◆先生とわたし(長篇評論400枚一挙掲載)/四方田犬彦
新潮 2007年3月号
(毎月7日発行)
発売日 | 2007/02/07 |
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JANコード | 4910049010372 |
定価 | 特別定価996円(税込) |
肉体と心をひたすらに見つめる十二歳の少女。
・決壊(五)/平野啓一郎
・太陽を曳く馬(六)/高村 薫
・神器―浪漫的な航海の記録―(十五)/奥泉 光
・城砦(二十)/加賀乙彦
・極薄の閾のうえを(十三)/磯崎 新
・〈記憶〉の中の源氏物語(三十一)/三田村雅子
・中国にて/中村文則
・映画を触媒にした価値観のぶつかり合い/梁 英姫
・ジャックの膝、ドニーズの太もも/王寺賢太
・阿部和重『ミステリアスセッティング』/石川忠司
・エミール・ハビービー『非楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』/小野正嗣
・フィリップ・ソレルス『神秘のモーツァルト』/鹿島田真希
・西村賢太『暗渠の宿』/清水良典
・齋藤美和編『編集者 齋藤十一』/高井有一
・秋山駿『私小説という人生』/山城むつみ
編集長から
◎由良君美(1929~1990)をただ英文学者と呼ぶだけでは、澁澤龍彦を仏文学者とするのと同じくらい不充分だろう。その知のスタイルは「脱領域」的であり「脱構築」的であり……だがそもそも、「脱領域」「脱構築」自体が由良の創出した訳語なのだ◎1973年、大学2年生の四方田犬彦青年は由良君美と出会い、「万巻の書物をすでに読み終わったファウスト」のような講義に圧倒された。だが、この幸福な出会いに始まる師と弟子の関係は、時を経て、悲劇の色彩を帯びていく……。師はなぜ弟子に「すべてデタラメ」とだけ記した葉書を送りつけ、また、弟子を不意に殴りつけたのか? 本作「先生とわたし」(400枚一挙掲載)は四方田氏による一世一代の知的自伝であり、由良君美伝であり、師への深い追悼文であり、教え教わるという人類普遍の行為への考察である◎気鋭・島本理生氏が最新中篇(250枚)で見事な飛躍を見せた。
バックナンバー
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雑誌から生まれた本
新潮とは?

文学の最前線はここにある!
人間の想像力を革新し続ける月刊誌。
■「新潮」とはどのような雑誌?
「新潮」は日露戦争の年(1904年)に創刊された、百歳を超える文芸誌です。現役の商業文芸誌としては世界一古いという説があります(ただし第二次大戦中は紙不足のため数号、関東大震災のときは1号だけ休刊)。その歴史の一端は小誌サイト内にある〈表紙と目次で見る「新潮」110年〉でご覧ください。
■革新し続ける文学の遺伝子
もちろん古いことと古臭いことはまったく別です。百余年にわたり、たえず革新を続けてきたことこそが「新潮」の伝統であり、その遺伝子は現編集部にも確実に引き継がれています。ケータイ小説やブログ、あるいは電子配信、電子読書端末まで、いまだかつてない〈環境変動〉がわたしたちの生に及びつつある今、時代精神を繊細に敏感に感じ取った小説家、批評家たちが毎月、原稿用紙にして計1000枚以上(単行本にして数冊分)の最新作を「新潮」を舞台に発信し続けています。
■日本語で表現されたあらゆる言葉=思考のために
デビュー間もない20代の新人からノーベル賞受賞作家までの最新作がひとつの誌面にひしめきあうのが「新潮」の誌面です。また、文芸の同時代の友人である音楽、映画、ダンス、建築、写真、絵画などの領域からも、トップクラスの書き手、アーティストが刺激的な原稿を毎号寄せています。文芸を中心にしっかりと据えながら、日本語で表現されたあらゆる言葉=思考の力を誌面に結集させたい――それが「新潮」という雑誌の願いです。