新潮社

吉本ばなな『キッチン』刊行30周年 『キッチン』と私 思い出・エピソード大募集

私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う──

あなたと『キッチン』をめぐる物語をお寄せください。
吉本ばななは、皮膚やかたちではなく、
はじめから人のこころを見ているような気がする。
糸井重里
あんなに澄んだ小説は、あとにも先にも出会ったことがない。
出てくる人みんな、一生懸命生きていて、こちらまで照らされる。
綿矢りさ
ただ生きている。
それだけの事を、こんなにも褒めてくれるのは、
この物語だけだと思う。
木村文乃

読んで元気になるわけではない。誰かに薦めたいかと聞かれると、躊躇してしまう。理由は、自分がうしろ向きのとき、気持ちが疲れているときに読んでいる本だからだろう。でも、そういうときに読みたくなる。誰かに薦めることはないけれど、絶対に手放さない。文字にして、言葉にして、説明できないけれど、とても「キッチン」が好きで、「キッチン」を読んだあの日から一緒に過ごしてきた。10代、20代、30代と、(おそらく)変化している自分に、変わらずに寄り添い、存在している「キッチン」。この先も疲れた気持ちに寄り添ってくれると信じている。
みかげはいつも同じなのに、とても弱弱しく見える日があったり、頼もしく見えたりする。毎回違うみかげが目の前にいる。
文字にして表現することがとても難しいけれど、唯一説明できることは、ジューサーと、バナナ柄のグラス、が欲しくなること。

ハチロウ

「こんなカツ丼は生涯もう食うことはないだろう」私はあの日のカレーライスを思い出しました。地震で被災。余震が続くなか、給水の列に何時間も並んで水を汲み、何度も確認してガスを復旧させ、台所に立ちカレーを作りました。美味しいことと言ったらもう。それに色んな気持ち…感謝、感激、気力などなどが湧いてきて。みかげが雄一へ言った「もっと大変で明るいところへ行こう」という感じです。あれから2年。キッチンを30年ぶりに読んで、私の中で色が薄くなりつつあったあの時の事が思い出され色が付きました。地震後、ばななさんの本を読みたくて、よく読みました。ばななさんと同じ時代に生まれてよかった。気持ちを伝えることができます。この2年の間、ばななさんの本に助けられました。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

幾望

今となっては理由が不明なのですが、刊行されてすぐに購入しました。ラッピングペーパーでカバーを作り持ち歩きして何度も読み、ボロボロになったカバーを取り換えて文庫が出たらそれを持ち歩きようにして、水を飲むように読みました。
私はばななさんよりちょい年上で、世の中が生きづらいのは自分のせいか?と木の葉のようにクルクル心が回っている日々に「そうじゃないよ」と寄り添ってくれた作品です。
読者の方が若い人が多いけど、すでに(社会的には)大人だった私にも届いてますよ、助けられましたよ。今振り返ってみて『キッチン』を読んでいない人生なんて考えられません。
本当にありがとうございます。

もじもじ猫

生きることが苦しくてたまらない自分と向き合っていたとき、ひとりぼっちの自分がただ寂しくて仕方がなかったとき、悲しみが大きな風船のように膨らんで窒息しそうなのに泣けなかったとき…みかげのおばあさんに私の亡き祖母を重ねたり、えり子さんの切なくて明るい声を聞いたり、みかげの気持ちを反芻したりして、私も立ち上がりたいと思うことができました。不器用で情けなくてもなんとか生きてこられました。そして抜け殻のようになった人間にも、また光が宿り生命のキラキラが生まれる瞬間がきっとあることを、雄一を見ることで信じられました。「キッチン」は、何年経っても私の本棚の中でひときわ温かい光を放ちながらこちらを見守ってくれています。眩しくて痛い光ではなく、とても穏やかで優しい光。キッチンの世界の中で、いつも私は生きることを選べます。いつもいつも…ありがとうございます。

まれい

「キッチン」を手にしたきっかけは、当時の会社の上司から「吉本隆明の娘の本だから…(ぜひ!)」という言葉をいただいたこと。ばななさんのお父様は団塊世代の上司の憧れだったようです。そこからばななさんの本を読み続けて今に至ります(上司とは疎遠になってしまいましたが)。30年の間にいろいろなことがありましたが「キッチン」で描かれたばななさんの世界は、私の心の中心に今もひっそりと存在しています。気持ちがぶれ続けてきた私ですが、これだけは揺るがずに変わりません。私も家の中でキッチンが一番好き。カツどんは食べられなくなってしまいましたが。

ケッチ

中学生の時、オリーブで紹介されていた事がきっかけで「キッチン」を初めて読みました。
物語に出てくる自分より年上の人たちが見せてくれる世界が素晴らしく、グングン飲み込むように夢中になりました。
自分だけの事を考えがちな年頃だった私に、近すぎて見えないけど大事にしなければいけない人の心の深さを教えてもらった感謝もあります。
なりたい自分になる、というのは大それた事ではなく、自分の心が豊かになる事を少しでも叶えていく事、と思えるようになったのも、吉本ばななさんに教えてもらってきた事のように思います。
もう30年が経つんですね。
いま、料理に携わる仕事についてます。
幸せの指針ありがとうございました。

nicomasu

初めてキッチンを読んだのは、長女がお腹にいる時でした。等身大の女の子の物語はストレートに胸の中に響き、読み終えた時は言葉にならずただ涙が溢れました。何故ばななさんはこんなに私の気持ちがわかる?祖母と2人で暮らす、暖かいけど暗い暮らしの色や匂いとか、誰かとご飯を食べることは当たり前のことじゃないっていう(だから感謝しろとかではなく)感覚とか、、
長女も次女もそれぞれ小学生の頃に読み、その後も読み、ひとりの時間の中でたくさん慰められたと思います。だからこの物語は私達の宝物なのです。本そのものも。
私は、ばななさんの小説の、若い女性が何かを乗りこえて再生する(例えそれが死であっても)、という所にとても救われます。女性はどんなに歳をとっても、""女の子"" は心の中にいるから、主人公が若い女性というところも共感するし嬉しいのです。
ばななさん、30周年おめでとうございます。これからもずっと楽しみにしています。

うみの

『キッチン』との出会いは、まさに、わたしのお腹の底で渦巻いているうまくまとまらない想いに、ちゃんと輪郭をつけてくれる小説家との出会い。嬉しかったなあ!ありがたいって思いました。
あれは30年前のことなんですねー。
その後わたしは料理人になって、この世でいちばん好きな場所で日々のほとんどを過ごしています。
冷蔵庫のブーンという音を聞く時、ゆがいてるオクラの色を見つめてる時、『キッチン』がいつもそばにいる感じ、いまでも、たぶんこの先も。

ボルベール

みかげと雄一のこと、なくなったえり子さん、みかげのおばあちゃん、彼らのこと、実はすっかり忘れていたんです。今日、彼らの処へ戻ってこれて良かったと思います。まあね、でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことが何かわかんないうちに大きくなっちゃうと思うの。こんな風に、えり子さんがみかげにキッチンで言ってました。絶望をポジティブに捉えようとする生き方に感動します。克服と成長は個人の魂の記録であり、希望や可能性のすべてだとわたしは思っています、とあとがきで書く、ばななさんのことばにも。キッチンに出逢い、今、キッチンに共感しています。それももっと嬉しい。何度も、何度も手を振って(ムーンライトシャドウ)、ばななさんと同時代人のみなさんの30年に、ありがとう、って心から言いたい。

ekphrasisplus81

中学一年生のゴールデンウィーク、叔父に「キッチン」の文庫本買ってもらいました。読んでいる途中に何度も顔を上げ、急いで読み終えてしまわないよう落ち着く必要がありました。
当時、わたしはさえない子どもで、そういう子が決まって遭遇しそうないやな出来事に次から次へと見舞われてきました。それでも、その状況を嫌だと言ってしまうと、家にも学校にも私のいる場所はありませんから、長い間「そんなこと、ちっとも気にしていません」という顔で過ごしていました。けれどもキッチンを読み終えたとき突然みずみずしい気持ちが湧いてきて、今から何だってできるし、どういうふうにも変われる、と思ったのです。そのときに得た希望は、二年かけて現実になりました。
ばななさん、ありがとうございました。疲れてカラカラになっていた中学生は、一冊の本で自分を立て直すことができました。文庫本はもうボロボロですが、もちろん本棚にならんでいます。

るつ子

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