新潮社

吉本ばなな『キッチン』刊行30周年 『キッチン』と私 思い出・エピソード大募集

私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う──

あなたと『キッチン』をめぐる物語をお寄せください。
吉本ばななは、皮膚やかたちではなく、
はじめから人のこころを見ているような気がする。
糸井重里
あんなに澄んだ小説は、あとにも先にも出会ったことがない。
出てくる人みんな、一生懸命生きていて、こちらまで照らされる。
綿矢りさ
ただ生きている。
それだけの事を、こんなにも褒めてくれるのは、
この物語だけだと思う。
木村文乃

キッチンと出会ったのは中学一年生の時です。静謐で澄んでいて、生きる力がひたひたとわいてくるような文章が好きで、繰り返し読みました。
就職で上京して一年、実家の母が病で倒れました。毎週末の母の介護や仕事の人間関係で疲れてしまいました。それまでは母と電話で話す事が息抜きになっていたので余計に辛く、友達も忙しそうなので連絡を遠慮してしまいました。素直に頼れる人がいない毎日の中、平日の仕事の帰り道にふと抑えられない悲しさと寂しさが急に溢れ出してきて涙がぼろぼろ止まらなくなった時に、ああ、『キッチン』が読みたいと思いました。実家に置いてあったので、急いで自転車で本屋に買いに走りました。久しぶりに読む『キッチン』は、変わらずしんと静かに孤独が描いてあって、なんだかとてもホッとしました。私にとって、冷たく温かい、不思議な小説です。
自転車を走らせたあの冬の日、助けてくれてありがとう。

しほ

高校一年生のとき、図書館で借りた『キッチン』を何気なく開き、バスを待ちながら読み始めました。どうしても先が気になって止められず、ふだん乗り物酔いがひどくて絶対にやらないのにバスの中でも読みふけり、バス停から自宅までの畦道を、ふらふらと本を読みながら歩いたことを、今でも鮮明に覚えています。後にも先にも、あんなに先を読みたいと思った本はありません。あれから『キッチン』はずっと私のそばにいてくれて、今でも新しい環境に移るたびに、なじむまでの間必ずかばんに入れて持ち歩いています。この本に出会えて本当によかった。この春、大切なこの本を、大切な教え子に渡しました。やさしいあの子がこれから歩む道を、どうかそばで見守ってくれますように。ばななさん、本当にありがとうございました。

はる

キッチンと出会ったのは小学4年のとき。お友達が貸してくれました。ぐいぐいっと読んでしまった。今まで親と学校しか知らなかった私の価値観がぱちっとこわれて、あれ、新しい世界があるんだと知ったんです。私の心の成長においてビフォーキッチンアフターキッチン、BKとAKとわけてもいいくらいの作品です!

糸杉

三十周年、おめでとうございます!!初めて読んでからもうそんなに経ったのかと感慨深いです。ばなな先生の作品はどれも好きですが、好きの原点はやはり、キッチンです。みかげちゃんの、とても静かで人を包み込む優しさに触れる度、心の調律が整う気がします。映画は日本版海外版、それぞれ良かったですが、それでも文章で読むほうが、何度もこの世界に連れていかれて心酔します。旅行にいくとき、いつもカバンに入れてます。大好きです。

もどろまん

最初に読んだのは中学生の時。その時はかなり『サラッ』と読め、正直「こう言う話か」位だった。
それから10年以上が経過し、最近再び読み返した。すると、恐ろしいほど私の中に物語が流れ込んできた。あの感覚は今でも忘れない。
思えば中学時代はまだ、自分が『ゲイ』だとしっかり意識をしておらず、周りに仲間も居なかった。しかし、今はしっかりと自覚し、少しは仲間も居る。
作品は変わらずとも、読み手は変わる。そして読み返す事の楽しみを教えてくれた。
色々なことを『キッチン』は改めて考えさせてくれた。
また読み返して離れていく作品もあれば、身近になる作品もある。と言うことを体験させてくれた数少ない作品です。

麿

キッチンはとても不思議な小説です。文章のひとつひとつが、こんなにもしんしんと心に染み込んでくる小説は初めてでした。私はこの本を就職試験に苦しんでいる時期に手に取りましたが、この世界に浸っている間は心が遠くへふわっと連れていかれるような心地になったのです。それでいて、現実にいる自分もきちんと救われた実感がありました。それ以来何度も読み返していますが、心地よく幻想的な文章の呼吸は変わらず私の心を掴む一方、その時々の状況によって感情移入する場所や考えるポイントが変わっいて飽きることがありません。きっと私はこれからもこの小説を愛し、さまざまな人生の岐路でじっくりと味わうことになるのだと思っています。

さくらなみき

30年前の19歳の秋、私は年間発症率10万人に1~2人という1型糖尿病を発症しました。(生活習慣病の2型糖尿病とは違う珍しいタイプです。)そしてちょうどその頃本屋さんで手に取った本が『キッチン』でした。現実の私の台所では食事療法のため、いつも秤とにらめっこ。小説「キッチン」の中のカツ丼がやたら羨ましくもあり、遠い食べ物のように思えたのが今でも記憶に残っています。と同時に、あの「キッチン」の中に漂う深く果てしない濃紺の世界は、当時の私の心象風景そのもの、そして最後に見えた「満月」の灯りは、私にとってまさにサーチライトでした。その後数々の著作の中でも『つぐみ』は私の分身となり、最近では『すばらしい日々』のお父さまの「血まみれの手帳」は、私の目標となりました。ばななさんの30年に丸々支えられ、救われました。ばななさん、本当にどうもありがとうございます。これからもどうかお身体に気をつけてご活躍くださいませ。

kyon

言葉に体温や匂いを感じたのはこの本がはじめてだった。
大人と呼ばれるくらい歳を重ねましたが、ふとしたときに
こころに浮かぶ不思議な一冊です。

M.桜晶

私と同じ年に生まれた小説に、13歳の時に出会いました。それからの辛い数年間ずっと、親の代わりのように一緒に過ごしてくれました。
沢山の人を生かしたばななさんの小説に、生かされたうちの1人です。ほんとうにありがとうございます。

さいとう

「言葉の力」とか「物語の持つ力」を教えてくれたのが、ばななさんの『キッチン』でした。大切な人のために、夜中にカツ丼ひとつ携えて、会えるかどうかもわからないのに、タクシーをとばし、そして屋根をよじ登って届けるみかげの姿は、携帯電話を持つ世代の人には信じられないかもしれないけれど、あの熱い想いは通じると思う。そんなに人を必死に想う気持ちの凄さは生きる上での原点でもある。今は「自分が一番大切だ!」とする人が多いかもしれないけれど、こうありたいと切に想う。人が人を想う気持ちってこうなんだよ!とみんなに伝えたいと思う。『ムーンライトシャドウ』の「手を振ってくれてありがとう」というセリフと共に私の生きていく上でのバイブルです。子どもたちには私のお棺の中には『キッチン』を入れてねと頼んであります。ばななさん、ずっとありがとう。これからもよろしくお願いします。

KANKO

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