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輪郭を失いながら輝き続ける、記憶の中のいくつもの場面。芥川賞作家、待望の受賞後第一作。

茄子の輝き

滝口悠生/著

1,728円(税込)

本の仕様

発売日:2017/06/30

読み仮名 ナスノカガヤキ
装幀 松井一平/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 222ページ
ISBN 978-4-10-335313-3
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,728円
電子書籍 価格 1,382円
電子書籍 配信開始日 2017/12/01

旅先の妻の表情。大地震後の不安な日々。職場の千絵ちゃんの愛らしさ――。次第に細部をすり減らしながらも、なお熱を発し続ける一つ一つの記憶の、かけがえのない輝き。覚えていることと忘れてしまったことをめぐる6篇の連作に、ある秋の休日の街と人々を鮮やかに切りとる「文化」を併録。芥川賞作家による会心の小説集。

著者プロフィール

滝口悠生 タキグチ・ユウショウ

1982(昭和57)年東京生れ。2011(平成23)年、「楽器」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2015年、『愛と人生』で野間文芸新人賞、2016年、「死んでいない者」で芥川賞を受賞。他の著書に『寝相』『茄子の輝き』『高架線』などがある。

書評

紫の希望の灯

堀江敏幸

 あいだを少しあけて相手の顔が見られるように向き合っている親しさと、肩と肩が触れあっているのにたがいの表情は見えない近しさ。夫婦と呼ばれる男女は、日常のなかでこのふたつをごく自然に使いこなしているので、本質的なちがいに気づかない。親しさと近さを連絡する橋に不具合が生じたとき、はじめてそれまで見ていた風景に変化が生まれるのだ。しかし、不具合が解消されたとしても、その原因がいつまでたっても明らかにならないとしたら、両岸にあった感情は無傷のままでいられるだろうか。
 こんなふうに書くとたちまちしらけてしまう答えのない問いに似た感覚を、滝口悠生はいつも目に見える形で、ユーモアも適宜まぶしながら愛おしそうに描く。ひとりの男の視点をとおして描かれる六篇と、その外に置かれたやや関連の薄い一篇からなる、おそらくは連作と呼んで差し支えないだろう本書『茄子の輝き』でも、その特徴は生かされている。
 語り手の名は市瀬。時の流れに即して整理すれば、大学時代に知り合って1年ほど同棲していた伊知子と2006年に入籍、3年ともに暮らしたあと2008年の正月に離婚し、その年のうちに高田馬場駅近くの古いビルの四階にあるカルタ企画という、業務用機器の取り扱い説明書を制作している会社に職を得た。2011年3月の地震の影響もあって会社が傾いたため駒込の玩具会社に転職し、最も新しい語りの現在においては、池袋の出版社で働いている。
 物語の時空は一篇ずつ変更され、人間関係の細部や市瀬自身の記憶も六篇全体のなかで出し入れされる。とりあえずの軸は、カルタ企画に入社して3年目の一時期を描く、冒頭の「お茶の時間」だ。ゆるいのか厳しいのかわからないこの会社で働いているのは、社長を入れて十名。人間関係の大枠は、この一篇で把握できる。とくに重要なのは、離婚後の日々を明るく照らしてくれた、千絵ちゃんという女性である。1年遅れて入って来た、おかっぱ頭に丸顔の彼女は、会津出身の25歳。元広告代理店勤務で、バンド活動をしている恋人と同棲中である。市瀬は恋愛の対象にはならない、陽気な菩薩のような千絵ちゃんを眺めて幸福を感じつつ、たえず妻と過ごした日々をまさぐる。なぜ自分から去って行ったのかが、いまだにわからないからだ。どんなに時間を行き来し、どんな角度から検討し直しても、謎は解き明かされることがない。
 結婚した年に妻と島根に出かけた貧乏旅行の思い出をつづる「わすれない顔」に、離婚の際、夫婦が共有している写真を市瀬がすべて引き取ったと語られているのだが、以後、彼はときどき元妻の写真を取り出し、旅ごとに編集したりして幾度も見直すようになり、やがて、写真のなかの妻の顔しか思い出せなくなっている自分に気づく。向き合い、抱き合い、すぐ傍にいた妻から親しさも近しさも消えうせ、交わした言葉も日記に書き残したものだけになっていくことの不思議。千絵ちゃんの表情や言動は、明確に思い出せる。しかしそれらを見ていた自分の感情はよみがえらない。反対に、妻を前にした感情は浮かんでくるのに、具体的な顔や声は空白なのだと、表題作「茄子の輝き」で語り手は言う。
 狭い洗面台で仲よく横並びに歯を磨いているふたりが口を濯ごうとして場を譲りあい、ついおなじ方向に動いてしまったときのような互いの顔が見えない困惑と、「宇宙空間で衝突した物体同士が、無重力のなかで、その場所からも、お互いからも永遠に遠ざかり続けるみたいな」寂しさを抱えて、語り手は生きている。しかしふたりの表情は、べつの鏡のなかに、異なる姿で現れ出るのではないか。34歳になった市瀬は、「街々、女たち」でひとりの女性と出会い、「今日の記念」で再会する。緒乃という7つ年下の彼女の、いびつな茄子のふくらみをもつ明るさは、離婚の傷心と2011年3月の揺れによって生じた彼の心の、いちばん脆い部分を支えてくれるような気がするのだ。鮫洲から品川までぶらつき、神社の境内で並んで撮った記念写真は、遠ざかりつづけるふたつの物体の距離を一挙に縮めて、艶やかな紫の希望の灯をともす。市瀬は、まだこの先、生き続けられるだろう。妻や千絵ちゃんの写真を見直さなくても、現実の彼女と歩き出せるだろう。そう信じたくなるあたたかさが、不通の橋のうえに漂っている。

(ほりえ・としゆき 作家)
波 2017年7月号より
単行本刊行時掲載

目次

お茶の時間
わすれない顔
高田馬場の馬鹿
茄子の輝き
街々、女たち
今日の記念
文化

イベント/書店情報

著書本人による全作品解説

茄子が輝くまで

滝口悠生

『茄子の輝き』に入っている「お茶の時間」という短編は、2015年の春に今は休刊になってしまった扶桑社の『en-taxi』という雑誌に載ったもので、カルタ企画という高田馬場にある小さい会社の2011年の夏、震災から間もない時期の東京の人たちのことを書いている。これはもともと2011年から2012年に書いていた原稿が元になっていて、デビュー後最初に発表した「わたしの小春日和」(『寝相』所収)という作品を書いていた時に、何度も書き直しをして結局使わなかった部分をあらためて書き直したものだ。
 書いたけど捨てた断片というのは他にもいくらでもあるのだけれど、このカルタ企画という会社の人たちと、その当時の東京の雰囲気(私も高田馬場ではないが東京にいた)を書いたことはなんだか忘れられず、いつか別の形で書き直してみたいと思っていた。
 それで「お茶の時間」を書いて、そのあとに続く連作みたいな各短編も、元になった原稿から部分的にエピソードを拾ったりしながら新たに書き継いでいった。カルタ企画の人たち、それから別れた妻の変なアルバムの話なども原型としては元の原稿にあった話だ。
 だから「わたしの小春日和」の語り手の別れた妻と、「お茶の時間」はじめ今回の『茄子の輝き』に入っている連作の語り手の別れた妻は同じ「伊知子」という名前で、と言っても作品世界は別ものなので、なにか深読みをしようとしたり、つながりを探されても、正解や種明かしみたいなものは何もない。無用な詮索を招きかねないので、別の名前にしようと思っていたのだけれど、一度ついてしまうと名前というのは変えにくくて、結局そのままでいいかということになった。

 デビュー作の「楽器」(これも『寝相』所収)を書いて『新潮』の新人賞に送ったのは応募締め切りぎりぎりの2011年3月末だったはずで、だから震災直後に書き上げたことになる。電力不足と節電が叫ばれ、職場もばたばたし続けていたあの不穏な状況のなかで、世に出るとも出ないともわからない小説を自分がどうやって書いていたのか、あまりよく覚えていない。日記をつけておけばよかったなと思う。
 その頃はもう東京に住んでいたが、「楽器」の舞台となっているのは子どもの頃から25年ほど暮らした西武池袋線の沿線で、東京と埼玉の境の住宅街を知り合い4人がぶらぶら徘徊し、他人の家の庭に侵入して宴会に混ざる、という話なのだがこうして自分で書いていてもあまりにとりとめがなくて不安になる。
 夏に選考の最終候補に残ったと連絡があり、選考会は9月だったが、当日は旅行に出かけていて益子で焼き物など見ていた。東京に帰る電車のなかで編集者からの受賞を知らせる留守電を聞いた。
 最初の単行本『寝相』が出たのは2014年の春のことで、表題作「寝相」はその前年2013年に書いた。これは祖父と孫娘が同居する話で、山師だった祖父の昔話などがいろいろ回想される。祖父は昔宇都宮で餃子店をやっていて、それは今みたいに宇都宮が餃子で町おこしをするよりずっと前のことなのであった、みたいなことを書いたのだけど、私は餃子を食べるのも餃子のことを書くのも好きみたいで、『茄子の輝き』でも、収録の7編のうち4編で登場人物たちがうまそうに餃子を食べている。

 2015年に出た2冊目の本『愛と人生』は、映画「男はつらいよ」シリーズを題材にして、全48編にわたる各作品のストーリーや、出演者(渥美清や倍賞千恵子)、舞台である葛飾柴又の歴史などをモチーフに、あることないことを書き連ねた。
 初出は講談社の『群像』で、デビュー誌を出てはじめての長い原稿だった。打ち合わせで、「男はつらいよ」のノベライズをしたいんですけど、と伝えた時の編集者の不安げな表情が忘れられない。
 どんな作品になるか自分でもまったくわからなかったけれど、単にストーリーを追うのではなく、映画作品の外にある要素(たとえば俳優や技法や批評といった)を持ち込めば、それは自ずとノべライズ=「小説でないものを小説にする」困難を巻き込むはずで、となればそれは小説とは何かという問いも自ずと含みこむことになるから、おもしろいかはわからないが少なくとも変な小説にはなるのではないかという直感だけはあった。そして結局、シリーズ第39作に出演した子役の少年と、やはりシリーズ後半に出演していた女優「美保純」が、2014年に再会し一緒に下田へ温泉旅行に行く、という変な小説になった。
 この「美保純」というのはもちろん実在する女優の名前だけれども、作中の「美保純」はたぶんフィクションである。このへんの虚実については作者本人もうまく説明ができない。で、先日、テレビで美保純さんご本人にはじめてお会いしたら、「ここに書かれてる美保純は美保純より美保純だ!」と言ってもらえた。よく考えると美保さんが言っていることもどういうことなのかよくわからなくなるのだけれど、楽しんでもらえているようだったので、安心したし、嬉しかった。
 巻末には参考文献として「男はつらいよ」関連の資料を挙げてある。絶版のものも多いけれど、寅さん及び渥美清研究の文献リストとしてなかなか優良なものだと自負しています。
 併録の「かまち」と「泥棒」というふたつの短編は落語をモチーフにした連作。「かまち」はデビュー後はじめて書いた短編で、毎日玄関で落語をしているおばあさんの話。読み返すとやたらのびのびしていて結構気に入っている。

 落語とか寅さんとかについてばかり書いていたら、若手のわりにどうにも年寄りくさい印象を持たれはじめてしまい、それを刷新すべく、『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』という小説を書いた。語り手が高校時代や大学時代の恋愛など若き日を回想する話で、2001年の9.11、2011年の3.11の間接的な体験も語られる。
 2001年、19歳の時に東北を原付で旅行したという作中のエピソードは、私自身の体験が元になっている。あまり実体験に依拠して書くことはしないようにしているのだけれど、この作品における9.11と3.11の書き方は、実体験がなければこんなストレートには書けなかったと思っていて、それがよいのか悪いのかはいまだにわからないが、書いたのだから引っ込めず読んでもらおうという気持ちだった。
 芥川賞の選評で山田詠美さんに、ジミヘン出てこなさすぎ、と言われ、そうですよね、と思った。もっとジミヘンのことも書くつもりではあって、一応発言録や評伝はひと通り読んだ。読んだなかではフィルムアート社の『ジミ・ヘンドリックスとアメリカの光と影』(チャールズ・シャー・マリー/廣木明子訳)という本がよかったのでおすすめです。

 ジミヘンを書いていた頃から、勤め仕事と原稿仕事とに追われて本を読む時間がとれなくなってきた。ので、勤めていた会社を辞めることにした。それでやっていけるか、小説をずっと書いていけるか、そんなあてはなかった(し、今もない)のだけれど、ともかく小説を書くのが忙しくて本を読む時間がないというのは本末転倒だ。
 それで退職前の引き継ぎだのなんだので大変な時期に書いていたのが『死んでいない者』で、これもばたばたしていて書いていた時のことをあまりよく覚えていない。ジミヘンから間をあけず数か月で書いたはずで、かかった時間だけならこれまででいちばん早く書き上げて、改稿もほとんどしなかった。
 長い作品にしよう、ということだけが事前の目標としてあって、とりあえず登場人物を多くすればいいかもと思い、親戚の集まる葬式の場にどんどん人を増やしていった。人が増えると書くことも増える。書いている自分でも誰が誰だかわからなくなったが、現実でも親戚の集まりというのはそういうもので、わからなくてもことは案外問題なく進む。が、進むにしたがって登場人物の名前を書き間違えたり、年齢の計算が合わなくなったりする箇所が多出し、校閲作業とのすり合わせが大変だった。
 結局葬式の場には一度も現れない寛という故人の孫でアル中の男が、東武東上線に乗って荒川を見て、もう一回窓の外に川が現れたら酒をやめよう、と思う場面がとても好きで、私もいつかアル中になるかもしれない。

 それで『死んでいない者』が芥川賞になって、またしばらくなんだかんだと忙しくなった。短いのでいいから何か書いてくれ、みたいな依頼が増え、長い作品を書く余裕がないなかで、ならばと開き直って2016年は短編をたくさん書いた。
 前の回の羽田さん又吉さん、そして一緒に受賞となった本谷さん、そのあとの回の村田さんらの華やかなフィーバーぶりのなかで私はとりわけ地味な受賞者で、家族や友人がそのことを嘆いたりおもしろがったりしているのだけれど、思えばジミヘンでイメージ刷新を図ったにもかかわらず、次作でまた田舎の葬式という年寄りくさい、というかもろに年寄りの話を書いてしまったところに自分の業の深さを感じる。
 ともあれ、そのように書いた短編をまとめたのが今回の新刊『茄子の輝き』で、この書名も安定の年寄りくささで落ち着く。でもいいタイトルだと思うし、松井一平さんが描いてくれたカバーの茄子の絵もとても気に入っている。
 冒頭に書いたように5年前に書いた原稿の書き直しからはじまったのだけれど、書いていくうちに連作の最後の方は思いがけない展開にもなった。思いがけない方に転がっていくと書いていてもおもしろい。毎回締め切りぎりぎりまでどうなるかわからないので、ひやひやもするけれど、書いていておもしろくないとたぶん読んでもおもしろくない。
 連作の最後にある「今日の記念」を書いたのは今年の正月で、同じ時期に『群像』で「高架線」という長編(これは今年の秋に本になります)を書いていて、ほとんど日にちがとれないぎりぎりのスケジュールだった。締め切りが着々と迫るなか、もう無理だ、間に合わない、と何度も思ったけれども、両方ともどうにか書き上げられた。書いては寝、起きては書く、みたいな生活がひと月ほど続いて、もうあんなことはしたくないしできないけれど、書きかけの文章に浸って、進んでは戻り、進んではまた戻りするなかで、小説がぐぐっと思いがけない方に転がる瞬間に立ち会うのは幸福で、それも自分のよろこびというよりは、他人の結婚式に出た時みたいな、誰かの幸福に立ち会っているような感じがある。
 読んでくれる人にも、そういう感じが起こるとよいのですが。

(2017年6月)

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