祖母フイがウィルタ族の少女「ナプカ」へとなっていったのかもしれません。
 ル・クレジオは『悪魔祓い』という著書の冒頭でこう書いています。
「どうしてそんなことがあり得たのかよくわからないのだが、とにかくそういう具合なのだ。つまりわたしはインディオなのである。」(高山鉄男訳)
 この本で著者はインディオの世界認識のあり方とヨーロッパ文明のあり方を対立させ、現代文明批判を書きました。私がやりたいのは対立でも批判でもなくて、「どうしてそんなことがあり得たのかよくわからないのだが」私は何者かになっているのである、ということです。自分が持つ「移民感覚」や「境界感覚」からはじめて、沈黙によって消されてしまった存在に入り込むように語ることができればいいなと思います。
 作品末尾にも参考文献としてあげさせていただいた『ゲンダーヌ ある北方少数民族のドラマ』の著者ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ氏、田中了氏に敬意を表します。ウィルタ族としてその文化を守ろうとしたゲンダーヌ氏と、他者の文化を正しく理解しようと膨大な史資料にあたり、そして何よりゲンダーヌ氏に寄り添って本書を書き上げた田中了氏。お二人の仕事が、今日まで残っているのはとてもありがたいことです。ともすると、なかったことにされそうになる多くの事実や思いがこの本にはしっかり残されていると思います。

――久栖さんの文学的な来歴を教えてください。

 子供の頃から本を読むことが好きでした。ねだれば、本だけは買ってもらえたというのと、ひとりっ子なので本を読んだり楽器の練習をしたりすることくらいしか、遊びらしい遊びがなかったように思います。絵を描くことが苦手で、罫線の無い真っ白な自由帳にさえ文字を書きつけていました。文字を覚える前には記号めいたものを丁寧に並べて書いていたと親にきいたことがあります。そんな子供だったので、小学校低学年の時から小説もどき、本もどきを作っては喜んでいました。
 子供の頃はさくらももこさんのエッセイや江國香織さんの小説が好きでした。大学時代は専門の都合上、歴史の本ばかりになっていましたが、卒業してからは絲山秋子さんの本を読み漁ったり、文芸誌というものを知ってからは本当にたくさんの現代小説を知りました。翻訳小説ではラテンアメリカ文学に傾倒した時期があります。自分が小説を書くにあたり心の支えにしてきたものはバルガス=リョサの『若い小説家に宛てた手紙』という本です。一番好きなのはル・クレジオの『黄金探索者』で、著者の書く「モーリシャスもの」が大好きです。

――今後の創作への思いをお話しください。

 書き言葉は私を自由にしてくれる、私を広いところへ連れて行ってくれます。特にコロナ禍の自粛によってどんどん狭められていく日常から私を救ってくれるのはいつも小説の言葉でした。これからも書いてみたいことをどんどん具体的に書いていって、無意識に黙殺しようとしてきた、自分自身の中にある北海道的なものに辿りつきたい。いなくなってしまった大切なひとに、書くことで出会っていきたいです。地元にはあまり良い思い出がなくて、考えているうちに嫌になってくることもあるのですが、そういう屈折した感情も含めて私の内にある北海道を掘り下げていったら何がでてくるだろう、とたのしみに思うこともあります。

[→第53回新潮新人賞受賞作 彫刻の感想/久栖博季]