レディ・ジョーカー〔上〕
825円(税込)
発売日:2010/03/29
- 文庫
誘拐。巨大ビール会社社長が連れ去られた。合田警部補の眼前に広がる冥き迷宮。伝説の長篇、ついに改稿文庫化! 全3巻。
空虚な日常、目を凝らせど見えぬ未来。五人の男は競馬場へと吹き寄せられた。未曾有の犯罪の前奏曲が響く――。その夜、合田警部補は日之出ビール社長・城山の誘拐を知る。彼の一報により、警視庁という名の冷たい機械が動き始めた。事件に昏い興奮を覚えた新聞記者たち。巨大企業は闇に浸食されているのだ。ジャンルを超え屹立する、唯一無二の長篇小説。毎日出版文化賞受賞作。
目次
一九四七年――怪文書
第一章 一九九〇年――男たち
第二章 一九九四年――前夜
第三章 一九九五年春――事件
第一章 一九九〇年――男たち
第二章 一九九四年――前夜
第三章 一九九五年春――事件
書誌情報
読み仮名 | レディジョーカー1 |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 528ページ |
ISBN | 978-4-10-134716-5 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | た-53-13 |
ジャンル | ミステリー・サスペンス・ハードボイルド、文学賞受賞作家 |
定価 | 825円 |
書評
波 2010年4月号より 国産エンターテインメントの金字塔
高村薫が、『晴子情歌』『新リア王』に続く『太陽を曳く馬』で読売文学賞を受賞した。日本推理サスペンス大賞受賞作『黄金を抱いて翔べ』でデビューしたのが一九九〇年だから、およそ二十年、高村文学を振り返ると、よくぞここまで文学を成熟させたものだと感嘆すると同時に、ミステリから随分離れてしまったなという思いがあるのも事実である。
というのも、日本推理作家協会賞を受賞した謀略小説『リヴィエラを撃て』(九二年)、直木賞を獲得した警察小説『マークスの山』(九三年)も見事であるけれど、やはり毎日出版文化賞に輝いた本作『レディ・ジョーカー』(九七年)が忘れられない。高村薫はこの作品で、国産ミステリのみならず国産エンターテインメントに金字塔を打ち立てたからである。これほどの大傑作は今後生まれ得ないのではないか。
物語は、薬局店の経営者の孫が自殺同然の事故死を遂げた所からはじまる。ビール業界の最大手である日之出麦酒の面接試験を受けた直後のことであり、事件の遠因に、元日之出の社員だった兄が書いた四十年前の怪文書があることを知る。薬局店の店主は理不尽な怒りを覚え、競馬仲間たちとともに、日之出麦酒社長の誘拐を計画する――。
舞台はビール業界だが、社長誘拐、マスコミあての挑戦状、製品への毒物混入による脅迫など「グリコ森永事件」を彷彿とさせるものがある。事件経過の細部も「グリ森」に似ており、一種のドキュメント・ノベルとして読むことも可能だろう。しかし浅薄な事件小説とは無縁の堂々たる内容で(何しろおよそ二千三百枚!)、まるで文学全集の一冊を読んでいるような印象を持つ。作者の意図は壮大で、事件を犯罪者、社長、新聞記者、刑事の視点で捉え、戦後の日本社会の歪みと暗部を摘出していくのである。多数の人物を次々に登場させ、巧みに交通整理をし、様々な脇筋を織り込みながら物語を進めていく。その緻密で、ダイナミックで、時にリリカルなストーリーテリングの素晴らしさはどうだろう。
しかも注目すべきは、テーマ。部落差別、在日朝鮮人、障害者といった“ジョーカー”を現代の日本社会のなかで捉えつつ、一方で、企業と総会屋の癒着、ブラック・マネーをめぐる政治と経済の闇の部分を明らかにしながら、事件の全体像をあぶりだす。ひたすら経済の成長を優先させてきた日本社会および日本人の精神の空洞を鋭く抉っているのである。
物語のジャンルからいえば、社会派ミステリ、強奪小説、警察小説、経済小説などの魅力を存分に盛り込んでいる優れた全体小説といえるだろう。作風は極めて緻密ながら物語は重厚かつ雄大、プロットは複雑かつ堅牢で、緊密度の高さは他に例をみない。これほどスケールが大きく、厚みがあり、物語性にとみ、なおかつテーマ把握の強力な作品はいまだ生まれていない。まさに金字塔なのだが、高村薫にとってはそうではなかった。頂点を極めたがゆえに動きがとれなくなった。あるインタヴューで、“『レディ・ジョーカー』を書いた時点で、同時代を事件を通して描くという形は作り上げてしまった”と語り、“事件や中身を変えても、小説の中身としては焼き直しにしかならない。作家として、次は違うところに出ていかなければならない”と決意したのである。
そのためにミステリというジャンルを離れ、舞台は同時代ではない過去に設定し、主人公はいままでメインに描いてこなかった女性にした。それが四年の歳月をかけた『晴子情歌』である。人物たちの外側にあった事件としてのアクチュアリティではなく、人物たちの精神と肉体のなかに刻み込まれたアクチュアリティに目を向けるようになった。ひとつの大きな事件を柱にした現実社会の透視図としてのミステリではなく、無数の出来事の集合体、個人と社会がきりむすぶ歴史の刻印を、精神と肉体の中から言葉のエロスで掴み取る純文学のほうにシフトを変えたのである。その純文学でも深化をとげ、『新リア王』で親鸞賞、『太陽を曳く馬』で読売文学賞を受賞した。
今月、ミステリ作家から純文学作家への転機をうながした『レディ・ジョーカー』が文庫化される。高村薫は文庫化のときに大幅な加筆訂正を行ってきたが、この作品に関してはほとんど最小限度と聞く。それほど作者の中でも完成されたスタイルだったのだろう。その完成されたスタイルは高村文学のみにとどまらず国産エンターテインメントのレベルにおいても極めて(比類なく)高いものであることを、あらためて強調しておきたい。
というのも、日本推理作家協会賞を受賞した謀略小説『リヴィエラを撃て』(九二年)、直木賞を獲得した警察小説『マークスの山』(九三年)も見事であるけれど、やはり毎日出版文化賞に輝いた本作『レディ・ジョーカー』(九七年)が忘れられない。高村薫はこの作品で、国産ミステリのみならず国産エンターテインメントに金字塔を打ち立てたからである。これほどの大傑作は今後生まれ得ないのではないか。
物語は、薬局店の経営者の孫が自殺同然の事故死を遂げた所からはじまる。ビール業界の最大手である日之出麦酒の面接試験を受けた直後のことであり、事件の遠因に、元日之出の社員だった兄が書いた四十年前の怪文書があることを知る。薬局店の店主は理不尽な怒りを覚え、競馬仲間たちとともに、日之出麦酒社長の誘拐を計画する――。
舞台はビール業界だが、社長誘拐、マスコミあての挑戦状、製品への毒物混入による脅迫など「グリコ森永事件」を彷彿とさせるものがある。事件経過の細部も「グリ森」に似ており、一種のドキュメント・ノベルとして読むことも可能だろう。しかし浅薄な事件小説とは無縁の堂々たる内容で(何しろおよそ二千三百枚!)、まるで文学全集の一冊を読んでいるような印象を持つ。作者の意図は壮大で、事件を犯罪者、社長、新聞記者、刑事の視点で捉え、戦後の日本社会の歪みと暗部を摘出していくのである。多数の人物を次々に登場させ、巧みに交通整理をし、様々な脇筋を織り込みながら物語を進めていく。その緻密で、ダイナミックで、時にリリカルなストーリーテリングの素晴らしさはどうだろう。
しかも注目すべきは、テーマ。部落差別、在日朝鮮人、障害者といった“ジョーカー”を現代の日本社会のなかで捉えつつ、一方で、企業と総会屋の癒着、ブラック・マネーをめぐる政治と経済の闇の部分を明らかにしながら、事件の全体像をあぶりだす。ひたすら経済の成長を優先させてきた日本社会および日本人の精神の空洞を鋭く抉っているのである。
物語のジャンルからいえば、社会派ミステリ、強奪小説、警察小説、経済小説などの魅力を存分に盛り込んでいる優れた全体小説といえるだろう。作風は極めて緻密ながら物語は重厚かつ雄大、プロットは複雑かつ堅牢で、緊密度の高さは他に例をみない。これほどスケールが大きく、厚みがあり、物語性にとみ、なおかつテーマ把握の強力な作品はいまだ生まれていない。まさに金字塔なのだが、高村薫にとってはそうではなかった。頂点を極めたがゆえに動きがとれなくなった。あるインタヴューで、“『レディ・ジョーカー』を書いた時点で、同時代を事件を通して描くという形は作り上げてしまった”と語り、“事件や中身を変えても、小説の中身としては焼き直しにしかならない。作家として、次は違うところに出ていかなければならない”と決意したのである。
そのためにミステリというジャンルを離れ、舞台は同時代ではない過去に設定し、主人公はいままでメインに描いてこなかった女性にした。それが四年の歳月をかけた『晴子情歌』である。人物たちの外側にあった事件としてのアクチュアリティではなく、人物たちの精神と肉体のなかに刻み込まれたアクチュアリティに目を向けるようになった。ひとつの大きな事件を柱にした現実社会の透視図としてのミステリではなく、無数の出来事の集合体、個人と社会がきりむすぶ歴史の刻印を、精神と肉体の中から言葉のエロスで掴み取る純文学のほうにシフトを変えたのである。その純文学でも深化をとげ、『新リア王』で親鸞賞、『太陽を曳く馬』で読売文学賞を受賞した。
今月、ミステリ作家から純文学作家への転機をうながした『レディ・ジョーカー』が文庫化される。高村薫は文庫化のときに大幅な加筆訂正を行ってきたが、この作品に関してはほとんど最小限度と聞く。それほど作者の中でも完成されたスタイルだったのだろう。その完成されたスタイルは高村文学のみにとどまらず国産エンターテインメントのレベルにおいても極めて(比類なく)高いものであることを、あらためて強調しておきたい。
(いけがみ・ふゆき 文芸評論家)
著者プロフィール
高村薫
タカムラ・カオル
1953(昭和28)年、大阪市生まれ。作家。1990年『黄金を抱いて翔べ』でデビュー。1993年『マークスの山』で直木賞受賞。著書に『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』『空海』『土の記』等。
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