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新潮文庫メールマガジン アーカイブス


 作家宮本輝氏が自らの父母と自分自身の半生を題材に心血込めて描いた、全九巻になる大河小説がこの春、すべて文庫版でそろいました。執筆開始から実に40年。日本文学史上でも屈指の偉業であり、大傑作であり、国民文学というべき雄編です。

 かなわぬとあきらめていた子供(伸仁)に50歳で恵まれ、この子が20歳になるまでは絶対に生き抜き、礼儀、寛容、知恵、工夫、勇気......自らの人生経験のすべてを注ぎ込むことを誓った松坂熊吾。この男の激しい浮沈の、20年の後半生。その苛烈な生き方に振り回され、庇護され、支え続けた妻房江。そしてひ弱だった一粒種、伸仁。登場人物全1500名。圧倒的な感動を呼ぶ奇跡の物語です。

「ここには私たちの人生のすべてがある」――北上次郎(文芸評論家)
「何と深遠な小説だろう」――小川洋子(作家)
「愛とは何か、考えさせてくれる小説」――壇蜜(タレント)
「この物語には畏るべき磁場がある」――古市憲寿(社会学者、作家)
「やはり、尋常ならざる物語である」――堀井憲一郎(コラムニスト)
「いつか息子たちにも読んでもらいたい」――竹増貞信(ローソン社長)
「人として父として、かくありたい」――中村義洋(映画監督)

 各方面で絶賛を受けた宮本輝畢生の大作「流転の海」。

 宮本輝氏の父親をモデルに、その妻とその子、三人の20年にわたる人生の営みを描いた大河小説です。「流転の海」シリーズの最終巻である第九部『野の春』(単行本版)が刊行されたのが2018年10月。いよいよ、この春、文庫版が刊行されます(3月27日発売)。これをもって、全九部九巻がすべて文庫としてそろいます。

 シリーズ全体で240万部。登場人物1500名(堀井憲一郎調べ)国民文学(北上次郎)というべき、本シリーズの各巻の概要を手短に記して参ります。

 物語は終戦から1年半、昭和22年3月の大阪の闇市に一人の男が降り立つところから始まります。愛媛県は南予地区南宇和出身の松坂熊吾は、戦前自動車部品販売で財を成しました。御堂筋の淀屋橋には松坂商会の自社ビルを建てるまでになっていましたが、空襲で跡地があるだけになっています。

 昭和16年、大阪新町の茶屋で女将代理として辣腕をふるっていた房江という聡明な女性を四度目の妻に迎え、房江は昭和22年3月、伸仁を出産します。この時、熊吾は50歳。半ばあきらめていた子を授かります。熊吾は自らの人生で得た教訓や思いのすべてをこの赤ん坊が20歳になるまでに授けようと心に誓います。
 伸仁は生まれつき体が虚弱で、房江は喘息の症状が現れ始めます。(第一部『流転の海』)

 昭和24年大阪での事業をすべて撤収し、郷里南宇和に妻子とともに移り住み、家族の涵養に務める雌伏の4年間があります。しかし、突き合い牛の暴走に遭ったり、妹タネのためにダンスホール建てて経営させようと画策したり、誠実な鍛冶屋の音吉のこれからのたつきを考えてやったり、広島の極道になり果てていた上大道の伊佐男との因縁の勝負があったりと熊吾に安息の日はありません。(第二部『地の星』)

 昭和28年春、大阪に戻った熊吾は、消防ホースの修繕会社と雀荘と中華料理店を同時に始め、同郷の杉野とともにプロパンガス販売代理店の会社を設立します。翌昭和29年、消防ホースの修繕会社は破綻し、プロパンガス会社は杉野に任せて、「きんつば屋」と「立ち食いのカレーうどん屋」を始めます。(第三部『血脈の火』)

 昭和29年、熊吾の中華料理屋が営業停止となり、杉野が倒れてしまいます。富山の高瀬の誘いに乗り、親子三人で富山での挽回に賭けます。しかし、高瀬の商才のなさに失望した熊吾は妻子を残したまま大阪に戻ります。伸仁は小4になっていて健やかに育っているのですが、房江は気鬱と喘息に悩まされ、結局、伸仁を高瀬家に預けて、大阪に戻って熊吾の商売を手伝うことになります。(第四部『天の夜曲』)

 昭和32年春。寂しさのあまり、伸仁は大阪に戻ってきますが、熊吾と房江は電気もガスも水道も通っていない空きビルに暮らしている状態でした。尼崎に移っていた熊吾の妹タネ一家に伸仁を預けることになります。その集合住宅「蘭月ビル」は、貧困の魔窟といっていい迷宮でした。熊吾は中古車のエアブローカー(電話で中古車を売り買いする)をしながら勝負の機会を伺います。女学校の跡地を駐車場にすることを思いつき、タクシー会社社長の柳田を動かして駐車場経営に乗り出します。(第五部『花の回廊』)

 昭和34年、余部鉄橋で悲しい別れがありました。熊吾は駐車場の管理人をしながら、やがて中古車の店舗販売にこぎつけます。中学生になった伸仁は、蘭月ビルで知り合った月村兄妹が北朝鮮に渡ることになり、彼らの乗る列車に淀川べりから鯉のぼりを振って別れを告げます。(第六部『慈雨の音』)

 熊吾の経営する「中古車のハゴロモ」は順調に売り上げを伸ばし、支店もできました。しかし、昭和37年、突如低迷し始めます。仕入れ担当の黒木は、不自然なカネの動きに気づくのですが。伸仁は高校生になり、熊吾の身長を超えます。仲の良い高校の友達3人が後に退学させられてしまう事件の一端に伸仁も関わってしまいます。(第七部『満月の道』)

 昭和38年、満身創痍の熊吾は、「松坂板金塗装」を柳田商会専務の東尾に譲ろうとしましたが、社長職にはとどまってほしいと懇願されます。東尾の経営はずさんで、私情の絡んだ人事も垣間見えます。一方、此花区の工場跡地を見つけ、中古車センターの開設にこぎつけます。顔にやけどを負った元ダンサーの森井博美との腐れ縁を断ち切ろうとしたその日に、熊吾は房江にその現場を押さえられてしまいます。傷ついた房江は一人、城崎に向かいます。(第八部『長流の畔』)

 昭和41年、大学生になった伸仁は、アルバイトに部活動に青春を燃やします。房江は大阪兎我野町のホテルで従業員の賄い婦として料理の腕をふるい、そこで義妹のタネも働き始めます。熊吾はチョコレート職人の木俣の夢の足がかりを作ってやり、森井博美の今後のたつきを考え、中古車センターの今後に頭を悩ませ、大小の難事をこなしていたところ、体調に異変が起こります......。(第九部『野の春』)

 あれこれ書きましたが、物語の素晴らしさの0.01%も説明できてません。

 熊吾の魅力には読まれた方はどなたも嵌ります。
 豪放磊落ながら理知的で細心。
 有為な若者に将来の援助をしたかと思うと妻房江に手を挙げてしまう。
 乱暴なやくざ者を毛嫌いする正義漢ではありながら、無医村で偽医者になりすまして生計をたてた時期がある......。

 己の才覚で新しい商売を始め、抜群の行動力で早期に立ち上げ、人を雇い、事業を拡大し、そして裏切られる。再びイチから立ち上がり、新しい事業を考え、工夫し、軌道に乗ったところで、腹心が資金を持ち逃げする......。

 倒れては立ち上がり、裏切られてはどん底に落ち、また立ち上がって......。ひ弱な息子を訓育し、前途ある若者を見ると応援し、誠実に生きる不器用な人に手を差し伸べる。熊吾の人生には生きていくのに必要な知恵、勇気、胆力、やさしさ、勝負勘、度胸......、ほとんどすべての要素が詰まっているように思います。

 ずばり言ってしまいますと、
 松坂熊吾という市井にありながら傑出した知性と思いやりと行動力を持った男が、子供を50歳にして得て、その子が成人するまでに、自らの経験のうち伝えるに足るすべてを、言葉として、行動として、伝え切ろうとする物語です。

 熊吾は愛媛の南、南予地区(南宇和)出身で、そこの言葉の訛りは生涯隠そうとしませんでした。その熊吾の名言の数々のうちのいくつかを掲出してみましょう。

「人の心がわかる人になれ。人の苦しみのわかる人間になれ。人を裏切るようなことはしちゃあいけんぞ。だまされても、だましちゃあいけんぞ」(第一部『流転の海』)

「何がどうなろうと、たいしたことはありゃあせん」(第二部『地の星』)

「見返りを求めちゃあいけんぞ。自分がしてあげたことに対して、何等かの見返りを求めるっちゅうのが、父さんはいちばん嫌いじゃ。こっちがしてあげたことに対して、相手が裏切りみたいなやり方で応じても、知らん振りをしちょれ。それが、いつかお前という人間に福徳のようなものを運んでくる」(第三部『血脈の火』)

「自分の自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」(第四部『天の夜曲』)

「ひとつのことを実際にやりつづける。ひたすら、やりつづける。そういう意味では、わしは家庭の主婦というのはえらいと思うのお」(第七部『満月の道』)

 本シリーズが完結し、新聞、雑誌、テレビ、ラジオと様々な媒体で様々な評者が賞賛し、絶賛され、毎日芸術賞を授与され、そうした大騒ぎの中、宮本輝氏はある地方都市で講演しました。宮本氏は照れもあったのでしょう、冗談めかして、

「お父ちゃん、仇とったで!」

 と、こぶしを固めて、虚空に向かって言い放ったのでした。

 担当編集者として、言いようのない震えが私の全身を覆いました。あのひ弱で朗らかな伸(のぶ)ちゃんは、裏切られても裏切られても誰をも恨まなかったあの熊吾のかたき討ちを、長い長いかたき討ちをしていたのかと。熊吾が伸仁に注いだ愛情を一滴も漏らさず伸仁は熊吾に返したのだと思いました。

 妻房江の素晴らしさに触れられませんでしたが是非是非、本編をお読みいただいてその聡明さ、向上心、強さ、女心に打たれてください。必ず感動します。

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2021年04月15日   今月の1冊


「令和は「定時で帰る」でしょ」
 そんな言葉をちょうど二年前の電車の中で、移動中らしきサラリーマン男性たちが話すのを聞いた覚えがあります。TBS火曜10時から放送された連続ドラマ「わたし、定時で帰ります。」が放映されている最中のことでした。
 まさかその一年後コロナ禍によって会社に出社する、という働き方そのものが見直されることになるとは想像もしませんでしたが、「定時で帰ります。」という会社員なら誰しもがざわつかずにはいられないワードは当時、放送されるたびにSNSでもトレンド入りを果たし、「自分にとって働くとはなんだろう」という問いを投げかける作品として話題になりました。
 3月新刊新潮文庫『わたし、定時で帰ります。2―打倒!パワハラ企業編―』は前作『わたし、定時で帰ります。』と併せてドラマ原作の2巻目になります。
「定時で帰る」というワードを切り口に浮かび上がる会社員たちの葛藤や価値観の衝突――早く家に帰ってプライベートを充実させたい、でも一生懸命仕事していないと誰かから思われるのはいやだ。仕事場にしか居場所がない。超過労働でなんとか空白を埋めよう。......そんな同調圧力と日本の職場でまま見られがちの精神論の中で、心が摩耗していき、正しいことすら見えなくなっていく。そんな敵とどう戦うか。あるいは切り抜けるか。
 本作は"絶対に定時で帰る。"をモットーとする主人公東山結衣に襲いかかる問題児ばかりの新人教育と、クライアントからのパワーハラスメントが主軸となっています。
 一筋縄ではいかない状況の中を結衣はどう対処していくのか。そして、元婚約者との関係はどうなっていくのか? 笑いあり、涙あり、至高のエンターテインメントが繰り広げられます。
 解説はドラマの主題歌も歌われたSuperfly越智志帆さん。ソウルフルな内容にも注目です。

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2021年03月15日   今月の1冊


 突然ですが、あなたのご両親のなれそめを聞いたことはありますか? お父さんの苦労話について尋ねたことはありますか? お母さんから悩みを打ち明けられたことはありますか?
 すべて「あるよ!」と答えられる人は、あまりいないのではないでしょうか。誰よりも近い存在であるはずなのに、親のことって、実はほとんど知らないのかもしれません。
 20年前に母を亡くし、以来父が唯一の肉親であったジェーン・スーさんも、その事実に気づきました。そこで「父の話が聞けなくなってしまう前に」と書き始めたのが、本書『生きるとか死ぬとか父親とか』です。
 70代後半の父から、母との出会いについて、戦争体験について、青春時代について、さまざまなエピソードを聞き出していくうちに、スーさんには父という人の輪郭がだんだん見えてきます。同時に、若くして失った母をめぐる、つらすぎてこれまで目を背けてきた記憶にも向き合うことになり――。
 しっかり者の娘と、愛嬌たっぷりの父。スーさんとお父さんだけの特別な話なのに、なぜか読者は自分の親や子どもを思い起こさずにはいられない、そんな普遍的な家族の在り方が、この作品には描かれています。
 そして4月9日(金)からは、本書を原作としたドラマもスタート。スーさんをモデルにした主人公を演じるのは吉田羊さん、そのお父さん役は國村隼さんです。親子の可笑しくも切ないほんとうの物語を、原作、ドラマともどもお楽しみください。

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2021年03月15日   今月の1冊


 7月1日公開予定の「峠 最後のサムライ」(監督・脚本 小泉堯史)、そして10月公開予定の「燃えよ剣」(監督・脚本 原田眞人)。司馬遼太郎作品原作の映画2作品が、公開待機中です。「峠」の主人公・河井継之助を演じるのは役所広司さん、そして「燃えよ剣」の主人公・土方歳三は岡田准一さんと、映画「関ケ原」で徳川家康、石田三成を演じた2人の名優が、立場・地位は違うけれど、己の信念を胸に激動の幕末を駆け抜けた「サムライ」を演じています。
 2作品の映画化を機に、司馬作品を読んでみようという方々も多いかもしれませんが、司馬遼太郎作品は、戦国もの、幕末もの、明治もの、そして紀行エッセイの傑作『街道をゆく』、日本人とは何かを問い続けた文明批評エッセイと、その世界は多岐にわたっています。大河ドラマの原作等で名前は知っているけれど、「どの作品から読めばいいの?」とお迷いの方も多いかもしれません。

 そんな戸惑いをお持ちの方におすすめなのが、新潮文庫の新刊『文豪ナビ 司馬遼太郎』。
 多彩な作品世界を理解するための5つのコースを用意して、それぞれのジャンルの中から代表的な作品をピックアップ。それぞれの作品の読みどころを判りやすく紹介する「ジャンル別! 司馬遼太郎作品ナビ」。
「人間としての値うちは、志を持っているかいないかにかかわっている」「仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの二分はだれでもできる。その二分はひとにやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない」といった作品にちりばめられた名言を集めた「人生に効く! 司馬遼太郎の名言」。
 作家の人生にグッと迫った「評伝 司馬遼太郎」。
 新潮社秘蔵の貴重なビジュアル満載の巻頭グラビア。
 様々な角度から、司馬遼太郎とその作品を解き明かし、その新たな魅力を徹底解剖した作家ガイド本が、『文豪ナビ 司馬遼太郎』です。

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2021年02月15日   今月の1冊


 2008年のシリーズ開始から13年、神永学さんの「天命探偵」シリーズがついに完結しました。7作目にして最終巻の『アトラス』では、シリーズ最大の危機、最強の敵、そして最高のクライマックスをお約束します。

 死の予知する志乃の夢に現れた次の犠牲者は、警察庁警備局公安課のトップ・唐沢。これまで共闘してきた上司が殺される未来図に衝撃を受ける真田たちは、忌まわしい運命を変えるべく危険な作戦に身を投じます。そこへ現れたのは、前作『アレス』にも登場した因縁の敵・アレス。無敵の闘神を前に、最強バディの真田と黒野も苦戦を強いられます。運命に抗うことはできるのか。そして、眠り続ける志乃は目を覚ますのか――。

 真田が繰り広げる派手なアクションシーンと、黒野が誇る冷静沈着な頭脳戦が冴え渡り、読み進めるごとに興奮が増してゆきます。そして読み終えると、興奮とともに、あたたかな満足感と幸福感でいっぱいになることと思います。

「心霊探偵八雲」「怪盗探偵山猫」と並ぶ神永学の「三大探偵シリーズ」、掉尾を飾る「天命探偵」のラストシーンをどうぞ読み逃しなく!

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2021年02月15日   今月の1冊