
キッチン
539円(税込)
発売日:2002/06/28
- 文庫
生きることは淋しい。でも美しい。〈世界の吉本ばなな〉のすべてはここから始まった。定本決定版。
私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う──祖母の死、突然の奇妙な同居、不自然であり、自然な日常を、まっすぐな感覚で受けとめ、人が死ぬことそして生きることを、世界が不思議な調和にみちていることを、淋しさと優しさの交錯の中で、あなたに語りかけ、国境も時もこえて読みつがれるロング・ベストセラー、待望の定本決定版。〈吉本ばなな〉のすべてはここから始まった。
満月――キッチン2
ムーンライト・シャドウ
そののちのこと(文庫版あとがき)
書誌情報
| 読み仮名 | キッチン |
|---|---|
| シリーズ名 | 新潮文庫 |
| 発行形態 | 文庫 |
| 判型 | 新潮文庫 |
| 頁数 | 208ページ |
| ISBN | 978-4-10-135913-7 |
| C-CODE | 0193 |
| 整理番号 | よ-18-2 |
| ジャンル | 文芸作品 |
| 定価 | 539円 |
書評
“逃げ場”から“確かな道筋”へ
学生の頃、私にとって本は“逃げ場”だった。教室の片隅で、誰にも干渉されたくないという一心で本を開く。ページの内容なんて一行も頭に入っていなかったけれど、とにかく「本を読んでいる私」という防御壁を張っていれば、なんとなくやり過ごせたからだ。それが上京後、少しだけ贅沢な“隠れ家”へと進化した。家具のない殺風景な部屋で、ダンボールの上に積み上げた物語たち。かつての逃げ場は、いつの間にか自分だけの時間を楽しむための大切なスペースになっていた。
そんな私の時間を、密かに、しかし確実に彩ってくれた三冊がある。あれから少し大人になった今、改めて読み返すと、夢を追い上京してきた当時を少し愛おしく感じさせてくれる、特別な物語たちを紹介したい。

江國香織『つめたいよるに』
「デュークはとても、キスがうまかった」
この一文で魔法にでもかかったように物語に引き込まれた。冒頭の一編「デューク」は、愛犬との別れと再生を描いた物語だ。空想的で、オカルトめいた静けさは、現実の境界を曖昧にし、私の日常をふわりと非日常へと誘い込んでいく。
この本には、そんな柔らかな揺らぎが満ちている。終盤の一編「ねぎを刻む」に触れるとき、私は頁を閉じて反芻する。
「どうして、二人の方が孤独が濃くなったりするんだろう」
その切実な問いに、冷たい熱を感じる。物語は日常を切り取った一片。彼女はラスト、食卓を整えながら、「私の孤独は私だけのものだ」と確かめ、しゃくりあげながら山盛りのねぎを味噌汁に入れる。そして深呼吸をして、明日を迎える覚悟を決めたようにご飯を食べる。あの孤独を肯定する慎ましさが、今の私に必要な温度をくれる。ドライな都会の風の中で、この本だけが確かな体温を持って、今日も私の本棚で静かに呼吸している。

窪美澄『ふがいない僕は空を見た』
ふと、そのタイトルを声に出したくなる時がある。切ないのに、どこか小気味良さがあって、胸の奥の澱をすくい取ってくれるような感覚だ。
大人になる過程で突きつけられる現実は、時に不器用なほどに残酷だ。物語の中の彼らは、誰にも言えない関係や自身の未熟さに押しつぶされそうな日々を送っている。甘い言葉で寄り添ってくれるわけではないが、彼らの抱く“痛み”がどうしようもなくまさに痛いほどに伝わってくる。それは生と性の営みのなかで、誰かと、あるいは自分自身と、魂で繫がろうとする必死の足搔きだ。
それが行間から、胸を射抜くほどの鼓動の音を伴って流れ込んでくる。物語の彼らを見ていると、「どうしても生きていたい」という泥臭い底力がふつふつと湧いてくるのを感じる。“逃げ場”だった読書は、この本に出会ったことで、現実を受け入れた上で自分の足で立つという確かな道筋へと変わった。この本は、傷ついたまま空を見上げる勇気をくれる伴走者である。

吉本ばなな『キッチン』
かつてはただの点だった読書が、いつしか点と点が線になるように、私の足場へと変わってきた。そのなかでも、この物語に抱く感情は少しだけ複雑だ。完全に分かり合えるわけではない他者と生きることは、いつだって痛みを伴う。
作中の彼らは非情な喪失を背負わされ、「神様って、いないのかしら」と零す。なのに、そんな彼らが羨ましく見える。運命に翻弄されながらも周りを惹きつけてやまない光のようなものがそこにはあるから。感情移入すればするほど苦しいのに、眩しい羨望すら入りまじってくる。
「満月」「ムーンライト・シャドウ」と、この本に月がたびたび顔を出すのも好きだった。夜に月を見上げる時、私はたったひとりになれる。空にぽっかりと浮かぶ月は、どうしようもない隔たりや痛みを抱えた私たちの頭上で、ただこちらを眺めるように光っている。同じ屋根の下で誰かが息をしていて、水音が響くキッチンのそばで眠る夜は、隙間を無理に塞ぐのではなく、その隣で今日をやり過ごすこと。そんな小さな営みに、月はそっと寄り添ってくれる。
かつて身を潜めるための逃げ場であり、束の間の隠れ家だった物語は、いつしか私の人生に欠かせないものとなった。ねぎを刻み、誰かの気配を感じ、丁寧に日々を重ねていく。そうして自分の手で紡いだこのささやかな暮らしこそが、かつての心細かった私を温めてくれる。あの頃夢見た未来の部屋で、今日も愛おしい物語たちをそっと抱き寄せる。
(いもう・はるか 俳優)
1cm以内の物語
夏になると新潮文庫にそわつく自分がいる。
読書感想文をどの本で書こうか、と本屋を覗くのは夏休みの風物詩であった。
あれも読みたいこれも読みたい、推薦図書は誰かと被っちゃうかなぁ、など悩むことが多い中で「新潮文庫の100冊」の棚にはかなりお世話になった。そこから更に1冊に絞り込むためウンウン唸って選んだ記憶がある。
今でも「新潮文庫の100冊」のポップを見ると夏が来たなぁ~としみじみして、気付くと数冊抱えて帰る、そんな読書感想文のない夏も幾度となく過ごしている。
私が文庫を買うとき、というのは「好きな単行本が満を持して文庫化されたので持ち運べる喜び」パターン、「タイトルと概要は知ってるけど未読なので読んでみよう文庫なら気軽だし」パターン、「今から旅行なんだけど空港や駅でつい本屋に寄ったら案の定読みたい本がある」パターンに分かれる。
前者2つは厚みを気にせず買うのだが、最後の1つはそうはいかない。なぜ厚みを気にしているかというと、既に家から積読を数冊持ってきているのだ。この時点で重い。なんなら、たんまりダウンロードしてある電子書籍もある。それに、あまりにも長い作品を読み始めてしまうと途中で閉じられず、車窓から見える景色などそっちのけになってしまい、酷い時は二宮金次郎スタイルでも読みたくなってしまうほど集中してしまうので旅に向かない。
ここで私は自分にルールを課す、旅先で買ってもいいのは「1cmまでの文庫」。
今回は旅に連れて行った、1cm以内にぎゅっと詰まった文庫を紹介しようと思う。
小川糸『あつあつを召し上がれ』、7mm。
短編が7編収録されている。私は食べ物関連の作品に目がないのだが、小川糸さんの作品に出てくる食べ物は温度まで伝わる。まさにタイトル通りにあつあつ。しゅうまいの描写に口の中はホフホフし、ポトフがじんわり沁みる。“美味しそう”を突き詰めた感覚である官能も感じられてドキリとする。私の人生の節々にも象徴的な食べ物があるが、こうしてチャプターごとに食べ物がある人生をおくれるのは幸せだ。たとえそれがしょっぱい失恋でも、苦い別れでも。
吉本ばなな『キッチン』、7mm。
私が紹介するまでもない、刊行から30年以上が経った今も愛され続ける作品。旅行というインスタントな孤独とこの作品の主人公が置かれている環境は全くもって比べ物にならないけれど、ここではないどこかへ引き離されて自分が浮き彫りになっている時に似合う。死と、生に、当たり前にしっかり向き合うこと。今日も自分でいること。キッチンは孤城であり、愛を育む舞台だ。
読むたびに心に残る言葉があるけれど、今回読み返して響いたのは「人はみんな、自分の気持ちの面倒は自分でみて生きているものです」。
最後に、私が新潮文庫で何度も繰り返し買った本。サン=テグジュペリ『星の王子さま』。
なんで何度も買う必要があるのかと思われるかもしれないが、私にとって星の王子さまこそ旅先で読みたい1冊だ。
はじめて自分の計画で旅に出た時、肩から斜めがけするちょっと大げさなブックカバーに収めたのがそれだった。そこから私にとって旅に出る時に持って行く本となった。読みたくなるとその都度買う。持ち歩くし、プレゼントするし、なくす、となるとまた手元からなくなる。
本当は1冊を丁寧に大事にすべきなのだけれど、なぜか星の王子さまだけは何度も買っている。今回も、星の王子さまは何mmかなと本棚を探したら見当たらなかった(そんなはずないのに!)。最寄りの本屋に行き、新潮文庫の棚を見る。必ずと言っていいほどちゃんとそこにある星の王子さまを購入し、測ってみるとちょうど1cmだった。
小さいカバンに1cmの厚みを忍び込ませて今日も出かける。この夏はどこへ行こうか。
(ゆめみ・ねむ 書店店主・元でんぱ組.incメンバー)
波 2019年7月号より
関連コンテンツ
映画「ムーンライト・シャドウ」特報
映画「ムーンライト・シャドウ」
監督 エドモンド・ヨウ
出演 小松菜奈、宮沢氷魚 ほか
原作 吉本ばなな『キッチン』(新潮文庫)
▼映画「ムーンライト・シャドウ」
https://moonlight-shadow-movie.com/
映画「ムーンライト・シャドウ」60秒予告映像
著者プロフィール
吉本ばなな
ヨシモト・バナナ
1964(昭和39)年、東京生れ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。1987年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。1988年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、1989(平成元)年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、『TUGUMI』で山本周五郎賞、1995年『アムリタ』で紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞(安野光雅・選)を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されており、イタリアでスカンノ賞、フェンディッシメ文学賞〈Under35〉、マスケラダルジェント賞、カプリ賞を受賞。近著に『吹上奇譚 第三話 ざしきわらし』がある。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。

































