キッチンは勿論のことなのですが、それ以上にムーンライト・シャドウが大好きです。この作品はこれまで生きてきたなかで出会った小説の中でベストです。88年5月25日発行な7刷を今も大切に持っています。何度も読んでは泣いています。
yamanetoshi
キッチンは勿論のことなのですが、それ以上にムーンライト・シャドウが大好きです。この作品はこれまで生きてきたなかで出会った小説の中でベストです。88年5月25日発行な7刷を今も大切に持っています。何度も読んでは泣いています。
yamanetoshi
思春期に出会ったこの小説は、わたしの生きる姿勢の基本型となりました。
折々に、セリフや場面の数々が浮かびます。
以来ばななさんの作品と共に人生を重ね、優しい息子を育て、いまは、気に入って買った赤いセーターが みかげの方に良く似合う、と悔しがる えり子さんの気持ちがわかる段階になりました。次はどんな域があるのか、たのしみです。
これからも何度でも読み返します。ありがとう。
ちえ
超が頭につくほどの本好きの女性に勧められて齢50にして一読。天才がいた。言葉が凄い。凄くないとこが凄い。今村夏子にKOされたはずなのに。40過ぎから小説を少しずつ読むようになりました。若い頃にキッチンを読んでいたら、いまと同じように感じられたか。流行りの本だから読んだ、くらいで終わったかもしれない。あぶないあぶない。
モスクワパトロール
『キッチン』そしてその続編『満月』は家族という既成概念を覆す物語だ。
血縁ではなくとも、信頼と尊敬と愛情があって、それぞれが選んだ生き方や個性や考え方を尊重しつつも、必要な時には土足で踏み込んでゆく。
それはもう家族だ。
どんな形であっても、誰が何と言おうと。
10代の時にこの本に出会い、吉本ばななが大好きになった。
家族とか愛情とか、いろいろな形があってもいいという事に救われたのだと思う。
あの頃は私も若かったので言語化できなかったけれど、時を経てやっと、本当にこの作品を理解できたように思う。
何だかとても嬉しい。
風眠
小学生だったある冬、本屋に平積みになっている文庫版キッチンを見つけた時のことをはっきり覚えている。運命の出会いだった。そこには私が誰か身近な大人に言ってほしかったことが沢山書いてあった。私は男の体で生まれて女として生きている人のことを「気持ち悪い」と言いたくなかったし、でも固い言葉で「人を笑ってはいけない」と正論だけでお説教するような文章は苦手だった。キッチンは時々クスっと笑えて、カツ丼が美味しそうで、読んでいて楽しかったし、その世界ではマイノリティの人々が人生の重さを抱えながら、でも笑いながら日常を送っている。現実世界と折り合いを付けられずにいた10代の私にとって、吉本ばななさんの作品は聖書のようだった。生きていくのであれば、ここに書いてあることを指針にしようと思って大人になった。そして40代間近になった今も吉本ばなな作品は私の心の拠り所。キッチンはその原点で、私を作ったモトなんだ。
あひる
キッチンというタイトル、ばななという作家名、白地に黒い花の表紙。私は高校生でした。ファッション誌の新刊情報で知った一冊の本が発する全ての事に、なぜか強くひかれた事を覚えています。そうして手に入れたキッチン。読み終えた私はそれまでただの台所でしかなかった家の台所の床に座ってみました。冷蔵庫に背をつけて耳を澄ませてみました。キッチンは私の前に、強いなにか、大きな勢いを持って現れた本でした。そしてそこで私が知ったのは、真夜中という時間、心をしんとさせること、自分の中の深くてしずかな世界でした。キッチンと、それにまつわる折々の自分を思うと、あの本の佇まいがいつも清潔な光の中に浮かんできます。その前で、私はきれいでいたい、落ち込んでいても不恰好でも、偽らない自分でいたいと思います。キッチンは大切な本として、そしてそれ以上のものとなって、私の少し後ろの方で道しるべのようにずっと光ってくれています。
緑と白
私がはじめて『キッチン』を読んだのは中学生の頃だった。そのときは、読みやすいけどよく人の死ぬ話だな、というぐらいの感想で、そこまで深く心に残ることはなかった。
しかし、歳を重ね、身近な人の死をいくつか体験した今、改めて読み返してみると、さらさらと読み流していた文章ひとつひとつが胸に突き刺さる。
たわいのない会話や何でもない日常がどれだけ尊いものか。
中学生の私には分からなかったこと。
きっとこれからも何度も読み返すだろう。
『キッチン』は私にとって大切な一冊だ。
やどかり
私がキッチンと出会ったのは大学受験勉強中の今はもうなくなってしまった図書館でした。
きっと何冊か置いていたんでしょうけれど、私が手に取れたのは今までに何人もの人が何度も読み倒したであろうボロボロの単行本のキッチンでした。冒頭の何頁かを立ち読みして、なんでだかわからないけど今まで小説たくさん読んできたはずなのに何でか、この主人公が作者なんだと錯覚して混乱した覚えがあります。ああ、この人は天涯孤独なんだ…と。
家に持ち帰って一気に読んで、はじめて母に本を薦めました。これ面白いから読んでみてって。
よろしくないことですがなかなか手放せず、そのボロボロのキッチンは1ヶ月近く返すことができずに家にとどまりました。(ちゃんと返しましたけどね)
その後書店で文庫で購入してからも何度も何度も飽きずに読み返しているけれど、私の記憶の中のキッチンはあの今はない図書館のボロボロのキッチンです。
taso
初めてキッチンを読んだのはいつだろう。結婚したころだったから23年ぐらい前かと思います。
ハードカバーを持っているのに、持ち歩きように文庫も買った本のうちの1冊です。
なんとなく死と生が隣り合わせのように感じる『キッチン』を定期的に読み返しては、そのたびに生きる強さと力をこの物語の中からもらっています。
何か迷った時、仕事で疲れてしまった時、文庫をカバンに入れて出勤し、通勤の地下鉄で読みます。
私の今を形成してくれたものの1部になっているのだと思います。
『キッチン』に出会えてよかったです。
浅黄
初めまして、miと申します。私が『キッチン』と出会ったのは中学生の頃、読書好きの叔母から知りました。読み始める少し前から小説を好きになり、その流れで読み始めたキッチン。叔母が持っていたのはラージ版で本のデザインや紙、その印刷された文字にも味を感じ、まずはその本そのものに魅了されました。物語の淡々としながらも小さな温かい光を1つ1つゆっくりと見つけていくような雰囲気。そして、私はある文章を読んで「日本語」が好きになりました。その文章は今でも私の中に残っていて、自分の「日本語」を深く知りたいと思ったきっかけです。キッチンは私にとって日本語がとても綺麗で美しいものであると気付いた作品なのです。よしもとばななさんのビー玉のようなキラキラとしたお言葉がとても好きです。あれから叔母からこの本を貰い今でも手元に置いています。出逢えて本当に良かったです、ありがとうございます。
mi