伊豆の踊子
539円(税込)
発売日:2022/06/24
- 文庫
旅の終りにひとすじの涙……これが孤独なぼくの初恋なんだ。
旧制高校生の「私」は、一人で伊豆を旅していた。途中、旅芸人の一行を見かけ、美しい踊子から目が離せなくなる。大きな瞳を輝かせ、花のように笑う踊子。彼女と親しくなりたい。だが、「私」は声をかけられない……。そんなとき、偶然にも芸人たちから話しかけられ、「私」と踊子との忘れられない旅が始まった――。若き日の屈託と瑞瑞しい恋を描いた表題作。ほかに「温泉宿」「抒情歌」「禽獣」を収録。
温泉宿
抒情歌
禽獣
川端康成 人と作品 竹西寛子
『伊豆の踊子』について 三島由紀夫
解説 重松清
年譜
書誌情報
読み仮名 | イズノオドリコ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 大坪和枝「母のくし」/装画、新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 224ページ |
ISBN | 978-4-10-100245-3 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | か-1-2 |
定価 | 539円 |
書評
はじめての純文学ノススメ
文学系YouTuber梨ちゃんさんがはじめて純文学を読む人におススメの三冊を紹介!
先日、純文学を友人(エンタメ好き)に勧めたところ、「なんか純文学系って小難しい感じだから読めないかも(笑)」とやんわり断られ、ちょっと考えさせられたことがありました。
一般的に、“純文学”は、親しみづらい・難しいというイメージを持たれやすいジャンルです。だけど、実は純文学って限りなく自由で、ドキドキする仕掛けで溢れている! ということを大声で伝えさせてください。
私の思う純文学作品の魅力は、作品終盤に訪れるヤバいシビレです。読んでる最中、ジリジリ自分の体に染みてきて、最後でウワーッとシビレる感覚。そしてその余韻がずっと続く……。
中学三年生の時に国木田独歩の「武蔵野」を読み、なんなんだこの面白すぎるジャンルは……これが純文学……とシビレ倒したことをきっかけに、純文学の世界にのめり込みました。
ここでは初めて純文学を読む方に、読みやすく、かつ強烈にシビレる最強な三作をご紹介します。
一冊目は、第一六六回芥川賞の候補になった乗代雄介の『皆のあらばしり』(新潮社)。
舞台は栃木市にある小さな町。主人公の「ぼく」は高校の歴史研究部に所属し、熱心に活動に励んでいる。ある日、大阪弁を話す謎のおじさんに絡まれ、彼が探しているという古文書「皆のあらばしり」のありかをめぐって奔走することになる――。軽快な会話劇に、謎解き要素も入った欲張り青春純文学。うさんくさいおじさんのキャラクターがいい味を出しています。
〈「まだ明るいし、どや、その竹沢家まで案内してくれんか。ちらと覗いてみたいねん」
ぼくが口ごもったのを、この遠慮のない男が見逃すはずもない。
「なんや、迷惑か? 用事でもあるんかいな」
「そうじゃないけど、どうして行くんだ」
「単なる知的好奇心やがな。明治初期に酒造りをしとったんならまず有力者の家や。後に困窮して蔵書を売りに出したかも知らん。そんな没落の歴史の名残を目の当たりにして我が人生の教訓にできるかもわからんがな」〉
この調子で続いていく、二人の会話にどんどん引き込まれます。本作はラストのどんでん返しが肝なのですが、これがただどんでん返ってびっくり、というのではなく……鮮やかな文章芸にシビレます。
二冊目は、絲山秋子の『逃亡くそたわけ』(講談社文庫品切れ重版未定、電子書籍有)。
福岡市内の精神病院に入院している「あたし」と「なごやん」が病棟を脱走し、車でひたすら国道を走って九州を南へ南へと逃亡する爽快な物語。
〈「とりあえず銀行たい」
「なんで」
「逃亡資金。すぐ下ろした方がよかよ。足のつくけん」
「足? なにそれ」
「だけんねぇ、遠くでお金下ろしたら今どこにおるかばれるったい。そげなこともわからんと? なごやんはばかやね」〉
ユーモラスな珍道中にも読めるのですが、精神疾患を持ち入院していた「あたし」の頭の中では、躁状態になる時、「資本論」の一節が見知らぬ男の声で繰り返されています。
〈亜麻布二十エレは上衣一着に値する。意味はわからない。だけどこれが聞こえるとあたしは調子が悪くなるのだ。〉
「資本論」の使用価値について論じた部分らしいのですが、皆さんはご存じでしょうか。ちなみに私は全く知りませんでした。
純文学の悩ましいポイントの一つに、「作品をうまく解釈できない」点があり、これが本稿の冒頭で書いた「難しい」イメージを醸成しているのでしょう。ただ、作品を深く読み解けなくても、誰しもの心に響きうる優れた文章は山ほどあります。
『逃亡くそたわけ』は良い例で、私は最初なにもわからず読みましたが、傑作だ!! と読後に頭を抱えました。
最後は、川端康成の「伊豆の踊子」(新潮文庫)。教科書にも載っている、ザ・純文学作品です。既読の方も多いのでは。
旧制高校に通う主人公の「私」は二〇歳で、孤独に悶々とする心を抱え伊豆へ一人旅にでる。そこで旅芸人の一行に出会い、一四歳の踊子「薫」に惹かれる。彼女の若さと清らかさに「私」の荒んだ心が浄化される様を美しく描く短編作品。
〈仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場の突鼻に川岸へ飛び下りそうな恰好で立ち、両手を一ぱいに伸して何か叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。〉
大人びて見えた「薫」が、実はまだ汚れを知らない子供なのだと気づき、「薫」へ抱いていた感情が清らかなものに変わっていく名シーンは、何度読んでも味わい深いものがあります。
じっくり読み進めると、自然と「踊子の清らかさ」のモチーフであるあれこれが発見され、それらを引き立たせる美しい文章を通して、踊子の存在に心の隅々まで「浄化」される追体験ができます。それをもってしてたどり着く最後の一文は、もう空を仰いで悶えるしかないほど素晴らしいのです……。
今回の三作は、いずれも旅にまつわる小説で、読みやすく、気軽に読破できるものです。サクッと楽しむも良し、時間をかけて作品世界に浸ってみるも良し。未知のシビレに出会える読書体験がきっと出来ます!
(なしちゃん)
波 2022年7月号より
著者プロフィール
川端康成
カワバタ・ヤスナリ
(1899-1972)1899(明治32)年、大阪生れ。東京帝国大学国文学科卒業。一高時代の1918(大正7)年の秋に初めて伊豆へ旅行。以降約10年間にわたり、毎年伊豆湯ケ島に長期滞在する。菊池寛の了解を得て1921年、第六次「新思潮」を発刊。新感覚派作家として独自の文学を貫いた。1968(昭和43)年ノーベル文学賞受賞。1972年4月16日、逗子の仕事部屋で自死。著書に『伊豆の踊子』『雪国』『古都』『山の音』『眠れる美女』など多数。