「ナイスですね!」「きみは素晴らしい。ファンタースティック!」この軽重浮薄な速射砲に時代は揺れ動いた。この稚拙な英単語まじりの誉め言葉を浴びた女性たちは恍惚の表情を浮かべて、この男の自由になった。時代はこの男を「AVの帝王」と呼んだ。男――村西とおる――は、いわきから上京し、バーのボーイを皮切りに、百科事典の販売、英会話教材の販売、英会話学校の経営、インベーダーゲーム機の設置・販売を通じて、この独特の話法「応酬話法」を磨き上げていった。やがて北大神田書店グループを設立し、ビニ本・裏本の制作販売を始め、またたく間に全国に65店舗、ビニ本市場の7割を占める売り上げを叩き出した。やがて新英出版を立ち上げ、一般的な出版物の編集刊行に乗り出すが......。裏本の制作販売で、「わいせつ図画販売」で逮捕される。一度目の逮捕だった。
やがてAV制作に乗り出す。海外のAV作品を関税審査手続きを経ず輸入し、前科二犯。無許可モデル事務所からモデルを派遣させたとして職業安定法違反。AV制作当初こそは、このしゃべりが不愉快だと散々だったが、黒木香「SMぽいの好き」で一躍時代の寵児となる。ハワイで逮捕(求刑懲役370年)、17歳の少女をAV出演させたとして児童福祉法違反、16歳の少女のAV出演により児童福祉法違反、職業安定法違反、〆て前科七犯。
弁舌さわやかに事業を立ち上げ、あっという間に軌道に載せ、驕り高ぶり調子に乗って逮捕倒産。無一文から再び立ち上がり、再び驕り高ぶり逮捕倒産......。前科を重ね、莫大な借金を背負うが、村西の不屈のバイタリティはもはや神々しいものがある。
自殺を考えていた人がネット検索で村西のトークショーを知り、参加して生きる力を授けられ、自殺を思いとどまったなど、奇跡の逸話もある。
この先行きの不透明な現代という閉塞の時代にこそ、この村西の前しか見ない怒涛の生命力は見直されるべきだ。
「女による女のためのR-18文学賞」第15回の選考会は伝説的な盛り上がり方を見せた。新潮社の女性社員たちによる社内選考では珍しくほぼ満場一致でとある作品が推挙され、最終選考ではその作品が三浦しをん先生、辻村深月先生両名に絶賛され、文句なしの大賞を受賞した。
それが町田そのこ氏の「カメルーンの青い魚」だった。
団子を食べていて、差し歯が抜ける。そんな一見コミカルな始まり方をする物語はたった一つの忘れられない恋を切なく描き、そしてあっと驚くミステリー的な仕掛けを見せる。その新人離れした巧さを持った受賞作を含む連作短編集が新潮文庫4月新刊の『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』である。
町田そのこ氏の快進撃は止まらず、デビューしてわずか4年でこの『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』執筆中に着想したという長編小説『52ヘルツのクジラたち』(中央公論新社)で見事本屋大賞を受賞した。
『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』『ぎょらん』(新潮社)、『52ヘルツのクジラたち』の魚をモチーフとした通称(お魚三部作)とは別のシリーズとして町田そのこ氏の全く違った、キャラクターエンタメの面白さを味わえる作品が『コンビニ兄弟―テンダネス門司港こがね村店―』である。
これは北九州門司港という、町田そのこ氏にとっても何度も足を運んだ思い出の街にある小さなコンビニを舞台に繰り広げられる、個性的な店長とその兄、そして常連客たちによる心温まる物語だ。
お仕事小説、お店もの小説、というのは世の中に数多くあれど、新・本屋大賞作家が描くキャラクターエンタメの「読んで絶対にハズレのない」面白さに触れてみてほしい。
『52ヘルツ』で名前を知り、町田そのこ氏に興味を持った方は是非この「伝説のデビュー作」『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』とエンタメに振り切った泣けて笑える注目シリーズ『コンビニ兄弟―テンダネス門司港こがね村店―』を手に取ってもらいたい。
※受賞を祝して、『コンビニ兄弟』は写真をつかったフル帯バージョンを期間限定で刊行中です。
作家宮本輝氏が自らの父母と自分自身の半生を題材に心血込めて描いた、全九巻になる大河小説がこの春、すべて文庫版でそろいました。執筆開始から実に40年。日本文学史上でも屈指の偉業であり、大傑作であり、国民文学というべき雄編です。
かなわぬとあきらめていた子供(伸仁)に50歳で恵まれ、この子が20歳になるまでは絶対に生き抜き、礼儀、寛容、知恵、工夫、勇気......自らの人生経験のすべてを注ぎ込むことを誓った松坂熊吾。この男の激しい浮沈の、20年の後半生。その苛烈な生き方に振り回され、庇護され、支え続けた妻房江。そしてひ弱だった一粒種、伸仁。登場人物全1500名。圧倒的な感動を呼ぶ奇跡の物語です。
「ここには私たちの人生のすべてがある」――北上次郎(文芸評論家)
「何と深遠な小説だろう」――小川洋子(作家)
「愛とは何か、考えさせてくれる小説」――壇蜜(タレント)
「この物語には畏るべき磁場がある」――古市憲寿(社会学者、作家)
「やはり、尋常ならざる物語である」――堀井憲一郎(コラムニスト)
「いつか息子たちにも読んでもらいたい」――竹増貞信(ローソン社長)
「人として父として、かくありたい」――中村義洋(映画監督)
各方面で絶賛を受けた宮本輝畢生の大作「流転の海」。
宮本輝氏の父親をモデルに、その妻とその子、三人の20年にわたる人生の営みを描いた大河小説です。「流転の海」シリーズの最終巻である第九部『野の春』(単行本版)が刊行されたのが2018年10月。いよいよ、この春、文庫版が刊行されます(3月27日発売)。これをもって、全九部九巻がすべて文庫としてそろいます。
シリーズ全体で240万部。登場人物1500名(堀井憲一郎調べ)国民文学(北上次郎)というべき、本シリーズの各巻の概要を手短に記して参ります。
物語は終戦から1年半、昭和22年3月の大阪の闇市に一人の男が降り立つところから始まります。愛媛県は南予地区南宇和出身の松坂熊吾は、戦前自動車部品販売で財を成しました。御堂筋の淀屋橋には松坂商会の自社ビルを建てるまでになっていましたが、空襲で跡地があるだけになっています。
昭和16年、大阪新町の茶屋で女将代理として辣腕をふるっていた房江という聡明な女性を四度目の妻に迎え、房江は昭和22年3月、伸仁を出産します。この時、熊吾は50歳。半ばあきらめていた子を授かります。熊吾は自らの人生で得た教訓や思いのすべてをこの赤ん坊が20歳になるまでに授けようと心に誓います。
伸仁は生まれつき体が虚弱で、房江は喘息の症状が現れ始めます。(第一部『流転の海』)
昭和24年大阪での事業をすべて撤収し、郷里南宇和に妻子とともに移り住み、家族の涵養に務める雌伏の4年間があります。しかし、突き合い牛の暴走に遭ったり、妹タネのためにダンスホール建てて経営させようと画策したり、誠実な鍛冶屋の音吉のこれからのたつきを考えてやったり、広島の極道になり果てていた上大道の伊佐男との因縁の勝負があったりと熊吾に安息の日はありません。(第二部『地の星』)
昭和28年春、大阪に戻った熊吾は、消防ホースの修繕会社と雀荘と中華料理店を同時に始め、同郷の杉野とともにプロパンガス販売代理店の会社を設立します。翌昭和29年、消防ホースの修繕会社は破綻し、プロパンガス会社は杉野に任せて、「きんつば屋」と「立ち食いのカレーうどん屋」を始めます。(第三部『血脈の火』)
昭和29年、熊吾の中華料理屋が営業停止となり、杉野が倒れてしまいます。富山の高瀬の誘いに乗り、親子三人で富山での挽回に賭けます。しかし、高瀬の商才のなさに失望した熊吾は妻子を残したまま大阪に戻ります。伸仁は小4になっていて健やかに育っているのですが、房江は気鬱と喘息に悩まされ、結局、伸仁を高瀬家に預けて、大阪に戻って熊吾の商売を手伝うことになります。(第四部『天の夜曲』)
昭和32年春。寂しさのあまり、伸仁は大阪に戻ってきますが、熊吾と房江は電気もガスも水道も通っていない空きビルに暮らしている状態でした。尼崎に移っていた熊吾の妹タネ一家に伸仁を預けることになります。その集合住宅「蘭月ビル」は、貧困の魔窟といっていい迷宮でした。熊吾は中古車のエアブローカー(電話で中古車を売り買いする)をしながら勝負の機会を伺います。女学校の跡地を駐車場にすることを思いつき、タクシー会社社長の柳田を動かして駐車場経営に乗り出します。(第五部『花の回廊』)
昭和34年、余部鉄橋で悲しい別れがありました。熊吾は駐車場の管理人をしながら、やがて中古車の店舗販売にこぎつけます。中学生になった伸仁は、蘭月ビルで知り合った月村兄妹が北朝鮮に渡ることになり、彼らの乗る列車に淀川べりから鯉のぼりを振って別れを告げます。(第六部『慈雨の音』)
熊吾の経営する「中古車のハゴロモ」は順調に売り上げを伸ばし、支店もできました。しかし、昭和37年、突如低迷し始めます。仕入れ担当の黒木は、不自然なカネの動きに気づくのですが。伸仁は高校生になり、熊吾の身長を超えます。仲の良い高校の友達3人が後に退学させられてしまう事件の一端に伸仁も関わってしまいます。(第七部『満月の道』)
昭和38年、満身創痍の熊吾は、「松坂板金塗装」を柳田商会専務の東尾に譲ろうとしましたが、社長職にはとどまってほしいと懇願されます。東尾の経営はずさんで、私情の絡んだ人事も垣間見えます。一方、此花区の工場跡地を見つけ、中古車センターの開設にこぎつけます。顔にやけどを負った元ダンサーの森井博美との腐れ縁を断ち切ろうとしたその日に、熊吾は房江にその現場を押さえられてしまいます。傷ついた房江は一人、城崎に向かいます。(第八部『長流の畔』)
昭和41年、大学生になった伸仁は、アルバイトに部活動に青春を燃やします。房江は大阪兎我野町のホテルで従業員の賄い婦として料理の腕をふるい、そこで義妹のタネも働き始めます。熊吾はチョコレート職人の木俣の夢の足がかりを作ってやり、森井博美の今後のたつきを考え、中古車センターの今後に頭を悩ませ、大小の難事をこなしていたところ、体調に異変が起こります......。(第九部『野の春』)
あれこれ書きましたが、物語の素晴らしさの0.01%も説明できてません。
熊吾の魅力には読まれた方はどなたも嵌ります。
豪放磊落ながら理知的で細心。
有為な若者に将来の援助をしたかと思うと妻房江に手を挙げてしまう。
乱暴なやくざ者を毛嫌いする正義漢ではありながら、無医村で偽医者になりすまして生計をたてた時期がある......。
己の才覚で新しい商売を始め、抜群の行動力で早期に立ち上げ、人を雇い、事業を拡大し、そして裏切られる。再びイチから立ち上がり、新しい事業を考え、工夫し、軌道に乗ったところで、腹心が資金を持ち逃げする......。
倒れては立ち上がり、裏切られてはどん底に落ち、また立ち上がって......。ひ弱な息子を訓育し、前途ある若者を見ると応援し、誠実に生きる不器用な人に手を差し伸べる。熊吾の人生には生きていくのに必要な知恵、勇気、胆力、やさしさ、勝負勘、度胸......、ほとんどすべての要素が詰まっているように思います。
ずばり言ってしまいますと、
松坂熊吾という市井にありながら傑出した知性と思いやりと行動力を持った男が、子供を50歳にして得て、その子が成人するまでに、自らの経験のうち伝えるに足るすべてを、言葉として、行動として、伝え切ろうとする物語です。
熊吾は愛媛の南、南予地区(南宇和)出身で、そこの言葉の訛りは生涯隠そうとしませんでした。その熊吾の名言の数々のうちのいくつかを掲出してみましょう。
「人の心がわかる人になれ。人の苦しみのわかる人間になれ。人を裏切るようなことはしちゃあいけんぞ。だまされても、だましちゃあいけんぞ」(第一部『流転の海』)
「何がどうなろうと、たいしたことはありゃあせん」(第二部『地の星』)
「見返りを求めちゃあいけんぞ。自分がしてあげたことに対して、何等かの見返りを求めるっちゅうのが、父さんはいちばん嫌いじゃ。こっちがしてあげたことに対して、相手が裏切りみたいなやり方で応じても、知らん振りをしちょれ。それが、いつかお前という人間に福徳のようなものを運んでくる」(第三部『血脈の火』)
「自分の自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」(第四部『天の夜曲』)
「ひとつのことを実際にやりつづける。ひたすら、やりつづける。そういう意味では、わしは家庭の主婦というのはえらいと思うのお」(第七部『満月の道』)
本シリーズが完結し、新聞、雑誌、テレビ、ラジオと様々な媒体で様々な評者が賞賛し、絶賛され、毎日芸術賞を授与され、そうした大騒ぎの中、宮本輝氏はある地方都市で講演しました。宮本氏は照れもあったのでしょう、冗談めかして、
「お父ちゃん、仇とったで!」
と、こぶしを固めて、虚空に向かって言い放ったのでした。
担当編集者として、言いようのない震えが私の全身を覆いました。あのひ弱で朗らかな伸(のぶ)ちゃんは、裏切られても裏切られても誰をも恨まなかったあの熊吾のかたき討ちを、長い長いかたき討ちをしていたのかと。熊吾が伸仁に注いだ愛情を一滴も漏らさず伸仁は熊吾に返したのだと思いました。
妻房江の素晴らしさに触れられませんでしたが是非是非、本編をお読みいただいてその聡明さ、向上心、強さ、女心に打たれてください。必ず感動します。
「令和は「定時で帰る」でしょ」
そんな言葉をちょうど二年前の電車の中で、移動中らしきサラリーマン男性たちが話すのを聞いた覚えがあります。TBS火曜10時から放送された連続ドラマ「わたし、定時で帰ります。」が放映されている最中のことでした。
まさかその一年後コロナ禍によって会社に出社する、という働き方そのものが見直されることになるとは想像もしませんでしたが、「定時で帰ります。」という会社員なら誰しもがざわつかずにはいられないワードは当時、放送されるたびにSNSでもトレンド入りを果たし、「自分にとって働くとはなんだろう」という問いを投げかける作品として話題になりました。
3月新刊新潮文庫『わたし、定時で帰ります。2―打倒!パワハラ企業編―』は前作『わたし、定時で帰ります。』と併せてドラマ原作の2巻目になります。
「定時で帰る」というワードを切り口に浮かび上がる会社員たちの葛藤や価値観の衝突――早く家に帰ってプライベートを充実させたい、でも一生懸命仕事していないと誰かから思われるのはいやだ。仕事場にしか居場所がない。超過労働でなんとか空白を埋めよう。......そんな同調圧力と日本の職場でまま見られがちの精神論の中で、心が摩耗していき、正しいことすら見えなくなっていく。そんな敵とどう戦うか。あるいは切り抜けるか。
本作は"絶対に定時で帰る。"をモットーとする主人公東山結衣に襲いかかる問題児ばかりの新人教育と、クライアントからのパワーハラスメントが主軸となっています。
一筋縄ではいかない状況の中を結衣はどう対処していくのか。そして、元婚約者との関係はどうなっていくのか? 笑いあり、涙あり、至高のエンターテインメントが繰り広げられます。
解説はドラマの主題歌も歌われたSuperfly越智志帆さん。ソウルフルな内容にも注目です。
突然ですが、あなたのご両親のなれそめを聞いたことはありますか? お父さんの苦労話について尋ねたことはありますか? お母さんから悩みを打ち明けられたことはありますか?
すべて「あるよ!」と答えられる人は、あまりいないのではないでしょうか。誰よりも近い存在であるはずなのに、親のことって、実はほとんど知らないのかもしれません。
20年前に母を亡くし、以来父が唯一の肉親であったジェーン・スーさんも、その事実に気づきました。そこで「父の話が聞けなくなってしまう前に」と書き始めたのが、本書『生きるとか死ぬとか父親とか』です。
70代後半の父から、母との出会いについて、戦争体験について、青春時代について、さまざまなエピソードを聞き出していくうちに、スーさんには父という人の輪郭がだんだん見えてきます。同時に、若くして失った母をめぐる、つらすぎてこれまで目を背けてきた記憶にも向き合うことになり――。
しっかり者の娘と、愛嬌たっぷりの父。スーさんとお父さんだけの特別な話なのに、なぜか読者は自分の親や子どもを思い起こさずにはいられない、そんな普遍的な家族の在り方が、この作品には描かれています。
そして4月9日(金)からは、本書を原作としたドラマもスタート。スーさんをモデルにした主人公を演じるのは吉田羊さん、そのお父さん役は國村隼さんです。親子の可笑しくも切ないほんとうの物語を、原作、ドラマともどもお楽しみください。