立ち読み:新潮 2023年9月号

テロと戦時下の2022-2023日記リレー/上田岳弘 小説家

 二〇二二年七月一日(金)
 舞台「2020」の稽古場での最終通し稽古。3年前、原作・原案として作品を提供した舞台「私の恋人」と同じ稽古場に向かう。もう何回も来ているので、勝手知ったるなんとやらで、駐車場の指定の場所に止めて、稽古場の門をくぐり、アルコールで手指消毒、体温を測って、スリッパを履き、それを履いたまま消毒液が浸されたマットを踏んで、稽古場に入る。ぎりぎりまで改稿を重ねた戯曲が仕上がったのは6月半ばのことで、稽古入りして10日間ほどは、協議の上内容の詰めをしていたことになる。昨年は新型コロナの影響で多くの舞台が途中で止まることが多く、演出の白井晃さんも、出演の高橋一生さんも、少なからず負荷が加わりつづけていたように見受けられた。一人芝居にすることに決まったのは、チャレンジと、新型コロナの影響リスクを最小化できるというのも念頭にあった。それから一人芝居なら内容もぎりぎりまで追い込めるだろう、という思惑も。実際、白井さん、一生さん、振り付け・ダンサーとして参加の橋本ロマンスさんと協議してぎりぎりまで内容を詰めることになった。
 14時、2019年に初演された右記の舞台「私の恋人」の再演版、「私の恋人beyond」を観るために本多劇場に移動。「再演版はbeyondをつけようと思うの」と作・演出の渡辺えりさんから電話がかかってきたのも昨年のことで、ワクチン接種がはじまって疫病禍は終息に向かうだろうと思われていた頃だった。しかし、変異を続けるウイルスはまだ終息していない。それどころか感染者数が増え始めている。初演版からアレンジされた、冒頭のえりさんと小日向文世さんのやり取りが楽しい。のんさんのお芝居が素人目から見ても初演よりも明らかに堂に入ったものになっていた。無事幕が開いたことがめでたい。完走を願う。
 夜、Web新小説に戦争についてのエッセイをメールで送稿。戦争について近頃考えていたことをまとめた。

 七月二日(土)
「すばる」連載中の「最愛の」のゲラの確認。既に第12回、ということはまる1年になる。早いものだ。ゲラを確認する作業は、昔はあまり好きではなかったけれど、だんだん好きになってきている。舞台「2020」の製作スタッフから、白井さん、一生さんと僕とでパンフレットにサインをして、それを抽選プレゼントにしたいという連絡があって、了承の旨メールする。7月6日の記者会見&ゲネプロの前後でお願いしたいとのこと。

 七月三日(日)
 個人事業でやっている、企業コンサルティングのための資料作りをしながら、朝からビールを飲む。

 七月四日(月)
 メインで所属している会社に出社し、諸々仕事。サイボウズの稟議書の確認ボタンをぽちぽち押す。見積もりや、請求書など急ぎのものについては、リモートで確認していて、特に気をはって確認するほどのものはない。それはメールも同じで、後回しにしていたものに対応していく。

 七月五日(火)
 夕方までぼやぼやして、16時に顧問先企業に訪問。僕が思う課題点と、それについてやるべきアクションを社長に提示し、意見をうかがう。右記アクションをするとして、社内の誰と相談すればいいかなどヒアリング。その後、浅草にて会食。

 七月六日(水)
 舞台「2020」の記者会見&ゲネプロのため、渋谷パルコ劇場に向かう。地下鉄銀座線の地上駅から、渋谷駅の立体感を存分に味わいながらアップダウンしながら、スクランブル交差点をこえて歩く。渋谷パルコの8階につくと、スタッフの方に連絡をして、バックヤードへと案内される。白井さんに挨拶。プレゼント用のパンフレットにサインをする。スタッフに「上田さんの分のお弁当もご用意していますんで」、と言われて指さす方を見ると、弁当が三種類あった。多分有名な仕出し屋のものなんだろう。ありがたく頂戴し、それを食していると、一生さんが笑いながら通り過ぎていった。そうこうする内に、記者会見の時間。実際に「ぎりぎりまで追い込ん」で、からくも間に合った舞台。スタッフも白井さんも一生さんも極限状態のはずだが、さすがに場慣れていらっしゃる。戯曲は三万字を超える内容で、ほぼ台詞、一人芝居ということは、それを丸々一生さんが言うわけで、書く分には書いたものの果たして覚えられるのかは疑問だった。小道具としてiPadを出したのは、場合によっては一部読み上げにできるようにと配慮したつもりだった。
 ゲネプロが始まり、客席で観る。舞台装置を含めた完全版を観るのは初だった。よくまあ、映像も道具も間に合ったものだ。頭が下がる。終演後、とてもいい、と感じたが、それがひいき目かどうかはわからない。

 七月七日(木)
 舞台「2020」初日。であると同時に、戯曲「2020」が掲載された「新潮」8月号の発売日。成り行きとはいえ、まさか戯曲を発表することになるとは思わなかった。一人芝居でいくと決まって、上田作品のオンパレードでということになって、拙作『太陽・惑星』、『私の恋人』、『異郷の友人』、『塔と重力』、『ニムロッド』、『キュー』、『引力の欠落』のエッセンスをふんだんに入れ込んだ。特に『太陽・惑星』、『キュー』、『引力の欠落』の色が強い。太陽を使った錬金術、人々を一塊へと誘う最高製品、穴とゴリラ、遠方担当、最後の人間であるGenius lul-lul、それらを注ぎ込んだテキストをたたき台として、何度も何度も協議を重ね、誰も逃げることも怒り出すこともなく、多くの手間とおそらくは相当な金額を使って用意された舞台の幕が開こうとしている。劇場ロビーには見知った関係者の顔がちらほら。口々に「開幕おめでとうございます」と言いあっている。なるほど、それが決まり文句らしい。僕も真似をすることにする。
「2020」は2020年にはじまった疫病禍で口をふさがれた人々が、活動量を減らしていき、やがては一塊りの肉の海と化してしまう顛末を、生まれ変わりを繰り返す男が語るという内容だ。僕の作品を読んだことがある方にとっては、おなじみのモチーフ。一人芝居で、新たに書き下ろしでいく、となったときその場で頭に浮かんだタイトルだった。
 2020年、その数字の並びがなぜか僕には昔から気にかかってしょうがなかった。1999年にも通じる不穏な印象。何かが起こる気がしていた、僕にとってのマジックナンバー。デビューした当時、取材なんかでは、「文学は予言の役割もある」という趣旨のことをよく言っていたものだけど、後に、違和感を覚えだして「外すための予言」と言い換えた。「2020」の中にもそのフレーズを入れているが、この作品自体が、僕にとってはそうなのかもしれない。

――2020年、塩基配列で言えばたかだか8000字のあのウイルスで、人々の繋がりが遮断されたあの日以来。僕ら一人一人が、自分以外の巨大な世界、ひとかたまりになった他者と対峙する他なくなった。そのまま時の趨勢は変わらず、君たちは実態としても一塊になってしまった。

 舞台の上で、何度も生まれなおしている最後の人間、Genius lul-lulであるところの高橋一生が言う。
 とてもいい舞台だ、と僕は思ったが、ひいき目かどうかはやっぱりわからない。

(続きは本誌でお楽しみください。)