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胃が合うふたり

千早茜/著 、新井見枝香/著

1,760円(税込)

発売日:2021/10/29

  • 書籍
  • 電子書籍あり

悩みごとはとりあえず、食べてから話そう。ふたりの友情はうまいものと共にある。

ストリップ鑑賞の厳選おやつ、銀座絶品パフェめぐり、コロナ禍に交わすご馳走便、人生を変えた日の中国茶、新居を温める具沢山スープ――胃が合う友と囲む食卓は、こんなにも豊かで甘やかだ。人気作家とカリスマ書店員が共にした11の食事から、それぞれの見た景色や人生の味わいまでも鮮やかに描き出す、風味絶佳のWエッセイ集!

目次

はじめに

歌舞伎町ストリップ編

銀座パフェめぐり編

神楽坂逃亡編

両国スーパー銭湯編

高田馬場茶藝編

ステイホーム編

福井・芦原温泉編

京都・最後の晩餐編

神保町上京編

おわりに

書誌情報

読み仮名 イガアウフタリ
装幀 はるな檸檬/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 yom yomから生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 224ページ
ISBN 978-4-10-334193-2
C-CODE 0095
ジャンル 文学・評論
定価 1,760円
電子書籍 価格 1,760円
電子書籍 配信開始日 2021/10/29

インタビュー/対談/エッセイ

胃が合うふたり 直木賞受賞編

千早茜新井見枝香

食への偏愛と胃袋の大きさで繋がる「ちはやん」と「新井どん」。大ニュースが舞い込んだ時、ふたりは何を食べ、どんな景色を見ていたのか。大好評Wエッセイ集 緊急番外編!

新井見枝香 Mieka Arai

 お客様から在庫の問い合わせを受けた書店員は、「ある」とも「ない」とも、即答してはならない。接客業としてお客様に対し、間違ったことをお伝えしてはいけないからだ。すぐ目の前に現物があれば別だが、あの棚にあるだろうと思ってもない場合はあるし、その逆も然り。検索データも、ミスやズレがないとは言い切れない。ない可能性が高くとも、あるかもしれない可能性を捨てずに思い付く限りの場所を探し、あの手この手でデータを検証し、それでも見つからなければ、お待たせしたことをお詫びした上で、ようやく状況をお答えする、私はずっと後輩にそう教えてきた。
 だから、ひとり暮らしのアパートがどんなに狭くても、赤いボストンバッグがない、ということを簡単には決められない。思わぬところに仕舞い込んだのかもしれないし、そもそもあったというのが思い違いかもしれない。経験上、自分の記憶ほど信じられないものはないからだ。あのボストン、どうしたっけ? と思い出したのは、最後に見た記憶から十日も経った頃だった。そんな薄ぼんやりした人間のことを、誰が信じられるだろうか。その後の記憶は、ぷっつりと途絶えている。帰りに立ち寄った焼き鳥屋に確認するも、そんな忘れ物はないと即答され、そもそも焼き鳥屋に持って入らなかったのではと、食事を共にした人に確認するも、持っていたようないないような、という酔っ払いらしい回答しか返ってこない。こんな記憶喪失みたいな私に言われたくはないだろうが。そうこうしているうちに数日が経ち、恥を承知で警察に電話をかけようとスマホを手にしたところでふと思い立ち、ダメ元で運送屋さんに訊ねてみることにした。さすが某大手運送会社、送ったかどうかも定かではないという、ふざけた問い合わせにも「ない」とは即答せず、探してみるとのこと。接客はこうでなきゃ。しばらくして、そのような荷物が発見されたので確認してほしい、と折り返しがあった。そして申し訳なさそうに、こう付け加えたのである。
「中から液体が漏れているようですが、何かお心当たりはございますか」
 そういえば、飲みきれなかった三本の「モンスター」、あれどうしたっけ?
 十日前といえばストリップ公演の最終日、最後の出番を終えた私は、大量の荷物を特大の段ボールに詰め込んでいた。それでも入りきらない荷物は赤いボストンバッグにまとめ、ついでに送ってしまおうと、ほとんど無意識に着払い伝票を括り付けたらしい。段ボールだけは予定通り配送されたが、もうひとつの荷物は途中で伝票が抜け落ち、営業所で迷子になっていた。そこで「あれ、もうひとつの荷物は?」と思いもしなかった私は相当重症である。ボストンの中身は、演目ひとつ分の衣装と、飲みきれなかったエナジードリンクであった。何らかの圧で缶が破裂したのだろう。そんなことより、ないことが確定されない日々のほうがよっぽど辛かった。運送屋さんがボストンを持って来たときは、とにかくその状態から救ってもらえたよろこびでいっぱいだったのだ。荷物はビタビタでも手元にはある。クレームを恐れる配達員さんは、怒り出すどころか笑顔の私を、不審そうに見ていた。
 あるのかないのか、はっきりしない状態は私を鬱屈とさせる。この衣装はいつか着るのか着ないのか。しかし着ないと自分が決めれば、金輪際着ないのであり、それなら捨てても良い。できるかできないかわからないのではなく、自分でやらないと決めれば、一生やらない。書店のお客様だって、ない可能性が0にならなくても、延々と待たせたらイライラしてしまう。ある程度で打ち切って判断するのも、書店員には必要なスキルだ。不甲斐ない自分をお客さんと思って、ないと決めてあげなくてはならない。
 それで、しばらく返していなかったメールも、ズバーンと送信することにした。こちらも「ない」を決められずに、先延ばしにしていた案件だ。
 あの書店でやれることはない。私にはどこを探しても、やる気がない。だから契約更新はしない。日比谷の書店が閉店して、同チェーンの渋谷店に籍を置いていたが、もう働かないことにした。誰かが辞めさせてくれればいいのにと思っていたが、やっぱり自分で決めるしかなかった。ただの逃げではないのか、後悔するのではないか、それを絶対にないと言い切ることができずモヤモヤしていたが、あースッキリした! 嫌なことはやらないのが私である。
 千早茜の『男ともだち』が直木賞を獲らなかったから「新井賞」を作った。それが思いの外、反響を呼んで、直木賞候補であるかに関係なく、いちばん面白いと思った作品を、半年に一度、選び、発表し続けた。自分の売場で売りたい本を売るための方法として、その時はそれが最適だったのだ。ところが日比谷の書店の閉店が決まり、自分が責任を持つ棚はなくなり、それを続けることができなくなった。しかし、本当にできないのだろうか。書店員としての慎重さで、一年経ってもまだ答えを探し続けていた。そこへ、直木賞受賞の報せ。以前から決めていたわけでは全くない。願掛けのように続けていたわけでもない。ただ物事には終わるタイミングというものがあり、それがたまたま大きなよろこびとともに、ふと訪れただけである。まるで探していた本をお客様自身が見つけてくれた時のように、スッと終わった。
 私と彼女は、人生のリズムのようなものが同期しているのではないかと思う。作家としてデビューしたのと、私が書店員になったのと、直木賞を受賞したのと、新井賞が終わるのと。次の節目は何だろうか。楽しみでしかない。
 受賞記者会見は、渋谷のつくね屋のカウンターで見ていた。踊り子の姐さんに誘われて一緒に入ったのだが、姐さんは店内で行われるショーに出演するため席を外し、私はひとりでのんびり飲み食いしていたのだ。白木のカウンターに立て掛けた小さな画面の中で、全然上手く笑えていない彼女が可笑しい。同じクラスにいたら、真っ先に声をかけたくなるタイプだ。何だか無性にちはやんのおにぎりが食べたくなり、代わりにマスターに握ってもらった。具はもちろん、ウメだ。
 会見の言葉は料理の音にかき消され、聞こえたり聞こえなかったりだったが、ちはやんが最後に、少し早口で残した言葉が耳に残る。順番を前後して焼き上がったつくねを肴に、日本酒を飲みながら考えた。私にとって彼女の受賞は、自分に起きる出来事でこれほどうれしいことはあるだろうか、というほどうれしい出来事であった。あの賞は、受賞者本人よりも、作者やその作品が好きな人をめいっぱいよろこばせるためにあるのかもしれない。それなら、彼女の言う「いいことがあったら悪いことが起きるんじゃないか……」という心配は、何もせずに幸福を受け取った我々こそするべきだ。
 受賞のニュースが落ち着く頃、十年に一度と言われる大寒波がやってきた。めちゃくちゃ寒くて死にそうである。悪いことというのは、もしやこれのことか。しかし中には、その寒さが辛くない人もいる。逆に寒さで風邪をひいて最悪な人が、直木賞のニュースをよろこんだとは限らない。つまり出来事は出来事でしかなく、他の出来事との因果関係はあっても、人間の幸不幸とは無関係だ。止まない雨はないのと同じで、いいことも悪いことも続かない。
しろがねの葉』は、受賞しようがしなかろうが、私の中での価値も、よろこびも、変わらない。ひとつ違うとすれば、何回かにわたって、直木賞受賞祝いだなんだと、特別においしいものを食べることができる、という点だ。胃が合う我々、連載が終わった、新刊が出た、春が来た、京都に来た、となにかにつけて、おいしいものを食べてきた。さて、一生に一度、あるかないかのドデカい賞、何を食べようか考えただけで目眩がする。おいしいごちそうを食べたあとに、いろいろ考えて落ち込む人もいるだろうが、我々はおいしかったなら、後悔などしない。そこだけは共通のポジティヴ。少なくとも私にとってこの出来事は、晴れのあとに晴れ、いいことを呼んでくるしかないのである。

Akane Chihaya 千早茜

 去年の師走、まだ眠い朝の八時半、ぽっかり空いたままの新幹線の隣座席を眺めていた。
 新井どんが隣同士で予約してくれた席だ。けれど、しれっと来ない可能性は大いにある。彼女にはいつでも確約というものがない。たとえ京都行きの安くはない新幹線代が無駄になったとしても。あれはそういう、いきものだ。ふらっとどこかへ行ってしまいそうな危うさと読めなさをいつもまとっている。
 新井どんと待ち合わせをするスリルをひさびさに味わっているな、と思った。スリルといっても、来なかったら来ないで私はひとりでも京都を満喫できるのだが。なんせ人生の半分を過ごした地だ。生粋の京都人には眉を顰められそうだが、京都へは「帰る」という感覚が近い。ああ京都、と思慕の念に駆られていると、「うえーい」と低い声がして新井どんがどさっと隣の席に座った。まだ朝の顔をしている。
「おはようさん」と言って金沢土産の能登栗きんつばを茶とともに差しだす。十一月にイベントの仕事で金沢に行って、その土産も直接渡せていなかった。新幹線が走りだす。新井どんと、持参した菓子をどんどん食べながら他愛ない話をした。こうして並んでだらだら話すのはひさしぶりだった。
 去年はタイミングが合わないことが多かった。新井どんは踊り子の仕事で東京にいないことも多々あり、いたとしても私の仕事が忙しくて会えなかったりストリップ劇場に行けなかったりすることが続いた。二人の誕生日のある夏には私がコロナに罹ってしまい、合同誕生会はずいぶん遅れて開催した。私は体力のいる物語と取っ組み合っていて、持病の治療もあった。
「なかなか会えんな」「ひさしぶりだな」と言い交わしても、会えばいつも通りなのが良かった。帰りたいと思えば帰るし、別行動をしたくなればさっと散る。京都への旅も、冬の好物である蒸し寿司を食べ、パフェ店や喫茶店をはしごして、馴染みのビストロとバーに行ったあと、新井どんはふらりと姿を消した。私はホテルに戻って、ちょっとした雑務を片付け、持参したハーブティーを淹れて、明日に食べるパフェに向けてネイルを塗りなおしていた。日付が変わる頃、新井どんは上機嫌で帰ってきて「あー、さっぱりしていいねえ」と私の淹れたハーブティーをぐびぐび飲み、蜜柑をもりもりと食べてオレンジ色の皮の山を作った。私は、先に風呂に入り、先に寝た。早朝に起きると、テーブルの上はきれいに片付けられていた。
 喫茶店モーニングをはしごして、我々が愛する「いづう」へ行き、夕方まで食べまくり遊びまくった。一緒に東京に戻るかと思ったが、新井どんが大阪のストリップ劇場に顔をだしてくると言う。そういえば、彼女にしてはめずらしく手土産を買っていた。「おう、いってらっしゃい」と別れた。帰りの新幹線で小旅行を思いだし、相変わらずだなとちょっと安心した。
 実はこのとき、私にはもう直木賞候補の連絡がきていた。ただ、公式発表までは担当編集者以外には他言しないようにと告げられていた。しかし、どこからか情報は漏れるもので、出版業界のあちこちの知り合いからメールがくる。「ノミネートされたとか」とストレートに聞いてくる人もいれば、「良い報せを聞きましたが」とまわりくどく探りを入れてくる人もいる。正直、困った。言うなと言われていることを言いたくないし言わせないで欲しい。書店員の知人たちには特に言えない。仕入れをする際に不公平が生じてしまう。もちろん信頼している書店員は決して尋ねてはこない。
 いくつわらじを履こうが、新井どんも私にとっては書店員だった。最初は書店員と小説家として出会ったのだ。私とほぼ同じだけ、文芸出版の世界にいるのだから、候補者には先に連絡がいくことも知っているだろう。でも、彼女はなにも訊かなかったし、候補者が発表されても「なぜ教えてくれなかった」とくだらないことを言ったりもしなかった。思えば、新井どんが「新井賞」を作り、第一回受賞作を『男ともだち』にしたときも、私はそれを彼女のツイートで知った。新井どんが私に直接伝えることはなかったし、言われたとしても私は「そうなんだ」としか返さなかっただろう。作者として嬉しい気持ちはあったが、面白いことをするな、とどこか他人事のように眺めていた。
『男ともだち』が直木賞の候補になったのは2014年のことだった。もう八年も経ったのか、と数えてみて驚いた。新井どんに二週間会っていないだけで「ひさしぶり」と思うが、八年ぶりの直木賞候補には思わなかった。賞とは必ず出会えるものではないから。賞とは自分以外の誰かの評価で、私はそこにあまり自分の感情を寄せたくはなかった。それは新井賞でも変わらない。そして、この八年、私は常に目の前の作品で手一杯だった。食エッセイという慣れないジャンルに挑戦したり、共作をしたりもした。『胃が合うふたり』もそういう試みのひとつだ。新井賞は『男ともだち』以降も続いていた。読んだ作品もあれば、読んでいない作品もある。書店員である新井どんの職場だった「HMV&BOOKS日比谷コテージ」が閉店するちょっと前から新井賞が発表されなくなっていたのは気づいていたが、なにも言わなかった。
 年末も正月も新井どんは踊り子として劇場に立っていて、めずらしく別々の大晦日を過ごした。私は築地に赴いて極上の削り節や利尻昆布を求め、毎年のように二種類の雑煮を作ったが、新井どんは食べにこれなかった。新井どんが必ずお代わりする京風雑煮はちゃんと京都で買ってきた白味噌を使った。今年もお互い忙しくなりそうだな、と思った。それはとてもいいことだ。
 疲れると、ふらりと会った。蒸し料理の店で好きなものをどんどん頼みながら「きりたんぽ鍋、食べてみたいんだよね」「じゃあ、行こう」「東北に?」「銀座にある。ただし、なまはげがでてくる」「静かに食べたいから追いはらってくれん?」とくだらない話をしつつ、「まあ、直木の結果がでてからだな」と約束をすることなく、いつもそこで終わった。気にしすぎないように気にしていた。
 そして、選考会の日、私は担当編集者たちと新潮社クラブという神楽坂の古民家に集まっていた。前日から体調が悪かった。大事な日はだいたい体調が悪い。基本的に間が悪い。担当編集者たちがカツサンドやわらび餅やクッキーなど、美味しそうなものをテーブルに並べた。私は彼女たちのリクエストでおにぎりを作っていった。他人のにぎったおにぎりを食べられない私はなんとなく畏怖の念を覚えながら、おにぎりをぱくつく担当者たちを眺めていた。塩むすびに焼きたらこ、一個だけ『しろがねの葉』の主人公ウメにかけて梅干しを入れていた。こたつで丸くなって茶を淹れ、薬を飲んでおこうとおにぎりに手を伸ばした。中は梅だった。当ててしまった。自分の好きな梅干しに、かために炊いた米、海苔も取り寄せている有明海のものだ。うまい、と思う。私の「うまい」に沿う完全なおにぎりだった。
 時間をかけて中国茶を淹れ、みんなに配り、茶器を片付ける。薬が効いて眠くなってきた頃に選考結果の電話がかかってきた。「ありがとうございます。すぐ向かいます」と電話を切ると、歓声があがり、そこからはもう嵐のようだった。どんどん祝いのメールやメッセージがくる。スマートフォンは震えっぱなしで、通知がすごい数になっていく。記者会見の合間や移動中に返信するが、まったく減らない。むしろ増えていく。「おめでとうございます!」に「ありがとうございます」を返していく。ずっと、ずっと「ありがとう」「ありがとうございます」を打ち込み続ける。だんだん恐怖を覚えてきた。この受賞によってそんなに自分は誰かの世話になってしまったのだろうか。感謝ってこんなにしていいものなのか。言うたびになにか削られやしまいか。そもそも「おめでとう」に「ありがとう」は正しい返事なのか。「ありがとう」ってなに? 「ありがとう」のゲシュタルト崩壊を起こしかけていたとき、新井どんからLINEメッセージがきた。私のエッセイ『わるい食べもの』のイラストで作った「乾杯!」のスタンプひとつだけ。反射的に「おうよ!」と返していた。それがなんの気遣いもない心の声だった。
 祝いと称して豪遊しようぜ、と返して、すごく気分が晴れ晴れとした。まずは新井どんと「資生堂パーラー」でパフェを食べて銀座で馬鹿みたいに遊ぼう、と思った。ネガティブな私は良い変化にも悪い変化にも弱いけれど、彼女との遊び場がある限り笑っていられる。
 後で、新井どんのツイートを見ると、その晩、彼女も梅のおにぎりを食べていた。さすがは胃が合う友。そして、わざわざそれを伝えてこないところがいかにも新井どんだった。
 さて、胃が合う友よ、祝いになにを食べようか。

(あらい・みえか エッセイスト/踊り子/元書店員)
(ちはや・あかね 作家)
波 2023年3月号より
『しろがねの葉』第168回直木三十五賞受賞時掲載

最高の相棒は食卓にいる

トミヤマユキコ千早茜新井見枝香

食に懸ける情熱、味覚の確かさ、胃袋のサイズが奇跡的にマッチした千早さんと新井さん。共にした11の食事風景をそれぞれの目線から描いた絶品Wエッセイ集の舞台ウラに、「実は二人の関係性に嫉妬していた」というトミヤマさんが鋭く迫ります!

トミヤマ 『胃が合うふたり』、うっかり一気に読んじゃいました。

千早 うっかり、とは?(笑)

トミヤマ お仕事として読むんだから、メモを取りながら読み進めなくちゃと思っていたんですよ。でも途中で止まらなくなっちゃって。「yom yom」連載時も読んでましたけど、一冊にまとまるとさらにいい!

新井 どうもありがとう。

千早 嬉しい。この本にいただいた初感想です。

トミヤマ 好きな食べ物や胃袋のサイズ感はぴったりなのに、エッセイの色合いは全く違う。そのギャップがたまらなく面白かったです。あと、序盤は仲良し二人組がキャッキャしながら書いた共作エッセイなのかなと思わせるんだけれど、だんだんお互いの人生の話が入ってくるでしょう。

千早 そう、不穏になってくる。

トミヤマ そこがすごくいい。もちろん食いしん坊の二人だから、食べてるものは全部おいしそうなんだけれど、だからといって「ここに載ってるお店に行ってみた〜い」で済むような甘っちょろい本ではないということは、ここでハッキリ言っておきます。

千早 これを書いた2019年夏から今年の春まで、世界も私たちも変化しましたからね。特に新井どん。2章の〈歌舞伎町ストリップ編〉では一緒にストリップ劇場の客席に座っていたのに、6章の〈高田馬場茶藝編〉で踊り子デビューを発表し、8章の〈福井・芦原温泉編〉ではもう踊り子の顔になっている。私は長年住んだ京都から東京に引っ越すことになったし、もちろんコロナもあって。

新井 はからずも、非常に面白い記録になったよな。

トミヤマ 二人の人生が一番動いた時期に奇しくもコロナ禍が重なり、生きていくことのややこしさが見事に描き出された感じですよねえ。

新井 じつにおっしゃる通りだね。

千早 え、謙遜しないの?

新井 しないの(笑)。

トミヤマユキコ

二人の仲は磯野と中島

トミヤマ 新井さんは傍から見ると、本に惚れ込んで「新井賞」を立ち上げるくらいだから、基本は行動的だし明るいキャラクターなんですよ。でも今回はご自身の内面をかなり掘り下げて書いていましたよね。

新井 そうだね。内面を出さずに書く方法もあったとは思うけれど。

トミヤマ 新井さんのファンがこれを読んで、こういう新井さんもいいなって思ってくれると嬉しいですね。

新井 そうなるといいなあ。

トミヤマ 連載開始時には、まさか自分が翌年ストリッパーデビューをするとは思ってもいなかったでしょう。

新井 うん。だけど、考えてみれば本屋になることも全く想像していなかったし、踊り子になったことが人生の一大事とも思っていないし、自分では全て流れに乗っているだけなんだよね。むしろ書店勤めがこんなに続いてる方が凄いなと思ってる(笑)。

トミヤマ 書店員の新井さんは私の大恩人です。私の初著書『パンケーキ・ノート』をやたら売ってくれている書店員さんが有楽町の三省堂にいると聞いて、挨拶に行ったのが記念すべき初対面でした。無名のライターが書いた本なのに、あちこちの棚に置いて猛プッシュしてくれて。

新井 文芸書担当なのに、パンケーキの本を売りまくった(笑)。あの時はわれながらやりたい放題だったなあ。

トミヤマ 千早さんとは女性の出版関係者ばかりの食事会で「初めまして」だったんだけれど、小柄なのにすごい量の肉を食べていて仰天した記憶が。

千早 覚えてます。トミヤマさんとはタクシーの中で駄菓子について熱く語りましたよね。

トミヤマ 本当ですか、それ全然覚えてないよ……。とにかく二人とは食べ物を通じて出会い、ツイッターもフォローしていたんですけれど、いつの間にやら二人がSNS上で熱心にやりとりし始めたんですよ。東京と京都に離れて住んでいるはずなのに、しょっちゅう一緒にご飯食べたり、旅行に行ったりする様子がタイムラインに流れてきて、私、二人の関係に猛烈に嫉妬してました。

新井 ほほほ。ありがとう。

千早 そこ、お礼言うところ?

トミヤマ でも『胃が合う』を読んだら二人の稀有すぎる関係性がよく分かって、相変わらず羨ましいですけど、嫉妬心は消えました。私には手が届かないって諦めがついた(笑)。だからせめて二人の世界を間近で見るぐらいは許してねと、かぶりついているところ。

千早 そうでしたか。二人は思っていたほど仲良くないんですね、って言われるかなと予想してました。

トミヤマ たしかにベタベタした仲の良さではないですけど、湿度がないのがいいんですよ。二人は「餌場が同じ野良猫」と表現していたけれど、食べる時は最高の相棒で、食べ終わったらサッと解散なんて、なんだか『サザエさん』の磯野と中島みたいなバディ感があるじゃないですか。

千早新井 磯野と中島!(笑)

トミヤマ 「磯野、野球やろうぜ!」と中島が誘いに来たら、カツオは絶対に応じる、みたいな。そんなパートナーシップがたまらなく私好みで、ますます二人が好きになりました。

脳の構造と着地点

トミヤマ 『胃が合う』は新井さんが先に書いて、千早さんが受けて書くスタイルだけれど、「こんな球を投げてやろう」「こう受けてやろう」という意識はあったんですか?

新井 オレは、ちはやんのことはあまり考えないで書いたかな。それどころか、何のために何を書いているのか分からなくなってきて、毎回取材したこととは全然違うことを書いてしまった。なにせ枚数の目標も設けず、自分の気が済むところまで書いたらそこで終わり、というスタイルだから。

トミヤマ マジですか。そんな書き方できるなんて逆に凄いよ。

千早 新井どんは取材日から締切まで時間が空くと取材内容を忘れちゃうんですよ。だから締切の直前に取材しないといけない。

トミヤマ 千早さんはそんな新井さんのやり方に合わせていったんですね。

千早 私はこの共作エッセイを、想定外の球を打ち返すトレーニングと位置づけてましたから(笑)。大変だけど、すごく楽しかった。小説ばかり書いていると勝手知ったる自分の世界とばかり向き合うから、書き手としての筋力が落ちる気がしていたんですね。その点、新井どんは想定外の球しか投げてこないから理想の相棒。

新井 でも、ちはやんの方が文章うまいのに、ここはこうしたらとか、アドバイスは一切くれなかった。

千早 アドバイスする余裕なんてなかったよ。むしろ新井どんは私とは全然違う発想力を持っているんだと感心してた。〈福井・芦原温泉編〉なんてタイ古式マッサージの話から入って、おいおい大丈夫かと読んでいたら、ちゃんと繋げたし、うまいと思う。

トミヤマ たしかに新井さんの文章は思いがけない場所に連れていかれる感じがありますね。それでいて毎回ちゃんと着地するから驚いちゃうよ。

新井 全部偶然。たまたまですよ。

千早 そもそも脳の構造がちょっと変わってる気がする(笑)。普段しゃべっていても、話題の繋げ方が独特だなあと思うもの。その点、私のエッセイは秀才っぽいというか、意外さがない。私自身が面白みのない人間だからなのかなあ。

トミヤマ いやいや、そんなことはないですよ。千早さんは文章のプロで、新井さんの方がキャリアは短いわけだから、その二人が書く時には微妙なパワーバランスやマウント感が生じることだって十分ありうると思う。でも千早さんは常に対等なんですよね。どっちが上とかじゃなく、「あなたが明るく軽やかにやるなら、私はしっとり冷静にやるわよ」みたいなバランス感覚が読んでいて気持ちよかったです。

新井 マウント感……そうか、そんな関係性も存在しうるのか。この二人の間では考えたこともなかったな。

千早 そもそも自分より下手だと思う相手とは最初から組みませんよ。

トミヤマ お、言い切りましたね。かっこいいな。この言葉は、絶対に誌面に残さなきゃ。

千早茜

たとえ内緒の話を書かれても

千早 ただ一つ参ったのは、私が京都から東京に引っ越す予定なのを新井どんにあっさり書かれたこと。東京に移ってからも何カ月かは伏せるつもりだったのに、新井どんから来た原稿を読んで「ええ!」ってなった(笑)。

トミヤマ あれには笑いました。「まだ内緒にしてるから書き換えて」と言えば済む話だけれど、千早さんは結局書き直させなかった。

千早 いえ、実はチラッと抵抗したの。「東京に行くことは伏せてたつもりなんだが」とLINEを送って。でも返ってきたのがチーズ四種盛りかき氷の写真で、こりゃ駄目だ、と諦めました(笑)。

新井 書き終わったら、自分が書いたことを全部忘れちゃうからなあ。

トミヤマ 実は私はそれを読んで、感動したんですよ。だってこの本を読むと千早さんってこだわりの強い人じゃないですか? スーパー銭湯で使ったボディケア用品の匂いに耐えられなくて帰ってからお風呂に入り直すとか、こだわりが色々あるでしょう。

千早 ええ、ありますね、偏屈なので。

トミヤマ なのに新井さんが書いてきた原稿に対しては、こだわりスイッチが作動してない。それは新井さんの投げた球がどんな球でも受け止めるという覚悟が千早さんにあるからかなって。

千早 私は新井どんのことを全くの他人だと思っているので、何をされてもイラッとしないんですね。家族や恋人は混じり合ってしまう面があるので、想定外のことをされるとイラッとする瞬間があるけれど、新井どんには全く感じない。新井どんも私が大ミスをやらかしても全然イライラしないから、すごくありがたいんですよ。

新井 オレは自分にしか興味がない人間だから、他人に何をされても全く気にならないんだよ。

予定が狂っても「最高だった」

トミヤマ あの、新井さんはひょっとして人間の世界にあまり興味のない妖怪なんじゃない?

新井 妖怪?

トミヤマ 人間が生きづらさを感じる原因のほとんどは、人間界の掟に合わせるのがしんどいからだと思うんですね。だから私、自分は半分妖怪なんだと思うことにしてる。「妖怪の割には人間界でそこそこやれてるじゃん」と考えた方が生きるの楽でしょ?

新井 それはとてもいい考えだ!

トミヤマ 『胃が合う』に新井さんが「拙者、武士なので」調で書いた章があるけれど、この「武士なので」を使う時が、言ってみれば妖怪味を出してる時なんじゃないでしょうか。妖怪味と人間味の間を行き来して、心をうまく調整している。ずっと人間をやるのは本当に大変なことだからね。

新井 うん。世の中の人はみんな、すごいと思うよ。

トミヤマ 逆に千早さんは人間としての葛藤が強くあるから、いい小説が書けるのだと思います。

千早 私は人間の観察者でいたいんです。面白い人を見ていたい。

トミヤマ なるほど。千早さんは人間界の妖怪寄り、新井さんは妖怪世界の人間寄りに住んでいて、それが里山みたいな場所で交わっているのかも。そんな意味でも稀有な関係性ですよね。

千早 とはいえ連載の途中で、もう二度と会わなくなることもあり得るな、と思ったことも事実。その可能性については割と考えていました。

トミヤマ 二人の仲が永遠に続くとは考えていないわけですね。だからこそ、一瞬一瞬を大事に過ごす。目の前の皿に対して自分と同じように集中できる相手がいる大切さが伝わってきます。

新井 食をおろそかにしないのが、われわれのいいところだね。女友達と食事に行くとおしゃべりがメインで何を食べるかは二の次になりがちなのがすごく嫌なんだ。そこへいくとわれわれは、食べる時は食べ物しか見てない。相手が話しかけてくると「もっと集中して食えよ」と思う(笑)。

千早 あと、われわれは予定が変わっても慌てないよね。この前も熱海で目当ての店に行ったら閉まっていて、「どうする?」ってケーキ食べながら話してるうちに鰻を食おうぜとなって、そのまま駅までタクシー飛ばして三島に行って鰻をたらふく食べた。予定が狂っても、この二人なら「狂ったおかげで最高だった」になる自信がある。

新井 相手にいいところを見せようとしないし、ダメだと思ったらグズグズ一緒にいないし。

千早 一度、寒風の吹きすさぶ日に震えながら目当ての店を探したけれど見つからなくて、新井どんが「オレ無理。帰る」って帰ったことがあったね(笑)。私も「おう、じゃあまた」と特に気にせず解散。

新井 その日はもう一緒に楽しく過ごせないことが明らかなのに、最後まで二人で行動しなきゃいけないと考えるのは、お互いにつらいだけだよ。人との関係において、「会いたい」と同じように「帰りたい」気持ちも尊重されるべきだと思うな。

トミヤマ たしかに。私、パートナーシップに大事なのは、何が好きかよりも、何が嫌なのかを共有しておくことなんじゃないかと思っていて。大切な人のNG事項を把握するのは、すごく重要なことですよね。

新井見枝香

人生最後の選択は――?

千早 最初は編集さんから、40代女性の二人だから、互いの家庭環境や私生活が変化して関係性が変わるとか、片方は子どもができたけどもう片方にはできないとか、40代女性にありがちな状況をどう考えるかも書いてほしいと言われたんだけれど、私生活なんて話さない胃袋本位の付き合いだから、何も書かずに終わったね。

新井 私生活の話はしないね。

千早 以前、新井どんと出席した座談会で、自分が死ぬと分かったらどうするかと聞かれて、二人とも「一人で消える」と答えたのを思いだす。

新井 自分が自分じゃなくなるところは友達に見られたくないよ。でも、この『胃が合う』の連載を通じて、死ぬ間際にはちはやんに、愛する赤坂「コム・ア・ラ・メゾン」のフォアグラを口に突っ込んでほしいと思うようになったのは、大きな変化かな。

千早 それは大きいね。でも新井どんはやっぱり一人で消える気がする。

トミヤマ 両方の気持ちがあるんでしょうね。「一人で消えるぜ」と「いやいや、フォアグラをひとかけら」と。

新井 そうなんだよね。ちはやんは、オレにとって最期に何を口にするかがとても重要な問題だとわかってくれる人だから、そんな気持ちも生まれてきたんだと思う。オレのことを、ただたくさん食べる珍獣みたいに思っている人もいるからね(笑)。「きみは質より量だよね」と、コンビニのおにぎりを30個もらったりすると、心底悲しい気持ちになるのよ。

トミヤマ ああ……好きなものを満足いくまで食べたいだけで、量が大事なわけじゃないのに。

新井 あと食べてる最中に「こんなに食べるのに、なんで痩せてるの?」とか言われると暴れたくなるね。

トミヤマ 私も言われることありますよ。そういう時って、喜怒哀楽のどれでもない顔になりません?

千早新井 わかる!(笑)

トミヤマ 食べ物の本だと思ってこの本を買った読者が、思いがけず人生の話へと誘われて「なんだこれ。でも面白いからこれも良し」となったらいいですよね。

千早 はるな檸檬さんのカバー装画に惹かれてくれても嬉しいな。今回は連載時に掲載したはるなさんの挿絵も入るんですが、連載が進むにつれてどんどん冴え渡り、「最後の晩餐」がテーマの回なんかは圧巻。小学生のわれわれを描いてくれた回もあって、後ろ姿なのにどっちがどっちか、ちゃんとわかるんですよ。

新井 うん、本当にありがたいね。

トミヤマ はるなさんも含めて、素晴らしい座組でしたねえ。

編集者 この本は『胃が合うふたり』ですが、トミヤマさん、胃が合う三人目に加入したいと思いませんか?

トミヤマ だめだめ。これは一列目で二人を観るのが一番楽しいんだから(笑)。こんな尊い女バディを自分が入ることでぶち壊したくないんですよ。

千早 トミヤマさんはマンガにもお詳しいですよね。われわれはどの作品の女バディに近いですか?

トミヤマ うーん、安野モヨコさんの『ハッピー・マニア』の主人公シゲカヨと親友のフクちゃんかな。恋愛での失敗をどれだけ繰り返しても、全く学習しないシゲカヨに対し、フクちゃんはときに怒りながらも最終的にはしっかり受け止める。あの絶妙な関係性を思い浮かべますね。でも、やっぱり磯野と中島がしっくりくるなあ。

千早 「磯野、野球行こうぜ!」みたいに「鰻行こうぜ!」って?

新井 読む人にはそういう関係性を楽しんでほしいよな。しかし、なんだかんだ言って一番多い感想は「この本を読んで、この店に行ってみたいと思いました」な気もする(笑)。

トミヤマ 「こんなに食べるのに、なんで痩せてるの?」もセットでね(笑)。

(とみやま・ゆきこ ライター/マンガ研究者/東北芸術工科大学講師)
(ちはや・あかね 作家)
(あらい・みえか 書店員/エッセイスト/踊り子)
波 2021年11月号より
単行本刊行時掲載

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著者プロフィール

千早茜

チハヤ・アカネ

1979年生まれ。2008年『魚神』で第21回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。同作は2009年に第37回泉鏡花文学賞も受賞した。2013年『あとかた』で第20回島清恋愛文学賞を、2021年『透明な夜の香り』で第6回渡辺淳一文学賞を、2023年『しろがねの葉』で第168回直木賞を受賞した。他の小説作品に『男ともだち』『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』『さんかく』『ひきなみ』やクリープハイプの尾崎世界観との共著『犬も食わない』等。食にまつわるエッセイも好評で「わるい食べもの」シリーズ、新井見枝香との共著『胃が合うふたり』がある。

新井見枝香

アライ・ミエカ

1980年東京生まれ。書店員として文芸書の魅力を伝えるイベントや仕掛けを積極的に行い、中でも芥川・直木賞と同日に発表される一人選考の文学賞「新井賞」は読書家の注目の的となっている(ちなみに2014年第1回の受賞作は千早茜『男ともだち』)。エッセイも手掛け、『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『本屋の新井』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』の著書がある。2020年からはストリップの踊り子として各地の舞台に立ち、三足のわらじを履く日々を送っている。

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