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アルマジロの手―宇能鴻一郎傑作短編集―

宇能鴻一郎/著

693円(税込)

発売日:2023/12/25

  • 文庫
  • 電子書籍あり

ただならぬ陶酔がここにある。このうえなく甘美で哀しい官能の極みを短編に昇華させた七編。

彼は「手が……アルマジロの手が」というばかりだったのです――。不気味な緊張感を孕む怪奇な作品「アルマジロの手」、美しい姫君に恋をした狸の哀切「心中狸」、むさぼり喰らう快楽にとり憑かれた男の無上の幸福「月と鮟鱇男」の他、「海亀祭の夜」「蓮根ボーイ」「鰻池のナルシス」、そして甘美な爛熟世界に堕ちた男を描く傑作「魔楽」を収録。官能の深みと生の哀しみを短編に昇華させた七編。

目次
アルマジロの手
心中狸
月と鮟鱇男
海亀祭の夜
蓮根ボーイ
鰻池のナルシス
魔楽
解説 鵜飼哲夫

書誌情報

読み仮名 アルマジロノテウノコウイチロウケッサクタンペンシュウ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 九鬼匡規「吸血娘 陰 哂」 画集『あやしの繪姿』新装版(アトリエサード刊)より/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 304ページ
ISBN 978-4-10-103052-4
C-CODE 0193
整理番号 う-28-2
ジャンル 文芸作品
定価 693円
電子書籍 価格 693円
電子書籍 配信開始日 2023/12/25

書評

背徳感溢れる物語

花房観音

「官能小説なら、私にも書けそう」
 団鬼六賞という官能小説の賞でデビューした私は、今まで何度か、小説を書いたこともない人に、そう言われた。
 なめられているのだということぐらいは、わかる。純文学やミステリーやSFは難しそうだけど、「官能」なら素人の自分にも書けると、わざわざ官能小説を書いている女に言ってくる人たちは、結構いる。
 どうしてそう思うのだろうと考えてみたが、おそらく「自分はセックスの経験がある。官能小説なんて、性体験を書けばいいんでしょ」と、思っているのだろう。だから、誰でも書けるものだ、と。でも、そう言ってくる人が、実際に官能小説を書いてデビューした話を、知らない。最初から官能を見下す人に、書けるわけがない。
 小説講座のような場所で、「小説家」には創作の質問が来るのに、「官能小説家」は、創作とは関係ない、好奇心に満ちた性体験や性的嗜好のことしか聞かれないというのは何度か経験してげんなりした。そのたびに私が純文学を書いて芥川賞でもとっていたら、性をテーマにしていても、個人的な性体験を初対面で聞かれるような無遠慮な振舞にあわないだろうにとは、考える。
 そんなとき、ふと浮かぶのが本書の著者である宇能鴻一郎だ。東大出の芥川賞作家から、官能小説家に転身するという経歴は、今の時代なら、ありえない気がする。権威ある立場から、男性を興奮させ勃起させるポルノのジャンルに移ることは。

 本書は『姫君を喰う話―宇能鴻一郎傑作短編集―』に続く、宇能鴻一郎の初期短編集だが、いわゆる性行為を描いた「あたし~しちゃったんです」という女性の独白スタイルの「官能小説」ではない。しかし直接の性行為に重点を置いてあるわけでもないのに、じゅうぶんに官能的だ。
「月と鮟鱇男」の中で、主人公は宴席の残肴を食べてしまう動機をこう語る。
「せめて自分の体におさめて、血とし、肉として同化し、愛しんでやろうと思う。血や肉にはならぬまでも、自分の歯で噛みくだき、舌でこねまわし、唾液と混ぜ、胃で揉み、醗酵させ、腸で水分を吸収し、数日体内において排泄してやるだけでも、自分とその食べもののあいだに交わされる親しみは、申し分なく強烈なものになるのに、と感ずるのである」
 性描写の巧い作家は、食の描写も巧いと言われることがあるが、口と舌、そこから内臓を経て排泄に至るまでのこのくだりは、想像力豊かな男なら勃起し、女は濡れるぐらい言葉の羅列がエロティックだ。
 この本の中では、表題作のアルマジロをはじめ、鮟鱇、鰻、海亀の産卵等、動物、魚、植物、そして何より食べ物をメタファーにして、「官能」が描かれている。
 それらはすべて濃厚で、味と香りが漂い、五感を刺激する。本を手にとってページをめくるだけで、全身の毛穴から毒混じりの蜜が体内に入り込み血液と混じり、支配されてしまうような感覚がある。しかも表現も構成も巧みで知的だ。これほど官能を文学として探求した作家はいない。自分の身体が、他人の言葉に陥落してしまうさまは、まさに極上の快楽をもたらすセックスのようだ。
 読み終わっても、まだ身体に宇能鴻一郎の言葉が残り、何度も蘇ってぞわぞわと肌を刺激し続ける。脳からどろりと、ぬるく白い液体がしたたってくる。
 本書を読むと、やはり宇能鴻一郎という作家は、「官能」をずっと描き続けてきた人なのだと誰もが理解するだろう。

「官能とは何だと思う?」
 著名な文筆家に酒席で問われたことがある。
 とっさに私が「背徳」と答えたら、彼は「その通りだよ」と言って、にこりと笑った。
 辞書を調べれば様々な意味が出てくるけれど、私にとっての官能は「背徳」だ。うしろめたい、けれど惹かれずにいられない、それなしでは生きていけないもの、秘めごと。
 セックスは、ほとんどの人間がしていることなのに、世の中で隠すべきものとされ、まるで無いことのようにされている。さらに、この短編集に描かれている人間の欲望は、当たり前の男女の営みを凌駕し社会を逸脱した背徳的なものばかりだ。
 人の五感を捕えて離さない官能的な言葉で綴られた宇能鴻一郎の背徳感溢れる物語を手に取って読んで欲しい。
 言葉とセックスして、絶頂に達して放心しながら、ページをめくり続けると、ぱっくりと割れた唇という裂け目から、声が漏れずにいられない。

(はなぶさ・かんのん 作家)
波 2024年1月号より

著者プロフィール

宇能鴻一郎

ウノ・コウイチロウ

1934(昭和9)年生れ。東京大学文学部国文学科卒業後、同大学院博士課程中退。在学中に発表した短編「光りの飢え」が芥川賞候補となり、翌1962年、「鯨神」で第46回芥川賞受賞。『逸楽』『血の聖壇』『痺楽』『べろべろの、母ちゃんは……』『むちむちぷりん』『夢十夜 双面神ヤヌスの谷崎・三島変化』『姫君を喰う話』『甘美な牢獄』『アルマジロの手』等著書多数。他に名エッセイ『味な旅 舌の旅』がある。

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