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どくとるマンボウ航海記

北杜夫/著

572円(税込)

発売日:1965/03/02

  • 文庫
  • 電子書籍あり

のどかな笑いをふりまきながら、青い空の下をボロ船に乗って海外旅行に出かけたどくとるマンボウ。独自の観察眼でつづる旅行記。

書誌情報

読み仮名 ドクトルマンボウコウカイキ
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 240ページ
ISBN 978-4-10-113103-0
C-CODE 0195
整理番号 き-4-3
ジャンル エッセー・随筆、文学賞受賞作家
定価 572円
電子書籍 価格 440円
電子書籍 配信開始日 2008/05/01

書評

ユーモアと二面性

藤井青銅

 手元にある新潮文庫『どくとるマンボウ航海記』の奥付は、昭和四十六年八月三十日 十五刷とある。定価は、なんとたったの百十円! パラパラめくると文字の小ささに驚く。高校一年の私はこれを苦もなく読んでいたんだなぁ、と内容とは関係のない感慨にふけってしまう。

北杜夫『どくとるマンボウ航海記』書影

 私の世代はだいたい、北杜夫の「どくとるマンボウ」シリーズから本好きになる。オランダにスケヴェニンゲンなんて街があることを知り、大喜びするのだ。一方で『幽霊』から『楡家の人びと』に至る小説も読み進め、私はユーモアとシリアスの両方を書く作家の二面性に惚れるのだ。北作品関連から、なだいなだ、遠藤周作、吉行淳之介、さらには斎藤茂吉の『赤光』を読んでセンチメンタルな気分に浸ったりしていたのだから、まことに高校生らしい青臭さだと思う。
 とはいえ、私の好みはユーモアの方が勝る。大学生の時にカレル・チャペックの『園芸家12カ月』に出会った。チャペックもまた、ユーモアとシリアスの二面性を持った作家なのだ。ある時、北杜夫が新作を語っているラジオを聞いた。なんでも昔、友人なだいなだに「あんたのどくとるマンボウみたいなユーモアエッセイを書きたいがどうすればいい?」と聞かれ、「チャペックを参考にすればいい」と答えたというではないか。
「そうだったのか!」
 と私は叫んでしまった。私の中では別物だった二つの本が、実は同根であったことを知って驚いたのだ。「道理で、どっちも好きなわけだ」と深く納得した。
 やがて、リング・ラードナーの短編集『アリバイ・アイク』から、私はラードナーにはまる。ラードナーにはメジャーリーグものと呼ばれる作品群があり、表題作の言い訳ばかりしている野球選手「アリバイ・アイク」や、凄い新人選手獲得秘話「ハーモニイ」などのユーモア作品と、淡々と苦い人生を描く「チャンピオン」のような作品もある。これも二面性だ。
 私が作家になったばかりの頃、先輩作家にラードナーが好きだと言ったら、
「ラードナーが好きだという人に初めて会った」
 とひどく驚かれた。
「ああいう小説を書きたいんです」
「好きなら真似て、どんどん書けばいいんだよ」
 とアドバイスされた。そこで「アメリカだから野球だ。日本だと相撲だ」なんて妙な変換をして、ラードナー風の相撲小説を書いたりもした。
 少し遅れてデイモン・ラニアンの短編集『ブロードウェイの天使』から、ラニアンにはまる。ラニアンもまた、ブロードウェイものと呼ばれるユーモア作品群と、苦く切ない物語の二面性がある。これまた「アメリカだからブロードウェイだ。日本だと古いラジオ局だ」なんて変換をして小説を書く。まったく、我ながら節操がない。
 のちに、ラードナーもラニアンも同じジャズ・エイジの作家であることを知る。
「そうだったのか!」
 とまたもや、私の中では別物だった二つの本が実は同根であることを知って驚くのだ。「道理で、どっちも好きなわけだ」と。
 そのラニアンの『ガイズ&ドールズ』が出たのだ。おなじみの「ミス・サラ・ブラウンの恋の物語」も入っている。いい作品は何度だって出版されるという見本のようで、嬉しくなる。

デイモン・ラニアン、田口俊樹 訳『ガイズ&ドールズ』書影

 ドナルド・E・ウェストレイクといえば数々のペンネームと、やはり二面性を持つミステリー作家だ。私は、天才犯罪プランナー・ドートマンダーが主人公のユーモアミステリー・シリーズが好きだ。『ギャンブラーが多すぎる』はその系譜。新潮文庫にウェストレイク初登場とあっては、読まずにいられない。この本の翌年からドートマンダーものが始まる。なので、それへのアプローチとして、なぜか二組のギャング団に追われる男の物語を「これこれ、この世界だよ」とニヤニヤしながら読んだ。

ドナルド・E・ウェストレイク、木村二郎 訳『ギャンブラーが多すぎる』書影

 ここにあげたどの本の登場人物も、辛い時、嫌な気分の時、カッコつけたくなる時、うっかり真面目になにかを語りそうな時ほどユーモアを! なのだ。そこがいい。
「そうだったのか!」
 とたったいま気付いた。ユーモアと二面性の作家――ではなく、二面性と折り合いをつけるためにユーモアが必要なのだ、と。あと、私の好みは百十円で新潮文庫を買った高校生の頃から変わらないということにも気付いたのだが、まあ、これはどうでもいい。

(ふじい・せいどう 作家/脚本家/放送作家)

波 2024年7月号より

「マンボウ調」にあこがれて

吉崎達彦

 子供の頃、富山市の清明堂書店で新潮文庫の長い書棚を見て、どこから攻めたらよいのか、と思案したものである。
 最初の一歩は星新一であった。SF小説から推理小説、そして歴史小説へ。それから海外文学も。今までに何冊の新潮文庫を読んだか見当もつかない。「3冊選べ」とはかなり酷なご注文である。
 大学時代に嵌まった倉橋由美子作品などは、その多くが絶版になっていよう。なにしろジェフリー・アーチャーでさえ危ういそうなので。コナン・ドイルシェイクスピアはさすがに安全圏で、アルベール・カミュも健在だが、ジャン=ポール・サルトルは風前の灯であるらしい。
 風雪に堪えて現存する3000点の中から何を選ぶべきか。まずは、自分にとって重要な作家から始めるべきだろう。

北杜夫『どくとるマンボウ航海記』

(1)『どくとるマンボウ航海記』(北杜夫)
 1960年のベストセラーである。若き医師が、水産庁のマグロ調査船の船医になって、世界各国を見て歩く、という設定が既に時代ものである。
 最初の寄港地シンガポールは、今では日本以上に進んだ都市国家であるが、本書の中ではのどかな途上国であり、日本軍による占領の残滓があった。60年前の世界と日本人はこんな感じであったのだ。
 しかし文章のリズムは今も新鮮で、韜晦と含羞の名調子である。マンボウものは『青春記』『昆虫記』などのシリーズとなり、今も多くのファンに愛され続けている。
 筆者もまた、「マンボウ調」の文章にあこがれた。今から約20年前、「溜池通信」というホームページを作ったときに、マンボウに似せて「かんべえ」というハンドルネームを作った。今も誰かに「かんべえ節ですね」などと言われると、秘かに嬉しくなってしまうのである。

司馬遼太郎『項羽と劉邦』

(2)『項羽と劉邦』(司馬遼太郎
 司馬遼太郎の主要長編は、ドラマ化されるたびに脚光を浴びる。その点、中国を舞台とした本作は盲点となっているのではないだろうか。
 漢楚の興亡の物語である。偉大なるダメ男・劉邦は、一代の英傑・項羽に敗れ続ける。両者を取り巻く張良や韓信、陳平や范増など脇役陣も魅力的だ。膨大な人物像を語りつつ、「古代中国の戦争とは、兵士に飯を食わせることだった」とさらりと喝破してしまう。司馬流史観の面目躍如である。
 項羽と劉邦の力関係は、最後の最後に逆転する。司馬遷の『史記』にある通り、「虞や、虞や、なんじ奈何いかんせん」というドラマに至る。もともとは「司馬遷を望んで遼かなり」というペンネームであったそうだが、ここで両者は混然一体となる。
 書庫で埃をかぶっていた上中下巻を開いたら、あれよあれよという間に最後まで読み返してしまった。こんなに満ち足りた時間を与えてくれるのだから、文庫本とはつくづくありがたい存在である。

玉岡かおる『お家さん』

(3)『お家さん』(玉岡かおる
 最後の1冊は、ささやかながら自分が関係した新潮文庫のご紹介。
 大正から昭和初期にかけて、日本一となった商社、鈴木商店の物語である。神戸の洋糖輸入商だった鈴木商店は、女主人・鈴木よねと大番頭・金子直吉の下で世界に雄飛する。よねは直吉に全権を託し、直吉はよねのために全力を尽くす。台湾進出に成功し、多くの企業を誕生させる。他方、急成長の余波もあり、「コメを買い占める悪徳商社」と言われなき誹りを受け、本店を焼き討ちされたりもする。最後は関東大震災のあおりを受けて倒産するのだが、不思議と後味は悪くない。よねの一人称のやわらかい関西弁のせいもあるのだろうか。著者の玉岡かおるは兵庫県出身。女性経営者の大河小説を、多く世に送り出している。
 この鈴木商店の末裔が、今日の双日の一部となっている。筆者のように1980年代までに日商岩井に入社した世代は、ご先祖様に「お家さん」と呼ばれる女性オーナーが居たことを記憶している。その家庭的でエネルギッシュな社風の名残りとともに。
 そのご縁で本書の解説を書かせていただいた。筆者が思い描いていた鈴木商店の歴史とは畢竟、男の視点によるものであったことを思い知らされた。あの当時、『坂の上の雲』を仰ぎ見ていたのは、男たちだけではなかったのである。

(よしざき・たつひこ=双日総合研究所チーフエコノミスト)
波 2020年11月号より

著者プロフィール

北杜夫

キタ・モリオ

(1927-2011)本名・斎藤宗吉。東京青山生れ。旧制松本高等学校を経て、東北大学医学部を卒業。神経科専攻。1960年、半年間の船医としての体験をもとに『どくとるマンボウ航海記』を刊行。同年、『夜と霧の隅で』で芥川賞を受賞。その後、『楡家の人びと』(毎日出版文化賞)、『輝ける碧き空の下で』(日本文学大賞)などの小説、歌集『寂光』を発表する一方、「マンボウ・シリーズ」や『あくびノオト』などユーモアあふれるエッセイでも活躍した。父、斎藤茂吉の生涯をつづった「茂吉四部作」により大佛次郎賞受賞。

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