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波の音が消えるまで(上巻)

沢木耕太郎/著

1,760円(税込)

発売日:2014/11/18

  • 書籍

あのマカオが舞台、1500枚の超大作。初のエンターテインメント長編小説!

1997年6月30日。香港返還の前日に立ち寄ったマカオで、28歳の青年は博打(バカラ)の熱に浮かされる。帰国をやめバカラに淫することは、「運命」に抗い、失われた「世界」を取り戻すことだった。ある老人が遺した「波の音が消えるまで」という言葉の謎が明かされる時、彼はついに「一筋の光」をつかむ。生と死の極限の歩みのなかで――。

目次
序章 橋
第一章 暗い花火
第二章 ナチュラル
第三章 天使の涙
第四章 裏と表
第五章 しゃらくさい
第六章 窓のない部屋
第七章 雷鳴
第八章 シンデレラ

書誌情報

読み仮名 ナミノオトガキエルマデ1
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 464ページ
ISBN 978-4-10-327517-6
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,760円

書評

波 2014年12月号より [『波の音が消えるまで』刊行記念特集] これが博打小説だ

北上次郎

深夜特急』第1巻のカジノ・シーンを思い出す。二十六歳の青年がロンドンに向けて旅立ったはずなのに、マカオのカジノにとどまり続けるくだりが印象的だった。博打などとは縁遠いはずの知的な青年がなぜカジノにはまるのか。その感情の動きがとても興味深かった。ギャンブル小説が好きな私はあのくだりをもっと読みたいと思ったものだが、あれから二十八年、まさか本当に書いてくれるとは思ってもいなかった。なんとなんと、今度は上下巻が丸々カジノ賭博で埋められるのだ。本格的な博打小説である。もうイギリスには向かわず、最初から最後までカジノである。ギャンブル小説愛好者としては無性に嬉しい。
『深夜特急』の青年がはまったのは大小だったが、今度の種目はバカラ。バンカーとプレイヤーのそれぞれのサイドにトランプを二枚ずつ配り、カードの合計数の多いほうが勝ち。数の大小が問われるのは下一桁だけ。つまり合計数が十八なら八になる。で、どちらのサイドが勝つのかを当てる種目である。二枚で勝負が決しない場合などの細かなルールもあるのだが、これ以上は本書を当たられたい。
興味深いのは、これがバカラの必勝法を探す男たちの物語であることだ。一種の丁半博打にはたして必勝法は存在するのか――その模索のディテールこそが本書のキモといっていいが、何のために必勝法を探すのか、ということも重要だ。普通なら勝つためだろう。大金を得るためだろう。しかしここに出てくる男たちはそうではない。世界を手に入れるためだ。これが本書を解く最大のキーワードである。
博打とは何なのか、ということのアフォリズムも素晴らしい。印象的なものをまずは列記する。
「博打は運でもなければ勘でもないし度胸でもない。観察力なんだ」
「一発勝負は常に敗れる」
「強く賭けられなければ勝てない」
最後のフレーズにはもう少し注釈が必要か。強くというのは賭ける額が大きいことかという主人公の航平の質問に、劉という謎の老人は答える。金額ではない。これは勝てると強い思いで賭けられるかどうかということだ。もう一つ引いておけば、「強く賭けるためには確信がなくてはならない」というのもいい。
私の専門は競馬で、カジノ賭博とはその要諦が異なるが、「強く賭けなくては勝つことは出来ない」というのは同じなので、もう感じ入ってばかりである。たとえば、航平が絶対の自信を持ちながらもポケットの金を握りしめたまま賭けられない場面が本書に出てくるが、まったく他人事ではない。でっかく行かなければ大きく勝つことは出来ないが、しかしでっかく行くと破綻するのも早い。だからポケットの金を握りしめて私たちは迷うのである。賭けるべきなのか止めたほうがいいのか、私たちは脳を激しく回転させてぎりぎりまで考える。きりきりと迷い続ける。博打は自分との戦いだ。
大事なことを一つ、書き忘れていた。マカオのカジノではバンカーを「庄」(ジョン)、プレイヤーを「閒」(ハン)、タイを「和」(ウォー)と呼ぶ。だから出目表を付けるとそこにこれらの漢字が並んでいく。それを縦に並べると変化したことしかわからないが、横に並べるとどのように変化したかがわかる。中国人が重要視するパターン、絵柄がそこに現れるのだ。縦を横にするだけで突然出現する絵柄が感動的だ。引用すればその美しさが一発でおわかりいただけるだろうが、いたずらにスペースを取ってしまうのでここはぐっと我慢。漢字がうねるように躍っていく様子は、本書を開いて確認していただきたい。
主人公の航平がサーファーであり、カメラマンでもあったので、これはサーフィン小説、そしてカメラマン小説でもあることを付記しなければならないし、航平に博打を教える師匠格として登場する劉、美しい娼婦李蘭のトライアングルを中心に、個性的な脇役を配して色彩感豊かに物語が展開することも書いておかなければならない。
熱狂的なギャンブル小説愛好者への超おすすめの一冊だが、それ以外の要素もたっぷりとあることは強調しておきたい。二〇一四年の収穫の一冊だ。

(きたがみ・じろう 文芸評論家)

[→][『波の音が消えるまで』刊行記念特集]福本伸行/「バカラ」というリングで燃えつきるために

波 2014年12月号より [『波の音が消えるまで』刊行記念特集] 「バカラ」というリングで燃えつきるために

福本伸行

沢木さんとは長い付き合いになります。二十年程、対談やイベントのトークショー、プライベートでも何回か食事を一緒にさせて頂きました。「カイジ」シリーズをはじめ、ギャンブルを題材にした漫画を僕が多く描いていることもあって、「バカラをテーマにエンターテインメント小説を書きたい」ということは、以前から伺っていました。「バカラの必勝法を追求する男の物語」と聞いたときには、あの冷静で思慮深い沢木さんが博打(バカラ)の必勝法だなんて! と驚きましたが、バカラにはまっていく主人公の心の動きとストーリー展開が重なり、少しずつ、「世界」が構築されていく様が面白く、一気に読ませて頂きました。
僕は実際にカジノでバカラをやったことはほんの少ししかなく、細かいルールは知りませんでしたが、主人公の伊津航平がバカラのルールをゼロから覚えていくので理解しやすかったです。バカラ台の上で繰り広げられる丁寧な心理描写にはリアリティがあります。あと、舞台となっているマカオのホテル、リスボアのカジノ場の熱狂と混沌も、熱風を浴びるように伝わってきて楽しかったです。
また、基本ルールはもちろん、バカラというギャンブル「そのもの」の、魅力や恐ろしさも語られていて、そこも、沢木さんとギャンブル談義をしているようで楽しかった。
「バカラのバンカー(マカオでは『庄(ジョン)』と呼ぶ)とプレーヤー(『閒(ハン)』)、そのどちらかに張るだけという、この単純さ、純粋さが素晴らしい」
「が、ゆえに奥深い」
そんなことを、沢木さんが話していたことを思い出しました。ただ、ひたすら、バンカーかプレーヤーか、「庄」か「閒」かだけを追っていくことで感じられる「波」については、僕が説明するよりも、小説を読んで感じてみて欲しいのですが、ディーラーや他の客ではなく、バカラを戦うことは、自分の欲をコントロールすること、つまりは、自分自身の内側との戦いであるということ、そして出る目をどう選択するか、どのタイミングでどのくらいの金額を賭けるか、賭けないかという、ある意味、答えの出ないこの「問い」に、沢木さんが何とか近づこう、躙り寄ろうとしているのを、ずーっと感じながら、ずーっと楽しかった。
沢木さんにとって、初めてのエンターテインメント小説ということですが、根底にある美学やその語り口は、これまでの作品と変わらず、上質です。特に航平の人物造形には、カシアス内藤という一人のボクサーを描いた沢木さんの名作ノンフィクション、『一瞬の夏』を思い出しました。航平は、サーフィンの才能があり、プロのカメラマンとしても成功し、周囲の人間からも好感を持たれる人間です。客観的に見れば幸せな人生なのに、彼はそんな「普通の幸せ」では決して満足できない空虚感のようなものを抱えていて、常に、「もっと燃えたい」と願っている。本当に熱くなれるものがない、と言い換えてもいいかもしれない。そんな航平を通じて、『一瞬の夏』で燃えつきることができなかった沢木さんが、今度は自分自身が「バカラ」というリングに立って勝負をしているかのようにも、僕は感じました。
物語の進行とともに、航平はバカラの深みにどっぷりとはまり込んでいき、最終的に自分のすべてを賭けた極限の勝負に挑みます。究極の勝負に勝つか負けるか――極限状態に身を置いたときに生まれる人間の感情というのは、僕も漫画で描き続けてきたことなのですが、航平は果たして、瞬間的に燃え上がる炎のような烈しい高揚感を手に入れるのか、それとも破滅してしまうのか……。いずれにしても、「普通の状態で考えられること」のもう少し先、もう少し深い世界、ある「考え」に到達するその過程は、小説や漫画のような、コツコツと細かい描写を積み上げることができるからこそ可能な表現だと、今回改めて思いました。
ちりばめられた様々なエピソードの真実が明かされ、淡々としていた語りが急速に熱を帯びる下巻は、より読み応えがあります。そして……必勝法の有無については、ぜひ本書を読んで確かめてみて下さい。

(ふくもと・のぶゆき 漫画家)

[→][『波の音が消えるまで』刊行記念特集]北上次郎/これが博打小説だ

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著者プロフィール

沢木耕太郎

サワキ・コウタロウ

1947年、東京生れ。横浜国大卒業。『若き実力者たち』でルポライターとしてデビューし、1979年『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、1982年『一瞬の夏』で新田次郎文学賞、1985年『バーボン・ストリート』で講談社エッセイ賞を受賞。1986年から刊行が始まった『深夜特急』三部作では、1993年、JTB紀行文学賞を受賞した。ノンフィクションの新たな可能性を追求し続け、1995年、檀一雄未亡人の一人称話法に徹した『檀』を発表、2000年には初の書き下ろし長編小説『血の味』を刊行。2006年『凍』で講談社ノンフィクション賞を、2014年『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞を、2023年『天路の旅人』で読売文学賞を受賞。ノンフィクション分野の作品の集大成として「沢木耕太郎ノンフィクション」が刊行されている。

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