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明るい夜に出かけて

佐藤多佳子/著

825円(税込)

発売日:2019/04/26

  • 文庫
  • 電子書籍あり

夜に彷徨う若者の孤独と繋がりを描く、青春小説の傑作! 山本周五郎賞受賞作。

富山(とみやま)は、ある事件がもとで心を閉ざし、大学を休学して海の側の街でコンビニバイトをしながら一人暮らしを始めた。バイトリーダーでネットの「歌い手」の鹿沢(かざわ)、同じラジオ好きの風変りな少女佐古田(さこだ)、ワケありの旧友永川(ながかわ)と交流するうちに、色を失った世界が蘇っていく。実在の深夜ラジオ番組を織り込み、夜の中で彷徨う若者たちの孤独と繋がりを暖かく描いた青春小説の傑作。山本周五郎賞受賞作。

  • 受賞
    第30回 山本周五郎賞
  • 舞台化
    オールナイトニッポン55周年記念公演 舞台「明るい夜に出かけて」(2023年3月公演)
目次
第一章 青くない海を見てる
第二章 ミス・サイコ
第三章 二つの名前
第四章 ただの落書きなのに
第五章 エンド・オブ・ザ・ワールド
あとがき
文庫版あとがき
解説 朝井リョウ

書誌情報

読み仮名 アカルイヨルニデカケテ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 丹地陽子/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 416ページ
ISBN 978-4-10-123736-7
C-CODE 0193
整理番号 さ-42-6
ジャンル 文学・評論
定価 825円
電子書籍 価格 737円
電子書籍 配信開始日 2019/10/18

書評

もう一つの「明るい夜」

佐藤多佳子

 先日、ニッポン放送に招かれてお邪魔をした。ラジオ好きにはあこがれのイマジンスタジオ。局内にある録音、イベントなど様々に活用する多目的スタジオで、オノ・ヨーコのサイン・プレートがある。
 録音機材のあるスタッフ用のスペースに入ると、ガラスの仕切りの向こうでは、もう演技が始まっていた。覚えのある台詞が覚えのある声で再現されてドギマギする。そのシーンの収録が終わり、小泉今日子さんにご挨拶する。小泉さんが昨年オールナイトニッポンの一夜パーソナリティを務めた時に、『明るい夜に出かけて』を詳しくご紹介いただき、本当に嬉しかった。ナマで見るキョンキョンの笑顔は、まぶしいほど輝いていた。
 そう、その夜は、ラジオドラマの収録だったのだ。『明るい夜に出かけて』が、オールナイトニッポン五十周年記念特別ラジオドラマとして放送されることになった。出演の四人は、ラジオに縁の深いキャスティングだ。主人公富山には、オールナイトニッポン月曜パーソナリティの俳優、菅田将暉さん。そして、鹿沢役は、同じく金曜パーソナリティの三代目J Soul Brothersパフォマーで俳優としても活躍する山下健二郎さん。佐古田役は、ニッポン放送で毎週金曜にレギュラー番組を担当している、女優の上白石萌音さん。永川役は、インターネットラジオを中心に様々なパーソナリティをこなす、声優の花江夏樹さん。放送時にキャストの姿が見られないことがもったいないような豪華なメンバーだが、深夜ラジオをモチーフとして、実在のニッポン放送の番組の内容をたくさん取りこんだ作品のドラマ化に、これほど嬉しい媒体はない。二百八十ページの小説を五十分のドラマに凝縮するのは大変だったと思うが、北阪昌人さんの脚本は本当に素晴らしかった。

 作品をラジオドラマにしていただいた経験はあるが、収録を見るのは初めてだった。
 百五十人が着席できるホールの広さの中で、四脚のパイプ椅子と、それぞれの録音用のスタンドマイクが手前にぽつんと小さく見える。まずは、菅田さん、山下さんのかっこよさ、上白石さん、花江さんのキュートさに、目を奪われつつ、リハーサルの演技を見聞きした。
 パーソナリティの時は、大阪弁を交えつつ、語りのユニークな菅田さんが、心身症のネガティブ男、富山としてぼそぼそと話す。やはり番組ではポップな持ち味の山下さんが、「お兄さん」な感じの鹿沢を渋く華やかに演じる。上白石さんはサイコ娘の佐古田として思い切りよくはじけ、花江さんはクソメン永川を明るいオタクとして盛り上げ、お二人の声優キャリアの底力を感じさせた。

 ラジオドラマの特徴でもあるが、主人公のMC――独白が多い。原作は一人称で、二十歳の富山が会話以外のすべてのシーンを語っていく。その富山の語りを、若者の中の若者というふうな菅田さんの声で聞くのは、しびれるような喜びがあった。言葉の微妙なニュアンスが、ナチュラルに耳や脳内に沁みてくる。自分の書いた台詞や文章が音のみで表現されるラジオドラマは、実は、聴くと、かなり恥ずかしいものなのだ。嬉しさと同じくらい、照れくさくて頭を抱える。それが、今回は、どのシーンも、嬉しさだけで受けとることができた。演者を目の前で観ていたせいもあるだろうか。
 本当に熱演だった。菅田さんは、このまま映像として見ていただきたいくらい、表情や身振りまでリアルで繊細な演技だった。山下さんは、クールなのにホットという鹿沢の雰囲気を絶妙に表現していた。上白石さんは、生き生きとしたかわいい、アウトな女子高生そのもので、花江さんは、永川のしょうもない感じをしっかり表現しながら「すげえいいヤツ」だった(全員、すごくモテそう)。
 四人が終始一緒に世界を作っていく収録風景は、単発のラジオドラマ特有の舞台裏であり、あまり言及するものではないかもしれない。それでも、原作者として、それぞれの登場人物がそろって、そこにいてくれるような、暖かい不思議な感動があった。綴じていないコピー用紙の台本を、演者が読み終わるごとに1枚ずつ落としていき、マイク周辺の床が白くなっていく眺めが、とても美しかった。
 キャストの方に作品を面白いと誉めていただけたことも本当に嬉しく、また色々頑張りたいと力が湧いていた。

(さとう・たかこ 小説家)
*佐藤多佳子原作『明るい夜に出かけて』のラジオドラマは、
2018年4月16日25時よりオールナイトニッポン内でオンエア。
波 2018年4月号より
ラジオドラマ収録時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

作家生活三十周年記念対談
「原点」そして「これから」

佐藤多佳子上橋菜穂子

ファンタジーと青春小説、それぞれのジャンルを代表する作家であるお二人。デビュー作『精霊の木』、山本周五郎賞受賞作『明るい夜に出かけて』が文庫となる機会に、なぜ、「物語」を書き続けるのか――深く語り合っていただきました。

佐藤 お互いに作家活動を始めて三十年になったわけですが、上橋さんのデビュー作『精霊の木』が文庫になりましたね。読み返したとき、どうでした?
上橋 裸足で逃げたかったです!(笑)十五年前に一度復刊したときにも読んだけれど、三十年経って読み返すと、ああ、この頃の自分は若かったんだな、と、つくづく思いました。
佐藤 でも、それは仕方ないよね。
上橋 まあ、若いからこそ、というところもあるのですけどね。でも、佐藤さんのデビュー作の『サマータイム』は、もう完成してると思うけど。
佐藤 何ていうんだろう、自分と作品との距離の近さが違う。今は技術面で進化したけれど、自分との距離があそこまで生々しくならない。
上橋 私は、もしかしたら逆さまかもしれない。『精霊の木』とか『月の森に、カミよ眠れ』の頃のほうが、真面目に距離を取ってたかも。
佐藤 あっ、そうなのか。
上橋 人に伝える何かがなければという気持ちがあったのかもしれない。それがなければ書いてはいけないのでは、という青臭い義務感みたいなものが透けて見えて、今読み返すとめちゃくちゃ恥ずかしい。
佐藤 自分でそれだけ変化は感じる?
上橋 やはり、フィールドワークを長年やったことで物の観方が大きく変わったんでしょうね。既成の概念を客観的に見られるようになって、そこから解放されていった。だから、物語に関しては、「ねばならぬ」に縛られなくなった。『精霊の守り人』からは物語に没入することを何より大切にするようになったし。でも、佐藤さんの作品も没入感は同じだと思うけれど。
佐藤 うーん、どうだろう。『サマータイム』は特別なんだけど。
上橋 今回文庫になる『明るい夜に出かけて』を読んだとき、佐藤さんのメールに近いしゃべり方だな、と思ったの。世代をちゃんと呼吸してるよね。そうでなければ現代の若者をああいうふうには書けないと思う。
佐藤 それはよく言われるけれど、自分ではあまりわからない。日常使う言葉とかメールが、微妙に年不相応だからね。
上橋 実は、佐藤さんがどうやって作品を生みだすのか、私はわからなくて(笑)。これをこうして、こうなるというのがわかる作品は結構あるんだけど、佐藤さんがどうやって書き始めるのかがわからない。プロットは立てる?
佐藤 最低限。確かに、私の小説って、エピソードの積み重ねで読んでもらうものが多いから。書いていかなければわからない世界で、置いていくエピソードが次のエピソードを生んでいくわけで。
上橋 あ、そうなのか! ならわかる! 私も、プロットは立てずにひとつのエピソードが生まれて、そこから次が自然に出て来るという形で書いているから。でも、大体ラストが見えてないと雑誌に出すのは、怖くない?
佐藤 そんなの見えたこと一回もないし。
上橋 それで雑誌に書けるのがすごいなあ(笑)。『明るい夜に出かけて』の、富山も鹿沢も佐古田も、一人一人がそれぞれやっていることが、次に出てくるエピソードを生んでいる。だから、あの作品は、プロットは作っていないだろうな、と感じてはいたの。
佐藤 『黄色い目の魚』も、先を考えないで書いてましたね。登場人物の中に入って、その子がやりそうなことを一生懸命追っかけていった話だった。
上橋 でも、だからこそ、自然に物語が生まれてくるんですよね。
佐藤 本当に、登場人物任せです。思いがけず、こことここがうまくくっついたなってこともあったり。
上橋 私も、例えば『鹿の王 水底の橋』(KADOKAWA)は登場人物のミラルの行動のお陰で、私にとっては世に出せる物語が生まれたし、「守り人」シリーズはバルサたちのお陰で生まれていった。
佐藤 そのくらい入り込んで書かないと、本当の意味で人物は生きないよね。
上橋 作者がその人物に何かをさせるために書いたらおしまいだと思う。だから、彼らが動いていくのを本気で追っかけていくしかない。
佐藤 それだけ自分が入り込める人物を作るというのが大前提だから。
上橋 そう、それだけの人たちでないと、その世界を支えてはくれないよね。

はじめの一歩

上橋 佐藤さんのデビューのきっかけは、投稿でしたよね。
佐藤 大学を卒業してから就職をせず、その後一年は会社勤めをしたけれど、学者にも会社員にもなれず、自分の人生はどうなるのだろうと思っていた時期があったんです。でも、作家になりたい気持ちは小学校からずっと持っていて、その頃から習作は続けていました。
上橋 あ、似ているなぁ。書いていると幸せでしたよね。
佐藤 私は大学のときに児童文学サークルに入って、神宮輝夫先生が顧問をされていて……。
上橋 ありゃまあ、なんて贅沢な。
佐藤 作品を講評していただく機会があったのだけれど、神宮先生は厳しかったので、全く誉めてもらえなかった。自作の世界観の狭さを思い知ったし、表現の具体性の必要をとことん教えていただきました。その時点で自分の現在地がすごくよくわかりましたね。
上橋 すごく幸せな話ですね、それ。
佐藤 幸せだったと思う。二十歳ぐらいで、自分はこのままではどうにもならないということがわかり、一旦転機を迎えたんです。それまでは児童文学オタクで、子どもの本が好きだから、追い続けていけばいいと思ってたのが、このままでは先に道はないと気づいてしまい、飢えたように、映画でも本でも舞台でも様々なものを自分の中に入れていきました。そこで、ジャンルへの拘りがなくなりましたね。ただ、自分の書いているものがプロには全然届かないとわかってたから、作家になりたいという人生の目標は掲げられなかった。
上橋 私もなかなか人には言えなかった。言ってはいけない気がしていた。
佐藤 でも、書くことはライフワークであることに変わりなくて、運がよければプロになれるかなと思い、会社を辞めたときに、もう一回チャレンジしようと決めて、一年間引き籠もって七作仕上げて。
上橋 すごいねえ。佐藤さんはいつも頭の中に何作もあるものね。
佐藤 「公募ガイド」を見て、子どもの本から小説から、あちこちに送ったわけです。幸運にも絵本雑誌「MOE」が『サマータイム』を選んでくれました。一年のチャレンジでデビューできたのは、ある意味ラッキーでしたね。
上橋 やっぱり私たち似てるねぇ。
佐藤 今度は、上橋さんの話を聞かせて。
上橋 佐藤さんも就職したけれど、という話があったけど、私は大学院で、みんなが社会人になっていくなか、自分が夢見ているような物語は、どれほど書いても、書ける気がしないでいたのです。
佐藤 こういうものを書きたいというところまで届いてない……?
上橋 遥か彼方にあるもので、届かない気がしていて。私には作家の修業をする環境はないから、幻想を抱きそうになる自分を自らで壊そうとしていました。
佐藤 誰かに読んでもらったりした?
上橋 親友と弟には読んでもらったけど、自分を壊すためには「日本にいちゃだめだ」という結論に辿り着いたの。優しい家族や友達にも恵まれたこの環境に甘えていたら、百年かかっても目指す場所には辿り着けないと思って。
佐藤 それは物を書く人間として目指す場所、ということね。
上橋 そう。物語は、自分以上にはなりえないでしょう。夢見ているような物語を書ける人間になるために、私は自分に壮大なダメ出しをしたわけです。それで、博士課程を受けたんです。実は修士の頃に、「公募ガイド」を調べたけれど、どれも応募規定枚数はすごく少なくて、私が書く千枚の長編を応募することはできないことがわかっていたから。
佐藤 そうなんだよね。多くて三百枚だった。そこに収まらなかったのね。
上橋 私が一番短く書けたのが五百四十枚で、それが『精霊の木』だったんです。
佐藤 要するに、持ち込みするしかなかったわけね。
上橋 偕成社に持ち込んだんだけれど、電話を受けた相原さんという編集者が、「はいはい。いつでも、僕はちゃんと誠実に読みますよ。だけど、そういうのが毎日毎日送られてきてるから、僕は今その段ボール箱につまずいて歩いてるので、半年は待ってね」と言われて。
佐藤 えぇー。
上橋 半年待っても全然返事が来なくて。そうすると、編集者が読んで箸にも棒にも掛からなかったんだなと、もう諦めるべきことなんだろうと思って、博士課程の受験をしました。そして、一年間、聴講しながらアルバイトしていたときに、相原さんからハガキが届き、「それにしても才能を感じます。一度会ってみましょう」と言われて、デビューに至ったというわけです。
佐藤 時間は掛かったけど、しっかり読んでもらったのね。
上橋 でも、相原さんからダメ出しがありました。まずは「長い」。四百枚まで削るように言われ、次は、句読点の打ち方について。私は枚数を減らすために、ぶら下がりにしたりしたんだけど、真っ黒な紙面になっていて、「人は文章を読むとき、息継ぎのリズムで読んでるのに、これでは息ができなくなる」と。
佐藤 そうか、添削していただいたのね。
上橋 いや、添削じゃなくてダメ出し(笑)。修正は自分でやって、いい勉強になりましたよ。そうやって出たのが『精霊の木』だったんです。

それぞれの「原点」

上橋 こうして話していて、鏡を見てるみたいに似ているのは、読んできたものが似ているからということもあるかも。
佐藤 お互いに、萩尾望都の漫画に刺激を受けたり、やっぱり物語が好きで、意識しないうちに書き始め、それを継続して現在に至ったという感じですね。
上橋 私は高校生のときに、人生を変える作家に出会ったの。それがトールキンとサトクリフだった。古代ローマ時代のブリテン島で先住民の若者と旅をする『第九軍団のワシ』などに衝撃を受けた。それまでの読書体験は、楽しみながらも、どこか距離を置けて、テーマが透けて見えたりもしたけれど、この作品はそんな読み方をさせてもらえず、首根っこを掴んで、その世界に引っ張り込まれた感じだった。ケルトの若者になった気分で、行ったこともないイギリスの深い森の中の匂いも感じていた。
佐藤 百パーセント入り込んだのね。それまでに読んでいたイギリスの児童文学以上の吸引力で?
上橋 以上、というか、他の物語も大好きで、没入してはいたのだけど、サトクリフの場合は、遥か昔の世界なのに、煙の匂いが鼻に残るほど完全に物語に溶けちゃった。
佐藤 それはすごく大きな読書体験ですね。ある意味、書くということに関しての「原点」でもあるのでしょう。
上橋 ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』、トールキンの『指輪物語』なども読みまくり、今まで見たこともない世界に溶け込ませてしまうほどの力を持つ物語って何だろうと考えたの。
佐藤 それは上橋さんの今書いてるものに確実につながってるよね。物語のスケールが大きくて、人物がみんな、その中でしっかり生きてる。だから、その世界に否応なく引き込まれていく。
上橋 そう、「世界」というのは大切なキーワードで、サトクリフとトールキンの場合は世界が感じられた。主人公は、そこに生まれた人々として在った。私にとっては、それがとても大切に思えたの。「そういうものを書きたい」という焦がれて止まぬ「物語の佇まい」が初めて心に宿った瞬間だったのかもしれない。
佐藤 わかる! やっぱりそこが、原点だったんですね。
上橋 トールキンは学者だし、サトクリフの博識ぶりも図抜けてすごい。だから、作家になるって、そのくらいまでにならなければダメな気がしたの。
佐藤 上橋さんはそれを実現したからすごいよね。実は私も、同じことをやりたかったの。日本の児童文学で、わくわくするストーリーやドキドキする登場人物たちの、骨太なファンタジーを創るためには、生半可な知識ではダメ。研究の蓄積の中から書きたい。そのために研究者になりたい、と高校の頃に。
上橋 おお、同じ!(笑)
佐藤 史学科に進んだのはそこなのね。歴史を学んで、大きな物語が書きたいと思って日本史を専攻しました。でも、上橋さんとの違いは、私は学問が嫌いだったこと(笑)。
上橋 面白い、そこ(笑)。
佐藤 好きなのは通史であり、ドラマだったと気づいてしまった。歴史学は膨大な時間をかけて細部から検証していく学問だけれど、自分にとっては、歴史の真実より、いかに面白いかが重要で、学者になれないということが大学一年の春でわかってしまったのです。
上橋 私も考古学や歴史を学ぶつもりでいて、人類学に出合ってしまった。人類学は、それまで自分が知ったつもりでいたことを、すべて吹っ飛ばしてくれた。しかも、自ら「経験する」学問だった。
佐藤 掘り下げながら更に広げていく学問かもしれないね。
上橋 文字を持たぬ人々にも、経て来た長い年月があるけれど、それは記録には残らないしね。
佐藤 確かに、そうかもしれないねえ。
上橋 人類学ならば、現在生きている人たちと一緒に暮らし、彼らと話をしながら、文献から得るのとはまた違うものが得られるかなと思った。異文化世界で、自分の足で立ち、一から人間関係を築いて暮らしてみたかったの。
佐藤 それはもう、そのものが物語だね。
上橋 ここで頑張らなければ、たぶん私は作家になんかなれないと思ったから。
佐藤 その学究と、書くというのは常に、ある同じ線上にあるものなのかな?
上橋 同じ線上というより学ぶことで自分を広げなければ、あの、きらめく星のところには辿り着けないと思っていた。
佐藤 私は、リンドグレーンとランサムが中学の頃からすごく好きでした。その二人が私にとっては上橋さんのサトクリフとトールキン。その後、どれほど読み足しても、この二人!
上橋 それは大事なことですね。動かし難いもの。ちなみにランサムとリンドグレーン、私も大好きよ(笑)。
佐藤 私にとっての大きな一冊は、中学一年のときに読んだリンドグレーンの『わたしたちの島で』。主人公一家がバルト海の離島で避暑をして、島の住人や動物たちとの交流をとてもコミカルにリアルに描いた物語。大阪に住む三つ年下の従妹と夏休みはいつも一緒に過ごしていて、中一の夏に教えてもらったの。『わたしたちの島で』を貸してもらい、一晩で読んでハマっちゃった。それからは二人でこの本の話ばっかり。ごっこ遊びをしながら、そのひと夏は二人は「ウミガラス島」で過ごしたということに。でも夏が終わり、私は東京に帰らなければならない。この本の話ができなくなる寂しさが高じて、自分と従妹を登場させた二次創作を便箋にぎっしり十枚ぐらい書いて送りつけたの。従妹もまた感想を送り返してくれて、この文通は三年ぐらい続いたんじゃないかな。
上橋 おお、すごいね、それ!
佐藤 それが私の「原点」です。とにかくお話の中にいるのが幸せで、そこから出ると寂しいから、出なくて済む方法は何かと考え、結局、自分で書くことだと。
上橋 ああ、わかる! その夏の思い出を聞いていて、私、なんだか『サマータイム』を思い出しちゃった。
佐藤 『サマータイム』の舞台のニュータウンは従妹の家なのよ。従妹がピアノを練習する音を私は夏中ずっと聴いてた。夏の終わりには、なんとも言えない寂しさで。だから、あれは私にとって特別で、自分の体験をあれだけ作品に書いたのは他にない、二度と書けない話です。
上橋 そうだったの! 一緒にその夏を過ごしたわけじゃないのに、『サマータイム』を読んだときに感じていた物悲しさを、話を聞いた途端に感じたの。物語って実はそういうものじゃないかと思う。
    *
上橋 私の父は画家なんだけど、昔、父がアトリエのイーゼルにかかっていた描きかけの絵を指して「菜穂子、これどうだ」と訊ねたの。「梅がきれいだなあ」と答えて、絵に近づいたら、赤い点が三つ置いてあるだけ。遠くから見たら、それが満開の紅梅が咲いている匂うような絵に見えたのね。実際は、ただの三点だったの。表現とはこういうものだと父に教わった気がしました。
佐藤 全てを描かなくても伝わる。文章も、短い言葉でどれほど伝えられるか。子どもの本を書いてきた土台がある私たちは、シンプルは最善という意識がある。
上橋 どれだけ削ぎ落とした言葉で、物語の世界を感じてもらえるか――。子どもの頃の夢を叶え、三十年間書き続けてきたけれど、自分に合ったペースで、これからも物語を書き続けられたら幸せですね。

(うえはし・なほこ 作家)
(さとう・たかこ 作家)
波 2019年5月号より

小説の光が照らしだすもの

佐藤多佳子朝井リョウ

朝井 佐藤さんの『明るい夜に出かけて』と僕の『何様』が新潮社から同時期に刊行されたので、こういうトークイベントを開催できることになりました。佐藤さんとお会いするのは、五年ほど前、『チア男子!!』が出た時に対談させて頂いて以来ですね。
佐藤 朝井さんはまだ大学生でしたね。
朝井 そうです。十代の頃から、『一瞬の風になれ』を始めとする佐藤さんの作品を愛読してきましたから、初めてお会いできた時は光栄でしたし、緊張もしました。佐藤さんがミッキーマウスのTシャツを着ていらしたことを覚えています。
佐藤 朝井さんは当時デビュー一年くらいの新人さんでしたが、あれからいきなりすごい人になってしまって。今日、私は一体どういうスタンスで話したらいいのか困っています。
朝井 めっちゃ先輩として話して下さいよ!(会場笑) まずは僕から質問していいですか? 『明るい夜に出かけて』の主人公は深夜ラジオのハガキ職人ですね。僕はラジオが大好きで、その結果「オールナイトニッポン0ゼロ」で一年間パーソナリティをさせていただいたこともありますが、佐藤さんもラジオ好きだとは意外でした。それも、作品中で重要な役割を果たすのが「アルコ&ピース(平子祐希と酒井健太のコンビ)のANN」です。あんなお笑い指数の高い番組にどうやって辿りついたのですか?
佐藤 朝井さんよりずいぶん年上なので、話はかなり遡りますよ(会場笑)。中学二年の時に、谷村新司さんの「セイ!ヤング」を聴き始めたのがラジオを聴くようになったキッカケです。私は女子四人のグループで仲良くしていたのですが、そのうち二人がファンで「すっごい、ヤらしいのよ……聴いてみて」(会場笑)。
朝井 実際、どうでしたか?
佐藤 カマトトぶるわけじゃないけど、下ネタの意味が分からなかった。いやらしさが具体的に分からない(会場笑)。それからラジオが好きになって。いまのお笑いの人たちの番組を聴くようになったのは、もう十年以上前かな、くりぃむしちゅーの上田晋也さんの「知ってる?24時。」が好きで、それから「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」を聴き始めたんです。

 作者が心から好きなものを

朝井 先ほど申し上げたように、小説の中でアルコ&ピースの番組が大きな役割を担うのですが、あまり番組の説明をされていませんよね。それは作家として勇気がいることではないかと思うのですが。
佐藤 確かにあまり説明せずに、登場人物が聴いているままの感じで書きましたね。最初は、ラジオがあんなに大事な役割を果たすとは思っていなかったんです。ラジオはあくまで登場人物が出会うきっかけ、くらいに考えていました。で、どんな番組で出会うようにしようかと考えていた時、初めてアルコ&ピースのANNに出会って、はまってしまいました。
朝井 他の番組にはない、アルピーならではの魅力は何だったでしょう?
佐藤 バカバカしさに始まって、バカバカしさに終わるところ(会場笑)。何かモノを作っている人なら分かると思いますが、オチをつける方が案外易しいですよね。イギリスあたりが本場の「ナンセンス」という文学のジャンルがあります。ナンセンスを書くのは本当に難しい。バカバカしさ以外、余計なものを入れずに成立するフィクションを構築するって、大変ですよ。深夜ラジオはそれに似ていて、無意味なまでのやりっぱなしが許される媒体だと思うのですが、中でもアルピーの番組はその最たるものでした。
朝井 僕もあの番組が大好きです。二時間の生放送の冒頭でアルピーがテーマを決めて、リスナーからメールを受け付けるのだけど、リスナーの投稿がどんどん過激になっていく。というか、意味がわからなくなっていく(笑)。
佐藤 作中にも書きましたが、パーソナリティであるアルピーがもう舵を取れなくなって、「もうイヤだあ」「助けてくれえ」と悲鳴を上げれば上げるほど、〈神回〉と称えられる(会場笑)。
朝井 あの収拾のつかなさが聴いていて心地良かったですね。でも、ああいう無軌道で無意味な(会場笑)番組を小説に盛り込むことに躊躇しませんでしたか?
佐藤 「やってみて、だめだったら仕方ない」という五分五分の状態で書き始めたんです。本当は書く前にアルコ&ピースのお二人にご挨拶に行くべきなのですが、でも、変なものになるかもしれないし、完成しないかもしれない。だから、結局お二人には出来上がってからお見せしました。残念なことに、本が出るちょっと前に番組が終わったのですが……(2016年3月末に番組終了)。
朝井 作者が心から好きなものを、あらゆる理性を超えて書いた小説には特有の光が宿る気がしているのですが、『明るい夜に出かけて』はその光を感じました。
佐藤 そう言って頂けると嬉しいのですが、実際は、好きが嵩じて勇み足になったかどうかのギリギリのところだったと思っています。

 小説表現のアップデート

朝井 『明るい夜に出かけて』の中で、アルピーの番組があわや最終回になる、というシーンで、Twitter上にリスナーによるたくさんの#ハッシュタグが流れて、みんなが番組を惜しむ、その渦の中に主人公も没入するシーンがありますね。たくさんの#によって、胸がしめつけられるような感情を表現したのは、この作品がきっと初めてでしょう。小説における〈表現のアップデート〉に立ち会えた喜びがありました。
佐藤 ありがとうございます。あそこは実際に起きていたことを書いただけなのですが……。
朝井 Twitter以外にも、アメーバピグなど、新しいものをどんどん取り入れておられるのが印象的でした。十代の子の言葉遣いなどもそうですが、そういう現実の新しいツールを取り入れることは、この作品では積極的にやってやろうと?
佐藤 若い子の言葉遣いについては、2014年春から一年間の物語とはっきり限定されていますから、今回は古びたりするのをあまり恐れなくてもいいかなと思ったんです。アメーバピグの書き方は難しくて、一回全部なくしてみたりもしました。さっきのラジオ番組の説明にしてもそうですが、説明をあんまり入れるとわざとらしくなってしまいますしね。#ひとつ取っても、小説の中の説明って非常に難しい。朝井さんは『何者』で#をたくさん入れていますが、ひと言の説明も書いていなかったでしょう?
朝井 あそこはもう、「ついてこいよ」と思っていて(会場笑)。
佐藤 あれはかっこよかったですよ。
朝井 しかし、『明るい夜に出かけて』の富山もそうですが、佐藤さんの小説の主人公はどうしてこんなに読者が愛さずにはいられない人物になるのでしょう。それに、佐藤さんは女性でありながら、どうしてこんなに地に足のついた男子を一人称で書くことができるのでしょうか?
佐藤 それを言うなら、朝井さんはどうしてこんなに女性のイヤな感じが書けるのか、どこでどう女性と接しているとあんなふうに書けるのか(会場笑)。
朝井 全部妄想で書いています(会場笑)。
佐藤 女性には「男に生まれたかった」という憧れの気持ちがあるから、私が異性を書く時、男同士のつながりをきれいに書けているのかもしれません。でも、『黄色い目の魚』などについて、「高校生くらいの男子はモヤモヤしていて、そういう方面しか考えていないよ」とか「こんなに内省的ではないんじゃないの?」とか言われたこともありますよ。愛される登場人物かどうかは分かりませんが、私は何も決めずに、とにかく主人公になりきって書きます。どこに行き着くかは、主人公と一緒に進まないと見えてこない。どうなるか分からないから、怖くて連載ができない(会場笑)。
朝井 僕はそういう感覚になったことがないんですよ。僕自身が登場人物にシンクロしていないせいか、彼らに意地悪なことを書いてしまいがちです。
佐藤 朝井さんは、構成などをいろいろ決めてから書きますか?
朝井 僕はガチガチに決め込んで書きます。それがうまくいったときの快感が癖になって、その快感を味わうために書いているくらいです。ただ、先輩作家の方々に、「そのやり方だと自分の想像を超える作品は書けないよ」と助言をいただくこともあり、最近悩んでおります……。

 佐藤健がカッコよくなかったわけ

佐藤 朝井さんと対談するという役得で、映画「何者」を公開前に見せて頂きました。非常に原作をリスペクトした映像化でしたね。
朝井 ありがたいことです。
佐藤 これからご覧になる方のために詳細は言いませんが、それでも三浦大輔監督の味が入って、驚きもありますね。
朝井 そうなんです。『明るい夜に出かけて』で、富山と知合う女子高生の佐古田が「伝染する」という言葉で表現していますが、創作物は連鎖で広がっていくことがありますよね。誰かが作ったものから、まさに伝染して、他の誰かが何かを作る。その時、何か変化が生じると思うのです。この映画でも、演劇をもともとやっていた監督によって変化が生まれています。原作者の僕に分からなかったものが見えてくるというのが、映画としてとても正しいことのように思いました。
佐藤 また映像になるとインパクトがすごいですよね。
朝井 『何者』では、最後にとある女性が大立ち回りをする場面があるのですが、そのシーンを映像で見ると、原作者なのにとても怖かったです(会場笑)。
佐藤 ところで、拓人を演じる主演の佐藤健さんって、カッコイイ俳優さんですよね。それがこの映画ではあまりカッコよくない。そこがよかったんです。俳優さんってすごいなあと感嘆しました。
朝井 なぜ佐藤健さんが今回はカッコよくなかったか、ご存じですか?
佐藤 いいえ、なぜです?
朝井 それは佐藤さんが僕をモデルに役作りしたからです(会場笑)。演じるにあたって、佐藤健と二宮拓人の間に、朝井リョウを挟んだと仰るんですよ。俳優の世界ではわりとスタンダードな役作りの方法だそうです。その結果、彼は僕が通っている美容院に髪を切りにまで行ったんです。日本中に「佐藤健みたいにして下さい」と美容師さんに頼む若者はいるでしょうが、まさか佐藤健が「朝井リョウにして下さい」と頼むとは(会場笑)。
佐藤 でも、なんで朝井さんにわざわざ寄せたのかなあ。
朝井 佐藤さんは「拓人は原作者が投影されている人物」と思われたようで、朝井リョウに似せれば、自然と主人公に近くなれるだろうと考えたらしいんです。さらに僕が着ているブランドの洋服を映画の中で彼が着ているのですが、またそれがちょうどよくダサく見えて(笑)。
佐藤 なるほど……あれ? 普通に話し続けていましたが、もしかして私、とても失礼なこと言っていますか?
朝井 いいえ、全然……ちょっと気づくのが遅いですね(会場爆笑)。

 SNSでそぎ落とされるもの

佐藤 偉そうな先輩的言い方をしてしまいますが、朝井さんはすごくうまくなられましたね。私は朝井さんの作品では『少女は卒業しない』が一番好きで、短篇の切れ味と魅力にいつも圧倒されています。その次作の『何者』は長篇で、長篇小説は、構成、ストーリーが重要になると思いますが、ホップからステップなしでいきなりジャンプした、とでも言いたくなるような、すごい作品でした。
朝井 すみません――有難うございます、と言うべきでしょうが、恐縮すぎて。
佐藤 今度の『何様』は、就活生たちが主人公だった『何者』のアナザーストーリー集です。そもそも「就活」という題材が朝井さんに合っていたのでしょうか。

朝井 僕にとっては、就活そのものより、「就活している人たち」のインパクトが大きかったんです。一方で、僕はSNS世代であり、コミュニケーションが非常に変わったという実感があります。大学の時にmixiが盛んになり、すぐにFacebookやTwitterが取って代わり、今はInstagramが主流。その変化の中で、使われる言葉はどんどん短くなってきています。省かれる言葉がどんどん増えていっているのに、その部分を想像する機会がないことがとても気になっていました。
佐藤 そぎ落とされた思いや考えがそのまま消えてしまう感じ?
朝井 はい。わずかな言葉で、あるいはほんの少しの情報で人がごっそり束ねられるような、余白のない様子が怖かったんです。その怖さがまさに目に見える状態になったのが、僕にとっては就活の場だったのかもしれません。例えば就活では〈内定のない=ダメ人間〉〈内定のある=すごい人間〉みたいなことにすぐなってしまう。面接にしても、たった三〇分で合格、不合格が決まりますし。
佐藤 朝井さんがもともと抱いていた思いが、就活という題材を得て、爆発した小説だったのですね。
朝井 ただ、就活という舞台が持つゲーム性には、小説を書く上で助けられました。ESエントリーシートが通るかどうか、内定を取れるのかどうか、それだけで読者をハラハラさせられますから。
佐藤 今度の『何様』には『何者』より先に書かれた短篇も収録されていますね。
朝井 ええ、『何様』は五年くらいかけて書いた六つの短篇から出来ています。実は、冒頭の「水曜日の南階段はきれい」に登場する光太郎が魅力的な人物だなと作者ながらに思って、『何者』を書く時、借りてきたんですよ。
佐藤 ちょっと『何者』とはテイストが違う感じを受ける短篇ですね。
朝井 当時は著者の朝井くんがまだピュアだったんですよ(会場笑)。それが二篇目の「それでは二人組を作ってください」(『何者』で同棲している理香と隆良が一緒に暮し始めるまでを描いた物語)になると、執筆当時の僕がものすごく苛立っていることがわかりますね。
佐藤 何にイライラしていたの?
朝井 生きていること自体というか、日々MAXイライラしてて、「信号赤かよ、チッ」みたいな、余裕のない時代でした。
佐藤 朝井さんの作品は、厳しいけれどどこかで〈踏み台〉を置いてくれるところがあるじゃないですか。でも「それでは二人組を作ってください」は……。
朝井 自分でもゲラで読み直して、「ここまで書かなくていいじゃん」と(会場笑)。逆に言うと、あのイライラしていた時にしか書けなかっただろうから、結局は書いてよかったと思っているんですが。

佐藤 エンディングがすごいですよね。率直な質問ですが、理香さんみたいな女性は嫌いなのですか。
朝井 それがね、僕、理香さんのこと大好きなんですよ。愛憎半ばが行き過ぎて、抱きしめながら、背中をグサグサ刺している感じで書いています(会場笑)。この短篇の終わり方は、派手にピアノを鳴らして終わる曲みたいですよね。ああいうのは、本篇である『何者』という受け皿があって、その前日譚だから書けた話です。瑞月の父親の不倫を描いた五篇目の「むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった」もそうです。救いのないような話を書いても、本篇で補完されるだろうという安心感がありましたね。
佐藤 その感覚は分かりますが、独立した短篇集としても十分面白かったです。次はどんな作品を書かれる予定ですか? 私が編集者なら、朝井さんにオーダーしたい作品はスポーツものなのですが……。
朝井 次はまさにバレーボール選手を題材に書きたいと思って、『一瞬の風になれ』を持ち歩いて読み返しているところです。
佐藤 バレーボールにははっきりポジションがありますね。
朝井 そこで役割や性格を反映できるのですが、一方で、バレーは同時に全員が別々の動きをするのでどう描くのか。
佐藤 どのくらいの年齢の話を書かれるおつもりですか?
朝井 天才スポーツアスリートが少しずつ〈自分のやっていること、やろうとしていること〉を表現できる言葉を獲得していく過程を書きたいと思っているのです。そのためには長いスパンが必要なので、小学四年生くらいから大人になるまでを書きたいと思っています。全盛期の華やかな時代も、アスリートは三〇歳で引退というような残酷な面も書きたい。
佐藤 引退まで書くとなると、大長篇になりますね。楽しみにしています。
朝井 僕は佐藤さんの書く物語なら何でも読みたいのですが、少年目線の小説はぜひ定期

2016年10月5日 神楽坂la kaguにて
波 2016年11月号より
単行本刊行時掲載

深夜ラジオの流れる青春小説

佐藤多佳子アルコ&ピース

小説の中にオールナイトニッポン

平子(アルコ&ピース) 佐藤多佳子さんの新刊『明るい夜に出かけて』に僕らが出てくると聞いたときは、ちょい役もちょい役で、さらっと名前が載るくらいなんだろうなと想像してました。しかし先に読んだ人から「がっつり出てきます」と言われ、普段から小説を読む者としては、僕らやラジオ番組のことがどのように小説に落とし込まれ、その「がっつり」の度合いがどんなものかピンときませんでした。
佐藤 架空の設定で実名を使わない方が普通のアプローチですよね。実際に読まれてどうでしたか。フィクションとして読めなかったかもしれないですけど。
平子 実際の放送がかなり盛り込まれ、正直、引きましたね。僕らのラジオ番組と僕らをこれだけ使ってくれちゃって、本当に良いのかと、申し訳ないような、怖くさえなっていました。
酒井(アルコ&ピース) どうして僕らだったんですか?
佐藤 若いリスナーが多い感じの、勢いのある個性的な番組で、構想していた作品のイメージにぴったり合ってました。
酒井 ほかの番組は聴いてないですか。
佐藤 色々聴いてますよ。でも、リアルに小説に書きたいと思ったのは、アルピーさんの番組です。
酒井 出版社の編集長とか偉い人が読んで、「アルコ&ピース? こいつら誰?」ってなりませんでしたか?(笑)
平子 実在にするなら、本の売り上げにつながりそうな芸人さんにしろと、僕がお偉いさんだったら言いますけどね。それにラジオ局のサイトなどにパーソナリティの発言や投稿メールを挙げて番組内容が紹介されますが、僕らの番組は要約しにくいと言われ、僕らも説明できず、ほとんど放棄していましたから(笑)。
佐藤 むしろ、その無軌道かつポップな番組の世界を、自分のフィクションに入れてみたかったんです。リスナーと番組の距離が近く、年季の入ったハガキ職人でなくてもどんどん参加できる、いい意味での敷居の低さがある気がしました。送り手も受け手もすごく優秀で息が合ってましたね。ひとつ面白いネタが来ると、それに乗っかって、どんどん続いていく感じも独特でした。とにかく新しい感じがし、SNSを使ったコミュニケーションも含めてラジオの聴かれ方が変わり、リスナーとラジオの関係も変わってきているように思いました。
平子 番組聴取率を見ると、十代と二十代が多く、僕らが芸人として大成していないところも、番組をいい方向に転がしていたのかもしれませんね。出来上がっていない芸人が、自分たちの番組として初めてパーソナリティをやらせてもらえて、そんな綱渡りの危うい感じが現実の世界でヤキモキしている十代と二十代の若者に共感を呼んだのかなと思います。番組はリスナーがどうにかしなければ成立しないぞといったところがあったし、そのためリスナー同士のつながりも強くなっていたんでしょうね。
酒井 佐藤さんは最初から僕らの番組のことを書くつもりでしたか。
佐藤 実はこの本の書名とイメージは作家デビュー前からあって、ふとしたきっかけで少年少女が出会い、深夜にコミュニケートするといった構想でした。最初はストーリーが作れず、長年にわたり内容が二転三転するなかで、登場人物がラジオ番組で知り合う設定を考えました。もともと私はラジオを聴くのが好きだったので、どんな番組をきっかけにするか参考にしたくて、通常よりさらに幅を広げて色々聴いていくうちに、日ごろは聴かなかった遅い時間帯でアルピーさんの番組に出会いました。仕事モードで入りましたが、すぐに普通にヘビーリスナーになりました。
平子 好きで聴いてくれていた人が書いたと感じました。小説を書くために調べ、番組のデータを当て込んだ感じは全くなくて、読んでいて心地よかったし、その点はうれしかったですね。
佐藤 出会いのきっかけと考えていたラジオですが、だんだん中心に据えたくなりました。それでもまだ架空の番組にするつもりでしたが、自分で作るより、アルコ&ピースのオールナイトニッポンをリアルに扱うほうが絶対に面白いじゃないですか。でも私の創作は、実際に書いてみないと、構想通りにいくか分からなくて、その自信もありませんでした。ですから本当は「こんなことを考えていて、書かせていただきたいのですが」とおふたりやニッポン放送にお訊きしてから書き始めるべきでしたが、こんな状態でお願いするのは、どうなんだろうと。
酒井 途中でポシャったら、どうしようかと。
佐藤 その通り(笑)。「書きます」と見得を切ったものの、「すみません、書けませんでした」では、みっともなくて。
平子 でも、「書きます」と言われていたら、僕らは意識し過ぎてダメになっていましたよ。番組がガラッと変わって、いきなり文化教養の要素が強くなり、僕らはガチガチになっていたはずです。

きっかけはノベルティグッズ

酒井 主人公の富山と佐古田が知り合うきっかけが番組のノベルティグッズのカンバーバッヂというところは自分的にはすごく面白かったです。コンビニの店員と女子高校生で、接点はなさそうなのに。
佐藤 富山はある問題を抱えていて、大学を休学し、ひとり暮らしをしていますが、あのシーンでは佐古田に声をかけてしまうと思うんですよ。カンバーバッヂは投稿ネタの中で「最高」と認定されると進呈されますが、出し惜しみをされているのか、なかなかゲットできない。番組のHPに写真がアップされていて、一見して分かるものでしたし。
平子 僕が放送開始前に何の変哲もない缶バッジにマジックで書きなぐった、あんな雑なノベルティグッズをリスナーはあがめ、伝説的な扱いをしてくれていたのかと、すまない気持ちになりました。
酒井 富山はまだ一個も貰えていないのに、チビで髪の毛がピンピンはねていて便所サンダルをつっかけた佐古田のリュックには二個もぶらさがってる! 富山には衝撃的で、屈辱だったでしょうね。
佐藤 いまはリスナーさん達がツイッターなどのSNSを通じて簡単に知り合えますが、もう少しインパクトが欲しくて、また、どのように出会うのかは私には大切なことでした。そこはやはりカンバーバッヂを通してだろうと。小説の中では2014年のキングオブコントの賞レースのことも使わせていただきました。決勝十組に入れなかったとき、番組内で平子さんが恐竜に扮して咆哮し、酒井さんも吠え、コンテストものやファイナリストを食べるといった回で、実際に聴いていて、本当に悔しいんだなと胸に迫るものがあり、コンビニ店内の人間関係に悩む富山にも「俺の咆哮をしよう」と決意を固めさせました。
平子 僕は追い詰められると、本音で話すことがあります。伝わるんでしょうね、お仕着せの言葉か、本音かということは。リスナーの反応はメールをもらったり、直接会って話を聞いたりして知ることもありましたが、彼らの生活に僕らのラジオがどういうふうに浸透しているのかというのは窺い知れない部分でした。この小説は実在のリスナーの話だよと言われたら、そう信じてしまうほどのリアリティがあって、富山が咆哮したり、怖いコンビニ副店長との会話とか、いくつかのシーンで胸がじんわりしていました。

主人公になりきる

佐藤 アルコ&ピースのオールナイトニッポンが2015年3月の改編期を乗り切れるかどうかというテーマの「エンド・オブ・ザ・ワールド」を聴いたときは、ここは外せないなと思いました。番組の今後という死活問題をそのまま悪ふざけのようなネタにする「ラジオの生きざま」は本当にカッコよかったです。二部から一部に昇格したときと同じシチュエーションで、本当の終了時とあわせて計三回やりましたが(笑)、実際に小説の中にどのように入れるかと考えると、やはり富山や佐古田はヘビーリスナーですから、私と同じく彼らもハラハラしている。富山は一年限定の「逃亡」も終わりに差し掛かって、彼らの世界でもある種のクライマックスを迎えつつあって、それと「エンド・オブ・ザ・ワールド」をどのようにつなげていくのかは難しかったです。書いてみて、何とかつながったかなと思っていますが、賭けのようなものでした。
酒井 僕らのラジオと似てますね。
佐藤 ほかの小説家の方はわかりませんが、私は演技をするくらいの感じで主人公になりきらないと書けないんです。主人公の置かれた状況に自分を追い込み、どのように進むかは書きながらでしか見えてきません。どこに行き着くのかも書き上げてみないと分からず、違うラストになった小説もあれば、ラブストーリーでくっつく相手が変わったこともあります。行き先不明なところは、おふたりの番組と一緒かもしれません。

聖地巡礼、「伝説」になる

酒井 僕らが放送しているところを見ようとは思わなかったんですか。
佐藤 この本のカバーの写真を撮影するとき初めてニッポン放送のラジオブースを見せていただきました。「平子さんはこっちに座って、酒井さんはこっちでした」とか「石井ディレクターはここからキューを出していた」といったことを局の人に説明していただき、オールナイトニッポン見学ツアーの聖地巡礼みたいで、いちいち感動していました。
酒井 僕らの番組が今年3月末で終わった後のことですね。なんだか故人を偲ぶような感じになってしまって。
佐藤 番組の終了を知ったのは、すでに書き上げていたものの改稿中のときで、この本は出せないんじゃないかと思いました。小説の中では番組は継続し、めでたしめでたしとなっているのに、本が出版されるときには、めでたしでなくなっていたというのは、まずくないかと考え込んでしまいました。
平子 でも、終わったからこその美しさや愛おしさってものもあるし、若くして志半ばで命を失ったミュージシャンが伝説になるみたいな感じにもなる(笑)。僕らも割り切れないところがあり、ラジオブースのある有楽町界隈に魂が浮遊している感じがしていました。でも、この本が出ることで、ピリオドを打ってもらえ、やっと昇天できた気がしています。
佐藤 そんな風に仰っていただけると、こちらも少しは救われますが。
酒井 リスナー達にこの本を買ってもらい、供養してもらいましょう(笑)。
平子 一人三冊、必ず購入ですね。これまで無料の電波を拾って、さんざん楽しんできたのだから(笑)。素晴らしい小説だから読めよって言いたい。
佐藤 でも、9月からTBSラジオでレギュラー番組「D.C.GARAGE」が始まりますね(毎週火曜日、24時スタート)。おふたりが楽しくしゃべっていれば、リスナーはそれだけでうれしいですから。深夜、何となく淋しくても、パーソナリティの声が流れてくると夜が明るくなり、安心できる。おふたりの番組で笑わせてもらうと、リフレッシュでき、悪いものも消えてなくなる気がしました。パーソナリティがリスナーに寄り添って、何かしてあげたいとか、救ってあげたいとか、上から目線でない感じもまた良くて(笑)。結果的には救ってますが。
酒井 そういったエールの要素やお悩み相談のコーナーを平子さんが入れようとしたこともありますが、時すでに遅しで、僕らにはムリでした(笑)。
佐藤 リスナーへの思いがあるからこそ響くものがあり、届くものがあって、小説に書きたくなったのだと思います。

(ひらこ・ゆうき/さかい・けんた お笑い芸人)
(さとう・たかこ 作家)
波 2016年10月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

佐藤多佳子

サトウ・タカコ

1962(昭和37)年、東京生れ。青山学院大学文学部卒業。1989(平成元)年「サマータイム」で月刊MOE童話大賞受賞。『イグアナくんのおじゃまな毎日』で1998年度日本児童文学者協会賞、路傍の石文学賞を受賞。『一瞬の風になれ』で2007年に本屋大賞、吉川英治文学新人賞、『明るい夜に出かけて』で2017年に山本周五郎賞を受賞した。著書に『しゃべれども しゃべれども』『神様がくれた指』『ハンサム・ガール』『夏から夏へ』『第二音楽室』『聖夜』など。

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