新潮文庫メールマガジン アーカイブス
今月の1冊


 そもそも言い訳とは何かというと、言い逃れであり、弁解、釈明です。よろしくない事態や非難されるべき原因を作った張本人の立場から逃れるための説明が言い訳です。自分をよく見せようとする本能を起点にしているので、いじましい行為と思われ、大方軽蔑の対象になります。
 しかし、言い訳は言い方次第で、味わい深いものに変化するのも事実です。
 フィアンセに二股疑惑を掛けられた芥川龍之介。手紙の失礼を体調のせいにしてお茶を濁した太宰治。納税を誤魔化そうとした夏目漱石。恋人との間で奇妙な謝罪プレーを繰り広げる谷崎潤一郎。浮気をなかったことにしようとする林芙美子。息子の粗相を近所の子供のせいにした親バカ阿川弘之......。
「こちらは悪くありません」「こちらも大変だから許して」を流麗美文で綴り、思わず「いいよ」と折れてしまう、文豪に言い訳の奥義を学びます。

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2022年05月15日   今月の1冊


 石田三成という名前を聞いて、何を連想するでしょうか。
「関ヶ原合戦の西軍大将だったのに惨めに大敗した」とか「官僚的で、人望がなかった」など、あまりいいイメージを持たれていないかもしれません。
 確かに、多くの小説などでは肯定的に描かれてきたとは言いにくい。もっとも、関ヶ原合戦以後、盤石の権力を手中にした徳川にとっては、敵の大将が「魅力ある人物」であってはいささか困ったのかもしれません。
 そもそも、本当に「人望がなかった」のであれば、西軍の大将になれたはずもないのです。では、石田三成という武将の魅力とは何であったのか。
 武に秀でていたわけでもなく、感情豊かな能弁家でもなかった三成が、なぜ人を惹きつけたのか。これは大きな「謎」でしょう。本書は、小説でしか描けない三成像によって、それに一つの解答を与えているのです。
「賤ケ岳の七本槍」と称せられる七人の武将の目を通して、次第に浮かび上がってくる石田三成の知られざる姿。戦国乱世という苛烈な時代を受け入れつつ、その先に、三成が思い描いていた「この国のグランドデザイン」ともいうべき大きなかたち......。彼が心に秘めていた志や、「七本槍」だけに見せた本音、理の明晰さを信じる姿は、きわめて先駆的で魅力的です。三成が放つ言葉には、著者・今村翔吾さんの熱い想いが乗り移り、まったく新しい石田三成となっています。
 それだけではありません。今村さんの三成像は、天下国家を語るだけの存在ではないのです。五奉行の一人として国のことを考えるのは当然のことでしょう。しかし本作品が秀逸なのは、三成が矛盾と弱さを抱えた人間にも細やかな目を向け、驚くほど感情豊かな言葉を発しているところにあります。

「苦しい日々だったな。辛かったろう」(「五本槍 蟻の中の孫六」より)

「権平......お主が小馬鹿にされ、私たちが口惜しいと思わなかったとでも思うのか」(「六本槍 権平は笑っているか」より)

 思わず目頭を熱くしてしまうのは、これらの場面だけではありません。本書の一番最後で放たれる市松(福島正則)のセリフに、万感胸に迫らぬひとはいないでしょう。と同時に、石田三成という、はるか遠くを見ようとしていた清々しき武将に出会えた喜びもまた、湧いてくるのではないかと思うのです。

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2022年05月15日   今月の1冊

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 海上自衛隊の花形である護衛艦。最前線で国の安全を守り、災害救助にも活躍しています。では、その艦(ふね)をどのような人々が動かしているのか。内実を知る方は少ないでしょう。我々にはブラックボックスにさえ感じられる護衛艦ですが、本シリーズではそこを職場とするさまざまな人々を丁寧に描いてゆきます。
 さらに近年は各自衛隊において女性の進出が目覚ましく、海上自衛隊でもさまざまな部署で女性たちが重要な役割を担っています。少数ながら艦長を務める幹部もおり、本書の主人公もそのひとり。
 早乙女碧2等海佐は、国立大学教育学部を卒業後、江田島の幹部候補生学校で学び、卒業後は幹部としてのキャリアを積んでゆきます。かつて練習艦艦長を務め、操船のセンスにも恵まれた彼女は海上での勤務を熱望し続けるものの、市ヶ谷の海上幕僚監部で人事調整という複雑なデスクワークに頭を悩ませる日々を送っていました。「海に戻るチャンスはもうないのか......」。諦めかけていたところに、あおぎり艦長への異動を打診され、喜び勇んで、懐かしい呉の地を踏みしめます。
 あおぎりは、全長137メートル、ヘリコプターを搭載する本格的な護衛艦で、早乙女は、約170名の部下の命を預かるという重責を担うことに。いよいよ待ち望んでいた初出港の日。でも、その直前、部下1名が姿を消していたことを知ってしまうのです。本来であれば、捜索を部下に任せ、報告を艦内でじりじりと待つことになるのですが、彼女はある決断をします。護衛艦はどのような世界なのか。艦をひとつに束ねる艦長の職責とは――。この1冊が、ブラックボックスを照らします。
 第2巻『試練―護衛艦あおぎり艦長 早乙女碧―』では、広報活動の一環として、100名の民間人を乗せ、スケジュールを順調にこなしつつ瀬戸内海を航行するあおぎりに、海自練習機からの遭難信号が飛びこんできます。時を同じくして、乗船中の民間人男性が倒れ、即時移送が求められる疾患と判明。2つの事件に伴う多重の問題に、新任艦長・早乙女碧はどう立ち向かうのか。指揮官の苦悩と決断。さまざまな部署のプロフェッショナルたちが危機を打開してゆく様子。サスペンス小説の醍醐味が味わえる長編となっています。
 著者の時武里帆さんは、主人公・早乙女碧と同様、防衛大学校ではなく、一般大学から海上自衛隊へと飛び込んだという経歴の持ち主。ご自身の経験に本作のための取材を重ねて、日本初の女性艦長シリーズがここに船出をしました。
 警察小説や企業小説など組織を描く小説を愛する読者にも、男性社会で奮闘する女性を描くお仕事小説に共感する読者にも、自信を持ってオススメできる2作です。


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2022年04月15日   今月の1冊


 1989年の単行本刊行以来広く読まれ続け、累計160万部突破のベストセラーとなった『ふたり』。映画やドラマ、舞台にもなりましたので、さまざまな形で本作に触れた方も多いのではないでしょうか。

 優等生の千津子とマイペースな実加。ふたりは仲のよい姉妹でしたが、ある日、千津子は交通事故に巻き込まれ、高校2年生で帰らぬ人に。けれどその後、実加の頭の中に死んだはずの千津子の声が聞こえてきます。姿は見えないものの、千津子は実加を見守り、支え続けてくれます。姉妹の絆が胸に迫る青春小説です。

『いもうと』は『ふたり』から11年後、27歳になった実加の物語です。大好きな姉に続いて母をも亡くし、父は別の家庭へ。高校を出て就職し、今や中堅社員となった実加の前に、見知らぬ女の子が――。
 突然の珍客のほかにも、実加には次々と難題が押し寄せます。会社の一大プロジェクトを任され、危うい恋に近づき、相変わらずの父親に振り回され......。けれど数々のピンチをしっかり切り抜けられそうなパワーも感じます。『ふたり』の頃よりもずいぶん頼もしくなったのだなあ......と、気づけば姉のような、親のような視線で、実加を追いかけてしまいました。
 そしてある夜、久しぶりに「あの声」が実加に語りかけます。『ふたり』よりも大人っぽいやりとりにも、ご注目ください。

 巻末の「解説」は、大林宣彦監督の映画「ふたり」にも出演した中江有里さんがお書きくださいました。赤川作品の愛読者として、映画のキャストとして、そして自身も妹をもつ姉として、『ふたり』と深く関わってきた中江さんならではの、鋭くも愛情のこもった解説です。

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2022年04月15日   今月の1冊


 ある日、実家にあなたを名乗る何者かが窮状を訴える電話を掛けてきた。見知らぬ番号の電話に出たところ、いきなり怪しげな投資話を持ちかけられた。
 ――そのようなご経験がある方も多いと思います。古来より、たくみな話術で人を騙し、金品や不動産を奪い取る詐欺が絶えたことはありません。

 次々と話題作を世に送り出し続け、昨年上梓した『機龍警察 白骨街道』も高く評価された月村了衛さんが長編のテーマとして選んだのは、詐欺。
 巨大詐欺集団・横田商事に在籍した過去を封印し、ひっそり生きてきたサラリーマン、隠岐隆。ある日、彼はその"亡霊"因幡充に足首を捕らえられ、嫌々ながら再び修羅の世界に戻ってゆく。だが、隠岐には、秘められた詐欺の大才があったのです。
 隠岐と彼をこの世界へと引き込んだ男、因幡。ふたりの詐欺師が金銭と権力を得て成り上がってゆく様を中心に据えながら、この作品をさらに豊かなものにしているのは、個性的な登場人物たちです。余命幾ばくもない小役人。強面ながら経済に強いヤクザ。国士気取りの投資家。どうにも信用できない部下。蔦のように隠岐に絡みつく、ある女......。
 山田風太郎賞受賞の犯罪巨編『欺す衆生』。騙されたと思って、頁を開いてみてください。予測不能のラストがあなたを待っています。

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2022年03月15日   今月の1冊