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『電車男』を校正して
赤ペン男 

「これ、やってちょうだい」
『電車男』のゲラ(校正するために本文を仮にプリントしたもの)が回ってきたとき、校正者としてまず悩んだのは、「そもそも校正できるのか」という点でした。ネット掲示板については無知だったこともあり、正直なところ「どこから手をつければいいか困るような、誤字脱字、悪文のオンパレード」だと思い込んでいたのです。
 しかし、違いました。一読すればお分かりいただけますが、独得のルールもマナーもあり、単語の微妙なずらし方や、アスキーアート(顔文字の発展形)の効果的な使い方、リアルタイムのやりとりならではのリズムの良さが面白く、思わず引き込まれました。書き込みをする人々の多くはことばを意識的に楽しんで使っており、ことばあそびの根源を見るようです。特に電車君は、ご自身は「文才が無い」と謙遜していますが、観察力もあり、かなりの表現者です。この一連の書き込みに参加した人々も、電車君の人柄がよく表れた文章に惹かれたのではないでしょうか。さすが酔漢に立ち向かった男だけのことはあります。
 さらに、電車君以外の人々の反応がとてもいいのです。助言や励ましはもちろん美しいのですが、電車君の報告にワクワクしたり、うろたえたり、ニワトリの話でほのぼのと盛り上がったりする、「その他大勢の男たち」の動きが微笑ましく、切ない味を出していて、個人的にはこちらにシンパシーを感じます。同僚いわく、電車君が何か語った後に、彼らが「キター!」とはやし立てる構造は、『オイディプス王』などギリシャ悲劇の「コロス」(コーラス)と同じだそうです。主人公の心理状態をコーラスで説明するというわけです。電車君のうらやましい人生の展開も、彼ら匿名の「コロス」の存在がなければあり得なかったことでしょう。
 お題から外れてしまいました。校閲上は、表現なのかミスタイプなのかで迷う部分もありましたが、オリジナルの言葉遣いを極力生かすため、疑問点の提示は最小限にとどめました。言い訳じみますが、誤変換と思われる箇所がアスキーアートの一部にあるのは、テクニカルな問題と時間の制約のためで、最大の難関がそのアスキーアートでした。本文と同じMACのフォントだと表情が変わってしまうため、一つずつMSゴシックに変換してもらい、巨大なものは行数と縮小率の計算を何度もやり直してようやく収まりました。印刷所の組版男さんオペ女さんの鮮やかなフォローがなければ校了できなかったことでしょう。この話の魅力に動かされ、明らかに皆が「仕事」を超えてのめり込んでいました。何とか形にできて今はホッとしております。