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皆のあらばしり

乗代雄介/著

1,650円(税込)

発売日:2021/12/22

  • 書籍
  • 電子書籍あり

ぼくと中年男は、謎の本を探し求める。三島賞作家の受賞第一作。

幻の書の新発見か、それとも偽書か――。高校の歴史研究部活動で城址を訪れたぼくは中年男に出会う。人を喰った大阪弁とは裏腹な深い学識で、男は旧家の好事家が蔵書目録に残した「謎の本」の存在を追い始めた。うさん臭さに警戒しつつも、ぼくは男の博識に惹かれていく。ラストの逆転劇が光る、良質のミステリのような注目作。

書誌情報

読み仮名 ミナノアラバシリ
装幀 猪瀬直哉,Melancholia,2020/装画、(C)THE CLUB/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 144ページ
ISBN 978-4-10-354371-8
C-CODE 0093
ジャンル 文学・評論
定価 1,650円
電子書籍 価格 1,650円
電子書籍 配信開始日 2021/12/22

書評

はじめての純文学ノススメ

梨ちゃん

文学系YouTuber梨ちゃんさんがはじめて純文学を読む人におススメの三冊を紹介!

 先日、純文学を友人(エンタメ好き)に勧めたところ、「なんか純文学系って小難しい感じだから読めないかも(笑)」とやんわり断られ、ちょっと考えさせられたことがありました。
 一般的に、“純文学”は、親しみづらい・難しいというイメージを持たれやすいジャンルです。だけど、実は純文学って限りなく自由で、ドキドキする仕掛けで溢れている! ということを大声で伝えさせてください。
 私の思う純文学作品の魅力は、作品終盤に訪れるヤバいシビレです。読んでる最中、ジリジリ自分の体に染みてきて、最後でウワーッとシビレる感覚。そしてその余韻がずっと続く……。
 中学三年生の時に国木田独歩の「武蔵野」を読み、なんなんだこの面白すぎるジャンルは……これが純文学……とシビレ倒したことをきっかけに、純文学の世界にのめり込みました。
 ここでは初めて純文学を読む方に、読みやすく、かつ強烈にシビレる最強な三作をご紹介します。
 一冊目は、第一六六回芥川賞の候補になった乗代雄介の『皆のあらばしり』(新潮社)。
 舞台は栃木市にある小さな町。主人公の「ぼく」は高校の歴史研究部に所属し、熱心に活動に励んでいる。ある日、大阪弁を話す謎のおじさんに絡まれ、彼が探しているという古文書「皆のあらばしり」のありかをめぐって奔走することになる――。軽快な会話劇に、謎解き要素も入った欲張り青春純文学。うさんくさいおじさんのキャラクターがいい味を出しています。
〈「まだ明るいし、どや、その竹沢家まで案内してくれんか。ちらと覗いてみたいねん」
 ぼくが口ごもったのを、この遠慮のない男が見逃すはずもない。
「なんや、迷惑か? 用事でもあるんかいな」
「そうじゃないけど、どうして行くんだ」
「単なる知的好奇心やがな。明治初期に酒造りをしとったんならまず有力者の家や。後に困窮して蔵書を売りに出したかも知らん。そんな没落の歴史の名残を目の当たりにして我が人生の教訓にできるかもわからんがな」〉
 この調子で続いていく、二人の会話にどんどん引き込まれます。本作はラストのどんでん返しが肝なのですが、これがただどんでん返ってびっくり、というのではなく……鮮やかな文章芸にシビレます。
 二冊目は、絲山秋子の『逃亡くそたわけ』(講談社文庫品切れ重版未定、電子書籍有)。
 福岡市内の精神病院に入院している「あたし」と「なごやん」が病棟を脱走し、車でひたすら国道を走って九州を南へ南へと逃亡する爽快な物語。
〈「とりあえず銀行たい」
「なんで」
「逃亡資金。すぐ下ろした方がよかよ。足のつくけん」
「足? なにそれ」
「だけんねぇ、遠くでお金下ろしたら今どこにおるかばれるったい。そげなこともわからんと? なごやんはばかやね」〉
 ユーモラスな珍道中にも読めるのですが、精神疾患を持ち入院していた「あたし」の頭の中では、躁状態になる時、「資本論」の一節が見知らぬ男の声で繰り返されています。
〈亜麻布二十エレは上衣一着に値する。意味はわからない。だけどこれが聞こえるとあたしは調子が悪くなるのだ。〉
「資本論」の使用価値について論じた部分らしいのですが、皆さんはご存じでしょうか。ちなみに私は全く知りませんでした。
 純文学の悩ましいポイントの一つに、「作品をうまく解釈できない」点があり、これが本稿の冒頭で書いた「難しい」イメージを醸成しているのでしょう。ただ、作品を深く読み解けなくても、誰しもの心に響きうる優れた文章は山ほどあります。
『逃亡くそたわけ』は良い例で、私は最初なにもわからず読みましたが、傑作だ!! と読後に頭を抱えました。
 最後は、川端康成の「伊豆の踊子」(新潮文庫)。教科書にも載っている、ザ・純文学作品です。既読の方も多いのでは。
 旧制高校に通う主人公の「私」は二〇歳で、孤独に悶々とする心を抱え伊豆へ一人旅にでる。そこで旅芸人の一行に出会い、一四歳の踊子「薫」に惹かれる。彼女の若さと清らかさに「私」の荒んだ心が浄化される様を美しく描く短編作品。
〈仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場の突鼻に川岸へ飛び下りそうな恰好で立ち、両手を一ぱいに伸して何か叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。〉
 大人びて見えた「薫」が、実はまだ汚れを知らない子供なのだと気づき、「薫」へ抱いていた感情が清らかなものに変わっていく名シーンは、何度読んでも味わい深いものがあります。
 じっくり読み進めると、自然と「踊子の清らかさ」のモチーフであるあれこれが発見され、それらを引き立たせる美しい文章を通して、踊子の存在に心の隅々まで「浄化」される追体験ができます。それをもってしてたどり着く最後の一文は、もう空を仰いで悶えるしかないほど素晴らしいのです……。
 今回の三作は、いずれも旅にまつわる小説で、読みやすく、気軽に読破できるものです。サクッと楽しむも良し、時間をかけて作品世界に浸ってみるも良し。未知のシビレに出会える読書体験がきっと出来ます!

(なしちゃん)
波 2022年7月号より

不要不急が人生必須になる

門井慶喜

 登場人物が少ない。実質的にふたりだけ。そのふたりも毎度おなじ場所で会って話すのだが、その場所はこんなふうに紹介される。

 平日の皆川城址に人は滅多に来ない。栃木駅からだいぶ離れていて、観光客も車で来るしかないようなところだけれど、今日も一台だって見当たらない。山の斜面を削るなり盛るなりして平らに作った曲輪が螺旋状につくられて、その見た目から法螺貝城とも呼ばれている。

 つまり周囲にもほとんど人がいないわけだ。前作『旅する練習』で三島賞を受賞した乗代雄介の新作はこうして純粋な対話劇というか、いっそ対談と呼ぶほうが適切かもしれない独特な外観を呈している。もちろん実際には会話のあいだに地の文があるので(上の引用はその一例)、正確に言うなら、これは対談の活気と小説の秩序をあわせもつ何かということになるだろう。
 その限定された空間のなかで、ふたりは何を話すのか。無限の時間について話す。すなわち歴史だ。主人公の「ぼく」は高校生で、歴史研究部に所属している。その部活動の一環として皆川城へ調査にやって来たところからこの物語は始まるのだ。
「ぼく」はそこで男と出会う。三十代か。体はたくましいし、関西弁だし、何より深い知識がある。つい「ぼく」はひるんで、調査への男の参加を承諾したばかりか、その調査に関してこれこれの情報を集めろと逆に言いつけられてしまう。男の興味は本にあった。「ぼく」の見せた資料のなかに小津久足著『皆のあらばしり』という書名をみとめたのである。
 小津久足は実在の人物である。江戸時代後期、伊勢松坂出身の豪商で、号は桂窓、こんにちでは良質の蔵書家として名高いが、この人はまた全国を歴遊した旅行家でもあったから、なるほどこの皆川の地にも来て、同好の士に自著をあたえたか書き写させたかした可能性はあるわけだ。
 もしも実物が出現すれば新発見。「ぼく」はにわかに意欲が出て、せっせと情報を集める。それを男に提供する。男はそれを聞いたり読んだりして、有益な話もするけれど脱線もする。たとえば現代における社会人がゴルフ等のいわゆる接待をやることに関して、

「接待術はな、結局は思わぬことを覚えておいてくれたっちゅうことに尽きるんや」

 深い省察のような、軽薄な処世訓のような手ざわりの警句。どっちも高校生には一種のあこがれ。
 こんなふうにして「ぼく」は歴史をまなび、人生をまなぶ。しかしこれは反面において、男の忠実な子分になりさがることも意味するだろう。少なくとも忠実な生徒ではある。それはどうなのか。蛹は蝶にならなくていいのか。
 考えてみれば、対談の目的というのは一方的な訓示にはない。相手を論破することにもないし、そもそも共通の結論を得ることにもない。
 結論を得ようとして良質の刺激をあたえあう、いわば知性と感性の陶酔にあるのだ。そのためには対談者ふたりは人間的に対等でなければならないけれども、その対等に「ぼく」はなれるか。この圧倒的な相手に対してどう自分の本領を打ち出すことができるか。
 このへんのところから、おそらく本書は真のテーマを見せるのだろう。単なる成長物語の域をはるかに超える所以である。江戸時代の豪商が書いた本が実在するかどうかなどという不要不急の問題は、こうして気がつけば「ぼく」を、いや私たち読者を、人生必須の問題に直面させていたのである。
 文章は『旅する練習』でもそうだったように、静かで清潔。高校生の心理の微妙なゆれも、客観的な歴史情報もおなじように語ることのできる汎用性の高さがある。
 そうして何しろ読みやすい。その秘密を冒頭の引用にさぐるなら、「ない」や「なり」のさりげない連続あたりが一因だろうか。ことばの上っ調子に流れないリズムのよさもまた、考えてみれば、人間の知性と感性のために必須の条件かもしれない。

(かどい・よしのぶ 小説家)
波 2022年1月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

乗代雄介

ノリシロ・ユウスケ

1986年北海道生まれ、法政大学社会学部メディア社会学科卒業。2015年「十七八より」で第58回群像新人文学賞受賞。2018年『本物の読書家』で第40回野間文芸新人賞受賞。2021年『旅する練習』で第34回三島由紀夫賞受賞。著書に『十七八より』『本物の読書家』『最高の任務』『旅する練習』『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』がある。

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