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1910 | 明治43年 一月七日、父・樺山愛輔、母・常子の次女として、東京市麹町区永田町で誕生。 | 1歳の頃 乳母のタチさんと 昭和4年、白洲次郎と結婚 次郎の愛車ランチアで ハネムーン 幼い頃よりかわいがってもらった吉田茂と 能では免許皆伝を授かった 」 晩年の次郎と旅先で 愛犬・奈々丸と 平成4年 食堂のテーブルで執筆もしていた |
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1916 | 祖父の樺山資紀に 抱かれて 5歳の頃 昭和17年頃、次男・兼正と |
大正5年(6歳) 学習院女子部初等科入学。梅若流(現在の観世流梅若派)の二代目梅若實に入門し、能を習い始める。 | |
1924 | 大正13年(14歳) 女人禁制の能の舞台に、史上はじめて女性として立ち、「土蜘蛛」を舞う。学習院女子部初等科を修了、渡米してニュージャージー州のハートリッジ・スクールに入学。この頃、『平家物語』『枕草子』など古典文学に親しむ。 | ||
1928 | 昭和3年(18歳) ハートリッジ・スクールを卒業し、帰国。再び能の稽古を始める。 | ||
1929 |
昭和4年(19歳) 十一月、白洲次郎と結婚。新婚旅行から戻った翌十二月三日、母・常子が死去。 |
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1931 1938 1940 |
昭和6年(21歳) 赤坂氷川町の家にて長男・春正誕生。 この頃から数年間、次郎の仕事の関係で、
毎年ヨーロッパに出かける。 18歳で、白洲次郎と知り合う |
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1942 | 昭和17年(32歳) 鶴川村能ケ谷(現・町田市能ケ谷町)に、茅葺き屋根の農家を買う。またこの頃から細川護立に古美術について教わる。『お能』の執筆に本格的に着手。 | ||
1943 | 昭和18年(33歳) 鶴川村へ転居。昭和刊行会より『お能』刊行。この年、能の稽古を基本からやり直す。 | ||
1946 |
昭和21年(36歳) 河上徹太郎を介して、小林秀雄(44歳)、青山二郎(45歳)と出会う。青山の影響で骨董の世界に没入。 師・小林秀雄と 昭和20年代 |
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1948 |
昭和23年(38歳) 雄鶏社より『たしなみについて』を刊行。 |
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1951 | 昭和26年(41歳) 能楽書林より『梅若實聞書』刊行。 | ||
1953 | 昭和28年(43歳) 父・愛輔死去。この頃から能面を求め各地を旅する。この旅が後年の紀行文を生み出すきっかけとなる。十二月、脱稿直前の「第三の性」の原稿を青山二郎に半分以上削られ、しばらく原稿が書けなくなるほどの打撃を受ける。 | ||
1956 | 昭和31年(46歳) 銀座の染織工芸店「こうげい」の経営者となる。以後約十五年間、古澤万千子、田島隆夫ら多くの工芸作家を見つけ、世に送りだす。まだ学生だった三宅一生も「こうげい」に通った一人である。 | ||
1957 | 昭和32年(47歳) 東京創元社より『お能の見かた』を刊行。 | ||
1960 | 昭和35年(50歳) この頃、能の免許皆伝を授かるが、女に能は出来ないと悟り、能から遠ざかる。 | ||
1964 |
昭和39年(54歳) 『能面』(求龍堂)により第十五回読売文学賞(研究・翻訳部門)を受賞。秋には西国三十三ヵ所観音巡礼の旅に出る。 能面を眺める |
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1965 | 昭和40年(55歳) 次男・兼正、小林秀雄の長女・明子と結婚。 | ||
1970 | 昭和45年(60歳) 「こうげい」を知人に譲り、執筆活動に専念する。 | ||
1972 |
昭和47年(62歳) 『かくれ里』(新潮社)により第二十四回読売文学賞(随筆・紀行部門)を受賞。 昭和48年 自宅の居間で |
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1978 | 昭和53年(68歳) 『魂の呼び声──能物語』(平凡社)により児童福祉文化賞奨励賞を受賞。 | ||
1979 | 昭和54年(69歳) 骨董と人生の師だった青山二郎死去。「韋駄天お正」というあだ名をつけたのも青山だった。 | ||
1983 | 昭和58年(73歳) やはり最も影響を受けたひとり、小林秀雄死去。 | ||
1984 | 昭和59年(74歳) 青土社より『白洲正子著作集』全七巻の刊行はじまる。 | ||
1985 | 昭和60年(75歳) 白洲次郎死去。「葬式無用、戒名不用」の遺言により、遺族だけで酒盛りをする。 | ||
1987 | 昭和62年(77歳) 初めて友枝喜久夫(79歳)の能「江口」を見て、その名人芸に強烈な感動を覚える。 | ||
1988 | 昭和63年(78歳) 新潮社より『西行』を刊行。 | ||
1991 | 平成3年(81歳) 日本文化の継承・発展に尽くした功績で第七回東京都文化賞を受賞。 | ||
1994 | 平成6年(84歳) 新潮社より『白洲正子自伝』を刊行。過去に発表した短文を編集したシリーズの第一弾『風姿抄』(世界文化社)を刊行。この頃より、復刊・過去の作品の文庫化も相次ぐ。 | ||
1997 | 平成9年(87歳) 新潮社より『両性具有の美』刊行。平凡社より『白洲正子の世界』刊行。 | ||
1998 | 平成10年(88歳) 十二月二十六日、肺炎のため入院先の日比谷病院にて死去。 | ||
2000 | 平成12年 MIHO MUSEUMにて「白洲正子の世界」展。 |