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小説 イタリア・ルネサンス3―ローマ―

塩野七生/著

1,100円(税込)

発売日:2020/12/01

書誌情報

読み仮名 ショウセツイタリアルネサンス03ローマ
装幀 高橋千裕/カバー装幀、ティツィアーノ「ダナエ」(部分)/カバー装画、(C)Art Collection 4/Photo、Alamy Stock Photo/Photo
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-118123-3
C-CODE 0193
整理番号 し-12-23
定価 1,100円
電子書籍 価格 1,100円
電子書籍 配信開始日 2020/11/30

わたしはあなたをあきらめませんわ――オリンピアの悲しき過去、そして哀しき結末。

オリンピアの故郷ローマにたどり着いたマルコはシスティーナ礼拝堂の天井画を完成させたミケランジェロの知遇を得たり、古代の遺跡をめぐる日々を楽しむ。オリンピアの悲しい過去を知るが、ついに立場を越えた結婚を決意するものの、ヴェネツィアとトルコの関係が風雲急を告げ、二人の運命はふたたび歴史の波に翻弄されていくのだった。華麗なるルネサンス物語第3巻。『黄金のローマ』改題。

インタビュー/対談/エッセイ

『小説 イタリア・ルネサンス』をめぐって(二)

塩野七生

新しい世界への扉はいつでも「男」だった

(一)は こちらから

ルネサンスを描くことから作家生活を出発した塩野七生さん。その後主要テーマを古代ローマ、中世、古代ギリシアへと次々に変えてきましたが、ふたたびルネサンス世界を描いた作品を『小説 イタリア・ルネサンス4』としてまもなく刊行します。塩野さんにとってルネサンスとは何なのでしょうか。その原点となる大学時代について聞きました。

――大学の卒業論文のテーマはイタリア・ルネサンスだったということですが、在籍されていたのは哲学科です。なぜ哲学科で、歴史でもあるイタリア・ルネサンスを選んだのですか。

塩野 それに答えるには、東大の受験に失敗したことから始めないと……。
 私の通っていた日比谷高校は当時、三分の一はストレートで、次の三分の一は一浪で東大に進むという、東大への進学率ならば有名私立校でも寄せつけないところだったので、私も深く考えずに東大を受けたのです。ところが結果は不合格。心を入れ直して受験勉強に集中すれば来年には、と思ったけど、それとて確実ではない。で、胸に手を当てて考えたんですね。なぜ東大に行きたいのか、と。
 答えは簡単。東大で西洋古典文学を教えている呉茂一の講義を受けたい、ということだけだったのだから。それならば価値も認めていない受験勉強に労力を費やすよりも、先生が出張講義に行っている大学を受ければよいので、それが慶應と学習院。いずれも哲学科。受験科目も国語と英語と世界史で、これなら受かると。その時点で受験のための勉強はやめてしまった。

――でも、慶應ではなくてなぜ学習院にしたのですか。

塩野 カリキュラムが面白かったからです。当時の学習院の院長は安倍能成で、彼は哲学科を、かって校長をしていた旧制一高のようにしたかったみたい。英国のパブリック・スクールやフランスならばクラシックのリセ、イタリアだとリチェオ・クラシコになるけれど、要するに古代のアテネにアリストテレスが創立した「リュケイオン」の精神を継承する教育施設にしたかったみたいです。言い換えれば、リベラル・アーツを学ぶところ。三年まででそれらを習得し、残りの一年を費やす卒論は何を選んでもよい、となっていたから。入学早々助手の主導で読まされたのが、バートランド・ラッセルの『西洋の知恵ウィズダム』であったのも、その想いを示している。
 しかし、この式の哲学科は、安倍能成の退陣後は分散してしまう。哲学プロパーや歴史学や心理学科とかに。それがまだカテゴリーに別れない前の総合していた時期の哲学科で学んだことが、私にとっては幸運の始まりだったと思っています。
 なにしろ、教授たちの顔ぶれからしてスゴかった。安倍能成が招聘したからでしょうが、中村元がいなければ、インド哲学なんて知らないで終ったと思う。彼の教えを受けるためだけにオックスフォードを休学して日本に来た学生もいたくらい。私もふくめた学習院大の学生たちの頭の程度にはもったいない顔ぶれでした。
 それで私が学習院に決めた理由になった呉茂一先生ですが、授業初日の先生と私との会話。
「学習院にしたのは、先生の講義を受けるためです」
「ボクの授業は特殊講義なので、一、二年生には単位はあげられないのだけど」
「単位なんて関係ありません。でも、聴講ならば認めてくださいますよね」
 というわけで始まったのですが、まず先生は学生たちに、出欠はとらない、単位も、期末に提出してもらうレポートで決めます、とおっしゃった。そうしたら次の授業から誰もいなくなり、残ったのは私一人。しかもその一人も、なぜホメロスの『イーリアス』を読みたいのかと問われて、アキレスがステキだから、と答える始末。まあ、新しい世界に入っていくのは常に「男に手を引かれて」になるのは、あの頃からの私のクセでもあったのだけど。
 とはいってもギリシア文学の第一人者の先生にしてみれば絶望モノだったでしょう。でも、本拠である東大には高弟たちが揃っている。それで私に対しては、実験してみる気になったとのこと。
 具体的には、辞書には頼らずに用例を探すのを先行させること、になる。『イーリアス』をそのまま訳すのではなく、その中の一句にしろ、いつ、どこで、誰が、どのように引用しているかを調べることになります。
 このやり方だと、調べる範囲は古代のギリシアに留まらず、ローマも、その後の中世やルネサンスにまで広がることになる。辞書を引くのはその後です。確認のためなのだから。
 これを四年つづけてくれれば、その結果である卒論がイタリア・ルネサンスになるのも当然の勢い。ちなみに卒論の担当教授は、古代が専門の呉茂一、中世思想史の下村寅太郎、西洋美術史の富永惣一の三先生でした。あの頃からは何年過ぎたかわからない今になって刊行する『小説イタリア・ルネサンス』も、その小説化でしかないのです。

(しおの・ななみ 作家)
波 2020年11月号より

『小説 イタリア・ルネサンス』をめぐって(一)

塩野七生

外出禁止さえも愉しんで書いた「オトナの男女」

作家生活唯一の「歴史小説」、その続編を書き上げ、三十年の時を経て完結させた塩野七生さんに話を聞いた。ペスト禍に『デカメロン』を書いたボッカッチオよろしく、自室に籠もって構想・執筆に没頭した日々とは――?

――なぜ、今になって小説を?

塩野 2017年の年末に『ギリシア人の物語』の第3巻でアレクサンダー大王を書いて、これで私も死ぬな、と思っていたら死ななかった。生きているのに何もしないというのも、けっこう疲れるんですよ。それで、疲れるのならいっそのこと書こうと思い、三十年前に書いて途中で放り出していた作品を、放り出したところから書き足して全4巻に構成し直したというわけ。通しテーマも、『小説 イタリア・ルネサンス』。まあ、三十年前どころか大学で卒業論文を書いていた昔にもどったことでもある。だって卒論のテーマも、「イタリア・ルネサンス」でしたから。
「なぜ今になって?」というのも、これまではずっと歴史エッセイを書いてきたからの質問だと思いますが、歴史エッセイと歴史小説は、とりあげるのは歴史ということでは同じでも、照明の当て方はちがうのです。具体的には、エッセイでは登場人物の創作はしないけれど、小説ではする。今度の作品でも、登場人物のほとんどは実在していた人ですが、主要人物になる男女二人は私が創作した。また、エッセイだと会話でも史料に残っているものしか使えないですが、小説ならば使える。エッセイでは「解説」していたことも、小説だと会話で表現できる、ということだから。

――でもなぜ、今までそういった書き方をしなかったのですか?

塩野 歴史エッセイで取り上げてきた男たちの存在感が圧倒的だったからですよ。ペリクレスでもアレクサンダーでもカエサルでも皇帝フリードリッヒでも、小説仕立てにする必要は感じなかった。彼らの行跡を追っていくだけで、充分にドラマティックだった。わざわざ私がドラマを作ってあげる必要なんて、まったくなかったのです。
 でも、こういうタイプの男たちは、これまでで充分書いちゃった。なのにまだ死なないので、別のタイプの男を書くことにしたのです。

――それはどういうタイプの男なんですか?

塩野 まず、その人物が生きた時代を決めることから始めました。十六世紀と。つまり、イタリア・ルネサンスの最盛期です。「最盛期」とは、その後にくるのは衰退期ということだから、時代の分かれ目に生きた、ということになります。
 それで、もしも私がそのような時代に生まれていたらどういう生き方をしただろう、と考えたのね。これでも私は女だから、まずは女だったら、と。地位が高くてお金持ちの男と結婚して、有閑マダムをやる性質たちではない。と言って、男を踏み台にして出世する性質でもない。となると自立した女、となる。けれど、あの時代に女で自立する、しかも優雅に自立する道は、一般の娼婦と区別してコルティジャーナと呼ばれていた高級遊女しかない。というわけでオリンピアを作り出したというわけ。
 それで、男の方なんだけど……。

――男の登場人物まで作ってしまった。塩野さんは女性なわけですが……。

塩野 これも一種の後遺症かしらね。圧倒的な存在感の男たちを書いてきたことで、私の内部に男性的要素が生まれたのではないかと思うのです。彼らほどの男は、女の視点に留まっていたのでは書けない。こちらも男になった気にならないかぎり、絶対に書けません。
 というわけで、あの時代に生まれていたら、という仮定も、私の場合は女だけでは足りないので、男にもならざるをえなかった。こうして、マルコ・ダンドロが生まれます。
 それで、マルコの生き方だけど、これまで私がとりあげてきた男たち、つまり歴史上の著名な人物にはしなかった。著名な男にしたのです。どうやら私が好むのはトップ中のトップと思われているらしいけれど、実際はそうではない。世間的には目立たない、それでいて何かはした男のほうが好きみたい。なにしろ死んでもよい年になっているのに死なないから書いたのだから、もうこうなったら私好みの男を書く、と決めたんです。
 要するに、私の中の女性的要素がオリンピアに結晶し、男性的要素はマルコになったと言ってもよい。この二人が最高の性愛関係に進んだのも、当たり前ですよね。もともと一人である人間が、女と男に分かれただけなのだから。
 また、この四巻すべてが、マルコという男の一生でもある。第一巻では三十代前半の彼。第二巻と第三巻では三十代後半。そして新作である第四巻は、四十歳から死までの彼、という構成。
 三十にしてち、四十にして惑わず、という格言があるでしょう。それに従えば、三十で起っても四十歳になるまでは惑ってもよいということになる。ただし、四十代に入ってもまだ惑っているのはNO。なぜかというと、ただ単純にサマになりません。東京言葉でいえば「みっともない」。そのうえ、周囲に迷惑をかけることにもなる。だから、書く側としては、第三巻で終わりにするわけにはいかなかった。四巻まで書く必要があったのです。
 たしかにマルコは、歴史上に燦然と輝くタイプの男ではない。歴史の背後に静かに立っている、その他大勢の一人かもしれません。
 そんなマルコを、私は「ジェンティーレ・アスペット」、日本語に直せば「佇まいの美しい男」として書きたかった。
「ジェンティーレ・アスペット」(gentile aspetto)とは、ルネサンス初期のフィレンツェに生きたダンテが『神曲』の中で使った形容ですが、そこでダンテは「金髪で、美男で、そのうえ佇まいの美しい男」と書いている。つまり、美男であることと佇まいの美しさはイコールではないのです。
 男が百人いるとしましょう。その中の十人くらいは美男。イタリアならば十五人はいるけれど、日本だと五人くらいで、まあ中間をとって十人とする。しかし、佇まいの美しい男となると、百人の中に一人いるか、いないかになってしまう。しかし、顔立ちは美男でなくても、佇まいは美しい男はいるのです。
 そして、佇まいが美しいということは、生き方も美しいということでもある。オリンピアはマルコを愛したのです。男関係の豊富な女が、いかにも愛しそうなタイプでもあるけれど。
 でも、書いていて愉しかったですよ。コロナ騒ぎによる外出禁止も、少しも気にならないくらいに。
 それも当然ですよね。男と女に分かれた私自身が、五百年昔のイタリアにタイムスリップして生きるのだから。
 とまあこんな具合で、ヒコウキが飛んでくれないために日本に帰れない状態での、読者へのおしゃべりの第一楽章はこれで終わりにします。では、また一ヵ月後に――。

(2)へつづく→

(しおの・ななみ 作家)
波 2020年10月号より

著者プロフィール

塩野七生

シオノ・ナナミ

1937年7月7日、東京生れ。学習院大学文学部哲学科卒業後、イタリアに遊学。1968年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。1982年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。1983年、菊池寛賞。1992年より、ローマ帝国興亡の歴史を描く「ローマ人の物語」にとりくむ(2006 年に完結)。1993年、『ローマ人の物語I』により新潮学芸賞。1999年、司馬遼太郎賞。2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。2007年、文化功労者に選ばれる。2008ー2009年、『ローマ亡き後の地中海世界』(上・下)を刊行。2011年、「十字軍物語」シリーズ全4冊完結。2013年、『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(上・下)を刊行。2017年、「ギリシア人の物語」シリーズ全3巻を完結させた。

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