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没後二十年、小林秀雄が後継者と認めた戦後を代表する批評家の決定的評伝!

江藤淳は甦える

平山周吉/著

3,996円(税込)

本の仕様

発売日:2019/04/25

読み仮名 エトウジュンハヨミガエル
装幀 菊地信義/装幀、立花義臣/カバー写真・表紙写真
雑誌から生まれた本 新潮45から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 783ページ
ISBN 978-4-10-352471-7
C-CODE 0095
ジャンル ノンフィクション
定価 3,996円

「日本という国はなくなってしまうかも知れない」――「平成」の虚妄を予言し、現代文明を根底から疑った批評家の光と影。二十二歳の時、「夏目漱石論」でデビューして以来ほぼ半世紀、『成熟と喪失』『海は甦える』など常に文壇の第一線で闘い続けた軌跡を、自死の当日に会った著者が徹底的な取材により解き明かす。新事実多数。

著者プロフィール

平山周吉 ヒラヤマ・シュウキチ

昭和27(1952)年東京生まれ。慶應義塾大学文学部国文科卒。出版社で雑誌、書籍の編集に従事した。2019年4月現在、雑文家。著書に『昭和天皇「よもの海」の謎』(小社刊)、『戦争画リターンズ 藤田嗣治とアッツ島の花々』(芸術新聞社)がある。

目次

第一章 最後の一日と最初の一日
第二章 美しき「母」を探し求めて
第三章 祖父の「海軍」と祖母の「海軍」
第四章 「故郷」と「胎内」失った少年
第五章 日米戦争下の落第坊主
第六章 湘南ボーイの黄金の「戦後」
第七章 東京の場末の「日本浪曼派」
第八章 日比谷高校の早熟な「若年寄」
第九章 「貴族」の矜持と「道化」の屈辱
第十章 生存競争から降りた一年間
第十一章 批評家誕生前夜の「自画像」
第十二章 「私立の活計」福沢諭吉と「恋人」三浦慶子
第十三章 隠蔽される主任教授「西脇順三郎」の名前
第十四章 昭和二十九年夏の自殺未遂
第十五章 甦えった江頭淳夫、「江藤淳」への転生
第十六章 山川方夫との『夏目漱石』論議
第十七章 小林秀雄と正宗白鳥の影響
第十八章 漱石の帝大講義に挑んだ卒業論文
第十九章 「悪役」評論家開業、大学院“追放”
第二十章 吉祥寺の鉄筋アパートで「退路を断つ」
第二十一章 “主査”埴谷雄高と“副査”井筒俊彦に導かれ
第二十二章 「若い日本の会」と怒りっぽい若者たち
第二十三章 新“指導教授”大岡昇平と「愛娘」ダーキイ
第二十四章 六〇年安保の「市民」江藤淳と「大衆」吉本隆明
第二十五章 一九六〇年の「転向」と、小林秀雄の素顔
第二十六章 埴谷雄高との訣れ、「天皇」小説の季節
第二十七章 三島由紀夫との急接近
第二十八章 小林秀雄との対決、アメリカでの「仮死」
第二十九章 日米架け橋の「優等生」か「反逆児」か
第三十章 「もう一年、日本のために二人で頑張ろう」
第三十一章 日本文学史を貫くプリンストン講義
第三十二章 「帰って来た」男の「日本」と実生活
第三十三章 山川方夫の急死
第三十四章 昭和四十一年、もうひとつの「妻と私」
第三十五章 ポップアートとしての『成熟と喪失』
第三十六章 『一族再会』と「家庭の幸福」の狭間で
第三十七章 大江健三郎との「絶交」
第三十八章 「儒教的老荘」吉本隆明vs.「老荘的儒教」江藤淳
第三十九章 「国家の官吏」東工大教授の「政治的人間」研究
第四十章 昭和版「末は博士か大臣か」
第四十一章 戦後体制への異議申し立て――無条件降伏論争、占領軍の検閲、宮沢憲法学、吉田ドクトリン批判
第四十二章 孤立、憎まれ、生き埋め、「江藤淳隠し」
第四十三章 天皇崩御――その喪失感と大河昭和史の中絶
第四十四章 「疲れるってことが日本なんですよ」
第四十五章 妻と私、女と私、母と私
あとがき
江藤淳著書目録
主要人名索引

インタビュー/対談/エッセイ

「江藤淳嫌い」が治る本

平山周吉竹内洋

没後二十年、自死の当日に会った著者の手による決定的評伝、ついに刊行!

「山の手階級」の批評家

竹内 のっけから悪いんだけど、『江藤淳は甦える』の著者との対談者が私でええのか、とても疑問やったんですよ(笑)。
平山 竹内さんは、『丸山眞男の時代』と『清水幾太郎の覇権と忘却』という本を書いておられますが、確かに、丸山と清水の2人は、江藤さんが60年安保の後に激しく批判した知識人ですね。
竹内 私は1942年生まれで江藤淳のちょうど10歳下。私の学生時代には江藤はすでに文壇で華々しい活躍をしていました。「文學界」に出た「奴隷の思想を排す」とか、単行本で読んでいましたよ。でも、あの頃の若者は、江藤淳があまり好きじゃなかった。
平山 どういうことですか?
竹内 江藤淳は自分自身を「山の手の坊ちゃん」と規定して郷愁を前面に出すし、東京の中産階級の崩壊イコール日本の崩壊になるからついてゆけない。60年代の大学生は、私も含めて、親が高等教育を受けていない、田舎から出てきた高等教育第一世代ですから、福田恆存や清水幾太郎、吉本隆明のような庶民的な知識人の方に親和性が高いし、人気も出るんです。
平山 調べてみてよく分かったのですが、祖父の江頭安太郎は、山本権兵衛に認められた俊才で、病気で死ななければ海軍大臣になり、総理大臣として大命降下されてもおかしくない人材でした。
竹内 僕は、また彼一流の膨らませた話かなと思っていました。
平山 ただ、安太郎が亡くなった後はちょっと下駄を履いていて(笑)、現実より高い階級だといい、戦後はそこから没落したという物語を作っています。
竹内 田舎に疎開していたら、いじめられるタイプですよ。
平山 戦中に住んでいた稲村ヶ崎で地元の子供に、「坊ちゃん面が気に喰わない」といじめられたと書いています。
竹内 同世代の大江健三郎が「僕のように貧しい地方人」と言っていますけど、これが当時の読書人の大学生の平均的な感覚です。だから、江藤淳の物言いにはどうしても違和感を持ってしまう(笑)。
平山 僕自身、60年安保の頃は子供でしたから、感覚が届きません。あの頃、若者代表として活発に動いていたことは今度調べて知ったのですが、同時代の若者には反感を買う態度だったのですか。
竹内 何か戦後史の生き証人みたいになってきたけど(笑)、もうひとつ、江藤淳の評判を悪くしているのは「転向」やね。戦後は「革新幻想」が崩壊してゆく歴史でもありますが、江藤は安保闘争の終わり頃にすでに当時の進歩的知識人の限界を見切り、既成文壇の側に付いた。
 1960年、江藤が「“戦後”知識人の破産」に「政治家や大小の実際家たちの時計は動いていたが、理想家の時計だけが八月十五日正午で停っていた」と書いたのを、僕はよく覚えています。まだ、丸山眞男が論壇の中心にいた左派全盛の時代ですから、当時としてはものすごい逆張りです。
平山 60年6月10日、アイゼンハワー大統領の秘書ハガチーが羽田空港でデモ隊に包囲されて、米軍ヘリコプターで脱出したハガチー事件の経緯に絶望したわけですから、かなり早い転換ですね。
竹内 もうひとつ、「亀井勝一郎論」で「群像」新人賞を受賞した松原新一が、1965年に発表した「江藤淳論」で、「若い文化」の尖端だった「作家は行動する」の著者から、たった2年で小林秀雄を擁護する「昂然たる保守主義者に転身」する過程を痛烈に批判したんですけれども、松原の本名は江頭肇というんです。
平山 ええっ、知りませんでした。
竹内 松原は兵庫の出身で、江藤淳=江頭淳夫(本名)のルーツは佐賀だから血縁ではないでしょうけど、松原が本名でデビューしなかった理由は想像がつきます(笑)。私と同じ京大教育学部で、2級上で1年留年した人だったけど、身近な人間の生々しい江藤の転向批判でした。
平山 江藤さんは、最初から悪名が高いという感じでしたね。本人も悪役ヒールという意識がはっきりある。
竹内 そうそう。
平山 デビュー時はまだ大学院生でした。1957年、「文學界」で13人の作家と批評家を集めて大座談会をやり、偉い人ばかりの中に石原慎太郎と江藤淳が若者代表で放り込まれて、高見順と大喧嘩するのが最初の役回りですから、ずっと憎まれ役で通しているんです。
竹内 そして、何といっても、山田宗睦のベストセラー『危険な思想家――戦後民主主義を否定する人びと』(65)でやり玉に挙がったのが大きいでしょう。
平山 安保闘争前後に「転向」し、「共同体文学」の批判者から「民族の魂」派に変身したと決めつけられて、保守反動というイメージが固まりました。
竹内 ところが、平山さんの本を読むと、なぜ出自の問題に拘泥するのかから、手品の種が分かってきます。すると、生前は生理的に嫌で実物をみたいと思わなかったけれど、案外、親しみ易いところもあるかもしれない、とだんだん距離が縮まってきます。読後は、今まで嫌っていた人が見直す、という意味で「甦える」評伝じゃないかと思いました。
平山 ありがとうございます。

フィクショナルな「私」

竹内 この本は784頁あって、普通ならば3、4冊分の分量です。原稿用紙にして何枚くらい書きましたか?
平山 1600枚くらいですか……。
竹内 ものすごく調べられていて、戦後の文壇史であり、戦後の論壇史であり、戦後史でもある大作です。完成された今、どんなお気持ちですか?
平山 書くことを前提にしなくとも、自死の直前に最後に会った人間として、江藤さんの文章を読み直さなければいけない、という思いはありました。伝記を書く段になり、できれば、全部読むということを自分に課したんです。というのは、江藤さんの著作が重要なのは当然ですが、対談、座談会、講演など、口語的なものの記録が膨大に残っています。江藤淳という人は、弁論、口から出る言葉を重視していますから、そちらの方も全部集めて読もうと試みました。
 伝記的な事実は、文章の中にたくさん書かれています。ところが、取材してゆくと重要な出来事が省かれていたり、逆に、不自然に強調されている場合もあるのです。「××と私」というタイトルの文章が多い人ですけれど、かなりフィクショナルな「私」を文章の中で作っていたことに気づきました。事実と文章の中の「私」の差を調べてゆくうちに、つい長くなってしまったんです。
竹内 対談がたくさんある人だと、文章ならば書かないような本音がぽろっと出ているケースは多いですからね。私が一番感心したのは、湘南中学校や日比谷高校の同級生などを取材している場面を映像的に再現していることです。アプローチした手順とか、その人の語り口も書かれていて、読者にしたら、敏腕刑事が裏取りしている過程に立ち会っているような気分になります(笑)。
平山 どんどん刑事的になっているなとは自覚していました。
竹内 冒頭から出生が昭和7年か8年かというような謎が出てきます。今でも8年のまま、年譜が訂正されていない文庫本もあります。江藤が残した謎を探索してゆく旅とも読めるわけで、分厚い本だけれども、読者にはミステリー的に惹きこまれる読み易さがあります。
平山 文学の専門家ではないですし、自然とジャーナリズム的なアプローチになってしまいます。テキストだけで考えるのは他の人に任せることにしました。
竹内 後半はかなりテキストを読み込み、内的なアプローチをしています。伝記的な外側からのアプローチと、両方の要素があるのがすごいと思います。
 江藤淳がなぜ博士号を取ったのか、東工大の先生に話を聞いて確かめておられるのには感心しました。文壇内では、権威主義者だから、就職して慌てて学位論文を書いたという噂が流布しているでしょう。事情はまったく違います。理系の大学では周囲の人間はみな博士号を持っていて、どうしても学位が必要なんです。
平山 永井道雄さんのアト釜で、38歳で社会学の助教授として入っています。竹内先生と近いジャンルでした。
竹内 当時の国立大学の文系の場合は、かなり年輩になってから申請するもので、40歳くらいで出すことはありえませんが、江藤は出身校の慶應大学に『漱石とアーサー王伝説――『薤露行』の比較文学的研究』を出して博士号を取ったわけです。江藤は東工大に入って2年後に助教授から教授になりますが、学位をできる限り早く取ることが付帯条件だったかもしれません。大学内の事情を知らない人が江藤の態度を批判していますが、国立大学文系の相場で考えた下衆の勘繰りめいています。
平山 江藤さんと慶應で同期の高山鉄男先生から、慶子夫人の話を聞くつもりで会っていた時に出た話なんです。
竹内 なるほど。だから、大学内でも上手く立ち回ったように、江藤は文壇内でも逆張り、もしくはちゃぶ台返しのような戦略で期せずして覇権を握ったんじゃないですか。
平山 どうでしょうか……。
竹内 たとえば、左派の代表格の吉本隆明から、「江藤さんと僕とは、なにか知らないが、グルリと一まわりばかり違って一致しているような感じがする」と言われているのは、吉本にとってはどうだったかわかりませんけど、江藤にとっては得でしょう(笑)。丸山眞男が「世渡り上手」と評するような面がありませんか。
平山 慶應の英文科で指導を受けた西脇順三郎に「敵意に似た尊敬」を抱くと表現するとか、アンビバレンツな感情の動きをする人ではあります。
竹内 言いたい放題に見えて、敵の総大将と手を結んだり、一番目立つ人を叩いたり、強かな生存戦略を採っているように見えますけれど。
平山 もうちょっと大人だったら、社会の中でも文壇でも、よりうまく泳げたような気がします……(笑)。
竹内 むしろ、率直すぎるのか。
平山 基本、裏表のない人ですし、激しい内面の葛藤もさらけ出してしまいます。真剣になれば相手を乗り越えてやろうと考える人ですから、好かれるタイプではないでしょう(笑)。
竹内 東大的なんですか?
平山 確かに、江藤さんは東大の方が向いていたタイプでしょう。
竹内 東大行かない人の方が東大的な場合も多いですよ(笑)。日比谷高校出身だし、東大に行っていれば、余分なコンプレックスがなくなるから、もうちょっと世渡り上手になったかもね。僕は実物を知らないけれど、ちょっと後に山崎正和さんが出てきた時、江藤から権力志向をマイナスした人のように思いました。
平山 2人とも政治家のブレーンをしていますね。佐藤栄作政権の時、楠田實という産経新聞政治部記者が首席秘書官になって、江藤さん、山崎さん、そして永井陽之助さんや高坂正堯さんなどの現実派知識人をリクルートしたんです。
竹内 山崎さんは『舞台をまわす、舞台がまわる』というオーラルヒストリーで政治家との関係性を明かしていますが、江藤淳のように「治者」という概念を使って美化したり、人間として理想化したりせず、距離を取って観察しています。
平山 江藤さんは、政治に積極的にコミットしました。でも、好き嫌いが激しいので、佐藤栄作の後は親しかった福田赳夫政権と心中するつもりだったようです。いろんな政権と付き合った山崎さんとは対照的ですね。文筆の方でも、政治家と近くなった頃から「政治的人間」の研究を始めて、『海舟余波』という著作も生まれます。歴史的な人間を評価することにより、生臭い問題を文学的に処理していたわけですけれど、かなり本気で政治に取り組んでいたのは確かです。
竹内 61年から「中央公論」に「実務家の人間研究」という連載を始め、東芝社長・岩下文雄や東京駅長・大橋猛敏などについて書いています。
平山 本になっていないですけど、実務家としての経済人への注目も早いです。

「治者」ではなく「不寝番」

竹内 戦後出てきた庶民的知識人の吉本隆明の切り札は「大衆の原像」ですし、福田恆存もいつも「常識」や「民衆の心」といいます。江藤淳の拠り所は、結局、「国家」や「治者」になるんですか?
平山 『成熟と喪失』の中で、「治者」という概念を出してキャッチフレーズ的に受け取られましたけれど、並列されている「不寝番」の方が、江藤さんの持っていた繊細なイメージに近かったんじゃないかと思っているんです。
竹内 「不寝番」というとサリンジャーの「The Catcher in the Rye」。ライ麦畑で遊んでいる子供が、崖から落ちそうになったら捕まえるキャッチャーです。
平山 江藤さんの言葉は、ハムレットからの引用です。「政治的人間」としての勝海舟は、「治者」として江戸城の無血開城に成功しましたけれど、宿願だった徳川慶喜の江戸復帰は阻止され、挫折を味わいます。江藤さんは海舟の政治手法を「継ぎ剥ぎ細工パッチワーク」と呼んでいますが、共感しているのは、薩長支配の下で三十年間、徳川慶喜と旧幕臣の面倒を看続けた「不寝番」的な生き方の方でしょう。挫折した後を評価するのが「文士」的です。
竹内 平山さんの説明には納得しますし、「治者」という言葉でない方が一般的なアピールをしたかもしれません。もうひとつ、江藤にとって大衆や民衆はどういう存在になるんですか?
平山 「大衆」が見えない人かもしれませんね。江藤さんの晩年、鎌倉で番頭のようにつき従っていた市会議員の御夫妻は、「君たちのお蔭で、人情というものを知ったよ」と言われたというんです。奥様の方は、人情に通じてなくて、文学ってわかるものなの、と驚いていました。欠落している部分も多い人なんです。
竹内 丸山眞男も、大衆化現象や大衆社会についての論文はあっても、生身の大衆についてはあまり知らないと思います。ただ、啓蒙される対象として、知識人に大衆が近づくことを願っていたわけで、射程の中には入っていました。江藤淳は「上から目線」の人なのかな。
平山 エリート意識を隠さないですからね。やはり、国会がすぐそばにあり、東京中の秀才が集まる日比谷高校出身であることが中核にありますね。文学者というより、テクノクラートとして国家を支えようという意識が強いと思います。
竹内 ちょっと卑俗なたとえだけれど、私らが学生の頃では、東大法学部精鋭は就職の時、通産省、大蔵省、大手銀行、朝日新聞、そして司法試験も受けていて、どこかに行ければいい。つまり、天下国家的な人で、そうであれば何でもよい。江藤淳は、そういう時代の申し子なんですね。
平山 東大法学部に進む気はなかったようですけれど、権力の中枢だと充分に意識しています。戦後体制も東大法学部の宮沢俊義の憲法解釈が権威となり、みなが大学で学び、公務員試験の問題もそれに基づいて作られていて、江藤さんは『閉された言語空間』などの仕事で東大法学部という体制と、たった一人で張り合おうと考えていました。
竹内 でも、天下国家の中枢に対抗する方法が、美濃部達吉などをアジビラ的な言語でとことん批判した原理日本社の国粋主義者・蓑田胸喜と似ている印象を受けます(笑)。もう少しスマートなやり方はなかったものか。
平山 いや、むしろ東大法学部を出て大蔵省を辞めて作家になった三島由紀夫に近い気がします。70年に自決した時は三島と意図的に距離を取っていますけど、自分と似ているので危険だと感じたからです。でも、平成に入り「我は先帝の遺臣にして新朝の逸民なり」と書いた頃には、三島の「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」という危機意識にぐんぐん引き寄せられていた。
竹内 確かに江藤も三島も、言葉の使い方がキャッチーである点では共通しています。「『ごっこ』の世界が終わったとき」でも、英語の“makebelieve”から取ったりしています。そして確かに、江藤は蓑田よりはかなり頭はいいかもしれない。
 評伝として、潤一郎荷風的な問題にも着目されています(笑)。当時の作家や評論家の水準で考えるとどうだったのか。
平山 柳橋や向島で鳴らした人ですが、確証が取れたことだけ書きました(笑)。
竹内 まあ、人間的な側面ということやな(笑)。最後に、「甦える」というタイトルにどんなメッセージが込められているのかを教えて下さい。
平山 もちろん、代表作の『海は甦える』を踏まえているわけですけれど、まず、「江藤淳」という批評家が誕生したのは、大学二年の時に自殺未遂をして生き返った時、堀辰雄的世界を捨てて、書く対象が夏目漱石に移行した時からなんです。江藤さんの大学時代の恩人だった藤井昇さんに、ある事情からその事実を聞いていたので、それを書き残しておきたいという意図がありました。
竹内 公表されていない新事実ですね。
平山 はい。もうひとつ、江藤さんはずっと占領や憲法の問題ばかりやって、文壇からも論壇からも爪弾きにされ、「生き埋め」になっていました。ところが、平成に入り、アメリカに首根っこを抑えられた状況がより強化され、「日本がなくなってしまう」という江藤さんの危惧がいよいよ予言的に聞こえてきます。批評家としての「生き埋め」から「甦える」という意味も込めました。
竹内 菊田均の『江藤淳論』の裏帯には「この世に江藤淳嫌いと称する人々は少なくない」と書かれています。ところが、家を探せば本はたくさん出てくるし、話題作が多いから、ちゃんと読んでいます。『犬と私』のようなエッセイはとても上手ですしね。
平山 最近は、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の発見者として、ネトウヨのネタ元のような低レベルの問題で捉えられています。でも、江藤さんは日本の近代全体を根本から批評しようと考えていた人なんです。
竹内 むしろ、「江藤淳嫌い」だった人こそ読むべき本です(笑)。
平山 5月18日から、神奈川近代文学館で「没後20年 江藤淳展」という企画展も開催されます。本や展示をきっかけに、江藤淳の示唆に富む、本気の問題意識が改めて共有されるといいのですが。

(たけうち・よう 関西大学東京センター長)
(ひらやま・しゅうきち 雑文家)
波 2019年5月号より
単行本刊行時掲載

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