こざわたまこ『負け逃げ』

発売前の短篇 全文公開!「美しく、輝く」
[書評]窪美澄「けもの道を全力で走り出す」
目次

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Ⅰ 僕の災い
Ⅱ 美しく、輝く
Ⅲ 蠅
Ⅳ 兄帰らず
Ⅴ けもの道
Ⅵ ふるさとの春はいつも少し遅い

 そんな中、私はゆきりんとハラエリに絶縁状を叩きつけられた。もはや象形文字と言っていいような丸文字はゆきりんの字で、それを申し訳なさそうに、でも押し付けるように渡して来たのはハラエリだった。放課後、二人と下校しなくなったことが原因らしい。

 そこには、真理子はうちらと一緒にいてもつまらないんだよね、うちらに内緒でなんかこそこそやってるの知ってるよ、楽しくもないのに一緒にいなくていいよ、というようなことが書いてあった。真理子は秘密主義で何も話してくれない、私達は友達じゃないの? とも。

 その手紙に対して、何度か返事を書こうとした。けど、書いては消し、書いては消しを繰り返し、なんとか完成させた手紙も結局渡せず、鞄にしまって家に持ち帰った。そんな私の態度を、二人は宣戦布告と捉えたらしく、いよいよ私は孤立した。

 私には、そこに何を書いていいか、どんな言葉をかければいいのかわからなかった。ごめんね。私達は友達だよ。大切に決まっているじゃない。手紙に書き連ねた言葉はどれも嘘臭く、重ねれば重ねるほどに、誠実さからは遠のいていく。二人が私に求めていたのは、もしかしたら誠実さなんかではなかったのかもしれないけど。



「一緒にお昼食べない?」
 声を掛けると、美輝ちゃんは口に入れかけていた唐揚げをわざわざ自分の弁当箱に戻し、驚いたようにこちらを向いた。それを見てぶっきらぼうに、いやならいいけど、と付け加えた。思った通り、美輝ちゃんはぶんぶんと首をふって、そんなことない、私なんかでよければ、と机の左半分を空けた。その時、ざわついた教室の向こうに、こちらを窺うゆきりんとハラエリの姿が目に入った。もう、一週間は口をきいていない。

 私の視線に気づくと、二人は示し合わせたように背を向けた。小さくため息をついて美輝ちゃんの方を向くと、美輝ちゃんはそんな私をじっと見ていて、私と目があった瞬間に視線をそらした。それには気づかないふりをして、美輝ちゃんの隣に自分の椅子を移動し、黙って昼食を食べ始めた。購買の焼きそばパンは油っぽく、冷めていて全くおいしいとは思えなかったけど、甘ったるいコーヒー牛乳で無理やり胃に流し込んだ。

 お昼ご飯を食べ終わるまでの間、私と美輝ちゃんの間に特筆すべき会話はなかった。時折美輝ちゃんが気を遣って私に話しかけたけど、会話のキャッチボールは美輝ちゃんから私、私から美輝ちゃんへのワンターンで終了した。

 教室では漫画しりとりなんてする気にならなかったので、必然的に私達の話題は限られていった。今日は天気がよくないねとか、来週の中間試験嫌だねとか。漫画を取り除いてみれば、私達に残されていたのは、ほとんど挨拶レベルの他人行儀な会話だけだった。

 私がそっけない返答をするたびに、美輝ちゃんは困ったように口をつぐんで、必死に次の話題を探した。躍起になって私のご機嫌をとっている美輝ちゃんが苛立たしかった。その一方で、そんな美輝ちゃんに冷たい態度をとるたびに、どこか晴れやかな心地になっている自分もいる。美輝ちゃんといると、私はどんどん性格が悪くなっていく。

 美輝ちゃんに、漫画、昨日は何ページ進んだの、と聞いた。美輝ちゃんが目を白黒させながら、きょろきょろと周りを見回した。自分が決めたルールなのに、その仕草にさえも苛立った。私は、そういうのいいからさ、どうせわかんないよ、誰も聞いてないんだから、と美輝ちゃんをなじった。美輝ちゃんが言ってることなんて、と、心の中ではさらに毒づいて。

 美輝ちゃんはしょんぼりと肩を落とし、蚊の鳴くような声で、昨日は新しいの描いたよ、と答えた。私は語気を強めて、また? と返した。締め切りやばいんじゃないの。それを聞いた美輝ちゃんが、でもね、でも、と続ける。一応全部描いたんだ、下描きだけだけど。コーヒー牛乳のストローをくわえながら、へえ、と気のない風に答える。また、こちらを気にしてる二人の姿が目に入った。

 じゃあ、今日それ見せてね。
 答えがないのでもう一度、ねえ、見せてね、と念を押すと、美輝ちゃんは、ごめんね、とつぶやいた。何がと問い返すよりも早く、美輝ちゃんはもう一度ごめんねを繰り返し、今度のは一人で描いてみる、と言った。

 私は馬鹿みたいに口を開けて、美輝ちゃんの顔を見つめた。いつもはまともに人と目を合わせられない美輝ちゃんが、困ったような顔で、でも揺るがない意志を持って、こちらを見つめ返してきた。黙っていると、少しして、美輝ちゃんがもごもごと言葉をつむぎ出した。

 ごめんね、真理子ちゃんに見られるのが嫌とかじゃなくて、でも、今回描いたやつだけは最後まで自分ひとりで描いてみたいのね。そういうのができたの。そういうのができたのは、本当に真理子ちゃんのおかげだから。だから、ほんとにいつも、ありがとね。美輝ちゃんはそう言って、無理するみたいに笑った。

 その笑顔を見た瞬間、たくさんの感情や言葉が溢れて、私はそれら全部を全力投球で美輝ちゃんに投げつけたい、ぶちまけたい、という欲求に駆られた。なんなの。今まで散々私の言う通りに描いてきて、利用するみたいにしてきて、ちょっとできるようになってきたら用済みなの。私は都合のいい女かよ。原稿用紙も知らなかったくせに。スクリーントーンも知らなかったくせに。鉛筆で描いてたくせに。生意気だよ、美輝ちゃんのくせに。けど、声を発しようとすればするほど、言葉は喉の奥で絡まって、私はその中の何一つとして、声に出すことはできなかった。

 黙っている私に、美輝ちゃんはまだ何か続けようとしている。私はそれを、もういいよ、と切り捨てた。え、え、と戸惑う美輝ちゃんを置いて、机の上を片付け、自分の席に戻る。席についてからも、ちらちらとこちらを見る美輝ちゃんの姿が窓ガラスに映って、うっとうしかった。教室のざわめきが、さっきよりずっと大きく感じられた。

 私はまた美輝ちゃんに、いちばん言いたかったことを言わなかった。約束したじゃん、って。描いたらいちばんに見せるねってそう言ったじゃん、って。嘘だったの、って。でもそれを言っていたら、今よりもっと惨めな気持ちになっていただろうから、口に出さなかった。私はいつも、本当に言いたいことを言えない。パックの残りをすすると、ぬるくなったコーヒー牛乳は喉に貼り付いて、ますます甘ったるかった。さっきまで気になってしょうがなかったゆきりんとハラエリの目は、不思議と気にならなくなっていた。

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