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家康の天下統一は“この男”の決断から始まった! 乱世に終焉を導いた英傑を描く歴史巨編。

風は山河より 第二巻

宮城谷昌光/著

1,836円(税込)

本の仕様

発売日:2006/12/01

読み仮名 カゼハサンガヨリ02
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 350ページ
ISBN 978-4-10-400416-4
C-CODE 0093
ジャンル 歴史・時代小説、文学賞受賞作家
定価 1,836円

戦国期の奥三河。野田城主・菅沼新八郎定則は、瞬く間に西三河を統一した松平清康の驍名を聞き、卓越した判断力で帰属する今川家を離れる決意をする――。これまで描かれなかった信長誕生前夜に光をあて、中国歴史小説の巨匠が満を持して挑む戦国日本。

著者プロフィール

宮城谷昌光 ミヤギタニ・マサミツ

1945(昭和20)年、愛知県生れ。早稲田大学第一文学部英文科卒。出版社勤務等を経て1991(平成3)年、『天空の舟』で新田次郎文学賞を、『夏姫春秋』で直木賞を受賞。1993年、『重耳』で芸術選奨文部大臣賞受賞。2000年、司馬遼太郎賞受賞。『晏子』『玉人』『史記の風景』『楽毅』『侠骨記』『沈黙の王』『管仲』『香乱記』『三国志』『古城の風景』『春秋名臣列伝』『楚漢名臣列伝』『風は山河より』『新三河物語』『呉越春秋 湖底の城』等著書多数。

目次

阿部兄弟
孤城の月
流浪の主従
牟呂の矢文
広忠の帰城
三河の動揺
安祥城の攻防
お大の方
竹千代誕生
三木の信孝
別離のとき
ゆきの友
孤独の影

インタビュー/対談/エッセイ

波 2006年12月号より 〈特別対談〉 ずっと日本を書きたかった  「小説新潮」連載開始時に明かされた、 『風は山河より』誕生秘話――。

宮城谷昌光諸田玲子

 初めての日本の時代小説

諸田 今度の連載で、いよいよ日本の時代小説をお書きになるんですね。
宮城谷 日本ものを書きたいと思って久しいので、三十ぐらいから、現地踏査や資料集めは始めていました。その頃から古代中国ものに入ってしまったので、日本の歴史ものには目をつぶってきたんです。それでも、やはり自分がやっていかなければならない仕事がいくつかあるのはわかっていまして、私は三河人だから戦国期の三河だけは書いておきたいとずっと考えていました。ですからこの連載は、資料を集め始めてから五年ぐらい準備期間がありましたが、構想から全部含めるとおそらく二十五、六年はかかっている小説なんです。やり始めてみると、舞台は奥三河なんですが、これが、中国全土より広く感じました。
諸田 そうですか。そこをお伺いしたかったんです。
宮城谷 もう、知らないことばかりです。日本の歴史小説が大好きで、戦国ものの小説はほとんど読んでいると思うんですが、いざ、自分が書こうとしたら何にも知らないことがほんとによくわかったんです。自分で資料を当たって、その地にも行って調べていかないと小説の世界というのは成り立ちにくい。それをやったら、奥三河が中国より広く感じたんです。何も知らないから、これから勉強させてもらいますという気持ちです。書きながらいろいろと勉強することばかりで、一つ文章を書くと、これだけ教えてくれたんですね、ありがとうございます、と思いながら書いています(笑)。
諸田 古代中国をお書きになったのは、日本よりも広い世界だからかと想像していたのですが、そうではなかったのですね。
宮城谷 日本ものを書ける実力がなかったんだと思います。中国で一回勉強してから日本に戻っていらっしゃい、と言われたんだと。ようやく環境も整って、連載が始まりますが、原稿用紙一枚に、三時間かかるんです。
諸田 第一回を、読ませていただきました。だからあれだけのものができるんですね。奥三河が舞台で、菅沼家三代を主人公に据えた小説、すごく面白いです。当時は、血縁とか、家の繋がりということが、すべての基本になっているんですよね。ああいう考え方をとりいれているのは、時代ものでは初めてではないでしょうか。弱い立場のものが、どう動いていくか、という一番苦しい選択ですよね、その人間の去就が興味深いです。
宮城谷 やはり戦国時代のつらさというのは、そこですよ。一つの決断が、家だけではなくて、その家に付随している人々を巻き込んで全滅させてしまうことになる。だから相当用心をして、かなりの情報収集能力があったんじゃないかと思うんです。どこで、誰が、なにをしているかというのは、何らかの形で常に情報を集めていたはずなんです。今川家の状態がどうなっているのか、奥三河にいながら、見極めて行動していたと思います。菅沼だけではなく、奥平だとかいろいろな武将がいて、彼らが今川の勢力下からはなれるというのは生易しいことではないです。要するに、大企業から離れる下請けみたいな状況ですよね。
諸田 家は潰されてしまうし、人質に取られて殺されたり、壮絶な戦いになるわけですね。
宮城谷 そうです。相当にスリリングなことをやっていかなきゃならない。特に今川家に関しては、織田家の敵になったので悪役という印象が強い。でも私は今川がどれくらいの勢力を持っていたかということを知りたいし、敵としてみるだけでない立場がほしいと思いました。菅沼をふくめて、三河の、静岡県よりの人たちというのは、常に今川との折り合いをどうするかということを考えている人たちばかりで。そういう今川との関係も、知りたくなったんです。
諸田 三河の人びとが両方の勢力の間で、どっちについたらいいのか、弱い立場で、どう考えて動くか、ということを、小説のいちばん初めにお書きになったのが、宮城谷さんらしいと思いました。人間の、人を見抜く目、ということ。この人についていくべきなのか、やめるべきなのか。
宮城谷 決断するのは大変ですから。
諸田 ええ。その決断をする、というのが、とても大きなテーマですね。
宮城谷 自分もその時代に生きてる立場になってね、その時代を生きなければならないんです。当時の、戦国期に生きている人のカンのよさというか、それを裏付ける情報はないか、どういう基準で、物事を考えていたんだろう、とか、自分で書くしかないとなったら、いろいろ考えましたね。
諸田 宮城谷さんの小説には、攻めの人でなく守りの人がよく登場します。菅沼定盈という人も同じようなタイプですね。『重耳』をお書きになるのに、十三年という時間をかけたと、あとがきにありますが、菅沼定盈についても、ずっと以前から構想をあたためていらっしゃったんでしょうか。
宮城谷 そうですね。生きた小説を書くコツは、時間をかけて、とっておくことなんです。何年も何年も自分のなかであたためておいて、それから書くと香りがよくなる。だから、諸田さんが今考えていらっしゃることを列車に見立てると、闇の中にレールをしいてひそかに走らせておくといいです。十本ぐらい書きたいことを並べて走らせておく。見えるところを走っている列車は一本でも、闇の中にレールが九本くらいあるといいんです。ずっと走らせておくと乗り心地のいい列車になります。
諸田 お味噌やお醤油のように熟成させるということですね。
宮城谷 状況に追われて時間がとれないときは、とにかくゆっくり書く、ということです。ゆっくり書くことで、仕上がりのふくよかさが違うんじゃないか。そういうことは読者がいちばん分かるかもしれない。
諸田 私はわーっと書いちゃうところがあるんです。でも、この頃、ちょっと待とうという気持ちが少し出てきました。
宮城谷 そうです。書道では、すらすらと書いたように見える草書や行書を、楷書の文字より時間をかけて書くそうです。
諸田 良いことを教えていただきました。ところで、菅沼という人を選ばれたのはどういうお考えですか。
宮城谷 ちょっと引いたところにいる人間ですね。大体私は前に出る人間は嫌いなんです。自分自身もひっそりと生きてきた人間ですからね、引いて引いていく方が、生き方として、自分の性にあっています。企業人でもそうですが、前に出過ぎるとどこかで落とされる。ナンバー2がやっぱりいちばん優れた生き方をしているんですね。
諸田 だから、信長でも、秀吉でもなく、菅沼という人を選んだのですね。
宮城谷 菅沼は昔から好きです。高校の頃から好きです。何だか知らないけどこの人が好きで、いつか小説に書きたいとずっと思っていました。
諸田 まあ、そんなに前から。
宮城谷 ようやく、書き始められました。
諸田 構想は最後まで決めてお書きになるんですか。
宮城谷 最後については考えがありますが、細部は全然決めていません。いつも計算を超えて物語が動き出す流れにまかせています。
諸田 長く続いてほしい――この先がずっと楽しみです。

(「小説新潮」二〇〇二年四月号「風は山河より」連載開始記念対談「ずっと日本を書きたかった」より抜粋)

波 2006年12月号より 宮城谷昌光『風は山河より』刊行記念エッセイ  旅と空模様

宮城谷聖枝

雨女ではない、と私は思っている。
そんな私が旅先で雨に遭ったことがあった。しかも土砂降りの雨である。
十七年ほど前、京都の樂美術館へ向かうときであった。傘をさしていても傘の布地を通過して雨が落ちてきた。夫と私はずぶ濡れとなり、服から雨粒が滴っていた。雷の音に驚き、軒下に身を寄せたことを今でも忘れない。
そして数年前『古城の風景』初回の取材に行き作手で遭遇した雨である。辺りの風景は降り続く雨にすっかり色を失っていた。
担当編集者のTさん、版画家の原田維夫さん、飛び入り参加のHさん、夫と私の五人はこの雨に会話がとぎれた。誰もが吐く言葉は同じで、
「ほんと、よく降るね。誰のせいだろう」
と、雨を見て恨み言をいった。同行者の誰かがこの雨を降らせているに違いなく、それが誰なのか探りたそうな気持ちで皆がお互いをみていた。
時間が経過しても雨は少しも小降りにならず、さらに烈しく降る雨に全員、自動車から出られなくなった。自動車の内からかすかに亀山城址の看板を見ながら作手を後にしたのであった。
別行動で東京へ戻るHさんを最寄のJRの駅まで送ろうと自動車を走らせていた。すると今までのあの天候が嘘のように空が明るくなり、夕陽が射してくるほどに回復してきたのだ。
Hさんを駅近くで降ろした後、自動車内では雨の話で盛り上がり、Hさんが雨男、という結論に達したのであった。Hさん、ごめんなさい。
『古城の風景』は取材をもとにした紀行文である。
夫は菅沼新八郎をいつか小説に書きたいと願い続けてきた。
その念いは通じ『小説新潮』にその場が提供された。初めての日本の歴史小説には、菅沼氏を書く、その強い信念は未知の日本の歴史という世界ではあったが、叶えられた悦びの方が勝っており、夫に迷いはなかった。
『風は山河より』と並行するように『波』でも連載することになった。『古城の風景』というタイトルとなり『風は山河より』に関連する場所を巡るという内容のもので、自分の目でそれらを確認できることは夫にとって喜びが倍加するようであった。
以前、夫と私は菅沼家の墓参をしたことがあった。その用件を終えるとすぐに帰ってしまった私たちであった。その頃は、資料や情報も不充分の状態であったため、何かにつけ二度手間となることが多くあった。最近は資料もふえ、担当のTさんの協力もあってかつてのような失態は少なくなっている。
取材旅行の行程を練り上げ作成した日程表は実に無駄がなく合理的だ。その日程表は旅行の同行者に前もって配られる他に、自動車の運転手にも渡されている。だから取材旅行に参加する全員は予習をしてその当日を迎えるのである。
自動車の運転手にまでなぜ予習が必要なのか。かつてTさんはそう思う何かがあったのだろう。
ある編集者たちと私たちは、名古屋郊外をジャンボタクシーで巡ったことがあった。運転手は私たち全員がいわゆる観光名所を巡る客と思ったようだ。が、私たちが指示する場所が運転手の記憶から外れた聞き覚えのない地名ばかりなので、運転手は強い口調になり、
「この先に行っても、何もありませんよ」
と、仏頂面で答えた。
共に同じ自動車で移動する一員である運転手の存在はその旅行の印象を左右する。
『古城の風景』も「菅沼の城 奥平の城」「松平の城」「一向一揆の城」と三巻になった。この取材旅行で忘れてはならない場所がある。それは市役所、役場といった官公庁で、そこにこそ、その町の顔が反映される。市史や町史を買うために訪れてゆくうちに、自ずと目的以外のことも知るようになっていた。その土地の特産品を知り、気に入った品であったときは、それを入手しようと横道に逸れることもある。それも旅のたのしみのひとつだろう。
振り返ってみれば、私たちが新しいことを始めるときは雨であった。結婚式の日も、小説家として立とうとしていた京都での雨も。そして、初めて日本の歴史小説に挑む前の作手もそうであった。
ひょっとして、雨は私たちにとって吉兆なのだろうか。

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