
パンデミック日記
1,980円(税込)
発売日:2021/06/24
- 書籍
- 電子書籍あり
全世界がコロナ禍に襲われた歴史的な一年を表現者たちはどう生きたか?
米大統領選、東京オリンピックの延期、世界各地でのテロ、安倍晋三総理の辞任、人工知能の成長と普及、ビットコイン熱の乱高下……2020年は激動の一年だった。時に時代に抗い、時に日常を守り、創造を続けた日々の記録により〈集合的時代精神〉が浮かび上がる。1月1日から12月31日まで、366日/52週を52人でのリレー日記!
町屋良平
松田青子
ブレイディみかこ
柴崎友香
菊地信義
菊地成孔
小山田浩子
ヤマザキマリ
町田 康
佐伯一麦
角田光代
朝吹真理子
高橋源一郎
石原慎太郎
植本一子
内沼晋太郎
金井美恵子
山城むつみ
水村美苗
飴屋法水
今村夏子
東 浩紀
エリイ
大竹伸朗
島田雅彦
青山七恵
桐野夏生
高山羽根子
滝口悠生
小川洋子
坂本慎太郎
千葉雅也
塩田千春
津村記久子
多和田葉子
いしいしんじ
金原ひとみ
池田亮司
ケラリーノ・サンドロヴィッチ
村田沙耶香
柳 美里
上田岳弘
近藤聡乃
黒河内真衣子
柄谷行人
宇佐見りん
平野啓一郎
坂本龍一
青葉市子
川上弘美
蓮實重彦
書誌情報
読み仮名 | パンデミックニッキ |
---|---|
装幀 | THE COPY TRAVELERS/カバー表紙、新潮社装幀室/ブックデザイン |
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 224ページ |
ISBN | 978-4-10-354051-9 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | 文学賞受賞作家 |
定価 | 1,980円 |
電子書籍 価格 | 1,980円 |
電子書籍 配信開始日 | 2021/06/24 |
書評
ジャーナリズムの初志
「来年は東京五輪もあるし、いろいろ大きな出来事が起きそう」。そんな期待からクリエイターたちに一週間分を担当するリレー形式で日記を執筆してもらう企画が2020年元旦から始まった。
トップバッターは筒井康隆。おせちの話題は平和で静かな正月らしい。5日には近所のレストランで外食し、7日は神戸から東京へ移動、翌日は林真理子との対談だと書く。この時点で、対談とは相対し、時に唾の飛沫を飛ばし合って語り合う行為以外ではありえなかった。
初めてその「影」が落ちるのは2月5日。装幀者・菊地信義は「10人の新型肺炎の感染が確認され、乗客の下船の目安が付かぬという。(中略)3・11に次ぐ警告」と記す。いうまでもなく、新型コロナ感染症のるつぼと化して世界中が固唾を飲んで見守った大型クルーズ船のことだ。
ヤマザキマリは2月26日に「ネットでイタリアの新聞Corriere della Seraを読む。感染者330名、死者11名」と記載。しかしその夜はイタリアン・レストランに出かけて山下達郎・竹内まりや夫妻とその娘に、とり・みきというメンツで食事。まだ日本では外食は可能だし、それを書いてバッシングを受けることもなかった。しかし27日には安倍晋三首相が唐突に全国の学校に一斉休校を要請。ヤマザキは「“自粛の要請”なんて、イタリア語ではあり得ない」とコメントしている。3月11日、コロナのせいで中止や規模縮小になった東日本大震災から9年目の追悼式典について佐伯一麦が触れている。
こうして五輪の一年を記録するはずだったリレー日記は、予想と大きく異なる軌跡を辿ることになる。ついに日本でも緊急事態宣言が出された翌日の4月8日、石原慎太郎は「地球と人類の終末を予感させるこの事態の到来は、物書きとしての人間に稀有なる体験を強いてくれる」と記す。感染症専門家は人との接触8割減を求め、繁華街から賑わいは消えた。
5月3日、金井美恵子は「昨日の新聞の読者欄の投稿イラストは、昔の少年雑誌の表紙挿絵を思い出させるタッチ(下手だけど)のマスクをした少年と少女(それとも母親?)の顔に「負けません」という言葉。戦争中のポスターと標語みたい」と日記を記す。自粛を守らない店や人に自粛警察と呼ばれる「自警団」が食ってかかる光景もこの頃にはしばしば見られるようになり、確かにこちらも“いつか来た”道だ。
この一回目の緊急事態宣言は5月25日に全面解除。それに触れる演出家・飴屋法水の記述は一行だけと素っ気ない。一年延期が決まった五輪の、開会式一年前となった7月23日、白血病から奇跡の復活を遂げた競泳の池江璃花子が、女神のような白い衣装に聖火を携えて無人の新国立競技場でスピーチする。滝口悠生はそれには触れずにこの日、東京の新規感染者数が過去最多の366人になったことを記録している。
10月20日、柳美里はネットでみた映画「名もなき生涯」の字幕をメモ。「今後のことは今もわからない。良くなることは、まずない」。11月17日、柄谷行人はオンラインでの書評委員会参加に憂鬱となり、12月31日、文字化けする自宅パソコンへの蓮實重彦の呪いの言葉で2020年は幕を閉じる。
本書は「新潮」2021年3月号に一挙掲載されたリレー日記を一冊にまとめたものだ。クリエイターは時代の危機をいち早く察知するが、さすがにコロナ禍の到来を予見することは難しかったはずだ。しかし一度経験してしまえば、ものの見方や感じ方はすっかり変化してしまい、コロナ禍前の社会を省みる場合もパンデミックを知らなかった頃のようには描けなくなる。かくして世界には「コロナ前」と「コロナ後」の二通りの作品しかなくなる。
その点、日記は例外だ。名うてのクリエイターたちゆえに単なる日常雑記的な意味合いを超えた創造性が筆致には込められているだろう。だが、コロナ以前と以後に歴史を隔てる活断層がいかに走ったか、日単位で同時進行的に記録されている点には嘘も偽りもありえない。鶴見俊輔はジャーナリズムjournalismの語源が日録journalであることから、日記にはジャーナリズムの初志が宿っていると指摘した(『ジャーナリズムの思想』筑摩書房、1965年)。リレー日記はまさにコロナに侵食され、傷口を広げてゆく2020年の日本社会について報告する迫真のジャーナリズムとなってもいるのだ。
(たけだ・とおる ジャーナリスト)
波 2021年7月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ

緊急事態宣言下の対話
世界中が新型コロナウイルスに翻弄された、激動の2020年。計三六六日間の出来事を五十二名の表現者がリレー形式で書き継いだ『パンデミック日記』が、好評発売中です。緊急事態宣言下の9月4日、ジュンク堂書店・池袋本店にて、執筆陣を代表して金原ひとみ氏と植本一子氏によるトークイベントを開催。司会進行は「新潮」編集部が務めました。
――この対談は、リアルタイムで視聴してくださっている読者の方々からの質問に答える形で進めていけたらと思います。ではまず、最初のご質問。お二人はワクチンを打てましたか?
金原 私は実は少し前に、コロナにかかっていたんです。噂に聞いていた大体の症状は経験して、熱も咳も出て、嗅覚も味覚もなくなってしまって。今は治ってからしばらく経っているんですけど、雨の匂いとか夏の匂いとか、生活に通底しているBGMみたいな匂いはまだ分からないという状態です。療養後の一か月間は接種できないと言われたので、ワクチンはもう少し先です。
植本 ご無事でよかったです。今かかってしまったら、おそらくもっと悲惨な状況ですよね。入院もさせてもらえないなんて、人災じゃんとも思うけど。
金原 国が長い時間をかけてコロナ対応をしてきて、今ここか、と残念に思うことも多かったです。私がかかったときは保健所も手一杯で、フォローアップセンターも「連絡する」と言いながら結局、来なかったりとか。
植本 ワクチンに関して言うと、私は七月中旬の受付開始日にすぐに申し込まなかったら、数時間で直近の枠が埋まってしまって。困ったなあと思っていたところ、バイトしているバーの関係で、ビール酒造組合の職域接種に申し込めることになり、無事に打てました。
ちなみにうちの子は最初、「注射は怖いから打ちたくない」と言っていたんですが、今は「ディズニーランドに行きたいから打つ」というように意見が変わりました(笑)。金原さんのところのお子さんは、おいくつでしたっけ?
金原 上の子が十三歳で、下の子が十歳ですね。
植本 うちとほぼ同じくらいですよね。私の娘たちは十二歳と十一歳なので。
金原 物書きの世界では、自分と同世代で同じ年ごろの子どもを持つ女性がほとんどいなくて。本当は、植本さんともっと若い頃に出会えていたらよかったのにな、と思ったりもします。二十代の頃、すごく孤独じゃなかったですか?
植本 孤独でした。
金原 植本さんの本を読みながら、育児の辛かった記憶がまざまざと甦って。
植本 そもそも、まだ面識のなかった頃に、金原さんが「週刊現代」の〈最高の10冊〉という企画で、私の本を紹介してくれていたんですよね。
金原 下の子の臨月の時に東日本大震災が起き、どうしようと悩みながらも岡山に引っ越し、それからせっかくなら海外かなとも思ってパリに行ったんです。私がフランスで生活している間に植本さんが何冊か本を出されて、担当編集者が「すごく良かったですよ」と、はるばる海外まで送ってくれたんですよ。
植本 嬉しいです。パリでの子育て、きっと大変でしたよね。
金原 最初は子どもと私だけで移住して、すごく不安でした。親子の間で病気を移し合ったりして、死ぬかもって。
植本 震災直後も、放射能は見えないものだから、それについてどう考えるかということで人が分断されちゃった記憶があります。うちも、夫が「東京にいちゃダメ!」という意見だったから、すぐに私の実家がある広島に移住しましたね。でも、今回のコロナにしてもウイルスは目には見えないし、どうすればいいのか判断に困ることが多すぎる。
金原 特に最初の頃は、何に意味があって何に意味がないのかが分からないし、しっちゃかめっちゃかでしたよね。身近な人に対しても、意外とそういう考えの持ち主なんだ、と思ったり、他人のいろんな面を知るきっかけになりました。
子どもたちの変化
植本 最近、自分に余裕がなくなっていることに気づいてショックを受けました。モスバーガーに行ったとき、アクリル板の向こうでおばちゃんたちがめちゃくちゃ大声で喋っているとイライラしてしまったり。昔なら、元気でいいなあ、としか思わなかったはずなんだけど。
金原 私もこないだ久々に行ったお店で、若者たちが三対三の合コンみたいなことを派手にやっていて、相乗効果で店にいるみんなの声が大きくなっていて気が気じゃない、という経験をしました。
去年は、まあすぐ元の状態に戻るでしょ、なんて甘く考えていたのに、意外とそうはならなくて。大人になると一年や二年なんてすぐに過ぎるけど、それにしたってきついなと。まして、子どもにとっては。修学旅行やイベントというイベントが中止になってしまいましたし。
植本 上の子が今年、小学校を卒業したんですが、卒業式という晴れの舞台でも、名前を呼ばれて卒業証書を貰うときだけマスクを外せるんですよね。それ以外はずっと付けてて、しょうがないことなんですけど、なんだか味気ないなって。
――大人と子どもとで、このコロナ禍に対する感じ方は違うと思いますか?
金原 今って、ルールみたいな感じで規範を押し付けられている感じがあるじゃないですか。大人は自分で考えてどこまで従うか――飲みに行くのか、誰とだったら行くのかといったこと――を取捨選択して決められるわけですけど、子どもは先生や親からそう言われたら従わざるを得ないだろうな、と、その無力感を想像しますね。主体的にコロナと関われていないというか。
でも最近、子どものコロナ感染者も珍しくなくなってきたこともありますが、うちの子も何かに誘われたとき、「コロナが怖いからやめておこうかな」と自分から言うことが増えてきたように感じていて。それはちょっとした変化かな、と。
植本 うちの子たちは正義感が強くて、妙に真面目なところがあるんです。だから、ルールが一旦決まるとそこから外れるのが難しいタイプで、親としては逆に心配なんですよね。周りに人がいなければ、マスクを外していいタイミングもあると思うんですが、外からの目が怖くて躊躇してしまう。もし自分で考えることができなくなってしまったら嫌だなって。
――自分の母親が物書きであることについて、お子さんがどう思っているかは気になりますか?
植本 長女は最近、私の書いた文章を読みたいと言うんだけど、それに対してはなんとなく濁して答えています。ごく初期に書いた『働けECD』という、ブログをまとめたほんわかした本だけは読んだみたい。でも、それ以降の作品については「もうちょっと大きくなってからの方がいいかもね」と伝えています。
金原 うちもたまに、娘の方から「友達がママの本を読んだんだって」と言ってくることがあって。それで、「私も読んでもいい?」という話になったりもしたんですが、「怖くなって寝れなくなるからやめときな」と答えました(笑)。
植本 金原さんはお子さんに自分の作品を読んでほしいと思いますか?
金原 全然思わないですね。特に長女は超アクティブで、ずっと友達と遊んでいるようなタイプだから、私の作品を読んでもピンとこないんじゃないかな。中学生の年頃でも、そういうものを求めて辿り着いてくれるなら嬉しいですけど、母親が書いたからという理由で読んでほしくはない。もし人生の中で必要だと思ったら、そのとき届けばいいかなとは思います。
非常時の生活を記録したい
――まだコロナが広がって間もない昨年の春先に、金原さんは短篇小説『アンソーシャル ディスタンス』(「新潮」2020年6月号)、植本さんは自費出版の日記本『個人的な三月 コロナジャーナル』を書かれました。お二人ともすごく早い反応で、話題になりましたよね。
植本 「アンソーシャル ディスタンス」は、若いカップルの男女が「死ぬ」と言いながら鎌倉へと逃避行する話でしたよね。いつ書き始めたんですか?
金原 去年の三月、みんなが「どうする? どうする?」と不安になっていた頃ですね。いろんなことが制限され始め、それまでの人間のあり方自体が変わっていくように感じて。何を言っても不謹慎だと批判される風潮だったし、いっそ思い切って小説で書いてみようかな、と考えたんです。
植本 昨年の三月だと、私が日記を書いていたのとちょうど同じ時期です。『個人的な三月』を自費出版したのは、まずは生活費を稼ぐためであり、お世話になっている書店を応援するためでしたけど、私もこの非常時の生活を記録しておかないと、と直観的に思ったんですね。
――お二人にご参加いただいた『パンデミック日記』も、言葉による2020年の貴重なドキュメントとなりました。もっとも、「新潮」編集部がこの日記リレーの企画を立てた前年末の時点では、当然まだコロナのコの字も出ていなくて、東京五輪が予定されている年だからやってみようか、くらいのイメージだったんです。それが、期せずしてこんな状況になってしまって。
金原 私はこの日記リレーの特集が大好きなんです。依頼されると、自分が日記をつける一週間に向かってボルテージが上がっていく感じがあって、日常が華やいでくる。それに私自身も読者として、小説を愛読してきた作家がどんな暮らしをしているのか知りたいですし。この特集を読むときは完全に一ファンとして、好きな作家の日常を覗いています。
全体を通して読むと、自分もかつてそうだったこともあり、小さなお子さんを育てている方の日記が印象に残りました。例えば、松田青子さんやエリイさん。
植本 今村夏子さんも子育ての悩みを書かれていましたよね。今村さんはそもそも小説以外の文章が珍しいと思うので、こんな日記を書くんだ、と新鮮でした。
逆に、コロナ禍について過剰にロマンチックに書いていて、正直、自分とはまったく相容れないなあと思う方もいました(笑)。でも、そういった現実世界では交わらない人の日常を知れるのも新鮮で。一方で筒井康隆さんやヤマザキマリさんの、付き合いの広さに驚いたりも。
金原 今回は、海外在住の方も多く参加されていますよね。個人の日記を通じて、他の国のコロナの状況を知れたのもよかったです。あと、もちろん昨年は渡航の予定がキャンセルになったりもしているんですが、みんな意外と海外に行く仕事をしているんだなあって。私は家に引きこもっているタイプだから、他の作家もそうだろうと勝手に思っていたんだけど。
植本 『パンデミック日記』の執筆者には小説家が多く、皆さんこうやって日々の暮らしの中で執筆の時間を作っているんだと、私は勉強にもなりました。そういえば、金原さんが以前出された『パリの砂漠、東京の蜃気楼』も、普段の生活が見えてくる大好きな一冊です。
金原 その本は、ほぼエッセイと小説の合いの子ですね。だからこそ気楽に書けた部分もあるんですが。植本さんは、日記から展開して小説を書こうと思うことはないですか?
植本 ないですね。このあいだ上野千鶴子さんと鈴木涼美さんの往復書簡『限界から始まる』を読んだんですが、そこで上野さんが、小説は誰にでも書けるものだと思い込んで書いてしまった人も周りにいるけれど、まったく感心しなかったとお書きになっていたんです。それを読んでハッとして、絶対に手を出すのはやめようと。きっと向いていないですし。
金原 でも、こうやって日記やエッセイを書く中で、どこかしらフィクショナルな表現が出てくることってありません? 出来事を自分の中で消化し、物語化していくというか。
植本 うーん、自分ではあまりそういうつもりはないんですよね。あくまで本当のことしか書けないから。ただ、四年前に書いた『降伏の記録』をつい先日読み返してみて、自分で驚きました。我ながらキレッキレじゃん、って。末期癌だった夫が亡くなる直前までの日記で、内容が内容だからということもありますが。
幸せでも作品は書ける
――お二人は誰かに読まれる日記だけでなく、発表を一切想定していない日記を書いていたりもしますか?
金原 普段はまったく書きませんが、コロナの療養中は日記をつけていました。頭が働かなくて小説は書けなかったので、記録だけでも、と、十日間くらいの生活を事細かに書いていたんです。人に見せない前提だと、結構なんでも書いちゃいますね。ある一つのことから連想し、こんなことを考えて……というグダグダに広がっていく思考を、止めどなく書き留めちゃう。小説やエッセイという括りがあると、そうした枝葉を削ぐか幹に集約していくわけですが。
植本 私の場合、誰にも読まれない想定で書いたものはありません。売り物としての日記しかやってこなかったから。でも、時々「植本さんって赤裸々になんでも書きますよね」と言われたりもするけど、それは違うんです。意識的に省いていることもたくさんありますよ。それに、実は私は日記を出版する前に出てくる人たちに内容をチェックしてもらっていて、書かれたことで傷つくようなことはなるべく回避したいと思っているんです。
金原 私は植本さんの本をずっと読んできて、もちろん人生がヤバい時期の文章も刺さりましたが、不思議とだんだん並んで走っている気持ちになってきたんです。日記を読んでいるだけで一緒にいるような感じがするというか。だから読者はみんな、植本さんのことを家族のように見守っているんじゃないかな。
植本 確かに、初めて会った方によく「知らない人だと思えない」と言われることがあります(笑)。
金原 きっと、世界への開き具合がすごいんですよね。困ったらすぐに人に頼りまくるところも読んでいて清々しいし、むしろすごくカッコいい。
――書く衝動を生み出すために意識的にやっていること、あるいは、やらないとご自身で決めていることはありますか?
植本 私は定期的にカウンセリングに通っていたんですが、最近、自分から卒業を決めたんです。そろそろもういいかも、それに、もしも必要になったらまた行けばいいし、と思って。
そのカウンセラーの先生から以前、「不幸なことがないと作品ができないと思っているアーティストは多いんですが、本当はそんなことないんです」と言われたことがあって。確かに私はこれまで、何かしら身の回りで事件が起きたときの自分の心の動きを書く、という形で作品をつくってきました。でも、今後はたとえ昔ほど強度がなかったとしても、平穏な生活の中から生まれる文章を大事にしていきたいですね。書けなくなるんじゃないか、という不安は常にありますけど。
金原 きっと、今の植本さんの穏やかな感じも自然と読者に受け入れられていると思いますよ。昔は「作家は不幸じゃないと」なんて言われたりもしたし、人生が辛い時に筆が乗るというのは確かですが、不幸の自転車操業では無理があるし、ブレない「小説線」のようなものがなければ執筆も継続できません。
私もたまに、「小説のために敢えて生活を掻き乱してるんじゃないか」と言われることがあるんですが、それは正反対で、実際には普通に幸せになりたいと思って精一杯のことをしているだけなんです。その精一杯が傍からは掻き乱してぶち壊しているように見えるんでしょうが、本当は普通に幸せになりたいですし、幸せでもいくらでも小説は書けると思っています。
(かねはら・ひとみ 作家)
(うえもと・いちこ 写真家/エッセイスト)
波 2021年10月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
「新潮」編集部
シンチョウヘンシュウブ