
姫君を喰う話―宇能鴻一郎傑作短編集―
825円(税込)
発売日:2021/07/28
- 文庫
- 電子書籍あり
官能の巨匠か、正統派文芸の偉才か。芥川賞受賞作を含む六編。本物の文学がここに。
煙と客が充満するモツ焼き屋で、隣席の男が語り出した話とは……戦慄の表題作。巨鯨と人間の命のやりとりを神話にまで高めた芥川賞受賞作「鯨神」、すらりとした小麦色の脚が意外な結末を呼ぶ「花魁小桜の足」、村に現れた女祈祷師の異様な事件「西洋祈りの女」、倒錯の哀しみが詩情を湛える「ズロース挽歌」、石汁地蔵の奇怪なる物語「リソペディオンの呪い」。圧倒的な迫力に満ちた至高の六編。
鯨神
花魁小桜の足
西洋祈りの女
ズロース挽歌
リソペディオンの呪い
書誌情報
読み仮名 | ヒメギミヲクウハナシウノコウイチロウケッサクタンペンシュウ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 九鬼匡規 画集『あやしの繪姿』(アトリエサード刊)より/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 384ページ |
ISBN | 978-4-10-103051-7 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | う-28-1 |
ジャンル | 文学賞受賞作家 |
定価 | 825円 |
電子書籍 価格 | 737円 |
電子書籍 配信開始日 | 2021/07/28 |
書評
だから短編集はやめられない
今、僕は自分の劇団の公演の準備中で、オムニバスのコメディ芝居を作っている。小説でいうところの短編集を作っているわけだが、登場人物の総数はかなりの数となり、それぞれにきっちりとした人物像を付けていくのは相当な労力になる。作り手としては意外に大変なジャンルだ。しかし、芝居であれ小説であれ、短編集は、作家が描きたい瞬間が、長編よりも高い濃度でそれぞれのお話の中に存在するので、伝えたいものをダイレクトに伝えられたり、「中にはお気に召さないお話もあるかもしれませんが」という冒険ができる魅力もある。
受け取り手としても、短編集は一つ一つは関係ない物語でも、通して読んでいくうちに、自分の中にぼんやりと出現した想像世界のピースが少しずつ埋まっていくような快感も得られるし、物語が幕を閉じる場面が好きな僕としては、一冊で何話もの話が終わる短編小説は好きなジャンルだ。

小川洋子さんの『まぶた』という短編集には、物語というものが持つ魔力や妖力のような人を惹き付ける渦から自然発生したと感じられる話が8つ収められている。
初めて読んだのは15年以上前だと記憶しているが、「こんなにも静かで力強いエンタメがあるんだ」と感動した。改めて読んでみたが、実に不思議な読書感覚だ。物語はひじょうに上品な手つきだが、力強く僕の胸元を掴み、その世界を連れまわす。ふいに一本背負いでもカマされそうな気配に怯える僕は、「そんなことしませんよ」とあっけなく解放されて胸を撫で下ろす。そうして、また次の物語へとページを捲るのだ。ひとつひとつの話が小さな遊園地の乗り物のようでありながら、乗っている最中はまるでリアルな夢を見ているような生々しい感覚がある。目が覚めてしまえば、あり得ないと笑ってしまえるようなことが、その最中には気付けない、あの感覚だ。小川さんの持つディテールのアイデアが好きだ。キャンディーの缶に入ったヤモリのミイラや、痴呆症治療のためのアコーディオン同好会、髪の毛の生えた卵巣……絶対おもしろい方なのだと思う。

宇能鴻一郎さんの『姫君を喰う話』に収められているのも傑作ばかりだった。表題作は煙と客が充満するモツ焼き屋で晩酌中に虚無僧が隣に座ったことから話が急展開する。この始まりと、物騒なタイトルに心を惹かれた僕だったが、それよりも心つかまれる話がいくつかあった。
どの話も、むせかえるような描写は常に淫靡で濃厚だが、同時に切なく儚い。昔話のような暗く恐ろしい部分に、生と性が縄のように絡まり、物語は力強く脈打ち色を放つ。今は昔の話が多く、あらゆるコンプライアンスに抵触する話ばかりだが、現代人が今本能で求めているのはこんな物語たちなのではないだろうか。たまにはこういう物語を脳に喰わせてやらないといけないと思う。精がつくはずだ。
最後は、漫画で、つげ義春さんの『義男の青春・別離』だ。

この本は、本当にお得で、一家に一冊あっていい。騙されたと思って読んでほしい。つげ義春さんの漫画の魅力が全て詰まっていると思う。全部で14話入っている。「寂しくてエッチ、それすなわち若者の全て、いや人間の全て」といった感じが暗くひたひたと描かれている。シュールでめちゃくちゃ笑える作品も入っている。とにかくお得な一冊なのだ。まるで昭和の寂れた温泉街が一冊になったような。
というわけで、珠玉の三冊を紹介させていただいたが、読んでみたら全然違うじゃねえか! という声が起こるかもしれない。無理もない、それこそが短編集の魅力なのだ。どの話があなたの心に居座るか。僕との違いを楽しんでもらいたい。
(いわさき・うだい お笑い芸人/劇作家)
波 2023年9月号より
日本文学史の穴ボコを埋める
芥川賞作家で、思いもよらないジャンルを開拓した二大巨頭といえば、松本清張とこの宇能鴻一郎だろう。昭和二十八年「或る『小倉日記』伝」で賞を受けた清張は三十三年に「点と線」で一躍脚光を浴び、社会派推理小説の旗手となった。一方、三十七年に「鯨神」で芥川賞を受けた宇能の転身は、はるかに衝撃的だった。
「あたし、濡れるんです」――。今の言葉でいえばエロカワイイ文体のポルノ小説で四十年代後半以降、一世を風靡。おじさまの絶大な人気を誇り、かわりに文壇からは見事に消えた。
選考委員の坂口安吾は、「或る『小倉日記』伝」について〈この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる〉と、清張の未来を見事に予見し、「鯨神」については、選考委員の丹羽文雄が〈豊かな描写力は、ひとを驚かすに足る〉と評価しつつも、〈宇能君はどんな風になっていくのか、私達とあんまり縁のないところへとび出していくような気がする〉と、これまた転身を予見していたことも文学史の一コマとして残る。
受賞当時の宇能は、東大大学院博士課程に在籍する二十七歳。文化人類学の手法を国文学に取り入れて古代日本文化を研究する学徒でもあった。「鯨神」は魔神のような巨大クジラに、祖父、父の命を奪われた若者が、仇をとるまでを描く壮大な海洋小説で、受賞会見では「血の匂いにみちた文学、野蛮な文学、オスの文学を書きたい」と抱負を語っている。
本書『姫君を喰う話―宇能鴻一郎傑作短編集―』は、「鯨神」にはじまり、宇能が本格的にポルノを書き始めるまでの昭和三十年代から四十年代に書いた短編六作を収録する。まさに血の匂いと人肌の感触が濃厚な野蛮な文学の集大成で、日本文学史の穴ボコを埋める、筆者待望の短編集である。
鵜のように首を長くして待っていたのには訳がある。昨年三月、あるイベントでご一緒した直木賞作家篠田節子さんから、「宇能さんが官能小説を書くまでの小説は抜群に面白い」と力説され、『お菓子の家の魔女』(講談社、昭和四十五年刊)を古本で購入、一読三嘆していたからである。
その冒頭収録の「姫君を喰う話」は、モツ焼き、しかもまだピクピク動いていそうな新鮮な動物の内臓を食わせる店で、汁液をすすりほおばり、なめ、しゃぶるうちに、愛する女体を舌で愛撫する妄想を愉しむ男が、店で隣り合った虚無僧から聞いた、古代の王朝時代の悲劇譚である。それは、男が遠い昔、武士であった時代に、ある高貴な姫君の脚を口で愛でたことに始まる惨劇であり、清涼感もある王朝幻想譚でもあった。むせかえるような匂いと肉感があふれる怪作の余韻は舌先に残り、もっと読みたいと思っていたら、この文庫が出た。
「西洋祈りの女」ではウナギ、「リソペディオンの呪い」では母胎内を思わせる鍾乳洞が肉感的に、克明に、グロテスクに描かれ、生と性、食と触という人間存在の根本への執着的な関心が綴られ、文章が体にからみつくような猟奇文学が並ぶ。
そのあからさまな描写は、ある意味、すでにポルノ的だったと言える。文芸作品では性愛はさりげなく書き、行間で読者の想像力をかき立てるのが上品とされる。たとえば、和泉式部の代表作のひとつに数えられる〈黒髪のみだれもしらず打ち伏せばまづかきやりし人ぞ恋しき〉では、房事の激しさそのものは表現せず、それを物語る黒髪の乱れについてのみ記し、乱れも知らず陶然とする女性の黒髪をかきやってくれる男を恋しい……と歌う。これに対して、本書収録の「西洋祈りの女」では、宇能は、衆人環視のもとで、女性が白い脂の乗った尻をあからさまにして、男とからみあう姿を描いた。それゆえ宇能作品は初期から、「ゲテモノ調」と純文学評論では嫌われたが、宇能は我が道を行き、官能の凱歌をあげた。
平成二十三年には、「オール讀物」で、エッセイスト平松洋子さんが、公の場に姿を見せない謎多き作家に会い、「官能と食べもの、この両方がないと僕のなかではバランスがとれないんです。やっぱり生命力というか、根源的な生命への憧れでしょう」という証言を得ている。
八十代の今も、孤高に新作長編を構想中という宇能の異色短編集では、篠田節子さんが解説を書いている。
ようこそ、裏バージョンの文学の世界へ!
(うかい・てつお 読売新聞編集委員)
波 2021年8月号より
インタビュー/対談/エッセイ
入院すると背が高くなる
七月半ば、横行結腸ガンとかで二週間入院した。手術そのものは痛くない。腰椎麻酔も腕の採血より痛くない。尿管挿入は親しい編集者が苦痛をうったえていたが、なんということはなかった。こちらの太さによるのかも。自慢しているのではないよ。
それより苦痛なのは術後二週間の不自由な入院だった。傷跡はうごけば痛む。大谷選手の活躍だけが気分転換だった。彼の前世は宮本武蔵か。それは古すぎる。執筆中の新チャンバラ小説「新撰組」に適当な剣士はいないか。近藤勇は虎徹、土方歳三は和泉守兼定、いずれも二刀流ではない。沖田総司は都合により短期間、藤井総司と名乗らせて師匠を切らせるが、彼の剣技は三段一本突きで大谷の前世にふさわしくない。
あきらめてチャンネルをかえてみると、こちらはオリンピックばかりだ。開催のいきさつもコロナにもかかわらず中止しないのも、日中戦争にひきずりこまれ、英霊に申しわけないとヒロシマナガサキに至った同調圧力と同じだ。歴史はくりかえす。最初は悲劇、二度目は喜劇(K・マルクス)。
この弊害をなくすには同調圧力を二分するしかない。つまり自民党を二分する。
と妄想はとめどないが、妄想を退院後の生ビールに切りかえることにした。しかし腹がたつことばかりだ。だいたい飲食関係の感染は数パーセントというではないか(米村滋人教授:「週刊新潮」8/5号)。そのうち酒由来はさらに少ないはずだ。映画、その他の集まりはいいのになぜ酒ばかりを眼のかたきにするのか。外食産業のグローバルダイニングは敢然とこの理不尽に法廷闘争をいどみつづけている。
筆者が行った店も広い室内酒場で五人以上のグループはせいぜい一組だ。筆者は妻の運転で飲みに行っていたので、実質一人飲みだ。それもいかんというのか。怒りのあまり万葉集を改作した。
あな醜、賢ぶりすと酒停むるやつらの顔は猿にかも似る
退院してきたら新しい文庫本がとどいた。
うれしい。何しろ芥川賞の「鯨神」は前の文庫から四十年たっている。内容も徹底的な校正を経て満足すべき決定稿となった。
それにしても火付け盗賊改めならぬ徹底した矛盾撞着改めにはおそれいった。
「すでに二隻の小舟は巨鯨に粉砕された。残りは○隻。なのに○隻残っているではないか。男たち○人死んだ。なのに○人残っている。数があわぬ。返答はいかに」。税務署よりきびしい。おかみにもお眼こぼし、お慈悲はあるが、新潮校正にお眼こぼしお慈悲はない。
と、校正者が出てくるわけではないが、まさに検事並みの秋霜烈日ただおそれいるしかなかった。そのおかげで申し分ない仕上がりとなった。
カバーも素晴らしい。まさに宝石箱だった。中身が宝石とはおこがましいかもしれないが、それだけの愛着があると思ってもらえたらありがたい。
著者写真だが十年前の今より髪の毛のあるのを恐る恐る提出したらパスした。調子にのって六十年前の髪ふさふさのを提出したら即時却下となった。これは芥川賞祝賀会の写真で、今初めて告白するが結婚披露宴を兼ねていたのだ。
当時自分は飢えて孤独な狼だった。妻の実家に結婚を納得させるために少しでも既成事実を積み重ねる必要があった。しかしあまり披露宴ぽくなってもまずいので親族は妹一人しか呼ばなかった。教授、助教授は全部呼んだ。妻は緊張してグラスをかたくつかんでいるのが写真にのこっている。その後六十年こちらもかたくつかまれてきた。勝手に披露宴もさせてもらって文春には感謝の言葉もないが、だからと言って絶対文春にしっぽはふらなかった。それを意識するあまりかみついたりした。実に若気のいたりだった。
母親は呼ばなかったが会場の前まできて入れてくれといった。つらかったが断固拒否した。
結婚披露宴ぽくなりすぎるし、一家そろって文学賞受賞を喜ぶのはみっともないと思ったからだ。
つらい思いを抱えてきたない間借り部屋に帰ると、上京いらいのボロフトンがあたらしくなっていた。さすがに胸キュンとなった。筆者がこの時泣いたと新聞に書かれたが、絶対泣かなかった。六十年後の今こそ訂正する。ぜったい泣かなかったぞ!
(うの・こういちろう 作家)
波 2021年10月号より
担当編集者のひとこと
宇能鴻一郎といっても、ご存じない方も多いかもしれません。官能作家のイメージが強い人もいるでしょう。ですが、もともとは東大大学院時代に芥川賞を受賞した、大江健三郎さんと一歳違いの作家です。以後続々と発表された作品群はどれも濃厚な迫力に満ち、一部の作家や評論家に一目置かれてきました。やがて「官能小説」の巨匠としても、一世を風靡します。
しかしその実像は、きわめて謎めいています。文壇とは距離を置き、パーティの類にも姿を現さない。「原稿料が日本一高かったらしい」という噂や、洋館に住み、時折り美女とダンス夜会を開くという話も……。異端的な作風とも相まって、「謎の鬼才」といっていいのです。
この短編集もまた、鬼才の真髄が存分に味わえる作品ばかり――。
芥川賞史に爪痕を残した衝撃の「鯨神」。表題作「姫君を喰う話」は、満員のモツ焼き屋で語られる典雅で戦慄の物語。すらりとした小麦色の脚が意外な結末を呼ぶ「花魁小桜の足」、村に現れた女祈祷師の異様な事件「西洋祈りの女」。倒錯の哀しみが詩情を湛える「ズロース挽歌」、石汁地蔵の奇怪なる物語「リソペディオンの呪い」。
人はなぜ物語を欲するのか。なぜ物語から力を得るのか。その原初の欲望に目を凝らし、怖れることなく生と死の深淵を抉る傑作集です。すでに3刷となり、読者をますます虜にしています。(文庫出版部・MN)
2021/10/27
著者プロフィール
宇能鴻一郎
ウノ・コウイチロウ
1934(昭和9)年生れ。東京大学文学部国文学科卒業後、同大学院博士課程中退。在学中に発表した短編「光りの飢え」が芥川賞候補となり、翌1962年、「鯨神」で第46回芥川賞受賞。『逸楽』『血の聖壇』『痺楽』『べろべろの、母ちゃんは……』『むちむちぷりん』『夢十夜 双面神ヤヌスの谷崎・三島変化』『姫君を喰う話』『甘美な牢獄』『アルマジロの手』等著書多数。他に名エッセイ『味な旅 舌の旅』がある。