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彼女が幸せなのは、遺伝子のせい? 鋭敏な洞察の間に温かな知性がにじむ傑作長篇。

幸福の遺伝子

リチャード・パワーズ/著 、木原善彦/訳

3,080円(税込)

本の仕様

発売日:2013/04/26

読み仮名 コウフクノイデンシ
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 430ページ
ISBN 978-4-10-505874-6
C-CODE 0097
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 3,080円

スランプに陥った元人気作家の創作講義に、アルジェリア出身の学生がやってくる。過酷な生い立ちにもかかわらず幸福感に満ちあふれた彼女は、周囲の人々をも幸せにしてしまう。やがてある事件をきっかけに、彼女が「幸福の遺伝子」を持っていると主張する科学者が現れ世界的議論を巻き起こす――。現代アメリカ文学の最重要作家による最新長篇。

著者プロフィール

リチャード・パワーズ Powers,Richard

1957年イリノイ州エヴァンストン生まれ。イリノイ大学で物理学を専攻、のちに文学に転向する。文学修士号を取得後、プログラマとして働くが、アウグスト・ザンダーの写真と出会ったのをきっかけに退職、デビュー作となる『舞踏会へ向かう三人の農夫』(1985)を執筆し、各方面で絶賛を浴びる。現代アメリカにおける最も知的で野心的な作家のひとり。9作目の長篇『エコー・メイカー』(2006)で全米図書賞を受賞。2018年刊行の『オーバーストーリー』でピュリッツァー賞を受賞。他の作品に『囚人のジレンマ』、『われらが歌う時』、『幸福の遺伝子』、『オルフェオ』など。

木原善彦 キハラ・ヨシヒコ

1967年生まれ。大阪大学教授。訳書にトマス・ピンチョン『逆光』、リチャード・パワーズ『オルフェオ』など。ウィリアム・ギャディス『JR』の翻訳で日本翻訳大賞を受賞。著書に『UFOとポストモダン』、『ピンチョンの『逆光』を読む――空間と時間、光と闇』、『実験する小説たち――物語るとは別の仕方で』など。

書評

波 2013年5月号より 先にSFが書くべきだった

円城塔

この小説を読み終えたわたしは今、とても強い無力感に襲われている。この小説は、ある種SF的側面をもった話と読まれてしまうだろうし、過去のSF作品とも比較されるだろうと感じるからだ。たとえばブルース・スターリングが八〇年代に書いた作品群と。しかしパワーズが描いているのは単に現在進行形で展開されている科学の現場の光景である。こういう話はSFによくあるものだという人がいるならば――こうした話が何故SFでは書かれてこなかったのかをわたしは問いたい。つまり、SFという単語を用いることで思考を閉じ込め目をつむってしまうことを阻止したい。しかしそれは多分無理だと思う。パワーズがここまで書いても、この小説がSFの一支流にすぎないと読まれてしまうなら。
お話は一見単純である。書けなくなった作家が創作のクラスを持つ。そこでアルジェリアからの移民の学生に会う。彼女は常に幸福そうに見え、周囲に絶え間なく幸せをふりまき続ける。それは常識を超えた救いの力だ。しかしその力が遺伝子の偶然によりもたらされたものだとしたら。あるいは幸せを感じ続けるという病気であるとしたら。心理学者、分子生物学者、テレビ番組の制作者、創作クラスの仲間たちは拡大していく騒ぎに巻き込まれていく。
お話は実は入り組んでいる。現代のアメリカ小説は、「自分のルーツ」について書かれた「長大な」小説に特化されつつある気配がするわけだが、ここで「ルーツ」は人目を引く突飛なものであればあるほど価値が上がる。これはアメリカ人にとっては何とも奇妙なひねりであって、アメリカ人として書こうとすると非アメリカ人を書かねばならず、しかし自分はアメリカ人以外の何者でもない。このひねりに当然意識的なパワーズが、作中で幸せをふりまく人物としてアルジェリア人を選択していることに注目しよう。パワーズは、ごくごく正気の人間として、勝手に他人の内面を描くわけにはいかない。キャラクターの独白を書けないという意味ではなく、コミュニティの向こうの出来事を、自分の属するコミュニティの眼鏡を通して書くことはできない。だから「本当の話」は決して書かれえず、「本当のように見える話」が書かれることになるのだが、パワーズがこの錯綜するお話で追いかけている一本の糸は、「本当のように見える話」が「本当の話」であり得るのかという問いであり、同時に、「本当の話」がどうしても「本当のように見える話」になってしまうことへの戸惑いである。この小説に登場する元作家は、かつて他人のことを好き勝手に書き、それゆえに今は書くことができなくなった人物であり、ひいては自分自身のことさえも書くことができなくなっている。
本書には、「人間は自分で思っているよりも、外部の要因によって決定されている」という考え方が、繰り返し姿を変えて登場する。SF的な荒唐無稽と読まれてしまいそうな主張なのだが、この設定は、人間の思考は遺伝子で完全に決定されているというような杜撰な主張とは異なり、現代の神経科学や心理学、分子生物学、経済学が今も着々と明らかにしつつある事実をなぞる形で使われており、逸脱はほとんどみられない。
幸せはどこまで遺伝的に決定されるのかという問いを、人間はどこまで書かれうるのかという問いと並べてみよう。そうしてこう夢想してみる。今わたしが感じているこの意識がただの化学反応の集まりだとして(それは真実でさえある)、わたしはその化学反応に書かれているのか。あるいは遺伝子によって。それとも文字に。人間はどこまで他人に書かれうるものであり、人間はどこまで誰にでも書かれうるものなのだろうか。
こうして並べてみるだけでこの小説は、「わたしであるということ」と「小説であるということ」、さらに「わたしという小説であるということ」についてのものだということになる。しかもこれはお話に幾重にも織り込まれた一本の筋にすぎないのである。

(えんじょう・とう 作家)

目次

第一部 見知らぬ土地と人々について
Of Strange Lands and People

第二部 宙を歩め
Walk on Air

第三部 偶然とは思えない
Well Past Chance

第四部 次の一ページ
The Next First Page

第五部 神より出しゃばらない
No More than God
訳者あとがき

訳者あとがき

 本書は Richard Powers, Generosity: An Enhancement (Farrar, Straus and Giroux, 2009) の全訳である。
 作者リチャード・パワーズについては、既に多くの作品が日本語に訳されているので、改めてここで紹介する必要はないかもしれない。しかし本作は、SF長編に与えられるアーサー・C・クラーク賞(二〇一一年度)の最終候補作となったという事実からもうかがえるように、これまでのパワーズ作品よりさらにSF的な色合いが濃く、彼の作品を初めて手に取った読者もいらっしゃる可能性があるので、基本的なことだけでもここでおさらいしておく価値があるだろう。
 一九五七年にアメリカで生まれ、イリノイ大学で物理学を専攻した後に文学修士号を取ったパワーズは、大きな反響を呼んだデビュー作『舞踏会へ向かう三人の農夫』(一九八五年)以来、これまでに十作の長編を発表し、全米図書賞を受賞した『エコー・メイカー』(二〇〇六年)を筆頭に、いずれも高く評価されている。一作ごとに新たな試みがなされているが、どの作品にも共通するのは、理系と文系にまたがる該博な知識と、それを単なる衒学に陥らせることなく、しばしばリリカルで、常に精緻に組み立てられたセンテンスと、テーマにふさわしい構成とで物語る筆力だ。
 そんな作家の最新長編が本書『幸福の遺伝子』である。本作のメインプロットは分かりやすい。幸福の遺伝子を持つとされる女性をめぐって大学の教室から全米のマスコミに至るさまざまな場所と規模で起こる波乱を描きつつ、それと同時に、彼女に創作的ノンフィクションを教える人物が、閉塞した私生活と作家としてのスランプの出口を探求するというのが主な筋立てになる。そこに絡んでくるのが、かつての恋人によく似た女性カウンセラー、人気科学番組の司会者、遺伝子研究の先端にいる研究者らだ。
 この小説にはメタフィクション的な構成が見られ、冒頭近くと結末部を中心に何度も、小説を書いている「私」という語り手が登場する(パワーズの作品にはしばしば同様の仕掛けが使われてきた)。その正体が何者かを推理するのは難しくないが、それを明らかにするのはいわゆるネタバレに当たるだろうから、ここでは触れないことにしよう。ただし、一読すれば明らかなように、「創作」に関わっているのは語り手ばかりではない。主な登場人物たちが皆、何らかの意味で「物語を書く」ことに携わっている。日常の出来事を日記に綴ることから始まり、体験の言語化としてのカウンセリング、テレビ番組の制作、DNA配列の読み書きに至るまで、世界の諸側面をさまざまな立場から物語として理解し、操作する私たちのありようを描き出している点が、作者の問題意識を浮き彫りにしているように思える。
 この小説は、パワーズの作品としてはやや短めで、プロットが明確なためにとても読みやすい。「パワーズ入門に最適の一冊」と評した書評もある。難しめの内容なら、あとがきで解題めいたことをするのが訳者の務めだろうが、今回、それは不要だろう。テーマは遺伝子改変とそれが人の幸福に及ぼす影響とタイムリーでもあり、パワーズらしい詩的描写が随所に光る。所々にちりばめられている創作や幸福や遺伝子情報の知的所有権に関する議論も興味深い。現代を舞台とした小説内部では、SNSやネット検索、ブログやユーチューブ、テレビのトークショーなどが背景に登場し、事態の展開にリアリティーを与えている。
「書くこと」の背後にある欲望、幸福という問題、スペクタクル的な現代社会とネット文化、科学的な知の追究、ビジネスとしての科学技術研究などの複雑な絡み合いの中で(しかし、分量としては比較的コンパクトなこの物語の中で)、パワーズが持ち前の筆力を発揮し、エンターテイニングな味付けまで施している本書が、多くの読者に読まれることを期待したい。

 本書の出版に当たっては、企画と編集の段階で、担当の北本壮さんと佐々木一彦さんにお世話になりました。どうもありがとうございました。訳者の日常をいつも支えてくれるFさん、Iさん、S君にも感謝しています。どうもありがとう。そして、既に十一冊目の長編『オルフェオ』(これまたパワーズらしく、音楽と遺伝子とセキュリティー国家をテーマにした作品)を書き終えたと言われている著者のリチャード・パワーズ氏にはますますのご健筆を祈りたい。

  二〇一三年二月

木原善彦

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