梟の城
1,155円(税込)
発売日:1965/05/04
- 文庫
- 電子書籍あり
信長、秀吉……権力者たちの陰で、凄絶な死闘を展開する二人の忍者の生きざまを通して、かげろうの如き彼らの実像を活写した長編。
書誌情報
読み仮名 | フクロウノシロ |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 672ページ |
ISBN | 978-4-10-115201-1 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | し-9-1 |
ジャンル | 文学賞受賞作家 |
定価 | 1,155円 |
電子書籍 価格 | 924円 |
電子書籍 配信開始日 | 2015/04/03 |
書評
私は忍者の末裔かもしれない
数多ある新潮文庫の中から三冊を選ぶというのは難題である。挿絵家という仕事柄、かなりの作家の作品を読んではいるが、選ぶとなると話は別。ともかく私と関わりの深い三冊を選んでみよう。
まず一冊目は、沢木耕太郎氏『深夜特急』。沢木さんとは彼がまだ大学生だった時にお会いしている。それは私が、版画家ではなく、デザイナーだった頃で、毎日新聞社に出向いて「月刊エコノミスト」の表紙や誌面のデザインをしていた。ある日沢木さんが、「月刊エコノミスト」に、各界の人物論を書く仕事で来社された。私に興味を持たれたようで声を掛けてくれた。彼が「フリーで食べていけますか」と聞いてきて、私は生意気にも、「何か一つ核になるような仕事があれば、少し楽ですョ」などと答えたが、その直後、彼はあれよあれよという間にマスコミのスターに。その後、沢木さんが「産経新聞」朝刊に「深夜特急」を連載することになり、私に挿絵をと、指名して下さった。うれしかったが連載が始まって驚いた。まだインターネットも無い時代。彼が旅で辿ったシルクロードの地名や国名の資料もほとんど無く、今では誰でも知っているパキスタンやカザフスタンだのの全てがわからず、絶望。想像を巡らして、何とか絵にしたのもいい思い出だ。『深夜特急』の中で、「パキスタンのバスは、およそ世界の乗物の中でもこれほど恐ろしいものはない」と書かれているが、私にも似た経験がある。それは、スリランカの「ブッダの伝説」を版画にして、同地の仏歯寺で個展を開くという企画でのこと。その時の島めぐりのバスが、文字通りもの凄いチキンレース状態で、彼の文章を読んでいると、あの時の恐ろしさが今もありありと甦ってくる。
二冊目は、司馬遼太郎氏の『梟の城』。この『梟の城』は、いつか、忍者をテーマにした挿絵かカバー装幀の仕事をしたいと思っていた所に依頼があったので感慨深い作品。何故、忍者物に引かれていたかというと、私の母方の先祖を辿ると、忍者の家系ではないかと常々思っていたからである。私の祖先は、信州上田城に入城した藤井松平氏の家来で、三河から信州上田に来たのだが、その母方の姓が服部なのだ。ある時、叔父が、「祖先に、信州上田の武士で絵を描いていた人がいるョ」と教えてくれた。その人の名が、服部元載。上田在住の収集家に彼の絵を見せていただいた。大きな屏風に、大きな牛が一頭堂々と描かれていた。その絵を製作した時の元載さんの年齢が九十歳と書いてある。それに感動し、なぜかうれしかった。『梟の城』の一文に、「伊賀の忍びは、城の西北に夜青光があがれば兵気すくなしと占ってきた。重蔵はかすかに眉をひろげた」とある。私の祖先の服部氏が、この文章のような任務をしていたとは思わないが、確か、元載さんは絵の修業として京都大坂に行っていて、何かの都合で信州に戻ってきて武士になっている。この西行は、藩からの特命だったのではと考えると、末裔としては少しわくわくする。『梟の城』は、そういった意味でも大好きな作品だ。
三冊目の山本一力氏『研ぎ師太吉』。一力さんとの出会いは、「深川駕籠」の連載の挿絵を描かせていただいた時。私は、この『研ぎ師太吉』にかぎらず、一力さんの小説の場面の終わりの文章が好きである。『研ぎ師太吉』では、二の終りの「風で柿の葉が動き、ふたりに降り注ぐ木漏れ日が揺れた」、五の終りの「刃に浮いた錆は、元五郎が無念を訴えかけているかのようだった」などがそれだ。そういえば、昔、私が青山で個展を開いている時、一力さんが駆け込むような勢いで見に来て下さったことがある。開口一番、「原田さん、直木賞の候補になったョ」と報告してくれた。私もうれしくなって、「一力さん、直木賞の発表の日に、みんなが側にいて発表を待つというのをよくテレビで見かけるけど、『あれ、やらせて』」とお願いすると、「いいョいいョ、来て!!」と言って下さり、当日お宅に伺うことに。しかし友人の長友啓典氏にこのことを話すと、「やめとけ!! 自分も何度か、伊集院静さんと、神戸のバーで一緒に待っていたことがあるが、全然取れず、自分の所為みたいな気になったから、よせ」と止められたが、「やはり行くョ」とご自宅に伺った。この時は、一力さんは無事、直木賞を取られたので、ホッとしつつ、大満足であった。
(はらだ・つなお 版画家/挿絵家)
波 2022年3月号より
中高生に薦めたい「裏」教科書
中高の国語教科書の編集の仕事をしてきたからだろう、この原稿の依頼とともに、教科書に載っている新潮文庫作品のリストが送られてきた。どれもこれも名作だ。しかし、この中のどれかを君たち中高生に薦めたくはない。教科書に載るような作品は大抵おもしろくないからだ。
もちろん編集者としてはおもしろいと思って載せている。ただしそれは、授業において教師の説明や友達同士の話し合いを通して初めて理解できる深さを持つものでなければならない。裏を返せば、一人で読んですぐにハマるような楽しいものは教科書には載らないということだ。
もう一つ、検定教科書にはさまざまな制約がある。暴力や性や犯罪、深刻な家族問題などに少しでも触れているものは載せられない。だがしかし、現実社会の裏側はそうしたもので満ち満ちていることを、君たちはもう知っているだろう。本来の文学作品は現実からなにかを隠したりはしない。文豪たちも、教科書には載せられないような作品をいくらでも書いている。
だから、個人の読書としてはむしろ教科書から離れて、むさぼり読みつつ、現実の「裏」へと視野を広げられるようなものを薦めたい。
たとえば『走れメロス』だけで太宰治をいい人だと勘違いしている人には、『人間失格』を。タイトルからしてもう教科書には絶対無理。考えればたしかに、教科書定番のヘッセ『少年の日の思い出』も芥川『羅生門』も漱石『こころ』も、主人公たちは立派な人間とは到底言えない。特に鴎外『舞姫』の主人公なんて、女性を妊娠させておいて捨てて逃げる。現代作家のものなら教科書には載せられない。しかし、「恥の多い生涯を送って来ました」と自ら言う『人間失格』の大庭葉蔵の酷さはそんなものではない。
「恥」という自意識の闇を抱える主人公は、太宰の多くの作品に共通する。そしてそうした自意識には、誰もが一度は思春期に囚われるものだ。新潮文庫の太宰シリーズの真っ黒な背表紙は、この「闇」にいかにも似つかわしい。高校時代に友人の家に遊びに行ったとき、本棚の一部がこの黒で埋められていて驚いた。サッカー部の、なんの屈託もない奴だとばかり思っていたが、内にはやはりそれなりの闇を抱えていたのだろう。
もちろん暗い話ばかりでなく、血沸き肉躍るストーリーで活躍する主人公に憧れるのもいい。たとえば司馬遼太郎『梟の城』は、豊臣秀吉暗殺を依頼された伊賀忍者、葛籠重蔵の冒険を描く。同じ忍者ものでも、山田風太郎の「忍法帖」シリーズほど荒唐無稽でなく、司馬のよりリアルな歴史小説への入門書としてもいい。年号の暗記が辛い歴史も、それを動かしているのがわれわれと同じ血肉を持った人間であると知るだけでずいぶんと親しみが湧いてくる。司馬を通じて歴史のおもしろさに目ざめる者は多い。
教科書には載せにくいが、歴史小説の楽しさは一生ものだ。ここから池波正太郎や山本周五郎に向かうなら、生涯にわたって楽しめる趣味を持てる。
他にも哲学系や海外の作品も「国語」教科書にはなかなか載せづらい。プラトン『饗宴』などは中高時代に読むのに最適だと思うのだが。海外の哲学書というともうそれだけで敬遠してしまうかもしれないが、字面はいかめしい『饗宴』の原題『シュンポジオン』とは本来「一緒に飲む」という意味。つまりは飲み会だ。しかも副題は「恋愛(エロス)について」。男たち六人が酒を酌み交わしながら、各々の恋愛観を順繰りに披瀝する。ノリとしては修学旅行の夜のパジャマトークのようなものだ。全然堅苦しくも難解でもない。
ただし二十世紀の哲学者オルテガによれば、この本は彼の時代までのヨーロッパの恋愛観に決定的な影響を与え続ける。ということは実は現代日本の我々もその影響を受けているはずだ。しかもここでは男同士の恋愛の方が男女のそれより上だとされている。一体どういうことか、と思う人はすぐに読んでみるといい。さらには友達にも薦めて、あとで話し合ってみればいい。まさしく『饗宴』のように。
内なる闇と向き合ったり、忍者の活躍に胸を躍らせたり、恋バナで友達と盛り上がったり……。どれも検定教科書では難しいけれど、上に挙げた「裏」教科書たちは、おそらくネットに溢れる情報よりも多くのこと、深いことを、楽しませつつ教えてくれるだろう。
(いとう・うじたか=1968年、千葉県生れ。明治大学文学部准教授。文芸評論家。2002年に「他者の在処」で群像新人文学賞〈評論部門〉を受賞)
波 2020年5月号より
著者プロフィール
司馬遼太郎
シバ・リョウタロウ
(1923-1996)大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。1993(平成5)年には文化勲章を受章。“司馬史観”とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、1971年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。