未だくすぶり続けている自民党裏金問題ですが、この問題が発覚したとき「令和のリクルート事件」と盛んに報道されました。
「元祖」リクルート事件を引き起こしたのは、リクルートの創業者である江副浩正。35年前の1989年、東京地検特捜部に逮捕されました。江副は政財界の重要人物に、未公開となっていた関連会社のリクルートコスモス株をばらまき、公開後に高値で売り抜けさせるという贈収賄事件を引き起こしました。
ところがリクルート社の勢いは止まりませんでした。事件の大打撃を乗り越え1兆8000億円の負債を自力で完済、現在は時価総額17兆円と日本を代表する企業であり続けています。この礎を築いたのが、江副浩正その人なのです。
江副が描いていたのはインターネット社会です。パソコンなどない時代に「情報と人を直接結ぶ」世界が来ることを予見し、「紙のグーグル」を作ろうとしたのです。その一環でファイテルという株取引の会社を買収しました。ファイテルに新入社員として働いていたのが後にアマゾンを創業するジェフ・ベソスです。江副とベソスは同じ会社で、同じ未来を描いていたことになります。
ピーター・ドラッカーを「書中の師」と仰ぎ、「紙のグーグル」を創った男はなぜ日本経済からその存在を消されたか。ダークサイドに墜ちた天才を追う傑作評伝です。
江戸の「本屋」蔦屋重三郎は、めざましい活躍を見せた出版人でした。山東京伝や滝沢馬琴、十返舎一九、喜多川歌麿といった才能を見出した蔦屋重三郎。まさに江戸一有名な版元でした。
ところが、重三郎の活躍をよく思わなかった人物がいました。老中松平定信。彼に目をつけられた結果、蔦屋は厳しく取り締まられ、まったく身動きできなくなります。時の権力に理不尽に商売を潰された重三郎。40歳過ぎの屈辱でした。
だが、彼は沈まなかった。密かに大企画に取り掛かります。老中の意表を突き、「蔦屋重三郎、ここに復活!」といえるような絶対企画。それが「東洲斎写楽」のプロデュースだったのです。時は45歳。重三郎が死ぬまで、残り3年の大仕事でした。
写楽といえば謎の絵師。しかし本書の読みどころは、写楽の謎解きではありません。
蔦屋重三郎が、いかに「写楽」を前代未聞の絵師として作り上げ、「写楽」刊行を実現させたのか。本書は、いわば「写楽」プロデュースの内幕を描いただけでなく、時の権力や、時代の流れに抗った「一人の本屋」の物語でもあるのです。
とくに冒頭で「プロジェクト写楽」が動き始めるあたりは、「ページを繰る手が止まらない」と評論家の細谷正充さんも絶賛です。中盤からはスパイコンゲーム風、そして「写楽抹消」の最終盤は、まさかのどんでん返し......。
デビューから10ヵ月。「写楽」は絵だけを残し、忽然と姿を消します。それから2年余りのち、蔦屋重三郎は写楽プロジェクトの謎を抱いたまま亡くなりました。享年48。「出版人としての矜持」を守り切った重三郎の戦いとは――。稀代の「本屋」の心意気に胸躍る傑作です。
野口卓『からくり写楽―蔦屋重三郎、最後の賭け―』(新潮文庫)は発売中です。
J・D・サリンジャーの選集を刊行しました。本書はサリンジャーが雑誌に発表したものの、本国アメリカでの出版(書籍化)を禁止し、いまでは英語圏以外の国でしか読めない貴重な一冊であり、サリンジャーの描いた世界を読み解く上で必須の一冊です。
はじめの6篇、つまり「マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗」「ぼくはちょっとおかしい」「最後の休暇の最後の日」「フランスにて」「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる」「他人」はすべて名作『ライ麦畑でつかまえて』で描かれたコールフィールド家の物語です。いわばスピンアウト作品です。
また、「若者たち」はサリンジャーがはじめて雑誌に発表した作家デビュー作。デビュー作とは思えないほど洗練された短編になっています。
そして1965年、本作に収録された「ハプワース16、1924年」を彼のホームグラウンドといっていい雑誌〈ザ・ニューヨーカー〉に発表して以降、サリンジャーは長い長い沈黙に入り、2010年に人知れず亡くなりました。入れ替わるようにしてアメリカ文壇にデビューしたトマス・ピンチョンが公に一切姿を現さない覆面作家だったため、「ピンチョン=サリンジャー」説が流れたりもしました。『フラニーとズーイ』などで描かれたグラース家の物語になっていますが、『ナイン・ストーリーズ』に収録されたマスターピース「バナナフィッシュにうってつけの日」で自殺してしまうシーモア・グラースが7歳に時に家族にあてて書いた手紙という形式をとっています。
これにやはり単行本未収録の「ロイス・タゲットのロングデビュー」を加えた全9篇の選集となっています。いわば、「もうひとつのナイン・ストーリーズ」。
さらに、巻末には長年サリンジャーを愛読してきた本作訳者の金原瑞人さんと小説家の佐藤多佳子さんの対談を収録。サリンジャーの世界を楽しむ上で欠かせない一冊となりました。
横浜流星ら人気俳優の起用で話題の2025年NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」。蔦屋重三郎の生涯を追う内容だと公表されていますが、待ちきれない方も多いはず。
蔦屋重三郎の店、耕書堂とはなんだったのか。版元の祖と呼ばれる彼の店に集った男達――十返舎一九、曲亭馬琴、東洲斎写楽、葛飾北斎と後に呼ばれる才人達は、どんな葛藤を抱えて生きていたのか。当時の「創作者」たちの熱い魂を存分に味わえるのが、矢野隆著『とんちき 蔦重青春譜』です。
まだ才能の開花を待つ、何者でもない若者達はお上ににらまれつつも、「書きたい」「描きたい」の心を燃やして紆余曲折。そんな中、偶然発見したとある「死体」から一波乱が巻き起こります。テンポ良く、痛快な江戸出版物語をどうぞお楽しみください。
仕事や子育て、家のことに忙しい日常では、「流されずに生きる」ことなんてできないけれど、ときどき、「これでいいのかな」「なにか大切なこと、忘れているんじゃないだろうか」......そう思うのも、やはり自然なこと。
作家・幸田文も同じように、取材や執筆に追われていましたが、ふだんの暮らしの些細な出来事やひとの姿に目をとめ、毎日1編ずつ綴ったのが本書でした。
幸田さんは今年生誕120年を迎えます。
ロングセラー『雀の手帖』が書かれたのは昭和34(1959)年、今から65年も前のことです。まさに「昭和の日常」を書き留めた随筆が、なぜ今も世代をこえて多くのファンを掴んでいるのでしょうか。その魅力とは何なのか――。
夕食が〈おでんやすきやき〉の季節から、〈筍とそら豆〉になるまでの1月から5月にかけて、何気ない日々の出来事を記した百日の手帖は、ことばに対する鋭敏な感覚と、生きることの確かさが織り込まれています。
女にとって親密なことば「きざむ」、隅田川の意外な光景「川の家具」、道路掃除の仕事をする女のひとの話「掃く」、出張先で急に切なくなる「朝の別れ」ほか、「おこると働く」「木の声」「豆」「吹きながし」など、移りゆく〈暮らしの実感〉を自在に綴って古びない名エッセイ。すきま時間に、1編5分で読める名文には、「生き方の発見」があります。