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ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2

ブレイディみかこ/著

1,430円(税込)

発売日:2021/09/16

  • 書籍
  • 電子書籍あり

13歳になった「ぼく」に親離れの季節が――「一生モノの課題図書」、完結。

中学生の「ぼく」の日常は、今も世界の縮図のよう。授業でのスタートアップ実習、ノンバイナリーの教員たち、音楽部でのポリコレ騒動、ずっと助け合ってきた隣人との別れ、そして母の国での祖父母との旅――“事件”続きの暮らしの中で、少年は大人へのらせん階段を昇っていく。80万人が読んだ「親子の成長物語」、ついに完結。

目次
1 うしろめたさのリサイクル学
2 A Change is Gonna Come ―変化はやってくる―
3 ノンバイナリーって何のこと?
4 授けられ、委ねられたもの
5 ここだけじゃない世界
6 再び、母ちゃんの国にて
7 グッド・ラックの季節
8 君たちは社会を信じられるか
9 「大選挙」の冬がやってきた
10 ゆくディケイド、くるディケイド
11 ネバーエンディング・ストーリー

書誌情報

読み仮名 ボクハイエローデホワイトデチョットブルー2
装幀 中田いくみ/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 208ページ
ISBN 978-4-10-352682-7
C-CODE 0095
ジャンル 思想・社会
定価 1,430円
電子書籍 価格 1,430円
電子書籍 配信開始日 2021/09/16

書評

ぼくたちは未熟で不器用で、それでもどうにか前を向く

鈴木保奈美

 わあい、「ぼくイエ」パート2が出たぞ、と早速ページをめくろうとして、おっといかん、と自らを戒める。いつの間に、「ぼくイエ」だなんて短縮形で呼ぶようになっていたのだ、わたし。
 2019年にこの本のパート1が出版されて、新聞広告で見たタイトルがなんと秀逸なんだろうと興味を持って読み始めた。やさしい言葉でとんでもなく深いことが書いてあるなあ、と感動していたら、あれよあれよという間に大ベストセラーになり、賞をたくさん取り、著者のブレイディみかこさんはテレビでもしょっちゅうお見かけするようになった。「ぼくイエ」ブーム到来。人の名前も、テレビドラマのタイトルも、流行りのスイーツもすぐに短縮して呼ぶ、マスコミがやりそうなことだ。短縮して、口当たり良く流通させて、すると人々はその言葉の意味を知ったような気になって、その内側を考えなくなる。思考停止。危うく今回も、乗せられるところだった。
 なんたってタイトルが秀逸なのだ。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」。
 人に向かってイエローとかホワイトとか、あまり言うべきではない時代だ。ブラックは、もっと難しい。時と場合によっては、言ってはいけない。アフリカ系と言い換えたりする。それも、どうなんだろうと思うけど。何世代も前からヨーロッパに住んでいて、全然アフリカ系のつもりのない人たちもいるだろうし。そもそもブラックと呼ぶのが憚られるようになったのは奴隷制度を起源とする蔑みの感情が思い起こされるからであろうが、だったらアフリカ系と言い換えても同じことだ。
 どんなに言い換えても、人種は人種だ。その違いは無くならない。皮膚や髪の色だけじゃなくて、骨格とか筋肉の質とか、得意な運動とか不得意な食べ物とか苦手な病原菌とかがあって、それぞれ生息域に適応してきた。違うから驚きがあって、違うから面白い。衝突が起きるからといって呼び方を変えても、違いがなくなるわけではない。
 長くなってしまった。タイトルだ。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」。大人たちが小手先の言葉遣いでうわべを取り繕っている間に、ぼくは軽やかに宣言する。ぼくはぼく自身であってそれは誰かに評価されたり何かにカテゴライズされることではない。まっすぐ、ありのままに。こんなに深い意味を持ったタイトルを流行りのスイーツみたいに短縮して呼ぶなんて、愚かなことだ。
 人種の問題。格差と貧困の問題。性自認や性的指向の問題。ぼくたちの周りには、なかなかにワイルドな状況が出現する。それは外国の、ちょっと田舎のそういう地域だからでしょ、って考えてはいけない。わたしたちの周りも本当はきっと同じようにワイルドなのだ。だけどいろいろなことが、わかりやすくするために短縮されて、みんなわかったようなつもりになって、でもどうせ遠い異国の出来事だからさ、と扉を閉じてしまう。見たくないものを見ないようにしても、それは存在しないことにはならない。給食で食べ残したパンを、教室の机の奥に突っ込んでおいて、そのうち片付けなきゃと思っているうちにカビだらけになって、机ごと処分できないだろうかとうろたえている小学生みたいに。
 ブレイディ家の母と息子は、パンを机の上に出してきちんと見つめる。なんの先入観も持たずに、どんなパンが、どうしてここにあるのだろうと、よく考える。「誰かのことをよく考えるっていうのは、その人をリスペクトしてるってことだもん」と言いながら。そしてよく考えた上で、自分はあんまり好きじゃないなとか、もう少し味見してみたいかも、とか、自分なりの感想を抱き、それに従って行動する。母子がちょっと行き詰まっていると、父が柿の種をボリボリつまみながら、いいかげんに見えて絶妙な助け舟を出したりする。ナイスな連携プレー。
 それにしても彼らの机の上の問題は複雑すぎて、簡単に結論は出ない。それでも良いのだ。現実を醒めた目で見つめて冷静に受け止めること。波風が立つならそれはそれ、波風が立つ日常というものを体験すること。そうやって、「迷いながら手探りで進んでいくしかない」。
 ブレイディみかこさんはわたしよりひとつ年上だ。同世代としてとても親近感を覚える。母親として、子供の学校行事のお手伝いをしたり、部活の応援をしたり、ってところも共感する。だけどわたしは、みかこさんのように政治とか社会問題というところに目を向けてこなかった。労働党と保守党の政策の違いと言われても、一体なんのことやら。異国で子育てをするにあたって、ダイレクトに暮らしに影響がある政治情勢に関心を持つのは必然であった、としても(みかこさんにとって英国は、もはや異国ではないのかもしれないが)。ものを知らないまま子育てをしてしまったなあ、と反省する。そして残念ながらわが娘たちはもうティーンエイジャーの域を脱してしまった。20年前にこの本を読んでいたかったなあ。ごめんよ。娘たち。後悔しつつ、それでも立ち止まるよりは、この本をお手本に「迷いながら手探りで進んでいこう」、と思う。
 若い友人が、出産のため九州のご実家に里帰りしている。無事赤ちゃんが産まれたら、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」2冊を贈ろうと思う。

(すずき・ほなみ 女優)
波 2022年1月号より
単行本刊行時掲載

『2』はつらいよ

東畑開人

『2』はつらいよ。たとえば、ニューヨークに舞台を移した「ホーム・アローン2」のような大成功事例もあれば、『1』で除霊したはずの悪魔が実はまだ生き残っていたという設定で観客に虚無感を植え付けた「エクソシスト2」のような大失敗事例も数多ある。
 優れた『1』があったからこそ、『2』があるわけだが、『1』の物語をさらに豊かにしてくれる『2』もあれば、『1』の思い出を台無しにしてしまう『2』もある。二世議員や二代目社長と同じように、『2』には『2』の孤独な戦いがあるのである。

 というわけで、『ぼくイエ2』。文芸書の『2』というのは非常に珍しいので、発売を知った頃から、私の心にはさまざまな野次馬的憶測が吹き荒れていた。
 ニューヨークに舞台を移すのではないか? 「おおよそレッド」な少年や「大体においてパープル」な少女がクラスに転校してくるのではないか? などと、事前に不吉なことを考えるのも、『2』特有の楽しみではあるのだが、それらはすべて裏切られた。二代目は素晴らしかった。先代が築いた事業をきちんと引き継ぎ、豊かに発展させていたのだ。
『ぼくイエ2』で、少年の心はより複雑になり、葛藤を増している。その結果、彼が生きている世界は広がり、深まっている。だから、私個人としては、「ホーム・アローン」と同様、『ぼくイエ』も『1』より『2』の方が好きだ。

 その理由はいくつもあるのだけど、一番重要なのは父のテーマだと思う。大人になりゆかんとする少年は、世界がいかに存在しているかを、以前よりも現実的に見ようとしている。すると、視界には父の傷つきが立ち現れる。
 たとえば、次のようなシーンがある。ある日、数学のテストに失敗した少年を父が怒鳴りつける。言い訳するな、なぜもっと勉強しなかったのか。だけど、その果てに父は言う。「頼むから、俺みたいにはなるな」
 これが少年を傷つける。「そういうことを子どもに言わなくちゃいけない父ちゃんの気持ちを考えると、なんか涙が出てきちゃって……」。大泣きする。
 かつて発達心理学は思春期を次のような時期として語っていた。幼いころにはスーパーマンのように見えていた親が、社会の凡庸なメンバーであったことを知り、そのうえでその凡庸さの偉大さを知ることで、新しい関係を構築していく。そのために子は強い親と対決しなければならない。
 だけど、少年が目にしたのは、壊れゆく社会によって痛めつけられている父親だった。危機だ。『1』の頃から、少年は学校生活に立ち現れる社会の残酷さについて考え続けてきたわけだが、その破壊が彼自身の家庭にまで及んでいて、深手を負わせていることに気がつくからだ。
「俺みたいにはなるな」。弱くて、傷ついていて、社会の被害者であるのに、深い自己嫌悪に苛まれている父。ならば、そういう社会で誰のように生きればいいのか。このとき、かつてはあった凡庸さの偉大さが失われている。安定した豊かな社会で構築された発達心理学では想定されていない「発達課題」が示されているのである。
 ここにもう一人の父が登場する。著者である「母ちゃん」の父、つまり少年の祖父だ。少年の父と同じように労働者階級であった祖父もまた、かつて「俺みたいにはなるな」と言って、母ちゃんを傷つけた。だけど、その祖父が精神を病んだ祖母のケアを続けてきたことが本書では物語られる。そのことが、少年の心に深い感謝を芽生えさせる。
 少年が感受したのは弱さの中の強さだ。それは傷つきを抱えながらも、傷ついた人をケアできる深い力だ。ここに壊れゆく社会の中で、それでも傷ついた人と人とがつながっていける希望が見出される。それこそが、少年の父にも宿っている偉大さだ。

『2』はつらいよ。子は親の歴史の中に生れ落ちざるをえない。親ガチャの結果として、そして社会ガチャの結果として、子はある。そこには理不尽さがある。だけど、その現実と向き合い、格闘し、ケース・バイ・ケースで自分なりの答えを出すことには報酬がある。葛藤する心は、自分についてのオリジナルな物語を紡ぎだすからである。そういうとき、『2』は豊かだ。
 だとすると、やはり思ってしまう。本書の帯には「ついに完結!」と書かれているが、これは『3』があるのではないか。まだ語られていない物語があるからだ。
 そう、母だ。少年はまだ母ちゃんとの対決を残している。弱くて強い男性と結びつき、自分を生み、育ててきた母。そういうもう一つのストーリーがまだ残されている。
「スター・ウォーズ」みたいなものだ。この家族は3つの物語が絡まり合ってできているのだから、どうしても三部作になってしまうのではないか。と、ファンたちから思われてしまうのも、『2』のつらいところなのである。

(とうはた・かいと 臨床心理士)
波 2021年11月号より
単行本刊行時掲載

「ぼく」とわたしたちの親離れ

塩谷舞

「売れすぎるとヤバい、ちょっといけないところに自分はきている」……というのは、先日のブレイディみかこさんとの対談中、『ぼくイエ』の87万部突破という大記録に触れた際、彼女から出てきた言葉だ。
 2019年6月に刊行された『ぼくイエ』は、日本全国の本屋を黄色く染めた。政治が不安定なとき、市井の私たちはどのように協力し合えばよいのか。思想が異なる相手と、いかにして歩み寄ればよいのか。2020年、疫病によって突然社会の惨状を直視せざるを得なくなった私たちの不安な心に、イギリスで力強く暮らす「かあちゃん」と息子の対話を綴った同書は、そりゃもう激しく響いたのである。社会問題を考えるための入門書としても愛され、迷える多くの読者にとって、著者は図らずも心の「かあちゃん」となってしまったのかもしれない。で、彼女のもとには、「答えを教えて!」という声が殺到したのではなかろうか。
 そんな大ヒット作の第2巻が出るというので、教えを請うような気持ちで読み始めたところ、冒頭に2つの格言が並んでいた。1つ目は「人間の本質についてわたしが本当に知っているたった一つのことは、それは変わるということである。」というアイルランドの詩人、オスカー・ワイルドの言葉。そして2つ目は「ライフって、そんなものでしょ。」というこの物語の主人公、つまり著者の息子である「ぼく」のつぶやきだ。これはのっけから、「なにか期待してもらってるかもしれませんけど、ここに答えはないですよ」とピシャリと私たちに忠告しているようにも読める。
 この本で描かれているのは、中学生の息子が参加する水泳大会や音楽会……の中にも潜む階級問題や人種差別などのタフな現実。渦中で葛藤する「ぼく」を前に、かあちゃんは答えを提示することはないし、息子だってかあちゃんが答えを教えてくれる存在だとも思っていない。たとえば「ぼく」が国語のスピーチを考えるシーンでは、この本の隠れテーマとも言えそうな台詞がちりばめられていた。
 多くの同級生が摂食障害やドラッグ、LGBTQといったある種身近な話題を選ぶ一方、「ぼく」が選んだのはホームレス問題。学校の近くにシェルターができるか否かという現状がある中、そのことを直接取り上げるのは反対派の人たちがいる手前少々角が立つので、彼は遠い日本のトピックを題材にした。それは大型台風が日本を直撃した際、台東区の避難所でホームレスが追い返されたという出来事で、BBCなどでも報じられ、日本人はあまりにも利己的な判断をしていると激しく批判されたらしい。が、本件への「ぼく」の考えは少し異なる。
「ちょっと想像してみて。ものすごい巨大な台風が来ていて、雨風も激しくなって、ここに入れてくださいってホームレスの人が訪ねてきた、その避難所に自分が勤めていたとするでしょ。そこで『ダメです』って言った人のことを僕は考えてみた」
 こうして他人の立場に立つ行為は、前作で「他人の靴を履く」という言葉で表されていたエンパシーそのものだ。彼の意見はこう続く。「……たぶん、その人はそのとき自分のことは考えていなくて、というか、自分のことを考えていたとしても、それは避難所にいるほかの人たちとか、一緒に働いている人たちが自分のことをどう思うかということを考えていて、なんていうか、うまく言えないんだけど、本当には自分のことを考えてなかったんじゃないかな」
 このスピーチは社会を信じること、というテーマに発展していく。が、そんな難題に制限時間たった5分で結論を見出すことは、誰にだってむずかしい。結局、「でも僕たちはそのことを考えるのをやめてはいけない」というありがちな終わり方になってしまい、高得点は貰えないかも……と悩む息子に、かあちゃんはこう返す。「そこまで大きなテーマを選んだんだったら、もう点数なんてどうでもいいよ。すごく難しいことは、バシッと言い切れる結論にはならない。何かを言い切ったほうがエンターテイニングだけど、わからないって正直に終わるのもリアルでいい」
 この台詞に痺れてしまった。SNSに並ぶネットニュースであれ、本屋に平積みされる新刊であれ、バシッと言い切るもののところに人は集まる。けれども、そうやって高得点を取ることより「わからない」と言えることのほうがよほど貴重であると、かあちゃんは示してくれるのだ。
 冒頭にあった「ぼく」の台詞はこう続く。「どっちが正しかったのかはわからないよ。僕の身に起きることは毎日変わるし、僕の気持ちも毎日変わる」「でも、ライフって、そんなものでしょ。後悔する日もあったり、後悔しない日もあったり、その繰り返しが続いていくことじゃないの?」
 需要をさらりと受け流すように、『ぼくイエ』はこの第2巻で完結する。それは思春期に入る息子との関係性に距離が生まれていく中での必然ではあるのだろう。けれども、著者を心のかあちゃんと仰ぎ、安直に答えを得ようとした私のような読者にとっても、「じゃ、あとは各々でね!」と親離れさせられているような気持ちにもなるのだった。

(しおたに・まい エッセイスト)
波 2021年10月号より
単行本刊行時掲載

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大学生は「ぼくイエ2」をこう読んだ

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 2年ぶりの続編『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』の刊行を受けて、「ぼくイエ」シリーズは累計100万部を突破。ありがたいことに、版元にはいまなお連日、感想が届く。特に目に留まるようになってきたのは若い世代からの声だ。彼らがどう読んでくれたのか、直接聞いてみたい――そう願っていたところ、大学生協からお誘いをいただいた。ある日の午後、オンラインで開催された読書会の一部をお届けする。

[参加者]
横浜国立大学 井口愛彩
東京学芸大学 稲井美里
桜美林大学 岩瀬勝
東京学芸大学 川邊ひかり
東京学芸大学 近藤花子
東京学芸大学 高橋徹多
横浜国立大学 田中匠
横浜国立大学 田中太志
東京学芸大学 湯本実果里
大学生協事業連合 射場敏明
(新潮社)
営業部 岡田明久
プロモーション部 佐藤舞
ノンフィクション編集部 堀口晴正

     *

堀口 はじめまして。こうしてお話しできるのを楽しみにしていました。みなさんは「Readers’ Network」に所属しているそうですね。

川邊 はい、首都圏の大学の読書推進サークルによる連合組織です。本を通じて大学の垣根を越えて交流しています。今日はよろしくお願いします。
ぼくイエ』と『ぼくイエ2』を読むと、ブレイディさんの息子さんである「ぼく」がぐんぐん成長していく様子がよく伝わってきました。彼の言葉に深く考えさせられることが多かったです。『2』では特に「社会を信じること」という表現や考え方が印象的でした。

堀口 猛烈な台風のなかで施設に助けを求めてきたホームレスの人に自分ならどう対応するかという話でしたよね。

川邊 はい。自分が所属する集団を信じられるというのは、いつの時代も、どの国のどの場所でも大切なことだと感じました。
 また、「ぼくイエ」シリーズを通して、今、世界で問題になっていることが身近な出来事として語られていることに驚きました。格差や差別、貧困といった社会問題を毎日の暮らしの中で語り合える「ぼく」とブレイディさんの関係が素敵です。親じゃなくても社会課題について語り合える人がいることは良いなと思うんです。

様々な視点で物事を考えること

近藤 私が今まで読んできた海外での暮らし系のエッセイって、この国のここがすごい、みたいなものが多かったんです。イギリスといえばホームズとかビッグ・ベンみたいなかっこいいイメージが強かったんですが、良さだけじゃなくてそこで今起きている問題のような部分――たとえば多様性とか多文化共生とか格差とか、言葉としては知っていることを一歩進んで考えさせてくれる、視野が広がる本でした。

田中匠 現代の「生の」イギリスの状態がリアリティをもって伝わってきました。まず驚いたのが人種の多様性。ハンガリー、ポーランド、インド、アフリカなどなど、ここまで様々な人々によってイギリスが形作られているとは思わなかったです。それが文化的にいい面をもたらすこともあるけれど、衝突も多い。フィクションではないイギリスの姿を見ることによって、日本の置かれている状態を客観的に考えることもできるようになったと思います。多様性が進んだ社会で我々がどのように異なる文化・背景を持つ人々と共生していくか、指針を与えてくれるような気がしました。

田中太 以前本屋さんでタイトルを見た時、人種の問題についての本なのかなと思ってスルーしていたんですが、今回の読書会をきっかけに読んでみて、本当に良かったです。社会問題は人種だけでなく貧困やジェンダー、政治、思想といった様々な事柄が絡み合っていることを知りました。様々な視点で物事を考えることが大切だと思いました。
 ノンフィクションの本はこれまであまり読んでこなかったので、ちょっと身構えて読み始めたんですが、エッセイのようで読みやすかったです。本は当事者でないと知りえないことを教えてくれると実感しました。

近藤 私が好きなエッセイやエッセイ漫画は心象風景とか日常のくだらない話とか、作者の好きなこととか、そういう“閉じた世界”の中の話が多いのですが、この本はそういったタイプのエッセイとはまた違う感じもして……。

高橋 たしかに、リアルな世界の話がたくさん書かれていますよね。ブレグジットだったり、ジェンダーの問題だったり。5年後とかに読んでみたらどういう感じがするだろう、読み返してみたいなと思いました。

堀口 時事的なトピックは風化しがちですが、「一生モノの課題図書」ですからぜひ(笑)。

高橋 あと、ブレイディさんの言葉遣いが印象的でした。たとえば「配偶者」っていう言葉は読み物ではあまり目にしたことがなくて。

堀口 配偶者というのは行政や法律の世界で使われる言葉ですね。「法的に婚姻関係にある男性」を意味する言葉は、パッと思いつくだけでも、夫、旦那、主人、ツレ、パートナーとかいろいろある。そのなかでこの用語を選択したというのはブレイディさんのこだわりでしょう。その人が使う言葉はその人そのものだと改めて感じさせられます。

井口 2冊とも深い洞察と考察のうえで書かれているのに、スラスラと読めて、世の中にある対立について考えることができました。特に印象に残ったのは、『ぼくイエ2』の「3 ノンバイナリーって何のこと?」です。私は子どもの機会格差に強い興味があり、その問題に将来携わりたいと考えていますが、社会にはそれ以外にもたくさんの問題があって、様々な人がそれぞれの立場で社会を良くしようとしているんだな、適材適所があるんだなと思いました。

湯本 私が印象的だったのは、息子さんが福岡で暮らすおじいちゃんに向けて書いた手紙です。「あなたがいてくれてよかった」という一言は、自分は今の齢でも書けないんじゃないかと思いました。

堀口 ブレイディさんが息子さんと一緒に帰省した時のエピソードですね。あの一言は僕もグッときた。

中学校に演劇の授業が

岡田 ちょっといいですか。私の学生時代ははるか昔ですが、『ぼくイエ』と『ぼくイエ2』を読んで日本とイギリスの教育が全然違うことに衝撃を受けました。中学校に演劇の授業があるんだ! とか、こんなに身の回りのことを社会と結びつけて考えるんだ! とか。こういうカリキュラムは、いまの日本の学校にも入っているんでしょうか?

湯本 大学ではSDGsやLGBTQについて授業で発表したりしていますが、さすがに小学校、中学校ではなかったです。私も「ぼくイエ」シリーズでは、日本と海外の教育や子育ての差を感じる場面が多かったです。教育で言えば、イギリスでは幼い頃から自発的な意見や問いかけが求められるんだとか、自分自身で企画から発表まで行うんだとか、深刻な社会問題とあえて向き合わせるんだとか、たくさん発見がありました。『ぼくイエ2』に登場した、「コンサートのプロモーターになったつもりでクライアントに会場の提案をするためのプレゼン資料をつくりなさい」という宿題も、その差を感じた場面の一つです。

堀口 イギリスではスピーチのテストがあるというのも印象的でした。5分くらいのスピーチの内容を書いて、それを話す様子を録画したテープを試験官に送るそうですね。息子さんが授業で教わっているのが「5S」というメソッド――「Situation(聞き手が想像できるようなシーンを設定して議論を始める)」「Strongest(演説の最も重要な主張を提示する)」「Story(個人の経験談を用いて自分の主張を裏付ける)」「Shut down(反論を封じ込める)」「Solution(処方箋を提案する)」の5つのSの順番でスピーチの文章を書き進めるという話でした。早い段階でこういう教育を受けている社会には、自分の意見を発表したり人の意見に耳を傾ける素地ができやすそうですね。

湯本 『ぼくイエ』の中に出てきた物語を題材にして、その内容に関係する社会問題について考えるディベートも、小中高の授業でやれるんじゃないでしょうか。
 あと、どれほど教育環境が整っていても、息子さんと友達の取り組み方が違うように、当事者の意識が本当に重要だと思ったのも気づきのひとつです。
 教員志望の人が多い東京学芸大学の学生も含めて、多くの大学生に読んでほしいと心から感じる作品でした。

川邊 読み進めていく中で、自分の周り、日本ではどうだろう? と考えるようになっていました。ノンバイナリーな教員は少ないと思う。日本ではセクシャルマイノリティについての学習に力を入れている学校も少ないのではと思います。もっと性の多様性について学校で触れても良いのではないかと感じました。

佐藤 友達や家族と政治や社会問題の話をすることはありますか?

近藤 コロナのことは家族で話したりするんですけど、女性問題とかは友達と、自分たちのコミュニティの中で話す感じです。でも、環境問題とか衆議院選挙の話はあまりしないので偏っているかもしれません。あとネット上で人の意見を見たりすることが多いです。

印象的だった登場人物は?

射場 みんな、どの人物にいちばん共感をもちましたか?

井口 私はブレイディさんに感覚が近かったです。自分が学生団体で子どもと遊ぶボランティアをやっているからかもしれません。大学1年生のときから運営メンバーなので、どうしても視点が重なりました。

田中匠 僕もブレイディさんです。

川邊 私は「ぼく」に近いかな。自分自身が母親と、学校であったこととかをよく話していたので重なりました。

田中太 僕は誰にも寄らないというか、一歩引いたところから読ませてもらった感じです。それぞれの発言に共感はしましたし、そういう考えもあるなあと思いました。

佐藤 共感ではないけれど、印象深かった登場人物はいますか? 私はアフリカから来た女の子かな。『ぼくイエ』では学校になじめなかったけれど、音楽部に入ったことがきっかけで『ぼくイエ2』では変身してみんなと打ち解けていくんですよね。彼女のお母さんも印象深い。

湯本 私は「元お隣さん」ですね。引っ越していった後に戻ってきたときの姿とか忘れられません。ちなみに最終章で彼女の話になって「親ってのはね、子どものために自分を犠牲にしたりするもんなのよ」と言ったブレイディさんに、息子さんが「母ちゃんはしないほうがいいと思う」と言うシーンがあるじゃないですか。彼の成長を感じましたし、子どものためという押しつけが子どものためになるのかということも考えさせられました。

稲井 私は『ぼくイエ2』の最後のほうに出てきた今のお隣さんと「ぼく」の会話が印象的でした。価値観の違う人と話す「ぼく」のやりかたに、自分のことに置き換えて考えさせるところがあるなあと。

井口 ダニエルが印象的でした。学年委員に選ばれなかった後に強がりを言ってみたり、親の人種差別的な発言を聞いて自分もそのまま学校で言ってしまったり。こういう子いるなと思いましたし、自分も親に影響されていたよなと思い返したりもしました。

堀口 そうそう、著者の世界と読者の世界がシンクロするんですよね。

川邊 『ぼくイエ2』の帯に「ついに完結」と書いてあって、もう続きを読めないのかと寂しい気持ちになりました。でも、この本から投げかけられたことをこれからも考え続けていけたらと思っています。なんだか、また2冊とも読み返したくなりました(笑)。

堀口 うれしいです! 今日はありがとうございました。

波 2021年12月号より
単行本刊行時掲載

担当編集者のひとこと

 ブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」、「波」連載時から愛読してくださった方も多いと思います。おかげさまで、連載は2冊の単行本となり、そのうち1冊は文庫本にもなりまして、読者のみなさまに累計100万部のシリーズへと育てていただきました。
 9月に刊行された最新刊『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』は、2年ぶりの続篇にして完結篇。ブレイディさんのひとり息子「ぼく」は13歳になり、中学校でフリーランスで働くための「ビジネス」の授業を受けたり、摂食障害やドラッグについて発表する国語のテストを受けたりするようになりました。あの登場人物たちが思わぬ形で再登場したり、あのエピソードが角度を変えて描かれたりと、続篇ならではの楽しみを随所で味わっていただけるはずです。
 それにしても、ティーンの時期は成長が早い。さまざまな事件を経験しながら大人への階段をひとつひとつ昇っていく「ぼく」の暮らしから、今の時代を感じ、かつてご自身が駆け抜けた青春時代を思い起こしていただけると思います。わたしがそうしたように。(ノンフィクション編集部・H)

2021/12/28

著者プロフィール

ブレイディみかこ

ブレイディ・ミカコ

ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。2017年、『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で新潮ドキュメント賞を受賞。2019年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞、Yahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞受賞などを受賞。他に、『ワイルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち』(筑摩書房)、『THIS IS JAPAN―英国保育士が見た日本―』(新潮文庫)、『女たちのテロル』(岩波書店)、『女たちのポリティクス――台頭する世界の女性政治家たち』(幻冬舎新書)、『他者の靴を履く――アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)など著書多数。

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