新潮社

吉本ばなな『キッチン』刊行30周年 『キッチン』と私 思い出・エピソード大募集

私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う──

あなたと『キッチン』をめぐる物語をお寄せください。
吉本ばななは、皮膚やかたちではなく、
はじめから人のこころを見ているような気がする。
糸井重里
あんなに澄んだ小説は、あとにも先にも出会ったことがない。
出てくる人みんな、一生懸命生きていて、こちらまで照らされる。
綿矢りさ
ただ生きている。
それだけの事を、こんなにも褒めてくれるのは、
この物語だけだと思う。
木村文乃

みなさんの感想の中に、「人生がうまくいっている時、吉本ばななはピンと来ない」というものがありました。
私はうまくいっている時も、辛い時も、なぜか読みたくなるのです。ピンと来るのとは違いますが、ちゃんと自分の良心(他の言い方が浮かびませんでした)を持った、愛すべき人が作品の中にいる、ということを、確認したくなるたび読んでいます。
特に『キッチン』は、知らないけれど暖かい、読むと自分の輪郭をはっきりさせてくれるような作品です。
私は実家のキッチンが嫌いでした。キッチンそのものではなく、折り合いの悪い母がいつもいて、家族の愚痴を延々と繰り返す場所だから、キッチンが大嫌いでした。
吉本ばななさんの『キッチン』は、私にはただひたすら穏やかで優しい、私の知らない場所です。でもなぜか、辛い時も楽しい時も、ふと読みたくなるのです。

オリーブ

私の大切な本
秘密の花園とキッチン
どちらも美しい風景
そして再生
温かくて何かが育まれていくあの感覚
本は実家の本棚
でも、いつも心の中にある
思い出すとどちらも
香りや頬に当たる風の温度と
よみがえります

ヒカリトカゲ

高校3年のとき、進学のための「ハクづけ」が欲しくて、学生向けの小さな文芸賞に小説作品を応募した。うっかり佳作に入ってしまい、普段会話をしないような子が話しかけてきたり、打ち明け話をしてきたりする時期があった。
学級委員のしげちゃんもそんなひとりだったのだけど「この本、私がすごく好きな本」と言いながら『キッチン』を手渡してくれた。「あなたは将来、こういう作品を書くんだと思う」と言い添えて。既に読んでいた私は、なんと恐れ多いと思いつつ、しげちゃんの思いを温かく受け取った。
私は未だに小説家になりたくても、小説家と市場で呼ばれていない。純文学とかエンタメとか、自分が収まる場所すら未だわからない中「吉本なななさんの『キッチン』のような、人々に寄り添い、愛される作品を書きたい」という意思だけはブレていない。
17歳のときからいままで、私に寄り添い、目標として本棚に収まる1冊。それが『キッチン』だ。

カコ

30年前のあのとき、今の私が作られました。
高校生のときに一年間海外留学することになり、一年間たった一人で日本語のない世界で生きることの孤独さを何もわかっていなかった当時の私は、本をスーツケースに入れることさえ思いつかなかった。行きの飛行機で読むためにたまたま持っていたキッチン。それは偶然じゃなくて、神様からのプレゼントだったと思えるほどに大切なものになりました。
そしてそのあとの一年間、キッチンと生きた。
明るくて静かで、透明に澄み渡っている、でも切なくて哀しくて、それなのにどこまでも優しい。
みかげやえりこさんや雄一が、あのときの私の家族であり親友でした。そして今でも、いつでも帰れる場所。
ばななさんがこの物語を生んだ時代に、同じ時代に、生きていられたことに、感謝しています。

remiumiu

『キッチン』に出会えたから生きてこれた。心からそう思います。
孤独を受け入れて、日々を丁寧に積み上げ、時間が経つのを待つ。という辛い時期の乗り越え方を教えてくれたのがこの本でした。
それからはすべての著書が私の心の支えになっています。いつもその時の心に寄り添ってくれて、心の自由度が広がっていくのを感じています。

かおり

自分で自分を受け入れられなかった頃、お友達が『キッチン』を含めたばななさんの本を3冊かしてくれた。小説には、自分にとって向き合いたくないことがあって、ショックを受けて以来、長い間、ばななさんの本を手に取ることはなかった。それから何年も経ち、別のお友達が「このエッセイがいいよ」と、ばななさんの本を持って来た。これがきっかけとなり、わたしは、ばななさんの新刊やエッセイを読みまくり、再び『キッチン』を手にしました。自分自身をみつめながら涙を流し、涙を流す度に心が洗われて、今までは苦しんでいた辛いことに対しても、必要以上に悩まずに済んでいます。『キッチン』と出会えて良かった。ばななさんは『恩人』です。ありがとうございます

ろあれぬ

社会人3年目の初夏、友人を亡くした。残業を終えて携帯を見ると、母からメールが届いていた。
「Mちゃんが亡くなったって。告別式は〇日で…」
瞬間、涙があふれて携帯の画面がぼやけた。中学の同級生のMとは、卒業後は疎遠になっていたけれど、当時はバカなことをしてよく遊んだ。そんな思春期の記憶と告別式というなじみのない単語のギャップに、頭が真っ白になりそうだった。でも次の瞬間、何度も読んできた『キッチン』のみかげの思考が、とても自然に私に重なった。
最後はどんな別れ方だったっけ?中学の卒業式…違う、大学1年の冬に久しぶりに会った、あのときだ。どちらからともなく連絡を取って再会し、近況を報告し合い、プリクラを撮って、またねと笑って別れた。
「ああよかった、笑顔で別れた。あれが最後だ。」
突然の悲しみの中、最後は笑顔で別れていたという記憶は唯一の救いになった。

はるのひ

『キッチン』と言えば、思い出すのは大学の時のレポート提出です。その授業でヘミングウェイの短編の解釈に四苦八苦していた私が、最後のレポートの題材に選んだのが、大好きな吉本ばなな先生の作品でした。初めは『アムリタ』に取りかかろうとしたのですが、私にはどうやら無理だと、早々に断念。しかしそんな私にも、『キッチン』はやさしく寄り添ってくれました。なんとかまとめ上げられたときの安堵感といったら、「ばなな先生、さすがです。ありがとうございました。やったー。できたー。」と脳内で叫んだのを今でも忘れません。

りんごとアップル

中学生のときにおませな友達に借りて、しんとした美しい世界を知りました。誰にも説明できなかった心の小さな動きが追体験できる瞬間があり、世界が広がる出会いとなりました。それからは、ばななさんの小説やエッセイは、理解者であったり憧れであったり、私の人生を彩り助けてくれる存在です。これからも作品楽しみにしています。

あきちゃん

母の本棚で光っていた乳白色の背表紙。印刷されていた価格に「消費税3%の時代があったの?」と衝撃を受けたのは小学校五年生の春でした。転校ばかりで教室に居場所はなくて、一人でいるのが唯一ましな過ごし方だったあの頃。作文に一人遊びのことを書いたら、先生から友達となかよくしなさいと怒られてしまった。『キッチン』全編に漂う、すっきりと冷たい月の光のような寂寥感に、自分の孤独を肯定してもらえたような気持ちになりました。早く大人になりたい、一人でいても怒られたりしない大人に。
大学生で一人暮らしを始め、やっぱり友達ができずに実家から持ってきた『キッチン』を開いたとき、あの懐かしいマンションの一室に戻ってきた心地になりました。あ、ちゃんと、さみしい大人になれてる!友達や恋人がいてもいなくても、のびやかな孤独の中で見つける誰かの指先を想いたくなったとき、この世でいちばん愛おしいキッチンに帰ることにしています。

レイチェル鈴木

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