神学でこんなにわかる「村上春樹」
2,475円(税込)
発売日:2023/12/22
- 書籍
- 電子書籍あり
欧米人は「ハルキ」をこう読んでいる! 世界的共感の源を示す画期的作家論。
村上作品をキリスト教神学で読めば、ページから違う声が聞こえてくる。悪の問題に正面から取り組んだ『騎士団長殺し』を「不可能の可能性に挑む」「神なき時代の愛のリアリティ」のキーワードで詳細に読みほぐし、最新作『街と~』に至る展開まで鋭く考察。神学と海外事情に精通する著者だから書けた、発見と驚き満載の書。
『騎士団長殺し』詳解
あとがきにかえて――『街とその不確かな壁』を読む
書誌情報
読み仮名 | シンガクデコンナニワカルムラカミハルキ |
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装幀 | (C)CSA Images/装画、Getty Images/装画、新潮社装幀室/装幀 |
雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 368ページ |
ISBN | 978-4-10-475218-8 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | 評論・文学研究 |
定価 | 2,475円 |
電子書籍 価格 | 2,475円 |
電子書籍 配信開始日 | 2023/12/22 |
インタビュー/対談/エッセイ
村上春樹作品で世界を掴む
私は、外交官の学歴としては珍しいのですが同志社大学神学部と同大学院神学研究科の出身です。専門は組織神学(キリスト教の理論)で、チェコの神学者ヨゼフ・ルクル・フロマートカ(1889~1969年)の神学に魅せられました。この神学者は、無神論を国是とする社会主義国家にとどまり、困難に立ち向かいながらもイエス・キリストに従って他者のために生きるという姿勢を貫きました。同時にフロマートカはキリスト教徒に、教会や信者間の関係に閉じ籠もらず、キリスト教に敵対的もしくは無関心な人びとが多数であるこの世界に飛び込んでいけと言いました。そして、イエス・キリストを救い主と信じるキリスト教徒は、無神論者、異教徒よりも、この世界をよりリアルに認識できると強調しました。
村上春樹氏の小説も同様に、私たちが生きているこの世界をよりリアルに認識するのにとても役に立つと私は考えています。現代人は、天にいる神のような超越的存在を信じることができません。また世界の外側(外部)が存在するという感覚を持っている人も少数派です。『騎士団長殺し』では、イデア(ときどき騎士団長の姿をとる)、メタファー(顔ながという形で現れる)などという名称で、外部が私たちの前に姿を現します。
外部と共に村上作品で重要なのは、悪の実在です。カトリック神学、プロテスタント神学においては、多くの神学者がアウグスティヌスが唱えた「悪は善の欠如に過ぎない」というモデルをとります。いわば悪とは穴あきチーズの空洞のようなもので、そこにチーズを充填していけば悪は無くなるという考え方です。しかし、東方正教神学においては、悪はそれ自体で自立した存在であり、人間の努力によって克服できるようなものではないと考えます。また正教神学は、「~である」という表現で積極的に立場を表明する肯定神学を好みません。「~でない」を繰り返して、その残余の部分で定義する否定神学で、神、愛、悪などの表現が難しい事柄を表現します。このような正教神学(思想)の伝統を踏まえて長編小説を書いたのが、ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーです。村上氏はドストエフスキーの小説を深く読み込んでいると私は見ています。『騎士団長殺し』における主人公と騎士団長、秋川まりえ、免色渉などの会話の情景は、カラマーゾフ家の食卓に繋がっているように私には思えてなりません。
村上氏の作品については、日本よりもヨーロッパ、アメリカ、ロシア、イスラエルなどでの方が真剣に議論されているように私には見えます。日本でも『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』などについては、文壇や論壇でよく議論されたと思います。
それが、430万部を超える大ベストセラーになった『ノルウェイの森』以降、様子が変わってきました。大ベストセラーを嫌う文芸批評家の気分(多分に嫉妬があると思います)とともに文壇、論壇の構造変化があると思います。日本でも欧米やロシアでも小説家が作品を書き、文芸批評家がそれを論じることによって、小説家が意識していない意味を見出し、深みを持って作品を解釈する作業が行われてきました。そして、その解釈は文壇だけでなく、論壇にも及びました。
21世紀の今日、作家と文芸批評家の相互作用は非常に細くなっています。文壇と論壇の関係も薄れています。また、文芸批評家としての潜在的能力の高い哲学者や社会学者は、批評ではなく、自ら小説を書き、自らの思想を直接、読者に提示するようになっています。しかし、批評を欠いた表現だと外部が欠けてしまうので、他者との触発が生じません。そのため思想が閉塞していきます。
このような状況を打破したいと思って、私はこの10年間、村上作品の読み解きに従事してきました。
私の基礎教育はプロテスタント神学ですが、大学院を修了した後は、外交官になり、対ロシア外交とインテリジェンス(特殊情報)を専門としていました。この世界で私は悪の実在を皮膚感覚で知ることができました。ウクライナ戦争、ハマスによるイスラエル攻撃で、悪が顕在化しています。第3次世界大戦が勃発する危機に人類は直面しています。このような状況から抜け出すためにも『騎士団長殺し』の解釈を通じて、悪を克服する方途について深く考える必要があると思います。そして最後に、村上氏の作品で最も神に接近したと言っていい『騎士団長殺し』の後、今年(2023年)刊行された『街とその不確かな壁』では氏が何を描こうとしたのかについても論じました。
これまでの私の読者とは違う、村上作品の愛読者をはじめ、小説好きの方々からの反応を楽しみにしています。
本書「まえがき」より構成しました。
(さとう・まさる 作家/元外務省主任分析官)
波 2024年1月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
佐藤優
サトウ・マサル
1960年生れ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省。在英大使館、在露大使館などを経て、1995年から外務本省国際情報局分析第一課に勤務。2002年に背任と偽計業務妨害容疑で逮捕・起訴され、東京拘置所に512日間勾留。2005年2月執行猶予付き有罪判決を受ける。2009年6月に最高裁で上告棄却、執行猶予付き有罪確定で外務省を失職。2013年6月に執行猶予期間を満了、刑の言い渡しが効力を失った。2005年、自らの逮捕の経緯と国策捜査の裏側を綴った『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。以後、作家として外交から政治、歴史、神学、教養、文学に至る多方面で精力的に活動している。主な単著は『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『獄中記』『私のマルクス』『交渉術』『紳士協定―私のイギリス物語』『先生と私』『いま生きる「資本論」』『神学の思考―キリスト教とは何か』『君たちが知っておくべきこと―未来のエリートとの対話』『十五の夏』(梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞)、『それからの帝国』など膨大で、共著も数多い。2020年、その旺盛で広範な執筆活動に対し菊池寛賞を贈られた。