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しろがねの葉

千早茜/著

1,870円(税込)

発売日:2022/09/29

  • 書籍
  • 電子書籍あり

男たちは命を賭して穴を穿つ。山に、私の躰の中に――。第168回直木賞受賞作。

戦国末期、シルバーラッシュに沸く石見銀山。天才山師・喜兵衛に拾われた少女ウメは、銀山の知識と未知の鉱脈のありかを授けられ、女だてらに坑道で働き出す。しかし徳川の支配強化により喜兵衛は生気を失い、ウメは欲望と死の影渦巻く世界にひとり投げ出されて……。生きることの官能を描き切った新境地にして渾身の大河長篇!

  • 受賞
    第168回 直木三十五賞
目次
赫然たる山
敷入り
湯の湧く湊
血の道
夜を駆ける
銀掘の病
曙光

書誌情報

読み仮名 シロガネノハ
装幀 藤本麻野子/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 320ページ
ISBN 978-4-10-334194-9
C-CODE 0093
ジャンル 文学・評論
定価 1,870円
電子書籍 価格 1,870円
電子書籍 配信開始日 2022/09/29

書評

その場所で生きる、という選択

大矢博子

 時は戦国時代末期。
 秀吉の唐入りへの徴用と凶作が重なり、貧しさに耐えかねた一家が村の隠し米を盗んで夜逃げを画策した。しかし追っ手に見つかり、幼い少女・ウメは両親とはぐれてしまう。道に迷ったウメが入り込んだのは、石見国、仙ノ山と呼ばれる銀山の間歩(坑道)だった。
 ウメはそこで、カリスマ的山師の喜兵衛に拾われる。喜兵衛はウメに銀山の知識と鉱脈の在処、そして山で生きる知恵を授け、自らの手子(雑用係)として間歩に出入りさせた。もともと夜目の利くウメは暗い間歩の中で重宝されるが、本来、銀掘は男の仕事。女性として成長していく中、ウメは女であるがゆえに制限されることの多さに悩むことになる――。
 千早茜、初の歴史小説である。
 舞台となるのは世界遺産にも登録された石見銀山。戦国時代から江戸時代前期にかけて、世界を動かすほどの産出を誇った鉱山である。大航海時代には海外にもイワミの名が知られ、一時は世界の銀の産出量の三分の一をこの石見銀山が賄ったという。
 世界が云々という具体的な知識は現場の人間にはなかったろうが、それでもシルバーラッシュに沸いていたことは間違いない。そこには報酬を求めて人が集まった。自然に左右され、収穫したものも年貢で持っていかれてしまう農村に比べ、銀山の掘子となれば米の飯が食べられるのだ。もちろん危険と隣り合わせの仕事だし、厳しい規律や統制は当然。だが惹かれないわけがない。
 山で働くことに魅せられ、敬愛する喜兵衛に認められたくて、ウメは手子として成果をあげるよう頑張る。しかし初潮が訪れたときから、彼女は間歩に入ることを禁じられてしまう。のみならず、卑猥な目を向ける男も、乱暴を働く男もいる。そして幼い頃からウメをライバル視していた隼人から「年頃のおなごがこがな山奥に一人でおったらいけん」「俺を頼ってほしいんじゃ。俺はお前を助けたい」と言われるに至り、ウメは現実を知るのだ。
 好きに生きたいと思っていた。それができると思っていた。けれどそうではなかった。「女は男の庇護の許にしか無事でいられないのか。笑いがもれた。莫迦莫迦しい、好きになど生きられないではないか」
 なんと悲痛な言葉だろう。能力はあるのに、活かす道がない。隼人のことは好きでも、守ってもらって生きたいわけではない。自分のやりたいことをやりたいだけなのに、女であるというだけでその道が閉ざされる。
 しかしそれだけなら、乱暴に言ってしまえば「よくある話」だ。本書の読みどころはその先にある。
 作中に「銀山やまのおなごは三たび夫を持つ」という言葉が出てくる。粉塵と瘴気の中で仕事をする掘子たちは長生きできないのだ。遅かれ早かれ肺を患って死んでいく。事故死もある。夫に先立たれた女は他の男に嫁ぐ。それは生活のためだけではない。将来の働き手となる子を産むためであり、「男は女がいなければ生きられない」からだ。
 早死にすることがわかっていて、それでも山に穴を穿つことをやめない男たち。それを止めたくとも、止めることができず、ただ弱っていく夫を看取る女たち。ウメは自らもまたその運命の渦中に身を置き、男が女に求めるものは何なのか、女が男にしてやれることは何なのか、ひいては生きるとは何なのかを考えるのである。
 この当時、女だから排除されるということはもちろんあったが、時代の覇者が秀吉から徳川へ移ったことで銀山にも変化があったことに注目。採掘はシステム化され、亀裂に過ぎなかった間歩も効率化のため整備された。それがさらに男たちの死期を早めた。従来のやり方が続けられなくなり、「職人芸」が途絶えた。社会や政治に翻弄されるという点では、男も女も同じなのだ。その中でウメが選んだ道を、どうかじっくりと噛み締めていただきたい。
 掘子たちよりもさらに早死にすることが珍しくない女郎たち、女でありながら男装で踊ることを思いつく旅芸人のおくに(もちろん出雲阿国だ)とその弟子、異国から流れてきたふたりの男の異なる人生などなど、さまざまな立場の人が登場するのも読みどころだ。彼らはウメに、それぞれ異なる人生の形を見せる。これらの交流がウメに与えた救いや癒しは、そのまま読者の救いにもなるだろう。
 これは抵抗と受容の物語であり、慟哭と救済の物語だ。
 親と離れ、行きたい道にも進めず、男に凌辱され、愛した者には先立たれる。それでもなぜウメは生きるのか。男たちはなぜ死ぬとわかっていて間歩に向うのか。ウメは見続けるのだ。間歩で繰り返される短い人の生を。
 世界に名の知られた銀山であっても、そこで働き、命を落とした者の名前は残らない。けれど彼らは確かにそこにいた。自らの意志で、いることを選んだ。
 その銀山もとうに役目を終えたが、歴史の遺産として、名もなき多くのウメや喜兵衛や隼人がいたことを、私たちに伝えているのである。

(おおや・ひろこ 書評家)
波 2022年10月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

ルールを破るかわいい不良に

千早茜宮田愛萌

先日直木賞を受賞された千早さんと、高校生の頃にその著書と出会ってからずっと愛読しているという宮田さん。大好きな千早さんの作品について、そして創作について語り合いました!

『しろがねの葉』の推しは誰?

宮田 はじめまして。今日はかなり緊張しています。こんなファンに会うって気が重くないかなと。『しろがねの葉』の直木賞受賞、おめでとうございます。本当に嬉しかったです。

千早 ありがとうございます。こちらこそがっかりされないかなって思いながら来ました。よくツイッターでフォロワーの方が「宮田愛萌さんが千早さんの本を紹介していますよ」って教えてくれるんです。

宮田 勝手にブログなどで千早さんのご本について書かせていただいて。『しろがね』も何回も読みました。男性キャラクターの中では誰推しかを編集さんと話していたのですが、私は断然、ヨキ(主人公ウメを引き取った天才山師・喜兵衛に従う影)が好きです。

千早 ヨキ派が一番多いんですよ。

宮田 やっぱり、そうですよね! 千早さんは誰推しなんですか。

千早 私は龍(赤ちゃんの頃からウメが面倒を見ていた年下の青年)派です。花とかくれる穏やかな人が好きです。隼人(ウメとともに育った幼馴染の銀掘)派は意外と少なくて。でも男性からの人気は高いですね。まっすぐな男! みたいなところがいいのかなと。

宮田 隼人も好きなんですけど、推しにするには違うんです。物語の主軸として出てくるキャラとしては最っ高の最高なんですけど、推しではなくて。推しがいがあるほうが好きです。

千早 推しがい……。やっぱりアイドルがお仕事だったから、推す気持ちがわかるのでしょうか。昨日ちょうど、アイドルの方はファンの方の気持ちが想像できるんだろうかという話をしていて。

宮田 私はオタクだったので、どちらかというとファンの方の気持ちのほうがわかります。元々アイドルが好きでなりたいと思ってアイドルになる人が多いのではないかと思います。

千早 そうなんですか。私は人生で生身の人間を推すことがなかったので、推しの気持ちがあまりわからなくて。

宮田 いつでも推しが欲しいタイプと、そうでないタイプとに分かれますよね。

“ブックガイド”宮田愛萌

宮田 『しろがね』はなんで石見銀山を舞台にされたんですか。

千早 偶然旅行で訪れたとき、現地のガイドさんに聞いた、石見の女性は三人の夫を持ったという話に興味をひかれたんです。人生で三人も好きな人を看取るのはどんな感じだろうと思って書きました。今までと異色な作品なので、『しろがね』から入った人が他の作品をどう捉えるか不安はあります。

宮田 でもやっぱり表現とかは千早さんのカラーなので、この雰囲気が好きになったら、全部めっちゃ好きになると思います。

千早 そうですか? これを読んだあとに『男ともだち』とかの現代ものを読んだら「えっ」となりそうで。

宮田 確かにびっくりするかもしれませんね。『しろがね』の次は現代ものにいきなり行くより、『魚神』とかを読むのがいいかもしれないです。

千早 すごい、ブックガイドみたいになってる!

宮田 はい(笑)。ファンの方に、これを読んだんだけど次は何がいい? と聞かれるので、その次はこれかな、みたいな話をいつもしていました。

千早 ありがたいし、心強い(笑)。宮田さんはどの作品が一番お好きなんですか。

宮田 うーん、どれも大好きだから悩みますね……。でも、千早さんのナンバーワンをあえてあげるなら『魚神』です。以前「ダ・ヴィンチ」さんの好きな本を語るというテーマでインタビューを受けた時にも好き勝手に語らせていただきました。

千早 アイドルが勧めるにはなかなかハードですね。娼婦の話ですし。

宮田 そうですね、事務所にもちゃんと確認しました(笑)。あと、初めて読んだ千早さんのご本、『桜の首飾り』は思い入れがあります。

千早 『桜の首飾り』はデビュー前に書いた短編もいくつか入っています。バイトで疲れて帰ってきたときに家でノートに書いたものとか。今回、宮田さんの『きらきらし』を拝読して、この作品を書いていた頃のことをふっと思いだしたんですよね。

宮田 そうなんですか! 手に取ったのは本当に偶然だったんですけど、千早さんに出会った運命の一冊になりました。あの話たちが連作短編として一冊の中に連なっていることが幸せなんです。儚くて、美しくて、気高くて。

千早 嬉しいです。宮田さんは書くのと読むのはどっちが好きですか?

宮田 読む方が好きです。

千早 直木賞の授賞式で、小川哲さんが、最期の瞬間も多分自分は読者でいるだろうとおっしゃっていて、浅田次郎先生もそうだと。でも、私は書きたいんですよね。死ぬ前の視界がどんな感じかとか、息が絶えるその瞬間も可能なら文字にしたい。同じ物書きでも分かれるんだなと思いました。

宮田 読むことによって自分がどういう感情になるかが気になるんです。読み終わった後に、読む前と比べてどう自分が変わったかみたいなことも気になって、いつでも読んでいたいです。

千早 私は書いているときは文体が引きずられてしまうことが怖くて絶対読めない。読めるのは漫画くらいです。

通常帯と候補帯と受賞帯が欲しい!

宮田 『しろがね』の直木賞受賞の帯は持っていなかったので、そちらを今日編集さんにいただけたのが嬉しかったです。通常帯のかかった本は3冊持っていますが、候補帯の本は書店でもすぐ品切れになってしまって。

千早 え、帯が欲しいんですか?

宮田 やっぱりファンとしては、記念なので欲しいなと……。この本を一回目に読んだとき、この本を帯が変わってからまた読んだとき、と思い出せるのも嬉しい。装幀もすごく好きです。

千早茜

千早 ありがとうございます。本当に本が好きなんですね。装幀に口を出さない作家さんもいますけど、私はわいわいみんなで作るのが好きで、編集さんやデザイナーさんと相談して考えますね。

宮田 これ(カバーを外した表紙の絵)がめっちゃいいですよね。

千早 ここは気づかない人が多いから嬉しいです。装幀担当の方が石見の古地図を元に描いてくれました。

宮田 そうなんですか! カバーを外したらまた別の本みたいで良くて。

千早 『西洋菓子店プティ・フール』の文庫も、題字は挿画の西淑さんに書いてもらいました。友人なのですが、既存のフォントがどうしても作品に合わないと相談したら、「やってみるけん」と。ありがたかった。

宮田 めちゃめちゃかわいいです!

千早 装幀にも色々思い出があるから、そう言ってもらえて嬉しいです。

宮田 装幀が凝った本って、手に取った感じも全然違うじゃないですか。手触りとか。そこがいいんですよね。

千早 尾崎世界観さんは匂いが違うと言っていました。あと、小説家になる前から好きだった川上弘美さんの装幀をよく手がけていたデザイナーさんに本を作ってもらえるようになったのが嬉しかったです。『透明な夜の香り』もそうで。今度続編が出るんですよ。

宮田 はい、それを聞いたとき、踊りました! リビングで一人喜びの舞を踊って愛犬に吠えられました(笑)。

執筆は文字数との戦いの連続!

千早 『きらきらし』の中の五篇は、どれくらいの時間でどういう順番で書かれたんですか。

宮田 かつかつのスケジュールで、三ヶ月ぐらいで書きました。「坂道の約束」は本当に一日で書いて。「紅梅色」は元の原稿がすっごい長くて、今の二倍半ぐらいありました。書いた順番は、「ハピネス」「紅梅色」「坂道の約束」「好きになること」「つなぐ」です。

千早 ありがとうございます。上から目線のようで本当に申し訳ないのですが、読んでいてだんだん上手くなっていると思ったので、書いた順番が気になっていました。納得です。「紅梅色」はなぜ短くしたんですか?

宮田 ページの関係で……(笑)。事前に文字数はいただいてたんですけど、終わらなくて、どんどん長くなっていってしまいました。一番大変だったのは文字数を削ることでした。千早さんはどうされているのですか。

千早 私は文字数によって物語の構成を考えるので、短編を途中から大きく削るのは結構難しいですね。二〇~三〇枚だったらそれに見合った切り口からスタートするし、五〇~六〇枚だったらこういうスタートと変えるので、短くするなら全部書き換えないといけなくなります。「短くしてください」と言われたら「書き直します」って言うと思う。

宮田 これ実は、全部登場人物がちゃんと繋がる予定だったんですが、文字数の関係でなくなっちゃったんです。本当はもう一篇プロットもあったんですけど、入らなくて。

千早 えっ! もったいない! でも、宮田さんはちゃんと相手の要望に応えようとするんですね。

宮田愛萌

宮田 そうですね、中高の頃は校則を破ったこともなかったです。でも少しずつ好きなことをできるようにチャレンジしていくようになって。

千早 ルールを少しずつ超えていくという強かさがいいですね。

宮田 大学時代、日向坂46の活動で休みも多くて、出席がちょっと足りない授業もあって、教授に直談判したんです。その時に教授から、その分追加で二〇〇〇字以上の読んで面白いものを書いてきてと言われて、レポートに小説をつけて出したりもしました。

千早 そうか、大学に行きながら仕事されてたんですよね。万葉集を学んでいたと。

宮田 そうなんです、専攻が万葉集で。

千早 『きらきらし』の和歌の訳がとても素直で。和歌は二重の意味があったり、時代背景や人物関係を考えると違う意味が出てきたりとすごく思わせぶりな世界のイメージなんですけど、この作品は若くて瑞々しくてまっすぐできらきらしていて、それが訳にも現れているなと思いました。

宮田 ありがとうございます。

千早 写真の方も登場人物になりきっているように感じました。

宮田 今回、小説+写真という構成にしたので、写真は登場人物をちょっとイメージしています。私の写真集、みたいな感じにはあんまりしたくなかった。物語の世界観を崩したくないから、その作品をイメージして撮っていただきました。

千早 写真の中ではネイルが好きな子とかもいて、演じ分けているのかなと楽しく拝見しました。ぶりっ子キャラとよく言われると聞きましたが、ぶりっ子も演じているんですか。

宮田 いえ、ぶりっ子は元々中学生のときからずっと「ぶりっ子」「あざとい」と言われていました。私は褒められていると思っていたので、あとから親に、それってあんまりいい言葉じゃないよ、と言われて、そうなんだ、と。

千早 すごい、素直ですね。清らか。そこで全然悪い気持ちにならない健やかさや強さがまぶしい!

宮田 そうですね。私を形容するのに一番ふさわしかったのかなと(笑)。

千早 「あざとい」はお仕事的には最高だったのでは。

宮田 はい、そうですね。「あざとい」や「ぶりっ子」の様子は、褒めていただくことが多かったです(笑)。

アイドルっぽくない渋い和歌

千早 最後の「つなぐ」の和歌は、この世の虚しさみたいな和歌ですよね。選んだ五首の中で一番アイドルっぽくない、渋い歌だと思いました。今回、小説を書くときは先に万葉集から和歌を選んだんですか。

宮田 先に和歌から選んで、お話を考えました。「つなぐ」が一番思い入れのある話です。読んでくださった方が万葉集を好きになってくれたらいいなと思って、登場人物の書いた日記の部分に、私が普段思っている万葉集の魅力を詰め込みました。万葉集は相聞歌(恋愛の情などを伝える歌)が多いけど、魅力はそこだけじゃないと主張したくて和歌も挽歌(人の死を悼む歌)を選びました。

千早 日本の和歌はぜんぶ恋愛、みたいに言われがちですもんね。和歌が好きだとずっと公言していたんですか?

宮田 はい、私のファンなら万葉集は読んでね、ぐらいの感じで(笑)。

千早 四五〇〇首ありますもんね。そこからピックアップするのですら大変。実は、私の名前は万葉集からの命名なんです。母親が「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」の歌が好きで。大人になってからどういう歌だったのか調べたら、結構曰くありげな一首で、なんでこれにしたんだろうと考えちゃいました。

宮田 本当ですね(笑)。

千早 「つなぐ」は最後まで書ききってない感じが良かったです。主人公がこの日記を読んで自分の道を見つけるとか、日記を読んだから万葉集が好きになったとかだと、すっきり終わるけどあんまりニュアンスが残らない。自転車を漕いで終わるという感じがすごい好きでしたね。

宮田 本を読んでいて結末が決まっちゃうと、そこから先の道が一本しか見えないと思うので、他の道があったかもしれないという読者の想像に委ねるのが和歌を読み解くのと似ているような気がして、そういう話がいいなと思っていました。

千早 私は好きな感覚でした。例えばエンタメの作家さんだとバシッと伏線を回収して終わらせることも多いし、それはカタルシスがあるけど、「つなぐ」のように読み手の自由が残っているセンスはとてもいいなと感じました。これからも小説を書いていこうと思いますか。

宮田 書けたらいいなと思っています。出版に至るかは別ですが、いつでも物語を書くのが好きなので、生涯続けていけたらいいなと。

千早 一番早く書けたのは「坂道の約束」なんですよね。これに私の作品が出てきて、「わあ」と思って(笑)。

宮田 はい。実際に私が図書館に行って手に取る感覚をそのまま入れました。中学生のときに、図書館で本を手に取っていたのを再現する感じで。

千早 宮田さん自身の感覚がいっぱい入った作品集なんですね。

宮田 そうですね。この本を読んでくださるのはファンの方も多いと思うので、みんなが喜ぶようなところがあるといいなと思いました。

ルールを超えて自由に書いてみる

千早 気になっていたんですが、五篇の主人公は全員若い女性ですよね。男性主人公を書いてみたいとかはないんですか?

宮田 男性と話したことがあまりないので、男の人の感覚がわからないんです。見ている世界が違うんだろうなと。書いてみたいけど、難しい。

千早 たとえば男性とか老人とか子供とかを書いて、そんな子供はいないと誰かに言われても、別にその人が全世界の子供を知っているわけではないので気にしなくていい。宮田さんはすごく文章が綺麗で、透明感もありますよね。きらきらしていて、澄んでいて。描写が瑞々しいので、悪い気持ちや人に言えないこと、こんなこと書いちゃうんだ! と読者を裏切るようなことをしても破綻しないと思います。あとは、自分とは離れた人間を主人公にして書いてもいいかも。おじいちゃんとか、自分より三〇センチ背が高い人ならどんな世界なのかとか、想像するのは楽しいですよ。

宮田 やってみたいです!

千早 『きらきらし』の中の少女の外見の描写など、空気感が伝わってきます。季節感、肌触りが書けていると感じました。さっきも言いましたが、基本的に文章はすごく綺麗なので、本当に長いものを書いた方がいい。主人公の性格とかを一行で書いてしまうのではなくて、描写を重ねて書くほうが、良さが出る気がします。

宮田 千早さんにそう言っていただけてすごく嬉しいです。

千早 でも今回は枚数がそんなに限られていたなんて、大変でしたね。今度は自由に書いてみてほしい、書かせてあげてほしい、本当に。自分のイメージの世界を、好きな枚数で書いてみたらいいと思います。

宮田 はい! 「あと何文字削らないといけない」とか、文字数のルールの中で、パズルのように削っていました(笑)。でも逆に最初にこれを経験したから、今後何かあっても大丈夫だなと思えます。

千早 タフ!(笑) 宮田さんならルールを軽やかに破る、かわいい不良になれるはず。今日はありがとうございました。

宮田 こちらこそ、本当にありがとうございました。

(ちはや・あかね 作家)
(みやた・まなも 作家/タレント)
波 2023年4月号より
第168回直木三十五賞受賞時掲載

胃が合うふたり 直木賞受賞編

千早茜新井見枝香

食への偏愛と胃袋の大きさで繋がる「ちはやん」と「新井どん」。大ニュースが舞い込んだ時、ふたりは何を食べ、どんな景色を見ていたのか。大好評Wエッセイ集 緊急番外編!

新井見枝香 Mieka Arai

 お客様から在庫の問い合わせを受けた書店員は、「ある」とも「ない」とも、即答してはならない。接客業としてお客様に対し、間違ったことをお伝えしてはいけないからだ。すぐ目の前に現物があれば別だが、あの棚にあるだろうと思ってもない場合はあるし、その逆も然り。検索データも、ミスやズレがないとは言い切れない。ない可能性が高くとも、あるかもしれない可能性を捨てずに思い付く限りの場所を探し、あの手この手でデータを検証し、それでも見つからなければ、お待たせしたことをお詫びした上で、ようやく状況をお答えする、私はずっと後輩にそう教えてきた。
 だから、ひとり暮らしのアパートがどんなに狭くても、赤いボストンバッグがない、ということを簡単には決められない。思わぬところに仕舞い込んだのかもしれないし、そもそもあったというのが思い違いかもしれない。経験上、自分の記憶ほど信じられないものはないからだ。あのボストン、どうしたっけ? と思い出したのは、最後に見た記憶から十日も経った頃だった。そんな薄ぼんやりした人間のことを、誰が信じられるだろうか。その後の記憶は、ぷっつりと途絶えている。帰りに立ち寄った焼き鳥屋に確認するも、そんな忘れ物はないと即答され、そもそも焼き鳥屋に持って入らなかったのではと、食事を共にした人に確認するも、持っていたようないないような、という酔っ払いらしい回答しか返ってこない。こんな記憶喪失みたいな私に言われたくはないだろうが。そうこうしているうちに数日が経ち、恥を承知で警察に電話をかけようとスマホを手にしたところでふと思い立ち、ダメ元で運送屋さんに訊ねてみることにした。さすが某大手運送会社、送ったかどうかも定かではないという、ふざけた問い合わせにも「ない」とは即答せず、探してみるとのこと。接客はこうでなきゃ。しばらくして、そのような荷物が発見されたので確認してほしい、と折り返しがあった。そして申し訳なさそうに、こう付け加えたのである。
「中から液体が漏れているようですが、何かお心当たりはございますか」
 そういえば、飲みきれなかった三本の「モンスター」、あれどうしたっけ?
 十日前といえばストリップ公演の最終日、最後の出番を終えた私は、大量の荷物を特大の段ボールに詰め込んでいた。それでも入りきらない荷物は赤いボストンバッグにまとめ、ついでに送ってしまおうと、ほとんど無意識に着払い伝票を括り付けたらしい。段ボールだけは予定通り配送されたが、もうひとつの荷物は途中で伝票が抜け落ち、営業所で迷子になっていた。そこで「あれ、もうひとつの荷物は?」と思いもしなかった私は相当重症である。ボストンの中身は、演目ひとつ分の衣装と、飲みきれなかったエナジードリンクであった。何らかの圧で缶が破裂したのだろう。そんなことより、ないことが確定されない日々のほうがよっぽど辛かった。運送屋さんがボストンを持って来たときは、とにかくその状態から救ってもらえたよろこびでいっぱいだったのだ。荷物はビタビタでも手元にはある。クレームを恐れる配達員さんは、怒り出すどころか笑顔の私を、不審そうに見ていた。
 あるのかないのか、はっきりしない状態は私を鬱屈とさせる。この衣装はいつか着るのか着ないのか。しかし着ないと自分が決めれば、金輪際着ないのであり、それなら捨てても良い。できるかできないかわからないのではなく、自分でやらないと決めれば、一生やらない。書店のお客様だって、ない可能性が0にならなくても、延々と待たせたらイライラしてしまう。ある程度で打ち切って判断するのも、書店員には必要なスキルだ。不甲斐ない自分をお客さんと思って、ないと決めてあげなくてはならない。
 それで、しばらく返していなかったメールも、ズバーンと送信することにした。こちらも「ない」を決められずに、先延ばしにしていた案件だ。
 あの書店でやれることはない。私にはどこを探しても、やる気がない。だから契約更新はしない。日比谷の書店が閉店して、同チェーンの渋谷店に籍を置いていたが、もう働かないことにした。誰かが辞めさせてくれればいいのにと思っていたが、やっぱり自分で決めるしかなかった。ただの逃げではないのか、後悔するのではないか、それを絶対にないと言い切ることができずモヤモヤしていたが、あースッキリした! 嫌なことはやらないのが私である。
 千早茜の『男ともだち』が直木賞を獲らなかったから「新井賞」を作った。それが思いの外、反響を呼んで、直木賞候補であるかに関係なく、いちばん面白いと思った作品を、半年に一度、選び、発表し続けた。自分の売場で売りたい本を売るための方法として、その時はそれが最適だったのだ。ところが日比谷の書店の閉店が決まり、自分が責任を持つ棚はなくなり、それを続けることができなくなった。しかし、本当にできないのだろうか。書店員としての慎重さで、一年経ってもまだ答えを探し続けていた。そこへ、直木賞受賞の報せ。以前から決めていたわけでは全くない。願掛けのように続けていたわけでもない。ただ物事には終わるタイミングというものがあり、それがたまたま大きなよろこびとともに、ふと訪れただけである。まるで探していた本をお客様自身が見つけてくれた時のように、スッと終わった。
 私と彼女は、人生のリズムのようなものが同期しているのではないかと思う。作家としてデビューしたのと、私が書店員になったのと、直木賞を受賞したのと、新井賞が終わるのと。次の節目は何だろうか。楽しみでしかない。
 受賞記者会見は、渋谷のつくね屋のカウンターで見ていた。踊り子の姐さんに誘われて一緒に入ったのだが、姐さんは店内で行われるショーに出演するため席を外し、私はひとりでのんびり飲み食いしていたのだ。白木のカウンターに立て掛けた小さな画面の中で、全然上手く笑えていない彼女が可笑しい。同じクラスにいたら、真っ先に声をかけたくなるタイプだ。何だか無性にちはやんのおにぎりが食べたくなり、代わりにマスターに握ってもらった。具はもちろん、ウメだ。
 会見の言葉は料理の音にかき消され、聞こえたり聞こえなかったりだったが、ちはやんが最後に、少し早口で残した言葉が耳に残る。順番を前後して焼き上がったつくねを肴に、日本酒を飲みながら考えた。私にとって彼女の受賞は、自分に起きる出来事でこれほどうれしいことはあるだろうか、というほどうれしい出来事であった。あの賞は、受賞者本人よりも、作者やその作品が好きな人をめいっぱいよろこばせるためにあるのかもしれない。それなら、彼女の言う「いいことがあったら悪いことが起きるんじゃないか……」という心配は、何もせずに幸福を受け取った我々こそするべきだ。
 受賞のニュースが落ち着く頃、十年に一度と言われる大寒波がやってきた。めちゃくちゃ寒くて死にそうである。悪いことというのは、もしやこれのことか。しかし中には、その寒さが辛くない人もいる。逆に寒さで風邪をひいて最悪な人が、直木賞のニュースをよろこんだとは限らない。つまり出来事は出来事でしかなく、他の出来事との因果関係はあっても、人間の幸不幸とは無関係だ。止まない雨はないのと同じで、いいことも悪いことも続かない。
『しろがねの葉』は、受賞しようがしなかろうが、私の中での価値も、よろこびも、変わらない。ひとつ違うとすれば、何回かにわたって、直木賞受賞祝いだなんだと、特別においしいものを食べることができる、という点だ。胃が合う我々、連載が終わった、新刊が出た、春が来た、京都に来た、となにかにつけて、おいしいものを食べてきた。さて、一生に一度、あるかないかのドデカい賞、何を食べようか考えただけで目眩がする。おいしいごちそうを食べたあとに、いろいろ考えて落ち込む人もいるだろうが、我々はおいしかったなら、後悔などしない。そこだけは共通のポジティヴ。少なくとも私にとってこの出来事は、晴れのあとに晴れ、いいことを呼んでくるしかないのである。

Akane Chihaya 千早茜

 去年の師走、まだ眠い朝の八時半、ぽっかり空いたままの新幹線の隣座席を眺めていた。
 新井どんが隣同士で予約してくれた席だ。けれど、しれっと来ない可能性は大いにある。彼女にはいつでも確約というものがない。たとえ京都行きの安くはない新幹線代が無駄になったとしても。あれはそういう、いきものだ。ふらっとどこかへ行ってしまいそうな危うさと読めなさをいつもまとっている。
 新井どんと待ち合わせをするスリルをひさびさに味わっているな、と思った。スリルといっても、来なかったら来ないで私はひとりでも京都を満喫できるのだが。なんせ人生の半分を過ごした地だ。生粋の京都人には眉を顰められそうだが、京都へは「帰る」という感覚が近い。ああ京都、と思慕の念に駆られていると、「うえーい」と低い声がして新井どんがどさっと隣の席に座った。まだ朝の顔をしている。
「おはようさん」と言って金沢土産の能登栗きんつばを茶とともに差しだす。十一月にイベントの仕事で金沢に行って、その土産も直接渡せていなかった。新幹線が走りだす。新井どんと、持参した菓子をどんどん食べながら他愛ない話をした。こうして並んでだらだら話すのはひさしぶりだった。
 去年はタイミングが合わないことが多かった。新井どんは踊り子の仕事で東京にいないことも多々あり、いたとしても私の仕事が忙しくて会えなかったりストリップ劇場に行けなかったりすることが続いた。二人の誕生日のある夏には私がコロナに罹ってしまい、合同誕生会はずいぶん遅れて開催した。私は体力のいる物語と取っ組み合っていて、持病の治療もあった。
「なかなか会えんな」「ひさしぶりだな」と言い交わしても、会えばいつも通りなのが良かった。帰りたいと思えば帰るし、別行動をしたくなればさっと散る。京都への旅も、冬の好物である蒸し寿司を食べ、パフェ店や喫茶店をはしごして、馴染みのビストロとバーに行ったあと、新井どんはふらりと姿を消した。私はホテルに戻って、ちょっとした雑務を片付け、持参したハーブティーを淹れて、明日に食べるパフェに向けてネイルを塗りなおしていた。日付が変わる頃、新井どんは上機嫌で帰ってきて「あー、さっぱりしていいねえ」と私の淹れたハーブティーをぐびぐび飲み、蜜柑をもりもりと食べてオレンジ色の皮の山を作った。私は、先に風呂に入り、先に寝た。早朝に起きると、テーブルの上はきれいに片付けられていた。
 喫茶店モーニングをはしごして、我々が愛する「いづう」へ行き、夕方まで食べまくり遊びまくった。一緒に東京に戻るかと思ったが、新井どんが大阪のストリップ劇場に顔をだしてくると言う。そういえば、彼女にしてはめずらしく手土産を買っていた。「おう、いってらっしゃい」と別れた。帰りの新幹線で小旅行を思いだし、相変わらずだなとちょっと安心した。
 実はこのとき、私にはもう直木賞候補の連絡がきていた。ただ、公式発表までは担当編集者以外には他言しないようにと告げられていた。しかし、どこからか情報は漏れるもので、出版業界のあちこちの知り合いからメールがくる。「ノミネートされたとか」とストレートに聞いてくる人もいれば、「良い報せを聞きましたが」とまわりくどく探りを入れてくる人もいる。正直、困った。言うなと言われていることを言いたくないし言わせないで欲しい。書店員の知人たちには特に言えない。仕入れをする際に不公平が生じてしまう。もちろん信頼している書店員は決して尋ねてはこない。
 いくつわらじを履こうが、新井どんも私にとっては書店員だった。最初は書店員と小説家として出会ったのだ。私とほぼ同じだけ、文芸出版の世界にいるのだから、候補者には先に連絡がいくことも知っているだろう。でも、彼女はなにも訊かなかったし、候補者が発表されても「なぜ教えてくれなかった」とくだらないことを言ったりもしなかった。思えば、新井どんが「新井賞」を作り、第一回受賞作を『男ともだち』にしたときも、私はそれを彼女のツイートで知った。新井どんが私に直接伝えることはなかったし、言われたとしても私は「そうなんだ」としか返さなかっただろう。作者として嬉しい気持ちはあったが、面白いことをするな、とどこか他人事のように眺めていた。
『男ともだち』が直木賞の候補になったのは2014年のことだった。もう八年も経ったのか、と数えてみて驚いた。新井どんに二週間会っていないだけで「ひさしぶり」と思うが、八年ぶりの直木賞候補には思わなかった。賞とは必ず出会えるものではないから。賞とは自分以外の誰かの評価で、私はそこにあまり自分の感情を寄せたくはなかった。それは新井賞でも変わらない。そして、この八年、私は常に目の前の作品で手一杯だった。食エッセイという慣れないジャンルに挑戦したり、共作をしたりもした。『胃が合うふたり』もそういう試みのひとつだ。新井賞は『男ともだち』以降も続いていた。読んだ作品もあれば、読んでいない作品もある。書店員である新井どんの職場だった「HMV&BOOKS日比谷コテージ」が閉店するちょっと前から新井賞が発表されなくなっていたのは気づいていたが、なにも言わなかった。
 年末も正月も新井どんは踊り子として劇場に立っていて、めずらしく別々の大晦日を過ごした。私は築地に赴いて極上の削り節や利尻昆布を求め、毎年のように二種類の雑煮を作ったが、新井どんは食べにこれなかった。新井どんが必ずお代わりする京風雑煮はちゃんと京都で買ってきた白味噌を使った。今年もお互い忙しくなりそうだな、と思った。それはとてもいいことだ。
 疲れると、ふらりと会った。蒸し料理の店で好きなものをどんどん頼みながら「きりたんぽ鍋、食べてみたいんだよね」「じゃあ、行こう」「東北に?」「銀座にある。ただし、なまはげがでてくる」「静かに食べたいから追いはらってくれん?」とくだらない話をしつつ、「まあ、直木の結果がでてからだな」と約束をすることなく、いつもそこで終わった。気にしすぎないように気にしていた。
 そして、選考会の日、私は担当編集者たちと新潮社クラブという神楽坂の古民家に集まっていた。前日から体調が悪かった。大事な日はだいたい体調が悪い。基本的に間が悪い。担当編集者たちがカツサンドやわらび餅やクッキーなど、美味しそうなものをテーブルに並べた。私は彼女たちのリクエストでおにぎりを作っていった。他人のにぎったおにぎりを食べられない私はなんとなく畏怖の念を覚えながら、おにぎりをぱくつく担当者たちを眺めていた。塩むすびに焼きたらこ、一個だけ『しろがねの葉』の主人公ウメにかけて梅干しを入れていた。こたつで丸くなって茶を淹れ、薬を飲んでおこうとおにぎりに手を伸ばした。中は梅だった。当ててしまった。自分の好きな梅干しに、かために炊いた米、海苔も取り寄せている有明海のものだ。うまい、と思う。私の「うまい」に沿う完全なおにぎりだった。
 時間をかけて中国茶を淹れ、みんなに配り、茶器を片付ける。薬が効いて眠くなってきた頃に選考結果の電話がかかってきた。「ありがとうございます。すぐ向かいます」と電話を切ると、歓声があがり、そこからはもう嵐のようだった。どんどん祝いのメールやメッセージがくる。スマートフォンは震えっぱなしで、通知がすごい数になっていく。記者会見の合間や移動中に返信するが、まったく減らない。むしろ増えていく。「おめでとうございます!」に「ありがとうございます」を返していく。ずっと、ずっと「ありがとう」「ありがとうございます」を打ち込み続ける。だんだん恐怖を覚えてきた。この受賞によってそんなに自分は誰かの世話になってしまったのだろうか。感謝ってこんなにしていいものなのか。言うたびになにか削られやしまいか。そもそも「おめでとう」に「ありがとう」は正しい返事なのか。「ありがとう」ってなに? 「ありがとう」のゲシュタルト崩壊を起こしかけていたとき、新井どんからLINEメッセージがきた。私のエッセイ『わるい食べもの』のイラストで作った「乾杯!」のスタンプひとつだけ。反射的に「おうよ!」と返していた。それがなんの気遣いもない心の声だった。
 祝いと称して豪遊しようぜ、と返して、すごく気分が晴れ晴れとした。まずは新井どんと「資生堂パーラー」でパフェを食べて銀座で馬鹿みたいに遊ぼう、と思った。ネガティブな私は良い変化にも悪い変化にも弱いけれど、彼女との遊び場がある限り笑っていられる。
 後で、新井どんのツイートを見ると、その晩、彼女も梅のおにぎりを食べていた。さすがは胃が合う友。そして、わざわざそれを伝えてこないところがいかにも新井どんだった。
 さて、胃が合う友よ、祝いになにを食べようか。

(あらい・みえか エッセイスト/踊り子/元書店員)
(ちはや・あかね 作家)
波 2023年3月号より
第168回直木三十五賞受賞時掲載

「無の世界」の美しさを描いて

村山由佳千早茜

同じ新人賞からデビューした先輩と後輩。でも創作に関しては、フラットに敬意を抱き合うふたりが歴史を書く重さと苦闘、その果てにある喜びを語り合います!

千早 今日はここに来るのが怖かったんです。担当編集者以外から『しろがねの葉』の感想を面と向かって聞くのは、この対談が初めてなので。

村山 なるほど、気持ちはわかります。

千早 わたしの中で、村山さんは〈微笑む鬼〉なんです。普段は菩薩のように優しいのに、小説に関しては震え上がるほど厳しい。なので「読んでいただきたい」と「逃げ出したい」の狭間で数日前から身悶えしていました。

村山 光栄です(笑)。でも、お世辞抜きに『しろがねの葉』は最初から最後までのめり込むようにして読みましたよ。知り合いの書いた作品を読むと、その人の顔や声が浮かんでなかなか消えてくれないこともあるのだけれど、この作品は冒頭から物語それ自身の声が聞こえてきて一気に入り込んだ。

千早 うう、嬉しいです。

村山 それを可能にしたのは、やはり千早さんの文章の力だと思う。味わいがあって一行たりとも読み飛ばしたくなかったし、行きつ戻りつしながら行間まで堪能したので、集中力と体力を二冊分は使った感じがします。それぐらい密度の濃い作品よね。

千早 濃いですね。全部で三二〇頁なのに五〇〇頁くらいに感じます。私も担当編集者もゲラ直しのたびに疲労困憊しましたし、下手くそなのかなと不安になっています。

村山 まさか。読む前の私は、小説の舞台となった石見銀山について何も知らなかったけれど、最初の数ページで書き手を信頼して、与えられる情報を全部受け取ろうと集中した。そうやって受け取った情報の一つ一つが後できちんと物語を面白くしてくれて、ますます引きこまれた。結果、二冊分楽しんだ、という意味です。誉めてます。

千早 ありがとうございます、ほっとしました。私にとって初の時代小説で、掛け値なしの挑戦作なのですが、実は構想は十年以上前からあったんです。

村山 そうそう、今日はそれを聞きたかったの。どうしてこの小説を書こうと思ったのかを。

千早 デビュー間もない頃、旅行のついでにたまたま石見銀山に立ち寄り、ガイドの方から「銀山の女性は三人の夫を持った」という話を聞いたんです。女たちが結婚を繰り返すぐらい、間歩(銀山の坑道)で働く男たちの寿命が短かったという喩えらしいのですが、この言葉に触発されて、シルバーラッシュ最盛期を迎えようとしている戦国末期から江戸初期の石見銀山を舞台に、三人の男を愛し、看取った女の物語が立ち上がってきました。

村山 じゃあ、もともとは偶然の出会いから始まったのね。

千早 はい。ただ私は五十代になって筆力がついた頃に書くつもりだったんですよ。でも新潮社の担当編集者に「なんで? いま書けばいいじゃない」と言われ、気づいたら連載と取材日程を決められ、今日に至ります。

村山 そりゃ編集者はいつだって「いま書け」と言うに決まってますよ(笑)。

千早 連載は私の作品としては最長の一年半に及びました。いまは受験を終えたような気持ちでヌケガラです。

産んだ子だけど許せない!

村山 主人公のウメは幼い頃に天才山師の喜兵衛に拾われ、間歩で働き始めますね。銀掘の男たちから女であることをバカにされ、女らしく生きろと言われて猛反発する一方、男を求め、男に慰められもする。そうした彼女の矛盾や弱さをありのままに描くことで、人間の生を丸ごと肯定してくれたような安心感を読者としては覚えました。

千早 よかった! ウメは男を支えるタイプに設定しようかとも考えたんですが、次第に女人禁制の間歩に入らせたいと強く思うようになりました。間歩の内部も、初潮を迎え、間歩を出た彼女の女としての人生も描ける。そうして、間歩に惹かれ、間歩を追われ、最後は自らが間歩となって男たちを受け容れるウメという女が誕生しました。彼女は生命力の塊なので、書くたびにへとへとになりました。

村山 妊娠していても野山を駆け回る野性味満点な子だものね。けれど意外にあなたと似ているなと思った。偏屈なところとか。

千早 えっ! ウメは私から一番遠い人間ですよ。あの人の衛生観念のなさ、ありえませんから!

村山由佳

村山 衛生観念って……戦国から江戸という時代設定だもの、仕方ないでしょうに。

千早 仕方ないけれど、許せないものは許せません。山中をさまようウメが沢蟹を潰して食べる場面は、「ひぃ、寄生虫……」と思いながら書きましたし、裸足で山を歩く場面も、「抗生物質ないのに! ケガしたらどうする!」とイライラし通しでした。

村山 やっぱり面白すぎるわ、この人(笑)。そのウメと交わる三人の男たちの造形も良かったですね。豪放な山師の喜兵衛、対等にぶつかり合う幼なじみの隼人、ウメを崇拝する年下の龍。それぞれ魅力があって。

千早 誰が一番お好みでしたか?

村山 私は断然、ヨキ推しなんです。喜兵衛の影としてストイックに付き従いながら、いざとなれば冷酷になれるあのニヒルさ。たまりません。

千早 わかります。私もヨキは好きです。担当編集者は『しろがねの葉』は官能の薫りがすると言うんですが、その辺りはどうでしょう?

村山 もちろん。獣が睦み合うような交歓シーンを、抑えた筆致でいっそ淡々と書いているのが逆に色っぽかった。セックスというより「営み」と呼ぶほうがしっくりくる感じ。

千早 ふふ、やった。以前、村山さんに「あなたは官能性を作品の中に全部置いてきてるんじゃないの?」と言われて、妙に納得した記憶があります。

村山 え、そんな失礼なこと言ったっけ? ごめんね、でも今聞いても我ながら言い得て妙(笑)。

作家が「無」を恐れる理由

村山 今回感心したのは五感の表現、特に匂いの描写には唸りました。血や汗、腐りかけの肉、季節の変化を知らせる空気。わけても印象的だったのがウメが銀の積み出し港である温泉津に行く場面でした。彼女は海を知らないから、「潮の匂い」とは書かない。重く湿った風やサザエの匂いの描写で、読者に海を感じさせるんですね。これは勉強になりました。

千早 匂いに敏感なたちなので、それが反映されているのかもしれません。

村山 匂いが分かることと、それを言葉に翻訳できることは別の能力だと思う。ある文学賞の選考会で大先輩作家が「色や匂い、食べ物の味、着ている服の風合いなどが描かれていない歴史小説は致命的だ」と仰ったことがあってね。ハッとして、それ以来、感覚の言語化を意識するようにしているんだけれど、あなたは初期の頃から自然にできている気がする。才能なのかな。

千早 私は常に、主人公たちの生きている世界の美しさを書きたいと思っているので、そのせいでしょうか。今回の取材でも早朝から銀山の仙ノ山に登って生えている植物を観察したり、間歩の壁の肌触りや空気の冷たさ、匂い、闇の果てしなさを感じたりと、五感をフルに働かせて世界を写し取るのに必死でした。でも、やりすぎたのか、連載初期はこの小説を夜に書けなくて。

村山 夜に書けない?

千早 夜中に間歩の中を想像しながら書いていると、すーっと身体が冷えてきて指先が氷のようになったんですよ。連載後半は夜も書けるようになりましたが、最初は不気味で避けていました。

村山 作品の中に深く潜ったことで身体ごと引っ張られたのね。

千早茜

千早 間歩は無慈悲な場所で、生き物の気配もない無の世界なんです。長い年月をかけて何人もの人がそこに潜り、掘って、死んでいったのに、いまは山の緑に埋もれた「無」があるだけ。穴の中には何もない。作家は自分の頭の中にある物語を言葉に置き換えて残していく職業ですから、私は「何も残らない」光景に対して本能的な恐怖を覚えたのかもしれません。

経験のすべてを生かしてゆく

千早 実は私が『しろがねの葉』を書いてみようと決意したのは、村山さんが婦人解放運動家・伊藤野枝の評伝『風よ あらしよ』(2020年刊)を書かれたことに背中を押されてなんです。私も村山さんに続いて歴史を書こうと考えることができた。今日は『風よ あらしよ』の話もさせて下さい。

村山 分厚いこれを「赤い鈍器」と名付けてくれたのはあなただったよね。

千早 連載中にはあまり読まないようにして、本になってから一気に読んだんですが、構成からしてじつに巧みですよね。野枝とアナキスト大杉栄の平穏な家族の一日から始まって、最後にそこに戻ってくることで野枝の人生を追体験した気分になるし、間に展開される二十の章がすべて、野枝と野枝以外の人物の二視点で描かれているので一章一章が短編のようでもあり、資料や手間の膨大さを想像すると思わず眩暈が……。

村山 まあ、大変でしたけれど、やりやすくもあったんですよ。野枝本人の書いた文章や登場する記事が豊富に残っているし、知り合った人たちも平塚らいてうや後藤新平など著名人が多く、資料が入手しやすい。何より彼女の生涯は二十八年という短さでしたから。

千早 私はウメの誕生から死までを愚直に追う形式にしたのですが、もっと凝った構成にする手もあったのではと、書き終えてからも悩んでいます。

村山 すでに答えの出ている実在の人物を書くのと、架空の人物を一から書くのとでは大変さの質が違いますよ。私にしてみれば、ゼロからフィクションを積み上げて世界を作った千早さんに脱帽です。それに評伝や実在の事件・人物をテーマにした作品は年を取っても書けるけれど、大がかりなフィクションは絶対に体力のあるうちに書いたほうがいい。

千早 ということは、いま書いておいて正解だった?

村山 大正解ですとも。

千早 そう言って下さると心強いです。そもそも村山さんはなぜ伊藤野枝を書こうと思ったんですか?

村山 編集者に村山さんと重なる人物だからと勧められたんです。野枝は人として好きなタイプではないのですが、ダメ男だとわかっている相手にズルズル踏み込んでいってしまうところは、たしかに他人事とは思えず(笑)。

千早 取り返しのつかない一言を口にしてしまったり、決定的な場面を人に見られてしまったりといった、恋愛中の絶妙に間の悪い一瞬が鮮やかに描かれていて、そこは村山さんの経験の賜物かもと思いました。

村山 それはありますね。大杉が野枝に向かって「僕らは恋人である前に親友であり同志じゃないか」なんて言う場面があるでしょう? かつて私に同じことを言った男がいたんですよ。僕たち恋人である前に親友でしょ、って。

千早 うわー! やることやってなに言ってんだ。

村山 野枝の最初の夫・辻潤のように「俺の背中を踏み越えて行け」と言った人もいて、インテリという人種はいつの時代も同じことを言うんだなと、気づいた時は思わず笑っちゃいました。本当に私たちの仕事は、良いことも悪いことも経験したすべてが生きる。というか、生かさざるを得ないのよね。

千早 私、野枝が大杉とともに憲兵大尉・甘粕正彦によって殺害された際の死因鑑定書を探して読んだんですよ。すると、彼女の子宮がまだ収縮しきっておらず産褥期にあったという生々しい記述があるんですね。そこから村山さんがなぜ、絶命寸前に加えられた暴力によって野枝が母乳を迸らせる鮮烈な場面を書き上げたのかがわかり、資料とはこうして小説に生かすべきものなのだと教えられました。

村山 でもやっぱり資料は資料であって、実地の取材に勝るものはないです。それもよくわかりました。

千早 村山さんの小説は本当に運びが滑らかで、つらい話や官能的な話であっても最後には清らかなものが残るのが凄いところですね。

村山 ありがとう。私自身は滑らかさよりもゴツゴツしたものを剥き出しで提示したいんですけれど、どうも「いい人キャラ」になってしまう。後ろ指を指される覚悟で書いた『ダブル・ファンタジー』ですら、振り切れていないと思ってしまうんですよね。

千早 その「いい人」から、たまに切れ味鋭い辛辣表現が飛び出すじゃないですか。痺れます。特に女性が男性を見限るシーンの酷薄さ! 「さんざん出汁を取った後の昆布のほうが佃煮にできるだけまし」という名文は刺さりました。

村山 男性器を「健康な大型犬の糞」と書いたことも。ひどいね(笑)。

千早 大杉栄が野枝の身体つきを「ぷりぷりこりこりとした肉体」と表現するのも大好き。村山さんの小説にはいつも驚きや「やられた!」があって、背中を追いかけたい先輩がいることは、しみじみありがたいと思っています。村山さんが誇りに思って下さる後輩でいられるよう、恥ずかしい作品を書かないようにしなければ。

村山 それはお互い様です。私も恥ずかしくない先輩でいたいなと思います。先輩というのはおこがましいな。どうかずっと同志でいて下さい。

千早 ありがとうございます。次の挑戦作が出来上がったら、また〈微笑む鬼〉の審判を受けさせて下さいね。

(むらやま・ゆか)
(ちはや・あかね)
波 2022年10月号より
単行本刊行時掲載

編集者の手土産 #02 千早茜 編

美味しいもの好きな作家へ贈る編集者が選ぶ手土産とは?|千早茜 編|編集者の手土産 #02

作家へ手土産を差し入れることの多い編集者は、美味しいお店を多く知っています。作家それぞれの好みに合ったお土産を用意するため、いろいろなお店を知っておくことが大切なのです。そんな編集者たちが、“本当は教えたくない、とっておきの一品”を紹介していくシリーズ。美味しい手土産を口にし、どんどん饒舌になっていく作家が、身の回りのことや新刊の見所などを語ってくれました。
第二回では、自身も数多くの“食エッセイ”を書いている作家・千早茜さんが登場。新刊『しろがねの葉』制作秘話も初公開!

担当編集者のひとこと

 しろがねの葉とは、銀の眠る場所に生えるといわれるシダの葉のこと。本作は、シルバーラッシュに沸く戦国末期の石見銀山で、この葉を見つけた孤児の少女が送った劇的な生涯を艶やかな筆致で描いた長編小説です。
 10年以上前のこと、著者の千早さんは旅行に訪れた石見銀山で「銀山の女は三人の夫を持つ」という言葉と出会いました。過酷な採掘現場で働く男たちの短命さを表現したもので、これに触れた千早さんは、愛する男が自分よりも先に死ぬと分かっている世界で、女たちはなぜ生きることができたのか。いや、私だっていつか必ず死ぬのに、なぜ生きるのだろう。そんな根源的な「生」への問いを抱くようになり、やがて、運命に抗いながらも3人の男を見送っていく魅力的なヒロイン、ウメが誕生しました。
 この小説には「性」の薫りも濃厚に漂っています。「獣が睦み合うような交歓シーンを、抑えた筆致でいっそ淡々と書いているのが逆に色っぽかった」とは「波」2022年10月号に掲載された刊行記念対談での村山由佳さんの言。死の床にありながら最期までウメを求める夫・隼人の姿は、「生」と「性」が生き物を動かす両輪であることを鮮やかに見せてくれます。先ごろ、今期の直木賞候補作にも選出されました。私たちの中にあるはずの野性や本能をも揺さぶる快作です。(出版部・KY)

2022/12/27

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著者プロフィール

千早茜

チハヤ・アカネ

1979年生まれ。2008年『魚神』で第21回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。同作は2009年に第37回泉鏡花文学賞も受賞した。2013年『あとかた』で第20回島清恋愛文学賞を、2021年『透明な夜の香り』で第6回渡辺淳一文学賞を、2023年『しろがねの葉』で第168回直木賞を受賞した。他の小説作品に『男ともだち』『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』『さんかく』『ひきなみ』やクリープハイプの尾崎世界観との共著『犬も食わない』等。食にまつわるエッセイも好評で「わるい食べもの」シリーズ、新井見枝香との共著『胃が合うふたり』がある。

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