人間失格
308円(税込)
発売日:1952/11/03
- 文庫
- 電子書籍あり
この主人公は自分だ、と思う人とそうでない人に、日本人は二分される。
「恥の多い生涯を送って来ました」。そんな身もふたもない告白から男の手記は始まる。男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。でも、男が不在になると、彼を懐かしんで、ある女性は語るのだ。「とても素直で、よく気がきいて(中略)神様みたいないい子でした」と。ひとがひととして、ひとと生きる意味を問う、太宰治、捨て身の問題作。
書誌情報
読み仮名 | ニンゲンシッカク |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 192ページ |
ISBN | 978-4-10-100605-5 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | た-2-5 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 308円 |
電子書籍 価格 | 308円 |
電子書籍 配信開始日 | 2008/05/01 |
書評
増殖する『人間失格』
『人間失格』を初めて買ったのは高校生のときだった。奥付を見ると「昭和四十二年 四十二刷改版」とある。
人間をうまくやれず、それでも人間を諦め切れなかった大庭葉蔵という男の人生が、そこには書かれてあった。こんなに間違っても、他人に迷惑をかけ続けても、人は人に赦されてしまうのか。生きる気力や苦悩する能力をさえ失ってなお、生かされてしまうのか――。失敗の模倣とも呼べる彼の生きざまに、けれど私が見たのは希望だった。そのとき思い悩んでいたことが急にちっぽけに思えた。「お前はこの先もっと絶望していく」と頬をはたかれたようで、なぜか力が湧いた。一冊の本を読む前と後とで人生観が変わる体験をしたのも、これが初めてだった。
しかしある日図書館で、その出来事を友人に話したところ、わかりやすく彼女は引いた。「あんな暗い小説」「女の子が太宰好きとか言わないほうがいい」的なことを言われたように記憶しているけれど、はっきりとは覚えていない。私は私でとてもショックを受けていたのだ。
彼女の座る後方には文庫本の棚があって、一角が赤く染まっていた。当時憧れていた先輩がその前に立っていて、数冊を抜き取った。角川文庫の片岡義男だった。太宰治は伝わらないし、先輩にも手が届かない。手元の背表紙の黒がやけに目について、家に帰る途中、カバーを外してゴミ箱に捨てた。いま思えば、あまりに幼稚な腹いせだったと呆れるけれど、だから一冊目の『人間失格』にはカバーがない。
それでも『人間失格』が希望の書であることは揺るがなかった。
私が感じたことは本当だし、誰もそれを否定できない。私は私の感覚に正直でいたい。思いを行動に移したのは、大学進学を機に上京した春だった。太宰治の文庫本を買い揃えて、黒く並んだ背表紙を見ても、もうカバーを外さないと決めた。なぜ太宰が否定的な読み方をされてしまうのか知りたいという好奇心もあって、怖がらずに人と話すようになった。そんなふうにして、他人を、自分自身を知っていった。
『人間失格』が増殖していったのはこの頃からだ。
まったくこの小説は、読むたび姿かたちを変えて「なにが見える?」と問いかけてくる、お化けみたいな存在なので、一冊を大事に読み続けるには不向きなのだ。私のように書き込み癖のある者の手にかかれば、全ページ真っ赤になるのなんてすぐで、読んでる「今」必要な視点がぼやけてしまう。それで、必要なたびに新調することにした。どの古本屋にもほぼあって、かつ廉価で買えた新潮文庫は、とてもありがたかった。
仕事で使った『人間失格』を時代順に並べてみれば、思考が深くなっていくのがわかって面白い。例えばある本を開くと、「第一の手記」で父親が東京出張に行くシーンの、「シシマイ」の文字が赤い丸で囲んである。脇には「→P139」の書き込み。自分で仕掛けた謎を自分で解くようで、楽しい。
問題は、私用で使った文庫本だ。恋人にこっぴどく振られたとき、東京に挫折して故郷に逃げ帰ったとき……。予言書を開くように、あるいは答え合わせをするように『人間失格』を読み、余白に思いを綴っていたそれはもはや鍵の必要な日記帳だ。いまの時代、SNSの生前整理が肝要だと言われているけれど、私の最重要課題は、これをどう処分するかにある。
数を買い重ねていれば、版にも好き嫌いが出てくる。一番のお気に入り&冊数が多いのは「昭和六十年 百刷改版」で、この版で読む『人間失格』が最もよく目に馴染んでいる。どこに何が書かれてあるか、見開きが絵のように浮かぶ。
直近で買い求めた文庫本は、「平成十八年 百五十六刷改版」のものだ。見ると、「第三の手記」の最後の一行にツッコミがしてあって、笑ってしまった。
「自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。」
このうち「四十以上に見られます。」だけがページをまたいでいることが、気に食わなかったのだろう。その部分を縁取りして、脇に「オイコミ」と書き込んである。文字組みにまで口を出しているではないか。何様のつもりか。ただ、こんな機会も滅多にないので最後に申し上げます。
新潮文庫編集部の皆さま、次回改版の際には、「オイコミ」、ご一考ください。
(きむら・あやこ コトゴトブックス店主)
ひとりの夜に読みたい小説
皆様、ひとりの夜はお好きですか。
何を隠そうわたしはひとりでバーベキューをした経験があります。ソロツーリング中にキャンプ場でコンロを借りたら、それがバーベキュー場のことで、しかも左右では仲良しグループが、キャッキャしながらお肉を焼いていたのです。以来、何かひとりでは無理だと思ったら、あのソロバーベキューを思い出し、なんでも平気になったわたしです。
ひとり旅の夜、ホテルやテント、フェリーの二等席のベッドで、小説を読むのが習慣でした。そんな夜に巡り会った、思い出の小説をご紹介したいと思います。
一冊目は星新一。言わずと知れたショートショートの名手です。昔から新潮文庫といえば星新一でした。今回お話をいただいたときに、真っ先に思い浮かんだ小説家です。
どれを読んでも面白いのですが、中でもいくつか印象に残っているものがあります。
ひとつが『ようこそ地球さん』に収録されている「処刑」です。遠い未来、宗教を失った地球から追放された死刑囚の話です。彼は乾いた赤い星に、銀の玉とともに放たれます。
死刑囚たちがさまよう星で、ひとりにつき一個ずつの玉。玉にはボタンがついていて、押すとコップ一杯の水が得られます。水と栄養を得る手段は、この銀の玉しかありません。
そしてボタンを押した何回目かで玉は爆発し、彼らは処刑されることになっています。
思考実験のようなショートショートですが、銀の玉との対話、喉が渇くたびに自問自答を繰り返し、堪えかねてボタンを押す恐怖、そしてたどり着いた結論と、最後の一文。なんともドラマチックで美しいのです。
収録先は別ですが、『妖精配給会社』の表題作も好きでした。宇宙からやってきた小さなペットの妖精さん。知能はないが言葉を喋ることができ、ずーっと飼い主を褒め続けます。地球人は妖精のとりことなり、ずっと自分を褒め称える言葉を聞き続けるのです。
星新一のショートショートが出版されたのはスマホもSNSもない時代ですが、すべてが暗喩になっているようで、今読むと昔にはなかった怖さを感じます。さらっと読めてしまう話ばかりなので、あえてひとりの夜に読むことをおすすめします。
次は、『わたし、定時で帰ります。』。著者は朱野帰子さんです。シリーズ化されていて、文庫では二作目まで読めます。
わたしは働く女性の話が、というか働く女性が大好きで、このシリーズも初期から読んでいたわけですが、読みどころは主人公・結衣ちゃんの引いた“線"です。
集団の中にいるからにはどこかで線を引かねばならぬ。良い悪いではなく、わたしの方針はこうと決めなくてはなりません。結衣ちゃんの線は、「定時で帰る」です。譲れない個を持っているということの尊さよ。彼女の意地を見守る気持ちで読み続けています。
最後は、メジャーすぎて好きすぎて言うのもはばかられるのですが、太宰治の『人間失格』を挙げさせていただきたいと思います。
ときどき自分の中で再読ブームが来ます。今年になって吹き荒れたのが『人間失格』でした。いろんな出版社のものを読み比べ、映画を観たり、漫画、解説、感想などを読みあさったりしたわけですが、読めば読むほど大庭葉蔵、彼の孤独が染みて染みて、辛くて寂しくて泣けました。短い話だというのに、名作というのは伊達じゃないと思いました。
何が辛いって、どの解説でも感想でも、誰も大庭葉蔵の話をしないことです。こんなに有名な作品の主人公なのに。自伝的な小説で、作者の人生が小説以上に劇的だというのは認めますけれども、葉蔵の立場になってみれば、メタな意味でも孤独だなんてあんまりです。わたしだけは、太宰治でなくて葉ちゃんを愛してあげよう。そう思いました。
ソロバーベキューの夜も、ひとりで焼きそばを作りながら、物語を胸の奥で反芻していたように思います。せめてもっといいお肉を買えばよかったと思った。そんなわたしに、左右のキャッキャグループは、これどうぞと分厚いお肉を分けてくれたのでした。
星の綺麗な夜でした。何を読んだのか忘れましたが、あの日の物語も美しかったはずです。もうひとりでバーベキューをすることはないだろうけれども、あの夏の夜を超えて、わたしは少し強くなったように思うのです。
(あおき・ゆうこ 作家)
波 2023年7月号より
後ろ暗さを抱えながら
弁護士になった2009年から六年間、刑事事件の弁護を専門にしていました。警察署や拘置所に出向き、犯罪をおかした人や、犯罪をおかしたと疑われている人と、一枚のアクリル板を挟んで対峙します。それまでの人生では会ったことのない、さまざまな人と向き合いました。ヤクザの組長、薬物依存症者、人を殺した人、他人の家に火を点けた人……。
弁護人の私は、彼らから信頼されなければなりません。私はあなたの味方であり、あなたの味方として活動する。その前提を共有し、何でも打ち明けてもらう。そんな関係を築かなければ、真実に辿り着くことはできません。彼らを犯罪に向かわせたかもしれない悪意や憎しみ、暗い感情とは一体何なのか。『掏摸』で初めて中村文則さんの作品を読み、徹底的に「彼ら」の側から語られる作品世界に強く惹かれました。『悪意の手記』も、親友を殺した青年の視点で書かれます。
本作には人間の感情の計り知れなさ、複雑さがそのままの形で描かれています。人と人との関係において「わかったような気になる」ことが往々にしてあると思うのですが、他人の行動原理など、本来はそう簡単に理解できない。自分には理解できないかもしれないけれど、とにかく虚心坦懐に彼らの話に耳を傾ける。刑事弁護人として働いた六年間で次々と読んだ中村作品が、そんな基本姿勢を支えてくれたような気がします。
人間が抱える心の闇、後ろ暗い部分から目を逸らさずにいたいという思いの原体験は、中学一年生の頃に出会った『人間失格』です。幼い頃から内向的で暗い性格だった私は、本当の自分と社会に適応しようとする外向きの自分とのギャップに悩み続けてきました。この小説と出会ったことで、そんな自分を丸ごと肯定できたように思います。人間とはそういうものなのだ、と。本作を読んで、そんな安心感をおぼえた方も多いのではないでしょうか。
当時、小樽の中学校に通っていましたが、将来は東京の大学に行きたい、そのためにはとにかく勉強しなければ、と頑張っていました。念願叶って、東京女子大学に入学。憧れのキャンパス・ライフの始まり……のはずが、地獄のような暗黒の四年間になりました。新歓コンパのノリが「無理」でサークルには入れず、それならばアルバイトを!と思ったのですが、ピザ屋のアルバイトは試用期間終了とともにクビ、コンビニと家庭教師は面接すら通らない始末。「コンビニのバイトに落ちるって、すごいね……」と言われました。どこにも居場所がなく、ひたすら孤独な日々。そんな私に残されたのはまたも勉強しかなく、現代アメリカの作家レイモンド・カーヴァーの研究にいそしみ、卒論では学内の賞もいただきました。すべては「孤独」のなせる業です。
カーヴァーが愛読していたというきっかけでチェーホフも読むようになりました。『かわいい女・犬を連れた奥さん』に収録されている「中二階のある家」は特にお気に入りの短編です。
風景画家が地主の家の姉妹の妹ミシュスと恋仲になるも、画家を嫌う姉リーダに妨害されるという話ですが、私にとっては切ない恋愛小説ではなく、チェーホフの内面の葛藤を表現した作品として心に残りました。労働を分配し、人々が豊かに生きるために芸術が必要だと主張する画家と、村に診療所を作るために奔走する姉は、社会運動に身を投じつつも、それは正しいのかと懊悩するチェーホフ自身と重なるのではないでしょうか。
そんなふうに感じるのは、私自身が社会を変えるための活動に関わることが増えてきたからかもしれません。今は、刑事訴訟法の再審手続きの法改正や、大麻取締法の改正を呼び掛けています。そういった活動への自身の取り組み方に、一片の疑いも迷いもないかといえば、そうではありません。当然、葛藤もあります。
そんなとき、「中二階のある家」で画家を愛してくれた妹ミシュスのような存在がとても尊いのです。自分を理解し、肯定してくれる存在。大学生で読んだときには、「ミシュス、きみはどこにいるのだろう」というラストの一文で、自分の孤独感が浮き彫りになったようで、涙腺が崩壊したかと思うほど泣いてしまいました。今はもう泣きはしませんが、変わらずミシュスを求め、そして誰かにとってのミシュスになれたらとも思うのです。
(かめいし・みちこ 弁護士)
波 2021年11月号より
中高生に薦めたい「裏」教科書
中高の国語教科書の編集の仕事をしてきたからだろう、この原稿の依頼とともに、教科書に載っている新潮文庫作品のリストが送られてきた。どれもこれも名作だ。しかし、この中のどれかを君たち中高生に薦めたくはない。教科書に載るような作品は大抵おもしろくないからだ。
もちろん編集者としてはおもしろいと思って載せている。ただしそれは、授業において教師の説明や友達同士の話し合いを通して初めて理解できる深さを持つものでなければならない。裏を返せば、一人で読んですぐにハマるような楽しいものは教科書には載らないということだ。
もう一つ、検定教科書にはさまざまな制約がある。暴力や性や犯罪、深刻な家族問題などに少しでも触れているものは載せられない。だがしかし、現実社会の裏側はそうしたもので満ち満ちていることを、君たちはもう知っているだろう。本来の文学作品は現実からなにかを隠したりはしない。文豪たちも、教科書には載せられないような作品をいくらでも書いている。
だから、個人の読書としてはむしろ教科書から離れて、むさぼり読みつつ、現実の「裏」へと視野を広げられるようなものを薦めたい。
たとえば『走れメロス』だけで太宰治をいい人だと勘違いしている人には、『人間失格』を。タイトルからしてもう教科書には絶対無理。考えればたしかに、教科書定番のヘッセ『少年の日の思い出』も芥川『羅生門』も漱石『こころ』も、主人公たちは立派な人間とは到底言えない。特に鴎外『舞姫』の主人公なんて、女性を妊娠させておいて捨てて逃げる。現代作家のものなら教科書には載せられない。しかし、「恥の多い生涯を送って来ました」と自ら言う『人間失格』の大庭葉蔵の酷さはそんなものではない。
「恥」という自意識の闇を抱える主人公は、太宰の多くの作品に共通する。そしてそうした自意識には、誰もが一度は思春期に囚われるものだ。新潮文庫の太宰シリーズの真っ黒な背表紙は、この「闇」にいかにも似つかわしい。高校時代に友人の家に遊びに行ったとき、本棚の一部がこの黒で埋められていて驚いた。サッカー部の、なんの屈託もない奴だとばかり思っていたが、内にはやはりそれなりの闇を抱えていたのだろう。
もちろん暗い話ばかりでなく、血沸き肉躍るストーリーで活躍する主人公に憧れるのもいい。たとえば司馬遼太郎『梟の城』は、豊臣秀吉暗殺を依頼された伊賀忍者、葛籠重蔵の冒険を描く。同じ忍者ものでも、山田風太郎の「忍法帖」シリーズほど荒唐無稽でなく、司馬のよりリアルな歴史小説への入門書としてもいい。年号の暗記が辛い歴史も、それを動かしているのがわれわれと同じ血肉を持った人間であると知るだけでずいぶんと親しみが湧いてくる。司馬を通じて歴史のおもしろさに目ざめる者は多い。
教科書には載せにくいが、歴史小説の楽しさは一生ものだ。ここから池波正太郎や山本周五郎に向かうなら、生涯にわたって楽しめる趣味を持てる。
他にも哲学系や海外の作品も「国語」教科書にはなかなか載せづらい。プラトン『饗宴』などは中高時代に読むのに最適だと思うのだが。海外の哲学書というともうそれだけで敬遠してしまうかもしれないが、字面はいかめしい『饗宴』の原題『シュンポジオン』とは本来「一緒に飲む」という意味。つまりは飲み会だ。しかも副題は「恋愛(エロス)について」。男たち六人が酒を酌み交わしながら、各々の恋愛観を順繰りに披瀝する。ノリとしては修学旅行の夜のパジャマトークのようなものだ。全然堅苦しくも難解でもない。
ただし二十世紀の哲学者オルテガによれば、この本は彼の時代までのヨーロッパの恋愛観に決定的な影響を与え続ける。ということは実は現代日本の我々もその影響を受けているはずだ。しかもここでは男同士の恋愛の方が男女のそれより上だとされている。一体どういうことか、と思う人はすぐに読んでみるといい。さらには友達にも薦めて、あとで話し合ってみればいい。まさしく『饗宴』のように。
内なる闇と向き合ったり、忍者の活躍に胸を躍らせたり、恋バナで友達と盛り上がったり……。どれも検定教科書では難しいけれど、上に挙げた「裏」教科書たちは、おそらくネットに溢れる情報よりも多くのこと、深いことを、楽しませつつ教えてくれるだろう。
(いとう・うじたか=1968年、千葉県生れ。明治大学文学部准教授。文芸評論家。2002年に「他者の在処」で群像新人文学賞〈評論部門〉を受賞)
波 2020年5月号より
どういう本?
タイトロジー(タイトルを読む)
人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。(本書147ぺージ)
著者プロフィール
太宰治
ダザイ・オサム
(1909-1948)青森県金木村(現・五所川原市金木町)生れ。本名は津島修治。東大仏文科中退。在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935(昭和10)年、「逆行」が、第1回芥川賞の次席となり、翌年、第一創作集『晩年』を刊行。この頃、パビナール中毒に悩む。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚、平静をえて「富嶽百景」など多くの佳作を書く。戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺。