キッチン30周年、おめでとうございます!当時ベッドで夢中になりながら読みました。ふたりの気持ちと季節の移ろいが重なり、切なくなったのが昨日のようです。忘れられない一冊です。
ちゃこ
キッチン30周年、おめでとうございます!当時ベッドで夢中になりながら読みました。ふたりの気持ちと季節の移ろいが重なり、切なくなったのが昨日のようです。忘れられない一冊です。
ちゃこ
あの頃のわたしは恋をしていて、相手の事情でなかなか会うことができないけれど、それなりに幸せでもありました。ある日、友人とぶどう狩りに行き、大きな房のぶどうを持ち帰った夜に、彼から電話がありました。「久しぶりに休みがとれたので実家に帰っている」と。どうしても会いたくなったわたしは、ぶどうをかかえて電車に乗りましたが、駅から彼のところまで行く終バスはもう発車したあとでした。どうしよう。そのとき『キッチン』があたまに浮かびました。みかげがタクシーで、雄一の家に向かうシーンです。タクシー乗り場にきた車に乗り込んで、運転手さんに行き先を告げ、用事はすぐに済むので待っていて欲しいとお願いしました。みかげみたいに。突然おしかけられて驚いている彼にぶどうを渡して、待っていてくれたタクシーで帰りました。物語のヒロインになりきってたわたし、今思うとはずかしいばかりです。
いたち
キッチンが発売された日の3日後
私は13歳になりました。
その5ヶ月後、父がセスナ機の事故で
突然死んでしまいました。
それは、中学2年の私にはとうてい受け止められない出来事でした。
そんな時にふと手にしたのがキッチンでした。
それから30年、私は43歳になりました。
今でもキッチンはバイブルだし、
吉本ばなな先生は、私の神さまであり続けてくれています。
そして今、私は大好きな夫と
吹上奇譚を読んでいます。
変わるものと、変わらないもの。
どちらも大切な私の宝物です。
たます
高校生のときに本屋さんでキッチンを買ったとき、そのかわいらしいチューリップの装丁の本を買うのは、とても自然で当然なことでした。そして、読む前から自分の一部とわかっていました。今思うととても不思議です。それ以来ずっと吉本ばななさんの小説やエッセイは、私の人生の中に当たり前にあり、当たり前ではない有り難い力をいつも私に与えてくれています。心に元気が無い時、何度ばななさんの小説に、エッセイに、ちょっとした一言に力をいただいたことか。そして、それは今でも続いているのです。この小説に出会えたことに感謝します。
akka
朝、台所からヤカンの笛の音が聞こえて目が覚める。お布団から中々でれずに うとうとしていると包丁のリズミカルな音が聞こえて来る。トントントントン。水の音や 蛇口を閉めるとキュッと聞こえる音が私には心地の良い目覚まし時計なのです。中学生だった私は「こーんなシャケがボーンて入っているお弁当なんて嫌だ!」て母に言ったら「文句を言うなら明日から自分で作りなさい!!」と怒られ その後ずーっと自分でお弁当を作るはめになってしまった。自分専用のエプロンを買い、毎朝1時間早く起きて台所に立つ様になってしまった。寝ていたいのに。今ではレトロ喫茶店のメニューなら作れる腕前になりました。
みんみん
読書は小学生の頃から好きだったのですが、中学に入っても児童向けばかり読んでいました。それが大きく変わったのは中学二年の時。児童向けの本を一通り読んでしまったので「何か面白そうな本ないかな?」と本棚を歩き回り本を探していました。ふらふらと歩く私の目に留まったのが黒地に白い花、というシンプルな背表紙(図書室の本は全て外カバーが外された状態)。『キッチン』というタイトルもとても気になり、借りてみました。早速残った昼放課に読み始めたらとても面白く、児童向けしか読んでいなかった私の世界が大きく変わりました。それからばななさんの本を読み漁り、友達にもすすめる程どっぷりとばななさんの世界にはまりました。中学三年の誕生日に親友からもらった『キッチン』の文庫本は今でも宝物です。
藤村椿
吉本ばなな先生の作品ではすべて同じことが描かれている。共通するコードといってもいい。先生が問題にしていることはいつだってヘヴィでどうしようもないことばかり。夜の暗さ、まとわりつく視線や腐臭、親しい人との別れやトラウマ、そして虐待。繰り返される問題提起と解答にはコードがあり、そのコードに響く人にはきちんと届くような魔法がある。先生の方法でないとどうしても心に届かないような、そんな時期がある。吉本先生、初めてキッチンに出会ったときぼくはまだ13歳で死ぬか潰されてしまうかという瀬戸際でした。本当に色々あったくせに自分は敏感すぎて、普通の言葉や方法では全く何の言葉も心に届いてきませんでした。吉本先生の作品を貪り食うように毎晩読みました。びっくりすることに今では妻子もできました。武道をはじめて15年になりました。カツ丼くいねえ!と周りに言ってのけられるようになりました。ありがとう。
寝刃
もう30年……。
あの頃、吉本ばななさんの『キッチン』は大ベストセラーとなり注目を集めたが、それはただ単にもの凄く売れた、ということからだけではなかった。あれは全く新しい小説だったのだ。よく言われたのが、少女漫画からの強い影響。確かにあの作品を読んでいると、小説を読んでいるというよりも少女漫画を読んでいるような感じがした。全く新しい不思議な小説だった。
当時はバブル真っ盛り。私が住んでいた地方はバブルの恩恵なんて受けなかったけれども、それでも、世の中はこれから良くなっていく、未来は明るいと、皆が幻想を見ていられる幸せはあった。純文学界もこの頃1番華やかな時代を迎えており、村上春樹さんの『ノルウェーの森』がベストセラーになったりもしていた。ちょっと前にデビューした山田詠美さんも、雑誌『オリーブ』で『放課後の音符』を連載していた。本来地味なものである文学がお洒落なものとして売られるようになったのだった。思春期の女の子としてはあまりにもくすんだ趣味だと、もともと本の虫だったのにすっかり読書から離れていた私が、再び本の世界に入って行ったのも、文学がこの時代このようにリニューアルされたからだ。
あれから30年、あの頃あんなに輝かしかった文学はそれ以前の、「役に立つけれどもくすんだ冴えないもの」に戻ったどころか、「何の役に立っているのか全くわからないもの」に貶められ、本屋がどんどんなくなり、わずかに残った店舗に置かれるのも雑誌やライフハックものばかりで文芸書や漫画はすっかり少なくなり、かつて岡崎京子の漫画を連載していたティーン誌は雑貨の付録をつけて売られるようになってついには休刊した。「昔はああだったのに、なんでこんなふうに変わっちゃったの?」と問えば「昔はバブルの金で生産力のない文学なんてものも囲ってやることができた。今はそんな金はない。それに今のヤツらも本読んでる余裕なんてないだろう。皆本なんて読まずに必死で働かなきゃダメじゃん」という答えが返ってくる。
嘘だ。バブルが文学を食わせてやってたんじゃない。あの頃の勢いのある文学を利用したのはバブルの方だ。出る本出る本が飛ぶように売れたのは、それらが今までの常識に縛られない新しいものだったから。そして読者の感性はそちらの方に添うものだったから。だから必然的に売れ、ギョウカイの方が後からそれに乗っかったのだ。不況でお金がないのならば、寧ろ本読むくらいしかないじゃないか!本読むのが1番お金がかからない。しんどい思いをしているのならば、文学から知恵を養い、立ち上がらなければならないじゃないか、寧ろ。
そういえば『キッチン』って、全ての家族を失った主人公みかげの自立と愛の物語だった。『キッチン』を読んできた私たちは、この失われた30年を取り戻す力を持てたならどんなにいいだろう。みかげは確実に、1人で生きる力も、誰かに手を差し伸べる力も身につけた強い女性だった。
『キッチン』が必要なのって、30年前より今かもしれない。
jamesetta
吉本ばななさんの『キッチン』と出会わなけれれば、今の私の考え方や生き方は無かったと思います。『キッチン』が書店に並んだ日の事は、忘れません。
今もボロボロだけど、最初に手にした『キッチン』は私の宝物だし、唯一読み返す本です。
wakame
高校生のときに吉本ばななさんの本を
初めて読んだ本が『キッチン』でした。
すぐに手にとれるところにありました。
なぜなら、母が若い頃から集めていた本の中にあったからです。
キッチンの心地よさ、ああ、わたしもこんなキッチンに今すぐ行きたい。と思わせられました。
母は当時どう言う気持ちで
キッチンを読んでいたのか、
何才の頃に読んでいたのか。はまだ聞いていません。
今度聞いてみようかと思います。
あゆ