春画の穴―あなたの知らない「奥の奥」―
1,980円(税込)
発売日:2023/06/15
- 書籍
- 電子書籍あり
なんでもモチーフにする春画。エロスの下に隠されたタブーに切り込む14章!
大奥での秘められた遊び、女学生と男子学生の春、国のためと言う看護婦と軍人、やんごとなき姫君のセンセーショナルな事件まで。春画に描かれたのは「わらい」のみにあらず。嫉妬、妄想、病に犯罪……。絵画と古典籍から時代の空気を紐解けば、愛欲だけでは語れない世界がそこにはあった。あなたの常識をひっくり返す14章。
その弐 夫にだけヤリマンな妻の見分け方
その参 嫉妬心にはご注意を
その肆 女学生とエロスの関係
その伍 奥女中の「本当の愛」は絵に残らない
その陸 後家、スケベ旅行記の主人公になる
その漆 看護婦が白衣の下に穿いていたのは
その捌 三途の川で待ち合わせする相手は……
その玖 オンナの性器は第二の顔
その拾 たかが皮、されど皮
その拾弐 わざわざタブーを描くわけ
その拾参 王宮の中心で愛を叫ぶ
その拾肆 ファンタジーと現実のアブない関係
参考文献
書誌情報
読み仮名 | シュンガノアナアナタノシラナイオクノオク |
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装幀 | いとう瞳/装画、新潮社装幀室/装幀 |
雑誌から生まれた本 | 波から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 208ページ |
ISBN | 978-4-10-355171-3 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | 芸術一般 |
定価 | 1,980円 |
電子書籍 価格 | 1,980円 |
電子書籍 配信開始日 | 2023/06/15 |
書評
春画の中にストリップ劇場の影を見る
ストリップショーの元祖といわれる「額縁ショー」では、半裸の女性がステージ上の額縁のようなセットの中で、ただ佇むだけだった。当時の男たちは、動かない裸体を見るために長蛇の列を作ったというから、ウブいことこの上ない。しかし昨今では、人気絶頂の国民的アイドルでさえ、ほとんど裸のような格好で煽情的なポーズをとり、それほど高くない値段で写真集を出版する。そんなことをされちゃあ、しがない踊り子がぽろりとおっぱいを溢したところで、だからどうした、であろう。写真集と同等か、それ以上の入場料を払ってストリップ劇場に通ってもらうには、ただ脱いで踊るだけではだめなのだ。
時代とともに過激さを増したストリップは、本番ショーなどの笑えない時代を経て、お色気エンターテイメントに昇華しつつあった。そんな現代のストリップには、20分弱のステージにストーリーを持たせ、その流れで、まるで相手がいるかのようにエアセックスをしてみせたり、ステージ上にもかかわらず、自慰行為をしてみせる演出がある。スポットライトを浴びながらの公開オナニーだが、あくまでも自らの快楽のために、誰にも見られていないというていで行われ、それを黒子となった観客が固唾をのんで見守るのだ。冷静に考えると、だいぶオモロい。
『春画の穴』では、天狗面の鼻を使って、セックスとはこういうものか、と想像する年若き女を描いた、歌川国虎の「男女寿賀多」(文政九年)が取り上げられている。この絵がなかなか興味深い。お姉ちゃんが何をしているのかわからず、目の前で無邪気に遊ぶ弟もなかなかいい味を出しているが、彼女のすぐ後ろからちゃっかり顔を覗かせる男に、なぜか既視感を覚えるのだ。彼女は天狗に夢中で、滑稽なほど堂々と覗き見をする男に、気付く様子もない。身を乗り出す彼も、天狗より本物がよかろうとしゃしゃり出るわけでもない。やはり似ている。もしこの覗き魔がもう少し後に生まれていたら、ストリップにどハマりして劇場に通い詰めたのではないだろうか。そして、もし彼女が男の存在に気付いた上でオナニーを続けているのだとしたら、踊り子の素質がある。
勘違いしないで欲しいのだが、踊り子がステージ上でオナニーをする際、観客の目が刺激となり、通常のオナニーより気持ちがいいなどということは、夢を壊すようで悪いが、まずもってない。局部を弄りながら断続的に体位を変え、体を360度回転させるのは、どの席に座る観客にも万遍なく見せるためだ。決まった時間の中で全方位に気を配り、表情と動きで「今イッたな」と思わせなければならない。極めて冷静な状態でなければ、できる仕事ではないだろう。つまり踊り子の素質とは、人から見られて気持ちよくなる性癖ではなく、自分の快楽はさておき、人の期待にとことん応えてしまうサービス精神の旺盛さなのである。
《春画とは「性の営みが描かれた風俗画」》だ。一般的に現代で言うエロ漫画は男性読者に向けて作られており、春画にもそういったイメージを抱く人は多い。描かれる女たちの体形もシチュエーションも、男たちの身勝手な願望が込められているし、そもそも女性には、男性のような性に対する強い興味はない。……表向きはそうかもしれないが、果たして本当のところはどうだろう。著者の春画ール氏の見解によると、一概にそうとも言えない。
明治四十三年の新聞に掲載された記事によると、当時にも春画を堂々と楽しむ女学生がいて、それどころか、女学生が人気絵師だった(!)という事実もあったようだ。ああ、やっぱりね! 実際の性行為に及ぶ及ばないに関係なく、エロを明るく楽しむ感性が女性にもある。それは当時の女学生たちと、春画を楽しむ春画ール氏と、ストリップ好きが高じて踊り子になった私が、何よりの動かぬ証拠だ。かつて日本全国に四百館あったといわれるストリップ劇場だが、現在は二十館も残っていない。世の中には無料で楽しめる過激なエロコンテンツが増え、同じくらいのお金を出せば、実際的なサービスを受けられる風俗もある。それでもしぶとく残り続けている理由のひとつに、女性の存在があると、私は思うのだ。
春画は堂々と販売することが許されないものだった。それでも、現代を生きる女性の心を惹きつけ、こうして一冊の本にまでなった。ストリップも、現行の法律では、今後新たに劇場を作ることが許されない。それでも、新たな女性客は確実に増えている。
『春画の穴』が書店に並んだ今、ストリップが生き残る最後の砦はやはり、女性である気がしてならない。
(あらい・みえか エッセイスト/踊り子)
波 2023年7月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ
私がどうしても「江戸をやめられない」理由
何千もの落札履歴のある顔の見えない強者と、インターネットオークションで壮絶な闘いをして手に入れた春画たち。初めての春画は夏の賞与で買ったっけな。家に届くたびに幸福感に満たされ、「わたしは絶対に売らないし、この作品たちが存在したことを後世に伝えていくから」と版元や絵師に誓ってきたわけですが、まさか「波」の表紙を飾るなんて、世の中、何が起こるかわからない。
今回掲載した作品のほとんどは江戸期に制作されたものです。表紙の下部に大きく配置された春画は、明和~安永期(1764~1781年)に描かれたと考えられる月岡派の断簡。肉筆春画で、肌の下の血色感まで楽しめます。大人の都合でお見せできない性器の部分には、膠が使用されており、淫水がきらきらと輝いています。『春画の穴―あなたの知らない「奥の奥」―』では、こういった春画をご紹介しながら、絵に秘められた当時の人々の心性を探っています。
月岡派の春画に描かれている二人は実は遊女と客の間柄。遊郭文化の面白さを綴った面白い古典がありますので、ご紹介します。延宝5(1677)年刊行の「たきつけ草」というお話です。
島原遊郭の近くを主人公が歩いていると、前を歩く三十歳くらいの男と五十歳くらいの親仁風の男が話しているのが耳に入ります。若い方が「遊女は嘘偽りが多い」「金銀になびく」という世間の遊女のイメージをどう思うか尋ねます。主人公は興味を持ち、盗み聞いているうちに、親仁は遊郭での遊びの世界の面白さを語ります……。
家の用事は適当にごまかし、遊里駕籠屋まで行き「今は何時だろう、駕籠を急いでくれ」と言い、駕籠のすだれを下ろした中で「早く、早く……」と思うのも面白い。もっと早く走れぬか、といらいらしているうちに大宮通りの角の馬宿のあたりにくると、島原が近づいてきた嬉しさ、これまた面白い。丹波口の茶屋に駕籠を担ぎ入れ、鬢を整え帯を直して心を落ち着かせているときの趣は、本当に嬉しい気分となる。人目を忍ぶ編笠を深く被り、島原の家並みを見た時の嬉しさは今更言うまでもない。
揚屋町に入り、行きつけの揚屋の敷居を越えるや否や、華やかな声で「ようこそ、いらっしゃいました!」と言われるのも面白い。二階へ上がり、編笠を脱いだりしていると、揚屋の人が盃を持って出てくるのも、まず悪くない。そして「お馴染みのところへ知らせなさい」という声が、忍んでいるようだが、ほのかに聞こえるのも嬉しい。女主人などが出てきて「お肴は何がよろしい?」と座を取り持つ風情もその場にふさわしい。しばらくして、いつもの部屋のほうで衣がすれる音がして、彼女だと断定はできないが、箱梯子を踏んで上がってくる足音が聞こえてくると、胸がどきんとする。そして、優雅に着た衣装の肩の辺りが脱げそうになっているところに、真っ白に透き通った肌が見え、帯が外れそうになるのもかまわずに出て来る彼女と目が合うと、もう、まぶしくて目がつぶれるばかり。
「盃が空だよ」と彼女に伝え、細い手首にそっと触れると、糸萩の露ほどに軽いはずの酒を、重たそうに盃に受けるのは、愛嬌に富んで風情がある。床に入っていると、遅からず早からずのタイミングで彼女が来てくれるのも嬉しい。それから、部屋で二人きりになり、しばらく会いに来れなかった言い訳を、どう言おうかと気もそぞろになっていると、彼女がそれを察してか、落ち着いた様子で若やいだ風情で打ち解けてきてくれる嬉しさ、これ以上の面白さはない。彼女がねんごろに将来の約束をしたいなんて言うので、あらゆる神の名に誓い、もし約束をやぶったら、「地獄の釜へ投げ込まれても~……!」などと子どものようにじゃれて指切りをするのも嬉しい。帯などを解いて、ゆっくり身を寄せてくると、なんとも言えない良い香りがし……そのあとは……もう、このまま死んでしまいたいくらいの気持ち良さ……(笑)。
日暮れ時、ひんやりとした着物を身に着け、大門まで彼女が送ってくれるのも風情があって、名残惜しい。帰りがけ、心はまだ彼女のもとにあるものの、身体は駕籠のなか。家の様子はどうなっているのか気遣わないといけない心苦しさ、その嫌な気分は何とも言えない……。
そこまで聞いているうちに、二人の男は分かれ道の辺りで、すっと消えてしまい、見失ってしまった。どこへ行ってしまったのか、もう、わからない。
この物語を読んだ後、遊郭のこまやかな情景と、遊女に会いに行く男性の心の内が生々しく脳内に飛び込んできて、まるで300年以上前を生きた江戸期の人と心が通ってしまった気分になり、気持ちの整理がつかず、しばらく口を押えて絶句していました。そして、この世にはまだわたしの知らない春画や物語が山ほどあるんだと、改めて人生をかけた性文化を探す終わりなき冒険に胸がときめきました。
これだから江戸は、やめられねえッ!
(しゅんがーる 春画ウォッチャー)
波 2023年8月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
春画ール
シュンガール
1990年、愛媛県生まれ。学生時代に見た、葛飾北斎の「蛸と海女」で春画に目覚める。市井の春画ウォッチャーの視線で、春画の魅力や楽しみ方を模索する。2018年より「春画ール」の名で活動をスタートし、「現代人が見る春画」をコンセプトに、国内外への発信を続けている。恋愛メディア「AM」にて『令和奇聞』連載中。著書に『春画にハマりまして。』(CCCメディアハウス)、『江戸の女性たちはどうしてましたか? 春画と性典物からジェンダー史をゆるゆる読み解く』(晶文社)。