『ローマ人の物語』の第一巻が刊行されたのは、1992年7月7日。この日は、塩野七生さんの55歳の誕生日でした。誕生日が七夕なので、「七生」というお名前なのです。『ローマ人の物語』は、シリーズ開始当初から「毎年一冊、全15巻で完結」が予告されています。塩野さんは、「この日、織姫と彦星が一年に一度会うように、読者は一年に一回、私に会える」とおっしゃってきました。年によって刊行日は変わったものの、「毎年一冊刊行」というスケジュールは、この14年間、ずっと守られてきました。
『ローマ人の物語』は、なぜこの年に書き始められたのか。著者は「作家として、気力、体力ともに自信をもって書き続けられるのは、あと15年でしょう。だから、この年に書き始める必然があった」と語ったことがあります。雑誌連載をベースにした、結果としての大長編は多く存在しますが、スタート時点から「全15巻、全編書下ろしを15年間かけて書く」と宣言して、それを本当に実行した例はまずありません。
塩野さんにとって、この15年間は、『ローマ人の物語』の執筆にすべてを注ぎ込んだ、禁欲的な生活の連続でした。ここ数年のスケジュールは、判を押したように同じでした。年末の刊行を目指して、1月から4月までは資料の読み込み。5月から8月にかけて執筆。9月から11月にかけては、ゲラ直しや図版や地図の作成などの編集作業。そして12月に刊行。日本に帰国するのは、毎年、5月に2週間、10月から11月にかけて、日本での編集作業のため、3、4週間と決まっていました。
この15年間、一部の雑誌連載を除いて、他の仕事はほとんど断っています。
執筆が始まると、一日の生活もとても規則正しいものでした。執筆は午前中の5時間に集中。ただし土日も休みも一切なし。「仕事は午前中だけ」というのは、古代ローマ人のライフスタイルと同じだとか。午後はリラックスした時間を自宅で過ごしたあと、夕方からローマの街に散歩に出かける。ローマには、歴史的遺跡や博物館や美術館がいたるところにあります。塩野さんは、ローマ市内を歩きながら、カエサルやアウグストゥスやティベリウスたちと、頭の中で「対話」を交わして、執筆の構想を練っていくのです。
塩野さんには、執筆に疲れると、しばしば訪れる教会があるといいます。キリスト教徒ではない塩野さんですから、お祈りにいくわけではありません。礼拝堂に飾られた17世紀の若き天才画家、カラヴァッジョの作品を見に行くのです。その気迫に富んだ作品から、物を描くエネルギーをもらいにいくのだとか――。
(『ローマ人の物語』編集室)
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